〜妖精マヤ〜4年に一度。

姫野蒼子(まみ助)

『生きてさえいれば』

「ママ、金メダルとれたよ。今度はオリンピック!」


理絵は意気揚々として病室に駆け込んだ。

なのに、元気な彼女とは対照的に、理絵のママは身体にたくさんの管をつけられて、意識すら、もうろうとしていた…はずだった。

パパもお兄ちゃんもうつむいたままでとても暗い顔をしている。

「ここ二、三日が峠だと思います」

主治医の静かな声が病室にこだました。

「誰が峠ですって?」

そう言って、理絵のママはむくっと起き上がった。

自分につけられている管をぶちぶちと取っていく。

唖然としている主治医の横で、

「ママ、良かった…もう大丈夫なんでしょ?」

理絵は当然かのように言うと、理絵のママはにっこり笑って理絵のほっぺたを両手ではさんでこう言ってのけた。

「いろいろ心配かけてごめんね」

ママの顔は青白かったけれど、とても穏やかな綺麗な顔をしていた。

理絵は思った。

良かった、間に合ったんだわ。

これでオリンピックで予選も通過できなかったとしても、わたしは後悔なんてしない。


18歳の理絵は、小学校のころから元オリンピック選手のママと二人三脚でオリンピックに出ることだけを目標に生きてきた。

友だちと遊ぶことも、他のやりたいことはすべて諦めて、それだけのために生きてきたのだった。


理絵のママが発病したのは半年前のことだった。

最初、理絵は何も知らされていなかった。

少し風邪をこじらせて、長引いているんだと信じてやまなかった。

三ヶ月前に入院した時はまだママはとても元気だった。

それが、世界大会の前になって、ベッドから起き上がることもままならなくなった。

理絵は祈った。

「ママを助けて」

そう本気で祈った。


きっとママは見てくれる。

だから頑張ろう、とそれだけの気持ちだった。

全日本選手権も優勝することができ、世界大会に駒を進めた。

今日のその大会でも三位以内に入ることができたなら。

とうとう夢にまで見たオリンピックへの切符が手に入る。

ママにオリンピックを見てもらわないといけない。

だから絶対に負けられない。

「だからママを助けて」


そんな理絵をこっそりと

淡い緑色の服を着た女の子がこっそり眺めながら、理絵の前に出ていくかどうするか、を悩んでいた。

とても小さく、理絵の両手の手のひらに乗るくらいの大きさで、背中には透き通った大きな羽をつけている。

そう、女の子は普通の女の子ではない。

妖精だった。

妖精は理絵の様子を息をひそめてうかがっていたが

目の前に自分よりも大きな蜘蛛が顔を出してびっくりしてしまった。

「うわーーー!」

大声を出して理絵の目の前に自ら姿を現してしまった。

周りをよく見ていなかったようだ。

理絵も驚いたが、ぼんやりと光り輝く彼女の姿を見て、思わず両手を差し出した。

女の子は理絵の両手にストンと落ちておさまった。

「あなたはだあれ?もしかして妖精、なの?」

「わーーびっくりしたわ。うちマヤ。この世では妖精って言われてるらしいで」

理絵の両手から起き上がり、顔を出した妖精マヤはバツの悪そうな顔をして、そう答えた。

「妖精ってほんとにいるのね」

理絵は自分の両手を自分の目の前に持ってくると妖精マヤの顔を大きな目でまじまじと見つめた。

妖精マヤは大きな深呼吸をすると、決意をしたかのように理絵に言った。

「信じるかは別やけどな、あんたの望みはなんでも叶えれるで」

「ほんと??なんでも叶えてくれるの?」

理絵の顔がぱっと明るくなった。

「まあ、叶えられへん願いはないとは思うけどな」

理絵は本当にこの上のないような幸せな顔をして、天を仰いだ。

そして、妖精マヤの顔をしっかり見て、こう言ったのだった。

「ママを助けて」

「あんたのママ、どうかしたんか」

「とても重い病気みたいで、どんどん弱っていくの。

ママの病気を治して。ママを殺さないで」

妖精マヤは、やっぱり…と思って少しためらったのだったけれど、ニンゲンの願いを叶えるのが使命なのだから、と思い直したのか、少し遠慮がちに小さな声で言った。

「ええで。けどあんたの一番の才能と引き換えというのが条件やけど」

「一番の才能?」

「そう、願いを叶える変わりにあんたの一番大事な才能をもらっていく。

そういう条件やねん」

理絵は少し考えたようだったが、

「いいわ。もうすぐ今日の最後の試合が始まる。

それが終わったら、実行してちょうだい。遠慮はいらないわ。

オリンピックで金メダル取ってもママがいなかったらそんなもの必要ないわ」

理絵の顔はとても凛としていた。

妖精マヤは理絵の最後になるだろう、試合をぼんやりと見つめながら、これでほんとにいいんだろうか、とずっと考えていた。

理絵の決意はホンモノなようで、本来自分の持っているそれ以上の力を出しているのか、本当に楽しんでいるようだった。

そして、なんと優勝してしまったのだった。

世界大会、優勝。

これ以上ない快挙だった。

報道陣も理絵の周りに集まり、お祭りのような騒ぎになっていた。

「マヤ、わたしはもうこれでいいから、お願いママを助けて。」

理絵の心からの叫びのような思いが、

妖精マヤの耳にはっきり聞こえてきた。

妖精マヤは決心した。

そして、思いっきり自身の大きな羽をばたつかせた。


すっかり元気になった理絵のママは、久しぶりに理絵と一緒に

以前のように練習に来ていた。

「さあ、オリンピック出場も決定したんだし、張り切って練習しなきゃね。」

けれど、いつもと同じ練習なはずなのに、

理絵の様子がおかしい、ということに理絵のママも気が付いていた。

今までいとも簡単に出来ていたことが出来なくなっていたのだ。

「きっと、世界大会が終わったばかりで疲れているのね。」

理絵のママはそう思っていた。

けれど、一週間経っても二週間経っても、その状況は変わることはなかった。

理絵は落ち着き払っていたが、

理絵のママはそんな理絵の姿に苛立ちは隠せない。

連日金メダルを期待した報道陣が理絵の練習の取材に来るけれど、こんな理絵の姿を公開するわけもいかない。

理絵のオリンピックでの金メダルは理絵のママにとっても、一生をかけた夢でもあったのだ。


理絵のママは祈った。本気で願った。

「理絵の才能を返して、オリンピックで金メダルを取らせてあげて」

「ええで」

妖精マヤが理絵のママの前に現れた。

「あなたは誰?もしかして、妖精、なの?」

「そうみたいやな。どんな願いでも叶えてあげれるで」

妖精マヤは大きな羽をバタつかせながら、理絵のママにそう告げた。

「じゃあ、理絵のオリンピックで金メダルを取れるようにしてくれる?」

理絵のママは真剣にそう言った。

「けど、その才能をもらって、あんたの病気治したとこやねんけどな」

妖精マヤは理絵が自分の才能を引き換えにして理絵のママの病気を治したことを話した。

理絵のママの顔はみるみるうちに鬼の形相に変わっていった。

「なんてことしてくれたの!!理絵はね、すごい才能があるのよ。

その才能と引き換えに、だなんて。わたしは命なんて惜しくはなかった」

妖精マヤは、大きくため息をついた。

どうしてこうニンゲンという生き物は自分のことしか考えてないんだろう。

理絵はそんなことよりも理絵のママに生きて欲しいと願っただけだったのに。

「うちにはよくわからへんな。なんでそんなにオリンピックで金メダル取ることが自分の命より大事なんかなんて」

妖精マヤはめんどくさそうに、理絵のママに言った。

妖精は永遠の命があるように言われるが、そんなことはない。

実は短命だ。

妖精マヤのママも数年前に早くに亡くなってしまった。

今は、妖精マヤもお姉ちゃんと一緒に暮らしている。

理絵のママが恋しい気持ちも妖精マヤには痛いほどよくわかった。

理絵のママが理絵のために、と言ってるのは理絵のママの勝手な思い込みなんじゃないか、と妖精マヤは思った。

「あんたの願いはすぐにでも叶えてあげれるけど、叶えたらあんたの一番の才能をもらうことになるで。おそらく、その命と引き換えになる」

理絵のママは言った。

「いいわ。わたしの命。持っていってちょうだい」

妖精マヤは大きなため息をついた。

「ほんまにええんかいな。あの子、言ってたで。オリンピックで金メダル取ってもママがいなかったら、そんなもんいらん、って。」

理絵のママは、その場で泣き崩れてしまった。

そして泣き叫ぶように妖精マヤに言った。

「何もいらないから、あなたはどこか行って。わたしの前に二度と現れないで」

それから二人の前に再び妖精マヤが現れることはなかった。

それからスポーツ選手としては引退をしたけれど、

理絵と理絵のママは、今でも仲良く暮らしている、と妖精マヤは信じている。

なぜなら、二人から返ってきた感謝のエネルギーは、今まで見たことがないくらい大きいものだったからだ。

他の優秀な妖精が集めたものでもこんなに大きなものは見たことはない、とのウワサだ。

「マヤ、よくやったわね。お手柄よ」

妖精マヤのお姉ちゃんはこの上なく妖精マヤを褒め、とても嬉しそうだった。

「ニンゲンの願い叶えてあげること。それがわたしたち妖精の使命なんだから」

ニンゲンの願いを叶えてあげて、その感謝の気持ちのエネルギーを集めること。

そのエネルギーが世の中の平和を保つために必要なのだ。

なんでも、人から感謝のエネルギーがなくなってしまうと、欲のエネルギーだけが大きくなってしまって天変地異に繋がってしまう。そのくらい人の欲望の負のエネルギーは大きいものだったりするらしい。

もちろん、妖精マヤにはそんなこと、実感はないのだけれど。

妖精マヤにとっては、そんなことはどうでもいいことだった。

だけど、ニンゲンが自分の一番の才能を差し出してでも、

叶えたい願いって、叶ってそれで幸せなんだろうか。

生きていれば、なんにでもなれるんじゃないか、と妖精マヤは思う。

「それより、あの子にママが戻って良かったな」

ママを早くに亡くした、妖精マヤには、

ニンゲンがとてもうらやましく思うのだった。  


 《おしまい》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

〜妖精マヤ〜4年に一度。 姫野蒼子(まみ助) @himenoaoco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ