捨てられた魔女と、呪われた王子の末裔

つきかげみちる

第1話


 辺境の魔女アンナは、元はごく平凡な貴族令嬢であった。そう、彼女はまさに平凡であった。さえ除けば。

 そんなアンナは十六歳の時、運命の出会いをした。それは、王太子であるシャルマとの出会いであった。その頃の王宮には王太子の気を引こうと色目を使い、着飾る令嬢達が蔓延っていた。しかし、平凡な令嬢アンナにはもちろん野心などなく、いつも素朴かつ純粋であった。いつしかシャルマはそんなアンナに惹かれ、アンナも一途な愛を囁いてくるシャルマに心惹かれていった。


 が、しかしシャルマの愛は一途ではなかった。シャルマは未婚の身であったが十三人の恋人がおり、そのうち四人には隠し子までいた。アンナは傷ついた。嘘であって欲しい、ただの噂であって欲しいと願ったが紛れもなく真実であった。

 泣き崩れたアンナに、シャルマはこう言った。


『私は愛の形や数に囚われたくはないのだ。皆に慕われそれに応えることが私の務めだ。しかしアンナ、貴女は特別だよ。妻にするなら貴女のような人がいい』


 アンナは舞い上がった。最後の一言のせいで、前半の発言は頭から抜けてしまったのである。

 しかし翌年、シャルマはなんの悪びれもなく隣国の王女と結婚した。幸せそうな二人を横目に、アンナの心は壊れてしまった。

 心が壊れたアンナは屋敷に篭り、に没頭した。彼女の趣味は黒魔術の資料や歴史書を読み漁ることであった。隅から隅まで読み漁り、いつしかアンナは知らず知らず黒魔術を習得してしまっていた。シャルマは結婚後も何度が屋敷を訪ねてきていたが、アンナの両親は娘が王子を刺し殺しかねないと危惧し、会わせることはなかった。

 時は経ち、シャルマが王位を継いだ。アンナはまだシャルマを愛していた。そして同時に憎んだ。アンナはふと、この習得した黒魔術をシャルマにかけ、呪ってやろうと思った。私が苦しんだように、貴方も苦しむがいい。アンナはそう思った。この時アンナは二十六歳、あの出会いから十年が経っていた。


『絶対に許さない。呪ってやる……末代まで呪ってやる……』


 アンナは彼を呪った。をかけたのである。そしてその呪いの代償として、アンナは歳を重ねることができなくなってしまった。その代償は大きく、アンナは人々から気味悪がられた。五十年経っても歳を取らなかったからである。いつしか彼女は魔女と呼ばれるようになった。一方、呪いを受けたはずのシャルマは幸せに暮らした。この呪いは誠実な人間にしか効果がなかったのだと彼女は後から知った。時は経ち、シャルマは八十歳でこの世を去った。国の平均寿命をとうに越える大往生であった。

 シャルマの死を見届け、アンナは静かに姿を消した。彼女は辺境の地へ移り、一人ひっそりと生きることを決めたのである。



 年月は流れた。アンナはかれこれ二百年は生き続けている。しかし、見た目はあの呪いをかけた時のままである。そしてあれからシャルマが治めていた王国は滅び、一族は隣国へ亡命したと風の噂で聞いていた。

 アンナは、シャルマを最後まで苦しめることはできなかった。しかしその末裔が国を追われ、今もどこかで寒さを凌ぎながら細々と暮らしているという事実があるだけで満たされていた。辺境の地は荒れ果てていて何もなかったが、アンナは満足だった。


 そんなある時、アンナが暮らす小さな屋敷に一人の痩せ細った子供が訪ねてきた。その子供は見た目だけでは性別が分からないほど中性的で目鼻立ちが整った品のある容姿をしていたが、その見た目に似合わず服はボロボロで靴は履いていなかった。


「物乞いですか。こんな所までよくもまぁ……親に頼まれたのかしら? 子供が行けばあの“魔女”でもパンを恵んでくれるだろうって」


 アンナは数十年ぶりの来客にそう冷たく言い放った。しかし、子供は怯むことなくアンナを真っ直ぐ見据え口を開いた。


「物乞いではありません。貴女は本当に魔女なのですか」


 子供は見た目よりも少年らしい声をしていた。アンナは溜息をついた。怖いもの見たさに魔女を訪ねてくる者が今までにも何人かいたからである。


「そうだけど。だから何?」


 アンナは低い声でそう言い捨てて、扉を閉めようとした。すると少年の細い腕が近づいてきて、アンナの腕を止めた。


「待って、お願いです。貴女が魔女だと言うのなら助けて欲しいのです。僕に、……僕の一族にかけられた呪いを解いてくれませんか」


 少年の物怖じしない口調にアンナは眉をひそめた。そしてよく見れば見覚えのある顔だと思った。この顔には、どこかで会っている。いや、会ったのは別の顔だ。もっと得意げに話し、愛を囁き、誰にでも愛想を振りまくあの、愛すべき憎い顔だとアンナは思った。


 彼女は確信した。そして同時に高揚した。気付いてしまったのだ。目の前のみすぼらしい身なりの子供があの憎きシャルマの末裔であることに。

 アンナは閉めかけていた扉を開き、少し話しましょうと屋敷に招き入れた。少年は少し戸惑っていたが、促されるままに屋敷に入り椅子に座った。そしてアンナは優しい笑顔を作りながら、温かいスープを施した。すると少年は目を見開いた。


「いらない。物乞いをしにきたのではありません」


「……でも、もう何日も十分に食べていないでしょう。そんなに痩せているのだもの、分かるわ。話は空腹を満たしてからにしましょう」


 アンナがそう言うと、少年はしぶしぶスープに手をつけすぐに飲み干した。

 

「一年前に亡くなった父から聞いたのです。父は元は一国の王子でしたが、国は滅んでしまった。そして僕は父の亡命先の農村で出会った人との子です。しかし母は、病気になってしまった父を置いて他の男の元へ行ってしまいました。そんなことをするような人ではなかったのに。そして父は言ったのです。『これは王家の長兄に続く呪いだから仕方がない。愛した人は必ず別の人を愛する。この呪いがある限り本当の愛を手に入れることはできない』と。信じがたいですが、僕は父が嘘をついているとは思えません。僕は貧乏だし学もないし夢も希望もないですが、将来ただ一つの愛だけは欲しいのです。ですからどうか、その呪いを解いてくれませんか」


 少年は必死の形相でそう訴えた。アンナは口角が上がるのを堪えた。


「そうなのね。その話を信じる前に、貴方の名前を教えてくださる? あと、貴方の父方のお爺様のお名前も」


「僕はジェバードです。祖父は会ったことありませんが……確か、ロビスと父が言っていました」


(ロビス……シャルマの玄孫やしゃごで最後の王の名だわ。ということはこの子はシャルマの孫の孫の孫……なんてこと素晴らしいわ! あの人の血を引く人間が今、私の呪いで苦しんでいるのね……!)


「ふふふ、ははははは! あははははははは!」


 屋敷中にアンナの高笑いが響いた。ジェバードは表情を変えずにそれを見ていた。


「……やはり、この呪いは貴女が」


 少年は最初からすべて分かっていたかのように言った。そしてアンナは彼のその態度が気に入らなかったので、あえて満面の笑みで答えた。


「そうよ! でも呪いは解けないわ。なぜって解き方が解明されていないの。黒魔術はまだ発展途中なのよ。でも、これは貴方のご先祖さまが悪いのだからね。貴方や貴方のお父様は可哀想だったけど、恨むなら私ではなくシャルマを恨みなさい」


「……シャルマ? 誰ですかそれは」


「あら、知らないの。でも、教える義理はないわ。自分で調べなさい。呪いの解き方だって貴方が魔術を学んで自分で解明すればいいじゃない」


「なっ、僕は字が読めないから無理だ。それに魔術なんてどこで学べば……」


「あらあらあら、無理って言うならそこまでね。貴方ってまだ若いから希望があるって言おうと思ったけど……ふふ、諦めるならそれでいいわ」


 アンナの言葉に、ジェバードは悔しそうに俯いた。先ほどまでの物怖じしない姿勢とは対照的であった。


「……僕は諦めません。僕は今、この先の国境を越えた所にある商家で住み込みで働いています。そこでは秋の始まりの一日だけ休みがあって、今日はその一日でした。……僕は自分で呪いを解いてみせます。だから、僕は来年もまたここに来ます。貴女はうっかりベラベラと僕に手掛かりを話してしまわないように気を引き締めておいてください」


 ジェバードの瞳には強い意志が垣間見れた。最後の一言はジェバードの精一杯の嫌味であったが、アンナにとっては強がりにしか聞こえなかった。


「……ふふふ、いいわよ。じゃあ、ご馳走を作って待っていてあげる。小さな貴方に何ができるのか……とっても楽しみだわ」


 アンナはそう言い微笑んだ。誰かに微笑むなんて何年ぶりであろうか。昔のように純粋な気持ちで微笑むことはもうないけれど、あのシャルマの末裔が呪いを解こうとしているというだけで胸が高鳴った。呪いはきっと解けない。だから面白い。いい気味。楽しくなりそう。アンナは様々な感情を久しぶりに解放したのであった。

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