血肉を喰らう者

ゼニ平

血肉を喰らう者

 今の気分を現すなら、生きる活力が足りないと言った感じだろうか。


 「……はぁ」


 誰もいなくなった会社のオフィスで一人ため息をこぼす。

 今日、俺は些細な仕事のミスで取引先、そして上司や同僚に盛大に迷惑をかけてしまった。明日朝一で取引先に謝りに行かないといけない。鬱だ。死にたい。

 もう30を過ぎたオッサンだというのに、情けないものだ。だからいつまでたっても独り身なのかもしれない。

 定時を何時間も過ぎてようやくやるべき事を終わらせ、オフィスを出た時には、辺りはすっかり暗くなっていた。


 「おお、さむっ……」


 あと数時間で3月になるというのに、外に出るとまだまだ肌寒かった。

 そのせいか、会社から駅まで歩く10数分の足取りでさえ、重く感じてしまう。

 白いため息をつきながら歩いていると、ふと、いい匂いがした。炭火で肉を焼く、食欲をそそる独特の匂い。


 『本日肉の日 全品半額!!』


 そんなポスターが目に入り、思わず足を止める。

 なんてことはない、どこにでもある全国チェーン店の焼肉屋だ。

 そうだ。今日は四年に一度、うるう年にのみ存在する日付。2月29日。

 毎月の29日とは一味違う、特別な肉の日だ。全国の焼肉屋で超セールが行われる日。

 そう言えば、焼肉なんてしばらく食べてないな……。


 『ぎゅるるるる……』


 その瞬間、お腹が恥ずかしいぐらい大きな音を立てた。誰かに聞かれたりしてはいないかと思わず周りを見渡してしまう。

 急激に空腹感が襲ってきた。一人で残って後処理をしていた事もあって、もう夜の10時を過ぎたというのに、まだ何も食べていない。

 気づくと、まるで吸い込まれるように、店の扉を開けて中ふらふらと入っていた。


 「いらっしゃいまっせー。おひとり様ですかぁ?」

 「あ、えっと……はい」


 レジの前に立っていた女性店員に珍しい物を見るような目で見られながら席に通されて、なんだか悪い事をしている気分になる。

 冷静に考えると、一人で焼肉屋に入るのなんて初めてだ。

 若い頃は誕生日に家族に連れて行ってもらったり、社会人になってからも同僚や友人と飲み会をする時など、何かと焼肉を食べに来ていた気がするのだが。

 遅い時間だからか客もまばらだ。おかげで4人掛けのテーブル席に通された。広く使えるのはいいのだがちょっとばかり居心地が悪い。


 「シーザーサラダと、焼き野菜盛り合わせと、タン塩2人前。あと生ビール」


 この年になると、明日の胃だとか血圧だとかを気にして野菜多め。肉はあっさりして脂の少ないタン塩。ほんとに、おっさんになったなぁと思う。

 

 「おまたっせしまっした~」


 しばらく待って、注文していた物が来た。

 ちびちびとビールを呷りながら、シーザーサラダのキャベツを口に運ぶ。

 そしてトングを使って二人前のタン塩を網の中心に置き、周りに玉ねぎ、しいたけなんかの焼き野菜を並べる。

 いつもなら、焼きながら家族や友人と他愛もない話をするのだが、一人だと焼けるまでする事が無い。

 そうなると、手持ち無沙汰になって必然的に嫌な事を思い出してしまう。


「……はぁ。な~んであんなミスしちゃったんだろうなぁ……」


 まったく。昔ならあんなミスはしなかっただろう。

 やる気というか、やりがいというか。仕事にそういう事を感じなくなったからかもしれない。若い頃はもっとやる気に満ち溢れ、ガツガツと仕事に取り組んでいた。

 でも今は、黙々と、淡々と。与えられた役割をこなすだけ。果たして、俺はこれでいいんだろうか。

 

 「……ん? うわっちゃぁ……」


 ふと、妙な匂いがして我に返ると、網の中心に置いていたタン塩が全て黒焦げの炭になっていた。

 脂の多いカルビなんかならともかくタン塩でこんな風に焦がしたのは初めてだ。

再度、ため息をつく。


 「何やってんだろう、俺……」

 

 情けなくてもはや、注文し直す気にもなれない。

 自分は焼肉を食う事すらできないのかと泣きたくなったが、いい年したオッサンなので、ただただビールを飲むしかできなかった。


 「いらっしゃっせー。おひとり様ですかぁ~?」


 「はい。一人です」


 そんな時、こんな時間だというのに新しい客が来店して通路を挟んで隣の席に通された。何気なく横を見ると、そこにいたのは髪の長い若い女性だった。

 20代前半ぐらいだろうか? 

 こんな店に一人で入るぐらいだから、社会人なのだろうが。

 彼女は俺とは違って堂々としたものだ。最近は一人焼肉というのも流行っているとは聞くが、およそ若い女性が一人で入る店として焼肉屋は向かないと思っていた。

 しばらくメニュー表を睨みつけていたが、


「タン塩4人前。上カルビ3人前。上ハラミ2人前。ホルモン2人前。あと、ウーロン茶をお願いします」


 一瞬聞き間違えかと思った。若い女性が一人で食べきれるような量ではないからだ。

 あっけにとられて見ていると、彼女は気合を入れるかのように、長い髪を後ろにひとまとめにする。

 そして注文の肉が届くと、さっと肉を焼き始める。彼女は一度に何枚も網に乗せたりはしない。だいたい2、3枚。多くても4枚ぐらい。食べている間に肉が焦げてしまっては台無しだからだろう。

 トングを持ってじっと網の上の肉を睨みつけるように向き合う姿は、真剣そのものだ。肉が焼き上がるタイミングを1秒たりとも見逃さぬという鉄の意志を感じる。

 やがて、その時が来たのか、素早くトングを動かし肉を網からつかみ取る。

 タレに少しだけつけ、皿の上に乗せる。

 網から上げた肉は、肉汁に溢れていて輝いて見える、思わず涎が出そうだ。こちらの黒焦げの炭と同じ物とは思えない。見るからにおいしそうだ。


「いただきます」


 彼女は行儀よく手を合わせてそう呟くと、大きく口を開けて、箸でほどよく焼けたタン塩をつまみ、大きく開けた口の中に放り込む。

 目を閉じてじっくりと咀嚼し……飲み込む。

 途端に、顔を綻ばせる。その笑顔は子供のように無邪気だった。

 そして、すぐさま新しい肉を網に乗せる。タン塩が終わったら、カルビ、ハラミ、ホルモン。食べては焼き、食べては焼く。

 あっという間に皿が空っぽになったかと思ったら、店員を呼んで追加の注文をする。


 「ロース2人前。とんトロ2人前。タレチキン2人前。あとウーロン茶のおかわりをお願いします」


 牛、豚、鶏のフルコースだ。

 キムチもスープもクッパもビビンバも冷麺も、余計な物は何もいらない。

ただひたすら、肉を貪り喰う。

 胃袋に肉以外の物を入れるスペースなど存在しないという強い意志が伝わってくるようだ。

 

 それにしても。

 ああ。なんて、幸せそうな顔で食べるんだ。

 彼女は、本当に肉が好きなんだな。

 俺にじっと見られている事なんかにはまったく気づかず、肉を焼き、食べる事に夢中になっている。

 給料日のあとの、ちょっとした贅沢。

 肉の日という特別な日を待ちに待っていたかのように、我慢していた分を一気に解消するかのように、肉と一緒に幸せを噛みしめる。


 それに比べて。

 自分のテーブルはなんて惨めなんだ。

 黒焦げの肉に、野菜に、ほとんど飲み干したビール。

こんなのは、焼肉じゃない。

 焼肉ってのは、こうじゃないだろう。

 もっと、こう、活力に溢れ、食べる事で元気になる。

 そういうものじゃないのか?

 肉っていうのは、つまるところ命だ。

 牛や、豚や、鶏が生きて、歩き回って、食べて、そして死んだ。生命その物なのだ。

 俺達はそれを食べる事で、彼らから生きる力を食らっているんだ。


 「すみません!」


 我慢できず、大きな声を出して店員を呼んだ。

 隣の席の女性は突然大声を出したこちらをちょっと驚いた様子でちらりと見たが、すぐに自分の肉に向き直った。


 「カルビ4人前。あとライス一つ」


 俺だって、若い頃は彼女のように、もっともっと貪欲だった。


 カルビを焼き、たれに付けてそれを白いご飯の上に乗せて、一緒にかっくらう。

 うまい。うまい。本当に、うまい。

 決して高い肉で無いのだろうけど、柔らかい肉のうまみが口の中に広がり、

 気づけばあっという間に肉が無くなっていた。


 「ロース2人前、ミノ2人前。あとコーラ」


 慌てて、追加の注文をする。肉とビールというのもうまいのだが、ライスがあるなら酒よりもソフトドリンクの方がいい。

 気づけば、子供のように夢中になって食べていた。

 忘れていたな。こういう気持ち。

 それから夢中になって焼いては食べて注文し、焼いては食べて注文し……。

 最後に締めのお茶漬けを食べ終わる頃には、お腹がパンパンになっていた。

こんなに充実した食事をしたのは、いつぶりだろう。最近はずっと、コンビニの弁当とか、パンとか、味気ない物ばかり食べていたからな。


「ごちそうさまでした」


 命を。生きる力を。いただきました。

 明日からは、もう少し頑張ろう。

 そう思えた。


 席を立つ時、彼女は追加の注文をするか悩んでいるようで、またしてもメニューとにらめっこをしていた。俺はそんな彼女に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、そっと呟いた。


 『また4年後、肉の日に会おう』


 4年後、彼女はどうなっているのだろう。

 まだ今みたいに、幸せそうに肉を頬張る事ができているだろうか。

 社会の荒波に飲まれて、今の俺の様になっていしまっているのかもしれない。

 でも、きっと。

 この人なら、できているんじゃないだろうか。

 そして俺も、彼女と同じようにありたいと思った。


 翌日。朝一番に取引先に行き、平謝りをした。寛大にも先方は笑って許しくれたのだった。


「いえいえ。こういう事もありますよ。あまり気になさらないでください」


 ふと、相手が隅っこの席に座っていた一人の女性を手招きする。


 「そうだ。彼女、今日からうちの課に移って来た新人なんですよ」


 「はじめまして! よろしくお願いいたします!」


 そこにいたのは、髪の長い、20代前半ぐらいの女性。

 間違いなく、昨日の彼女だった。

 やる気に満ち満ちた、ハツラツとした姿だった。思わず笑みがこぼれる。

 これからどうなるかはわからないけど。

 ひとまずは。


 焼肉に誘ってみるのも、悪くないのかもしれない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

血肉を喰らう者 ゼニ平 @zenihei5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ