邂逅(KAC2020お題:四年に一度)

海野てん

邂逅

 ゆらり揺られて行く道は楽しい。

 わずか二両の単線は乗客もまばらで、おまけに皆、それぞれの空想やスマートフォンに忙しいと見える。自分以外の乗客が何をしているのか、気にする者は誰もいない。少しだけ呼吸が楽になる気がした。

 ごとりごとり、緑の田を渡る道は懐かしい。

 同じ道を逆に辿り、今はすっかり馴染んだ都会まで向かったのは、何年前のことだろう。

 「たまには帰っておいで」という言葉に導かれるように、今日、帰郷する。実に四年ぶりの故郷ふるさとである。

 車窓に流れる緑は、やがて田園から山野のものに変わる。故郷が、あの小さな町が近づくのを感じた。

 だがまだ早い。町は、山を通り抜け海が見える終点に位置する。途中に点在する駅は全て無人で、いかにも寂れた、田舎のローカル線の有様であった。

 だが、それに胸が締め付けられることもない。何故なら、この路線は記憶にある限りずっとこんな感じだったからだ。自分の年齢を嘆きながら、何だかんだと長生きしている頑固な老人のような、そんな路線なのだ。

 やあ、また会ったねえ。次はもう会えないかもしれないなんて考えていたのに。擦り切れたシートを撫でた。

 一人、また一人。駅毎に客は減っていく。水平線が見えたころには、客は自分以外にいなくなって……いや、隣の車両に二人いた。

 さて、あんな町に用がある人なんているだろうか。自分のことを棚に上げて思いを巡らせる。ひょっとしたら、彼らも同じ旅の途中かもしれない。鞄の中に、髪を一房隠し持つ、密やかな旅人なのかもしれない。

 想像を肯定するように、たった二人の道連れは終着駅で降りるが早いか、そそくさと姿を消した。

 山を越えた海の町。海水浴客さえいない、猫の額のそこでは、民宿の経営だって家主の気分次第といった具合だ。あの二人はどこに泊まるのだろう。それとも、顔を知らなかっただけで、もともと町の住人だったのかもしれない。

 まあ、勿論、住人同士暖かく迎え合おうなんて思っていないから、別にいいのだけれど。

 それでも、ちょっとだけ寂しい気がした。同じ目的の旅ならば、互いの大切な人について話すことだってできたのに。

 

 「おかえり」の言葉は暖かい。

 今一番好きな言葉は何かと聞かれたら、真っ先にこれを挙げるかもしれない。

 「ただいま」を言うのは少し切ない。

 四年の間に皺を深くし、縮んだ母の姿を前にすると、もっと早くに帰郷するべきではなかったのかと自責の念が生じる。それでも、迎えてくれる彼女の姿は、不出来な自分のなにもかもを許してくれるのだ。

 家族の愛に、少しばかり奮発した手土産で応じようというのは、誠実ではないかもしれない。しかし、その手土産に対して「彼女が選んだの?」なんて言うものだから、内省の気持ちはあっという間に吹き飛んだ。まるで自分だけでは、土産物のセンスがないみたいではないか。

 「その通りだろ」と、父が母を援護した。

 ひどい。でも、実のところその通りだった。恋人が「お土産ならばこれがいい」と常々言っていたのを頭から信じた結果である。

 その恋人は、隣にいない。

 都会で生まれ育った彼女は、小さな港町に来ることができなかった。

 「静かでいい町だよ」なんて言ったこともあったけれど、仕事の減った漁船の列を、錆びたトタンの家々を、開店休業の個人商店を見て、この町はもう死に体なのだと分かる。

 しかし、現実を拒むように古い風習だけは手放さずに残っているもので、埠頭から続く古い家々には、祭りを知らせる提灯が下がっていた。もっとも、人手不足のために毎年の開催から四年に一度に減ってしまった祭りではあるけれど。

 昔ながらの無地の提灯には、日が沈む頃に火が入り、海の際を彩る。丸く、暖かな光は海風に揺れ、宵闇の中に生き物のように佇んだ。

 一列に並ぶ光は祭りの合図だ。

 

 海鳴りが沖の荒波を知らせる。ああ、これはいけない。

 天候が荒れては、提灯の火が消えてしまう。提灯の火が消えたら、遥かな沖から魂が帰って来られない。急がなくては。

 一房の髪を筆に見立て、墨を吸わせる。それを使って提灯に名前を書けば、死者は常世へ続く道を辿り、この港町まで来ることができるのだ。

 盆に死者を迎える風習が変化したものらしいが、この際、由来はどうでもいい。

 今は彼女の髪で、彼女の名を書かなくてはならない。

 ねえ君。君のために四年ぶりの帰郷を果たしたんだ。だから、ねえ。

 「たまには帰っておいでよ」

 ひときわ強い風が吹き、提灯が消えた。

 破れた窓の家々には、人影もない。

 おかえりなさい

 おかえりなさい


【了】

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邂逅(KAC2020お題:四年に一度) 海野てん @tatamu

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