KAC 20201

管野月子

第二の月

「すごーい、すごいですね!」


 明るい瞳が、頭上を覆い尽くすほどに枝を伸ばす桜を見て声を上げた。

 笑いながら両腕を広げてくるくると回る姿は子供のようで、この人――いや、この宇宙人が、人類史初の地球外生命体とはとても思えない。本人は「擬態」だと言っていたが、一見、ごく普通の地球人に見えるのだから。


 背丈は僕より少し高い。でも百八十にはならないだろう。スリムな体形だけれど、巨大目玉の頭でっかちグレイタイプではない。ファッション雑誌に出てくるモデルばりの銀髪美女だ。

 もちろん衣服も体にぴったりフィットしたSF映画に出てきそうなスーツではなく、近所のアウトレット店で購入したような白いシャツとベージュのクロップドパンツ。ローファーの革靴も履いている。


 テレビやネットで散々見た顔を覚えていなければ、ごく普通の外国人。

 瞳の色は光の加減で七色に変るから、そこがちょっと地球人っぽくないか。


「これは、花! ですね?」

「桜と言います。春に咲く花で、桜前線という言葉があるように気温変化の目安にもなっています。あと……桜の下では花見をしたり。宴会したり……」

「会食ですね?」

「まぁ、そんなものです」


 ふむふむ、と頷く。

 第二の月から出現した地球外生命体、名をカレイドという。


 「美しい模様を見る」という意味からきた万華鏡、カレイドスコープから取ったらしい。世界をあっと言わせたその地球規模のVIPは、度重なる災厄に飛来した救世主として扱われていた。テレビの中でしか見ることはないと思っていた地球外生命体が、今、目の前で子供のように笑っているとは、陳腐なぐらいに夢のようだとしか言い表せない。


「他の……護衛とか、そういう人たちが見当たらないのですが」

「ちょっと一人で見学したかったので、抜け出してきました」


 どこかの王家の姫様じゃあるまいし。

 きっと今頃、カレイドさんの護衛は大慌てだろうな……と他人事のように思う。


「見学と言ってもこんな田舎じゃ、面白いものなんて何もないでしょう」


 北国の遅い春。

 まだ木立ちの影や山の北側には黒ずんだ名残雪も見えるが、林を抜ければ地平線まで望む緑の秋撒き小麦の畑が広がる。東の方に行けば、芝桜を始めとした様々な花畑の観光スポットもあるのに、この辺りじゃせいぜいイモ畑くらいだろう。

 そんな辺鄙へんぴな場所にこの人――もとい宇宙人は一人でどうやって来たのだろう。

 自転車を手押しする僕の横に並んで、カレイドさんはううむ、と言葉を探した。


「この惑星ほしにあるものは全ておもしろいです。そうですね……もう少し、皆仲良くなれば、もっとおもしろくなると思います」


 もっともなご意見を、堪能な日本語で答えてくれる。

 そして、くるりとこちらを向いて訊いてきた。


「そういえばあなたの名前を聞いていませんでした」

「あぁ……僕は、介人カイトと言います」

「カレイドと似ていますね」

「似てるかなぁー」


 人懐っこく言われて、僕は思わず苦笑いした。

 そして慌てて訂正する。


「いや、その、似てると思います。光栄です!」

「私も光栄です」


 無邪気に笑う。

 この星では、散々宇宙人侵略だとか宇宙戦争だとか、いろんな物語が作られてきたというのに、現実の地球外生命体はひどく平和的だ。いやもしかすると、そう見せかけているだけなのかもしれない。

 僕はテレビやネットで見た情報を確かめる様に、カレイドさんに声を掛けた。


「ええっと……僕も訊いていいですか?」

「どうぞ、どうぞ、質問は大好きです」

「カレイドさんは第二の月から生まれたんですよね?」


 ミニムーン。

 2020年 2月、地球を周回する直径約 1.9 ~ 3.5 mの小惑星が発見された。有史の中で二個目となる自然衛星「第二の月」。もちろん地球の一時的な衛星としては常に五十個ほど存在しているものの、直径が数十センチと極小のため観測が難しい……らしい。

 だから観測できるほどの大きさでかつ、一定期間地球の衛星となっていた小惑星としての「第二の月」なのである。


 当時、発見されたミニムーンは、月や地球、太陽などの影響によって安定した軌道を描いてはいなかった。

 絡まった毛糸玉のように、地球の重力に引き付けられては飛び跳ねるといった、かなりアトランダムにも見える軌道で回っていたのだ。太古から地球軌道上にある第一の月のような、ドーナツ状の安定した軌道とは似ても似つかない。

 一時的に地球の重力に捕まった小惑星。

 だから発見された二か月後の四月には地球軌道を離れると予測されていた。


 カレイドさんはゆっくりと頷いてから、宇宙での出来事を話し始める。


「私は地球時間でいう、およそ 28,500 時間前に地球の衛星軌道に乗りました。最初は花の周りを飛ぶ蝶のようにぐるぐる跳ねていたのです」


 そう言って手のひらを上下に動かし、遠くに舞う蝶の動きを真似る。


「軌道シミュレーション映像を見ました」

「はい、最初はそのシミュレーションとほぼ同じ軌道で、地球を離れる予定でした。けれど地球離脱の直前、この星は大変な災厄に見舞われた」

「うん……」


 記憶に新しい。

 年明けから世界規模の災厄が覆い、多くの人が不安と恐怖の中で暮らしていた。出口の見えない闇の中にいた二月、「第二の月」のニュースは、一部の天文ファンが気に留める程度のものだったのだ。

 それが二月最後のうるうの日に激変した。

 豆粒みたいな小惑星が突如、シミュレーションとは全く異なった軌道を動きだした。その異常な動きは当初一部の研究者によって追跡され、十日ほど経った満月の夜、事態は人々の知ることとなる。

 輝く月を背に、小惑星から地球外生命体が出現したのだ。


 突如夜空に現れた極彩色の花。

 第一の月の直径、3,474.2 kmに近いおよそ 3,000 kmあまりので、厚さ2mの紙の様に薄い円形。公転周期もほぼ同じ。月よりやや地球に近い、地球と月の重力場と遠心力が均衡するラグランジュ・ポイント1の位置を飛行しているため、常に月の明かりを背にした鮮やかな色彩を浮かび上がらせる。

 三十度角で十二重対称の鏡像をつくる万華鏡と同じ、六点星型の模様は、夜空に開く花と讃えられ人々を魅了した。この時、約四十七日毎に地球を一周していたC型小惑星C-type asteroidは名を改めて、万華鏡生物kaleidoscope-Creature2020年 1号として「KAC 20201」と命名されたのである。


「宇宙に浮かぶカレイドさんを見た時は、世界中が驚愕きょうがくしました」

「おもしろかったですか?」

「えーっと、綺麗だった。カレイドさんは花火を見たことは?」

「本体の一部を分離し、迎えの宇宙船から地球に降りていろいろをした後、歓迎の花火を見ました。宇宙を背に咲く花はとても素晴らしかったです」

「僕たちも、そんなふうに思った」


 嬉しそうに笑う。


「カレイドさんは、本体それを地球の人に見せる為に現れたのですか?」

「それもあります。あなた方は宇宙で孤独ではありませんというメッセージと、災厄を乗り越えるための技術を伝える為に」

「じゃあ……あの災厄が終息していったのは」

「完全終息にはもう少し時間がいるかもしれませんが、地球人は乗り越えられます」


 そうなんだ。

 やっぱりカレイドさんは、地球にとっての救世主だ。


「カイトさんは何故、ここに来たのですか?」

「僕は……」


 不意に質問されて僕は言葉に詰まる。

 あまり自慢できる理由じゃない。けれど地球人を助けてくれた地球外生命体に適当な話ではぐらかすのは失礼に感じて、僕は可能な限り正直に言う。


「新しい生活に馴染めるかが不安で……ちょっと、気晴らしを」


 逃げてきた、という言葉はどうしても言えなかった。

 周囲と比べて僕ばかりが何もできない者のように思えて、新生活のスタートダッシュに乗り遅れたとは言えない。


「未知のもの、期待が大きいと不安になりますね」

「カレイドさんも? 宇宙人なのに?」

「私は地球の人により良い未来が開けるよう、様々な知識と技術を伝えました。それによって更に多くの災厄の乗り越えることができるでしょう。しかしその技術は悪用もできるのです」

「あ……」

「私はこの惑星が、もっとおもしろくなればとを持ちました。なのでそうならなかった場合のも生まれてしまいました。この感情の変化はとても地球人らしく、とてもおもしろいです」

「地球人らしい……」


  万能な宇宙人ですら、期待と不安は一対で、僕だけが持つものではない。そう思うと、少し気持ちが楽になる。

 もっといろいろ話はできないだろうか。


「ずっと地球ここにいるんですか?」

「いいえ、もうすぐ地球軌道を離れます」


 という事は、あの空に浮かぶ美しい万華鏡は見られなくなるのか。

 そうか、そうなのか……それはひどく寂しいが、旅立つ地球外生命体を引き留める事はできない。

 そんな僕の気持ちを察したのか、カレイドさんがニッと笑う。


「元々、二十五年から三十年に一度の割合で地球の様子を見に来ようと思っていたのですが、今はもっと頻繁ひんぱんに……四年に一度の周回軌道で会いに来たいと思います」

「来てください! いや……その、僕一人がどうと出来るものでは無いかも知れないけれど、少なくても、僕はこの惑星ほしが面白くなるように頑張ります」

「四年後が楽しみですね」


 嬉しそうに笑う。

 そして、ぽんぽんと僕の肩を叩いてから、カレイドさんは別れを告げる。


「それでは、次の見学に行きます。おもしろい時間をありがとう」

「……お元気で」


 一歩離れて「カイトさんもお元気で」と返す。

 風が巻き上がっていく。

 麗らかな春の日差しの下で、白いシャツが羽ばたく鳥の翼のように広がる。その姿に見とれていた僕に向けて、カレイドさんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「一つ、秘密を教えてあげましょう」

「秘密?」

「実は第一の月も生きているんですよ。地球人が仲良くしていたら、いつか本当の姿を現す日が来るかもしれません」


 ビュウウッ、とつむじ風が舞ったと思うと、そこに明るい瞳の地球外生命体の姿は無い。ただ見上げた空に、彩雲がひとつ浮かんでいた。





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KAC 20201 管野月子 @tsukiko528

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