時の便り

篠岡遼佳

時の便り

 じりりりり、と玄関の呼び鈴が鳴った。


 荷物でも来るんだっけ? こんな雪の日に?

 私はとりあえず、玄関を開けた。


「こんにちは、”ときの郵便屋”です」


 そこにいたのは、すこし事務的な無表情の青年だった。

 雪がついた制服もコートも、帽子も同じ紺色。

 それに斜めに掛けた丈夫そうな革の鞄。

 確かに、どこからどう見ても郵便屋である。

 ただ、きらりと金に光る、七芒星が中央についている帽子。そのマークには見覚えがない。

 

「ええと、ときの、郵便屋?」

「そうです」

 彼は頷いた。

 百年前から言い続けていたような、重々しさと確信のこもった頷きだった。

 帽子からはみ出た明るい金髪がはねていることも気にせず、彼は続けて尋ねてきた。

「こちらは、ラナークさん宅でよろしいでしょうか」

「は、はぁ」

「では、ティリア・ラナークさんは」

「私ですけど……」

「はい、ではここにサインを」

 ペンとサイン欄を見せられ、私はよくわからないままとりあえず受け取りのサインをする。

「ありがとうございます」

 彼はサインを一度確認し、それを鞄にしまうと、代わりに真っ白な封筒を取り出した。

「こちらです」

「……?」

 なにか、その住所と名前の筆跡に既視感があった。

 よく見ると、少しよれ、角がすり減っている。それは、この封筒が過ごした年月を示していた。

 ひっくり返して裏面を見ると、既視感は思い出を伴ってやってきた。

 そうだ、これは、

「私から、私宛……」

「はい、ラナークさんが過去に書いた手紙です。未来になったので、届けにやってきました」

「で、でもこれ、」

「はい、ジェグアイル歴803年、金牛の月の4の日――今から10年前ですね、あなたが、ほら、ここに」

 言いながら、郵便屋さんは表面の宛先を指で示した。

「『10年後のティリア・ラナークへ』と」

「だって、この手紙は…………」

 私は唾を固く飲み込んだ。

 この手紙は、焼かれてしまったはずだからだ。

 

 私の家は、さほど幸せな家庭ではなかった。

 かといって虐待されていたわけではない。

 会話や関係性が薄かっただけだ。

 だから、何になりたいとか、夢は何であるとか、将来の職業とか、そういうことも話すことはなかった。


 けれど、ある日学校で宿題が出た。

 『未来の自分へ手紙を書いてみましょう』

 よくある、情操教育と国語教育の一環だ。

 私は書いた。真面目に、真剣に、書いた。

 「医者になりたい」と。

 昔々、幼なじみが流行病で死んでから、私の夢はそれだけだった。

 なんとかして、病の人を助けたい。

 勉強ならいくらでもする。自分の無力で何かを失うことが悔しくて仕方なかった。

 その手紙は、親にも提出するものだった。 

 父母はそれを読んだが、読んだ後何も言わず、暖炉の火にくべた。

 くだらない、とすら言われなかった。

 人間性を全部踏みにじられた気持ちになった。


 それから幾年か経って、私は無言で家を出た。

 たぶん、あれは家族というかたちではなかったのかもしれないと思って、ずいぶん経つ。


「ええ、確かに、その手紙は失われました。

 けれど、あなたは今も行き場所を求めている。

 未来への手紙――同時に、過去からの手紙であるこの手紙を」

 郵便屋さんは静かに、途方もないことを言ってくる。

 けれど、現実にそれは今ここにある。信じる以外にないではないか。


 私は、封もされていないその封筒を開け、便箋を取り出した。

 そこには、そう、たったの二行。


 『私は医者になりたいです。

  ――わたしはわたしらしく、夢を目指していますか』


 過去からの手紙は、返事が出せない。

 だから、今の自分がしっかりするしかない。

 ――診療所はそこそこの繁盛だよ。

 そう伝えることはできない。

 ――私は私のまま、夢を叶えたよ。 


 私は便箋をそっと仕舞って、郵便屋さんに尋ねた。

「また会えますか?」

「どうでしょう、ひょっとすると明日も来るかもしれませんし、一生巡り会えないこともあるでしょう。時を渡るというのは、存外大変なものなのですよ」

「じゃあ」

 私は手近にあったメモ帳とペンを取り、彼に押しつけるように渡した。

 今を忘れたくない。そう思った。

「あなたに手紙を書かせて。時を渡る大変な仕事をしているあなたに」

「――――」

 郵便屋さんはその夜空色の瞳をまばたいた。驚いたみたい。

 彼はふっと一瞬息を抜いて、そこに宛先を綴ってくれた。

 そして、私を見て言った。

「私らしさ、というのは、少しわかりませんが――この行動力が、あなたらしさではないですか」

 郵便屋さんはそう言って微笑んだ。

 とてもやさしい微笑みだった。


 それでは。

 郵便屋さんは、その帽子の広いつばを持ち上げ、最後に軽く挨拶してくれた。

 また真っ白な雪の道を、自分の足跡をたどるように、振り向かず帰って行く。


 過去からの手紙は、あのときの私の心。私の想い。私の――未来のひとつ。


 私は彼の紺色の背が粉雪に見えなくなってから、ドアを閉じた。

 胸に、過去からの手紙を抱く。

 そうだ、私は私の想いを継いでいく。そして”私”になる。

 

 未来の私は、何をしているだろう。

 それが存在するということが、ただうれしい。

 それなのに、涙の方が先にあふれた。

 流れる涙をそのままに、私は微笑む。


 ――いつか来る未来よ。

 私は今、あなたに向かって歩き続けているぞ。

 待ってろ。


 

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時の便り 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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