星間恋愛
薮坂
星間恋愛
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それが、私と彼を隔てる距離。
「カイリ、聞いてくれ。俺、受かったんだ。今度の人類移住プロジェクトのメンバーに」
その言葉を聞いた時の私は、一体どんな顔をしていただろう。喜びに満ちた顔だっただろうか。それとも、悲しいものだったのか。
自分の彼氏が、人類の未来を左右するプロジェクトメンバーに選ばれたのは、純粋に嬉しいことだった。だけどそのせいで、もう二度と会えなくなるかも知れないという事も充分にわかっていた。
二光年先の星間旅行。資源不足に喘ぐ地球に残された、最後の選択肢である星間移住。その初期メンバーに、彼──
「カイリ、ごめんな。お前を地球に残して行くけど、これでお別れってワケじゃない。移住の足掛かりを作って、必ずカイリを呼び寄せる。約束の地って呼ばれてる、惑星カナンへ」
「どんな星なのかな」
「地球によく似てる星らしい。水と大気と大地があるんだ。たった二光年先だ、そんなに遠くはないよ」
「……遠いよ、二光年だよ。メールの往復でも四年掛かるんだよ。カナン行きのメンバーには、同世代の女の子だっているんでしょう。やっぱり、私の事なんて忘れちゃうよ」
「そんな訳ないだろ。俺は、俺たち二人の未来のために行くんだ。カナンで初めて結婚する二人になろう」
「……それって、プロポーズ?」
「あぁ。返事、考えといてくれよな」
レンジはそう言い残し、移住シャトルで地球を飛び出して行ってしまった。
地球から凄いスピードで離れて行くレンジとのメールは、距離が伸びるにつれ届くのが遅くなっていく。他愛ないやり取りも少なくなる。レンジが地球を飛び立ってしまうまで、あれほどやり取りしたオンライン画像通話は、私たちの距離が太陽の距離を離れた頃にはタイムラグで機能しなくなって。
そして。レンジから「カナンに着いた」というメールを貰った時、私は既に二十四歳になっていた。
地球とカナンを隔てる距離は、光の速さでも二年かかる果てしない距離。だからそのメールは、二十二歳のレンジが書いたもの。地球に送れるデータ容量は決まっているし、当然プロジェクト関係のデータが優先される。だからプライベートなメールは容量の軽いテキストメールと決まっていた。過去の遺物のようなテキスト形式でも、私にはレンジの愛が溢れているように見えた。
「カイリ、久しぶり。出発から四年かけて、やっとカナンに着いたよ。シャトルの速度は光速の半分だけど、ここまで時間が掛かるんだな。
話してた通り、カナンは地球によく似た惑星だ。違うのは月が三つある事と、一日が地球よりも短いくらいかな。
俺たちはシャトルを拠点にして、今は住めそうな土地を探している。写真を送れないのが残念だけど、良い土地だよ。カイリも気に入ると思う。
早くカイリを呼べるように、仕事に邁進する。このメールが届くのに二年、そして返事が読めるのは四年後かな。四年後、楽しみにしておいてくれ。その時にはカイリを呼べるようになってるハズだから。またメールするよ。愛してる。レンジより」
惑星カナン。どんな場所なのだろう。
危なくないのかな。食べ物はちゃんとあるのかな。病気とか怪我とかしてないかな。移住メンバーとは、ちゃんと上手くやれてるのかな──。
私は許された容量いっぱいのメールを書いた。それが届くのは、レンジの言う通り二年後。私が二十六歳の時。そしてそのメールの返信が読めるのは、二十八歳の頃になるはずだった。
────────────
「また例のメールを見返してるのか、
手元に表示させたホロディスプレイに視線を落としていると、頭上から声が降って来た。見上げてみると、そこにいたのは同僚の
「どうしてわかるの、白鳥くん」
「さすがにわかるよ、六年も隣の席なんだから」
「私って、そんなにわかりやすいかな」
「まぁ、そうだな。普通の人よりは、かなり」
白鳥くんは諦めたように笑う。そして自席に座るなり、湯気の立つコーヒーをずるりと啜って続けた。
「例の彼からの新着メールは?」
「来ないから過去のメールを見返してるんだよ。そろそろだと思うんだけどな」
「四年に一度だっけ? メールが来るのは」
「うん、四年に一度」
「よく耐えられるな。あの織姫と彦星だって、一年に一度は会えるんだろ。なのにメールのやり取りが四年だなんて。おれだったら絶対無理だな。凄いと思うよ、純粋に」
「彼のことが凄いってこと?」
「いや、どっちかっていうと琴坂が。もちろん、あの難関試験をパスして人類移住プロジェクトメンバーに選ばれたその彼も凄いと思うけど。でも何年経っても一途に相手を思い続ける琴坂は、本当に凄いと思う」
凄い、と言われて私は反応に困ってしまった。別に特別なことをしている訳じゃない。ただ、恋人からのメールを待っている。それだけだ。
「……そういやカナン関係のニュース、見たか? 拠点シャトルからの連絡が消えたって話」
「えっ? それ、初耳なんだけど」
「ついさっきのニュースだったけど、宇宙庁はその関係で、てんてこ舞いらしい。おれもたまたまネットで見たんだけど、一日一回の定時報告が途切れて一週間経つみたいだ。ただの通信系の不具合ならいいんだけどな」
そんな。私は業務そっちのけでネットの最新情報を追いかけた。「カナン 最新情報」で検索をかければ、すぐにそれは表示された。
一日一回、カナンから一方的に送られて来る現地開拓状況。それが途切れて一週間。今まで一日二日くらいの通信途絶はあったけれど、ここまで長いのは初めてのことらしい。
機器の不具合だと思う。でも。それ以外の可能性も充分に考えられる。
レンジはきっと無事だ。そう思う私と、それを信じきれない私が脳内でケンカしているようだった。
民間人に開示されている情報は少ない。宇宙庁はこの事態をどう捉えているのだろう。公式には「おそらく通信系の不具合」と発表されていたけれど、その実はわからない。本当かも知れないし、嘘かも知れない。はたまた、宇宙庁にもわからない可能性さえあった。
それから二週間が過ぎ、やがて一ヶ月が経ち、とうとう半年を迎えてしまった。だけど。レンジからの返信は、来ない。
「琴坂、ちゃんとご飯食べてるのか。これ、最近出たエナジードリンク。結構うまいぜ」
「いいの? いつもありがとね、白鳥くん」
「まぁ、隣の席のよしみだしな。仕事が多いならおれに振ってくれて構わないぞ。最近、おれ調子良いんだ。ちょっとした目標が出来たから」
「目標?」
「まぁね。叶わないってわかってても、男には戦わないとならない時期があるんだよ」
白鳥くんはさらりと笑って、また目の前のホロディスプレイに向き直った。最近、鬼気迫る勢いで仕事をしている白鳥くん。対する私は、心ここにあらず、ってヤツ。
レンジからのメールは相変わらず来ない。それどころか、カナン先遣隊の情報さえ入って来なかった。
ネットでは情報が入り乱れていた。「先遣隊、全滅」とか「宇宙庁の陰謀」とか「カナン先遣隊自体がフェイク」とか。
そういう無責任な情報を目にするたび、私の心は疲弊していく。待つだけの日々は、私自身を擦り減らしていく。少しずつ、自分が小さくなっていった。
そして、先遣隊が消息を断って一年後。私は、まさかのプロポーズを受けた。
一緒に食事していた、隣の席の同僚、白鳥くんからだ。
「琴坂。こんな時に言うのはずるいと自分でもわかってる。でも言わずにはいられなかった。例の彼の事は諦めて、おれと結婚してくれないか。おれは彼には劣るかも知れないけど、絶対に勝てるところがひとつだけある。琴坂とずっと一緒にいることは、誰にも負けないから」
さらりと笑う白鳥くんは、綺麗な石が光る、指輪を私に差し出してくれた。
白鳥くんは優しい。一緒にいるだけで気が休まる。今までどれだけ白鳥くんに支えられただろう。感謝しても仕切れない。
だけど。
私は今も信じている。
レンジが私を、愛してくれていることを。
「……そうか。やっぱり、勝てないか」
白鳥くんはまた、諦めたような笑顔で笑った。
「二光年先の彼に勝てないってのは、わかってたけどやっぱりショックだな。でも。琴坂が幸せになれるように、おれは応援してるよ」
「ごめんね。ううん、ありがとうだね、白鳥くん」
「……届くといいな。二光年先の彼にまで、その思いが」
「うん。きっと届くと思う。私の『愛してる』って想いが届くように、だからこれからも頑張るよ」
その時だった。私の端末に、小さな鈴の音の着信音。腕に嵌めた細い端末をひと撫ですると、ホロディスプレイに「新着メール 一件」と表示される。
差出人はもちろん。私の最愛の人。
このメールは、二年前に書かれたもの。そうだってわかってる。わかってるけれど。
「今の私」の思いに、「今の彼」が返信してくれたとしか考えられない、それは短い短いシンプルなテキストメール。
『俺もカイリを愛してる。レンジ』
光よりも速い速度の物はない。大昔、とても頭の良い人はそう言ったみたいだけど、それは間違っていると私は思う。
だってここに、現に存在するのだから。光よりも速い速度の、シンクロニシティが。
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それが、私と彼を隔てる距離。
物理的な距離はその通り、果てないくらいの長い距離。だけど、精神的な距離はゼロだ。どれだけ離れていようとも、愛の速度は光を超えるのだから。
でも私は欲張りだから。
ひっそりと、それに応募した。
受かるかどうかはわからない。でも。きっと受かる気がしていた。
第二次カナン先遣隊。
私はそのシャトルに乗って、直接あの時の返事を返そうと思う。
彼のプロポーズに対する、愛のこもった返答を。
【終わり】
星間恋愛 薮坂 @yabusaka
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