朝食後、4年に1回服用してください

あさって

第1話

「では薬を出しますので4年に1回1錠、朝食後に飲ませてください」

「うーん、とぉ?」

 小児科医の言葉に母は首を右に傾けた。私がまだ3歳の頃だ。

「娘は風邪なんですよね?」

「ええ、ただの風邪です。歯医者コンビニ信号機、その次にこれってくらい、ありふれたやつです」

 顔を斜めにしたまま、母はしばし停止し、医師の指示に思考を巡らせる。

「4年後に飲むんですか?」

「『4年ごとに1回』ですね。ちょうど閏年の2月29日ですから、覚えやすくて良かったですよ。木村さんツいてます」

「うーーん、とぉ?」

 今度は左にゆっくり、首を揺らす。

「その薬、飲み忘れたらどうなります?」

「そりゃ死にますよ」

 母は成る程といった風に「あぁ~」と数回頷いてから「うーーん、とぉ?」とまた右に首を回転させた。

「風邪なんですよね?」

「風邪ですねぇ」

「死にますか? 飲み忘れたら」

「死ぬでしょうねぇ。間違いなく」

 きっぱり力強く医者は頷く。対する母は頭を真っ直ぐに戻して、

「ま! 忘れなければ大丈夫ね。風邪ですもんね!」

 考えることを諦めた。爽やかすっきり満面スマイル。

「とりあえず16年分出しておきます。切れたらまた来てください」


***


「てことだから。これ、その薬ね」

「うーーん、とぉ?」

 お守り袋を手渡され、今度は私が首を回すはめになる。遙か昔、脳味噌に保有している一番古い記憶を引っ張り出せば、そんなこともあったような気がするし、閏年の度になんか錠剤飲まされてたから節分の豆みたいなもんだと思ってたんだけど、あれみんな飲んでないの? あっぶな恥かくとこじゃん東京出る前に知れてよかった〜てそうじゃなくてこれ飲んでなかったら死んでたの私?? で忘れたら死ぬの???

 へぇ~~~~~~~~~~。

 私の思案顔に構わず、母は続ける。

「初めての一人暮らし、戸惑うこともあるだろうけど、掃除・洗濯・ゴミ出し・お薬。そ、せ、ご、お。『創世GO!』を忘れるんじゃないよ」

「なにその神話のスローガン⁉」


***


「って話を、今思い出してさ」

 ファーストフード店で呟く私、木村由佳19歳。大学入学と同時に上京して1人暮らし。1人で迎える最初の冬。2月29日。100円のホットコーヒーの苦さが、4年前と8年前と12年前に飲んだ薬に似てたから、ふと記憶が蘇った。

「ふーーん」

 隣の席から空返事。スマホ片手に友達であるところの板橋良子が蚊みたいな音を出した。こういう緊急事態において、周囲の人間が動揺することで自分自身は逆に落ち着けるということが漫画や小説世界においてまま見られる現象であるのだけど、良子が至って平常心だったのでその恩恵を受けることは出来なかった。結果、

「うぉぉおおお!!!!! やっべえええ!!!」

 私、すげぇ焦る。スマートフォンを両手の指でピコピコピーってして電話をかけるto タツヤ フーイズ マイボーイフレンド。

「!もかぬ死、私、といなで !てきてっ持れそぐす今 ?いなてっ入り守おにスンタの屋部 ?也竜しもしも」

『逆立ちしながら電話かけんな。何言ってるかわかんねーよ』

「もしもし竜也? 部屋のタンスにお守り入ってない? 今すぐそれ持ってきて! でないと、私、死ぬかも!」

 逆立ちを止めてテーブルから降りた私は、人の部屋で二度寝決め込んだ彼氏に聞いた。竜也は寝起き声で「どこ? どれ?」とか短く呻いてて、何だコイツも落ちついてんなぁ私が死ぬって言うのに恋人としてそれはどうなのよ結局私達は世界に1人の相手じゃない互いに手近にいたまぁ許容範囲かな同士程度の関係だったんだとか思ってでも大抵の場合そんなもんでそれでも慣れやら愛着やらで最後には総合的に幸せみたいな感じで納得したりするんだろうなそれも悪くないかななんて思ったりしてる内に「プッ」って電話が切れてそれにもビックリしたんだけどやっぱり相手が落ち着いてると私は焦るよね「あ、私が焦る方なんだ」って思うもんねってわけで、

「なんで切れるんじゃやぁぁぁああい!!!!」

 って思わず大絶叫してスマホの画面見たら、隣にいた良子が私のスマホ、通話終了のとこに指を伸ばしてた。

「由佳、落ち着きなよ。お守りってそれでしょ?」

「お、おちっ、落ち着いてるけどぉ? 私わぁ??」

 良子は私のスマホに置いてた指をスライドさせて、私の鞄を指さした。その金具の1つから紐が伸び、お守り袋がぶら下がっていた。そっか、家を出る日、お母さんが鞄に結んでくれたんだった。ホッとすると共に、同様と逆立ちで頭に上った血が降りてきた。心臓の鼓動がゆったりとして、左手に激痛が走る。右手にスマホ持って左手1本で逆立ちしたせいだ。人間、限界なんてそうそう超えるべきじゃない。学びを得た。そんな私の様子を見て、良子が苦笑い。

「薬、入ってた?」

「うん!ほらこれ」

 私はお守りから個包装された錠剤、16年分の最後の1粒を取り出した。瞬間、

「へぇよかった……、ねッ!」

 良子がそれをひったくった。

 何が起こったかわからなくて硬直する私、5秒たってようやく脳味噌が仕事を思い出して「思考しよう」そうだ「思考しよう!」って働き出したおかげで、ようやく私は首を傾げることができた。

「うーーん、とぉ?」

 フクロウみたいな顔する私を見て、良子は邪悪に微笑んだ。

「私はさ、由佳が邪魔なんだよ。由佳さえいなければ私が竜也と付き合えてたはず、いや、今からだって付き合えるはずなんだよ。ぶっちゃけ、由佳には死んで欲しい」

 本心を大胆に晒したくせに、良子の態度は余裕綽々で冷静そのものだ。手のひらでうっとりと薬を弄んでいる。くそう、ズルいぞ。そっちばっかり落ち着いて。

「はぁあああ⁉⁉⁉ 友達だと思ってたのにマジかよぉお!!!!!」

「じゃあね。あの世で私と竜也が結ばれるのを祝福してよ」

 良子は私を両手で突き飛ばして走り去った。椅子から盛大に転げた私はしかし、(これ、さっき逆立ちのくだりでやったところだ!)

 咄嗟に左手を床につき腕1本で身体を支える。そのまま側転の要領で1回転、無傷で最速で立ち上がると全力で良子の後を追った。経験から得られるのは学びだけではない。その経験を乗り越えた身体もまた、手に入れることができるのだ!!


 ファーストフード店を出るとすぐに良子の背中が見えた。スクランブル交差点、信号待ちの人だかりに割って入っていく。人混みに紛れ込もうという魂胆だ。向こうの狙い通り、私が交差点にに辿りつく数秒の間に、良子の姿は消えていた。次に信号が青に変わった時、私は完全に良子を見失い、薬を失い、命を失う。だけど、

「あ~らら、良子いなくなっちゃった」

 私は何でも無いように、小さく、独り言のように呟いた。

「まいっか」

 軽くため息を吐く。さりげなく。優雅にスマホを開き、美味しい角煮の作り方を紹介するツイートをRTした。車道側の青信号が点滅し始める。それに呼応するように、胸の鼓動が高まり、呼吸が荒くなる。生死を賭けた局面に相対し、身体が見せる当然の反応。それを無理矢理抑えつけ、私と良子が所属するテニスサークルの全体LINEに「渋谷来てる。暇す」と送信した。続けて、猫が欠伸するスタンプ。先輩が「へいへ~い」と犬が挑発するスタンプを返してきたので「うき?」って顔のサルのスタンプを送った。

 その時、私の靴に、液体が染みた。気づく、足下、アスファルトに水たまりができていた。その中心は私の右前方にあるようで、そこから徐々に広がり、私の靴全体を水没させた。私は、水たまりが広がるのと逆に進む、人をかき分け、水たまりの中心に立つ女の肩を叩いた。女の肩がビクリと跳ねる。

「相手が余裕だと、焦るもんでしょ? 私もさっき知った」

 振り向いた板橋良子は、動揺で、滝のような汗をかいていた。LINEの画面が映ったスマートフォンが汗の水たまりに落ちると同時に、信号が青に変わった。

 


「嫌だ! 薬は! 竜也は絶対に渡さない!!」

 良子は私から逃れようと暴れるが、私の左手は決して良子を離さない。しばらくして力尽きたのか、良子はぐったりと私にもたれかかって顔を俯かした。

「観念した? 早く薬を返して」

「………うん。返す。ごめんなさい」

 震えながらゆっくりと顔をあげた良子の顔は、

「ごめんなさい。私、やっぱり最低だった」

 先ほどと同じように邪悪に歪んでいた。私に拘束されたまま、お守りを空中に放り投げる。

「また、面倒なことを……!!」

 私は良子を押しやって、お守りを追う。紙飛行機とは違う、お守りは大した飛距離も飛ばすに落下を始めたので、私は余裕のジャンピングキャッチ、&、着地。急いで薬を取り出し口に含む。あれ? そういえば朝食後だったっけ、あでもさっきハンバーガー食べたから平気か。平気だな。安堵で、深く息を吐く。

「きゃあああああ!!!!」

 私の口が産んだ微かな風を、知らない誰かの悲鳴が切り裂いた。悲鳴に重ねて轟音、ブレーキ、クラクション。見知った顔の「ざ ま あ み ろ」。

 視界の動きがやたらゆっくり。回線切れ直前の動画サイトみたいな体感速度で振り返る。私の着地地点は三車線道路。私の背後1mに、大型トラックが迫っていた。恐怖の余り目を瞑る。ごくりと息を呑む。薬が喉を通過する。


 グゥッシャァァアアアン!!!!!

 

 聞くだけで骨を砕かれるような衝撃音に、一瞬遮断した意識が叩き起こされる。恐る恐る目を開くと、前方で、私の身体の形に穴を開けたトラックが走っていた。どんどん遠ざかり見えなくなってしまう。

「うーーん、とぉ?」

 右に首を傾けた私の視界の中で、良子を含む、その場にいた全員が悲鳴をあげた。

「はああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?!?」

 うん、やっぱり。他の人が動揺してると自分は落ち着けるもんだ。私は私のするべきことを思い出せて、すぐに行動に移せる。

 私は手近な看板の文字を読み、その建物に入った。

 受付が聞く。

「今日はどうされました」

「薬が切れたので新しいのを」

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朝食後、4年に1回服用してください あさって @Asatte_Chan

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