届けたい、届かせたい

良前 収

青星への手紙

「頼もーっ!」

 けたたましくドアが開き、瀬川ワタルは飛び上がった。

「何ごと!?」

 振り向くと研究室学生部屋の入り口に香島アヤメが仁王立ちしていた。

「飯をいに来た!」

「……は?」


 アヤメはずんずんと中へ入ってきて、部屋に独り残っていたワタルに対しレジ袋を突き出す。

「ついでにあんたに弁当を配達に来た」

「え、そんなの頼んだ覚えは――」

 言いながら腕時計を見てまた驚く。夜の8時半を回っていた。


「いいから食べる! 脳のためにカロリーと栄養を摂れ!」

 レジ袋からいい匂いが漂ってきてワタルの腹がグウと鳴る。

「……僕が夕飯食べてないってよく分かったね……」

 赤面しながらありがたく押しいただくと、アヤメはフンと鼻を鳴らした。

「青星ディスクの図案、締め切りは明後日だろ?」

「その通りです……」


 資料やノート、紙で散らかった自席を慌てて片付けて食事の場所を作る。アヤメは隣の先輩のイスを勝手に運んできた。

 と、ワタルは入り口を振り返る。彼女はドアを閉めて入ってきていた。

 彼はさっと立ち上がり、入り口のドアを開けに行く。

「……何やってんの?」

 彼女の声がかかる。

「男女が二人きりのときは、部屋のドアを開けないと」

「……あんた相手にー?」


 背を向けたまま、思わずワタルは肩を落とす。

 いや、彼女に異性扱いされてないらしいのは、分かっているが。

 そっとため息をついてから席に戻った。アヤメはもう自分の弁当を頬張っている。鶏のテリヤキ丼のようだった。

 ワタルのイスの前に割り箸とともに置かれていたのは焼き肉弁当だ。


「いくらだった?」

「んー、締め切り終わったらどっかでおごってよ」

 それは三倍返しくらいをしろということだろうか。

 だが彼女と食事をする約束はワタルにとって望外なほど喜ばしい。気合いを入れて予備費を放出しよう。


「着陸カプセルはどうなんだい? 山場は過ぎた?」

「もうちょいかな。連日これ計算計算計算」

 計算の速さと正確さに定評のあるアヤメはこき使われているのだろう。

「電子計算機がもっと潤沢に使えれば楽ができるのにねえ」

「まったくだ」

 彼女は大きくうなずく。しかしああいった最新技術は大学研究室でもなかなか利用することができない。


 青星と呼ばれる地球の隣の惑星に知的生命体がいるらしいと分かったのは約四百年前だった。


 太陽と地球と青星は四年に一度、一直線に並ぶ。そのときは少し小さい青星が地球の影の中にすっぽり入り、地球から青星が見えなくなる、のだが。

 発明されたばかりの望遠鏡を、見えないはずの青星の方向へたまたま向けた天文学者がいた。驚いたことに彼は、青星の上で煌めくいくつもの光点を見つけた。それは各所の学者たちへ伝わり、四年後の観測の機運が高まった。

 同じ時、大陸の広い部分を支配した国が一大行事を行い、夜通し主要街道で煌々と灯りをくという出来事があった。


 そして四年後――青星の表面に、自然発生とは思えないはっきりとした光の線が現れた。天文学者たちは大騒ぎし、その中に大国の街道との一致に気づいた者がいた。

 学者たちは自国に働きかけ、各国もその権勢を示すため四年ごとに「光の絵」を描き、それは次の四年後にそっくり青星上に再現された。

 青星には知的生命体がいる。その結論に至り、いくつもの技術革新を経て、地球上の人類は初めての「隣人への手紙」を送るべく動き出したのである。


「そっちは? ディスクの図案、どんな感じ?」

 もぐもぐしながら身を乗り出してくる。ワタルは一枚の紙片を引っ張り出した。

 中央に裸体の男女が描かれている。男は丸い円盤――ディスクを掲げ、女もあいさつをするように片手をあげている。

「我ら人類はこんな姿形ってことか」

 ワタルはうなずき、窓の外を見た。ちょうど青星が夜空でのぼり始めていた。


「この足元の水平な線は何?」

「大地。人類は手で物を持ち、足で立つってことを示したいんだ」

「あー。でもこれだけじゃ分かんなくね?」

「そうなんだよね……」

 ううとワタルは箸をくわえる。

 何としても、青星への手紙――青星ディスクに刻む図として採用されたかった。まだ学生の自分でも、誇れる実績を作りたかった。

 そうしたら、こんな自分でも、彼女に――。


 その彼女が突然言った。

「カプセルを足元に置くといいんじゃ?」

 ワタルは目を瞬いた。

「人類の大きさを示すのにも、円盤だけよりいいと思う」

「でもカプセル、着陸する時に壊れないか? 形が変わってしまうんじゃ」


 アヤメの眉と眉の間にくっきり縦皺が浮かんだ。

「壊れない!」

 丼が机に叩きつけられる。ワタルは焦った。

「ご、ごめ――」

「あんたのディスクは、あたしのカプセルが無事に運んでみせる! 絶対に!」

 強い瞳に射ぬかれ、ワタルは息をんだ。


「あれー、香島ちゃん、また来てたんだ」

 ハッとして二人で振り向く。入り口に先輩がにやにやしながら立っていた。

「お邪魔してごめんねー、忘れ物しちゃってさー」

「いいいいえ! 邪魔なんかじゃありません!」

 ワタルは起立直立した。

「弁当ってただけなんで! どうぞ、どうぞ、どうぞ!」

 変に誤解されたらアヤメに悪い。


 実際、彼女は顔を伏せて丼や箸を片付け始めていた。

「あたし、帰る」

「あ……送るよ」

 大学構内は暗い。一人歩きはさせられなかった。

 手をひらひら振る先輩に見送られ、ワタルはアヤメを追うように学生部屋を出た。


 外は一面の星が光っていた。無言で彼女はずんずん歩いていく。怒らせたことに耐えきれず、ワタルは空を指さした。

「ほら、青星がきれいだよ」

 アヤメの足が止まった。空を見上げる。ワタルも彼女の横に立って隣人の星を見つめた。

「結果が出るのは、四年後だね」

 その年、地球は「光の絵」を描かなかった。年の終わりに打ち上げて二年後には青星に届くディスクへの「返事」をより明確に受け取るためだ。


 アヤメがふいにぽつんと言った。

「四年後はあたしたち、二十七才かー……」

 その頃には、自分はもっと自信を持てているだろうか。彼女の隣を、いつも占められるくらい。

「その時、一緒に青星を見れたらいいな」

 ワタルはそうこたえた。


 アヤメがこちらを向く。

「言っておくけど……」

 ぎくりとする。また彼女を怒らせたのか?

「四年後じゃ遅いからな!」

「……へ? 何が?」

 ぽかんとしたワタルにアヤメは怒鳴ってくる。

「自分で考えろ!」

 ダーッと走っていってしまう。そしてすぐそこに見えていた、彼女の研究室がある建物に駆け込んでしまった。

 ワタルは突っ立ったままそれを見送り――また青星を振り仰いだ。


 青星への自分の手紙は彼女が届けてくれる。彼女への自分の気持ちは、自分でいつか届けたい。

「頑張るから」

 そう呟いて、ワタルは自分の研究室へと戻っていった。

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