エピローグ
風が気持ちいい、なんてことは、別に誰かに教えてもらわなくても、私は理解している。
全てが終わったあの後、私としづ先輩、それに本下は都会の病院に担ぎ込まれた。機械化能力者の治療も行っているという、それなりに大きな病院だった。そこで私は二日ほどの入院をしたのちに退院した。機械の腕は人工被膜で覆われ、生身とほとんど違いが無くなった。しづ先輩の入院期間は、もう少し掛かった。そこまで大きな差ではない。
本下は、治療が済み次第逮捕するという。これで、セリカも浮かばれるというものだろう。そう思うしかなかった。パーツは、蔵乃下家に返却されるのかどうかは、調査が終わってからだと言った。
退院をした私は、てっきりサーシャに戻されるかと思っていたが、予想に反してアロベインからの迎えの車が来ていた。面食らっていたが、校長先生から直々にメッセージが有り、その内容は『良いから黙って乗れ』だった。私は何も言わないで黙って従った。校長の言うことは、あの学校に於いては絶対だったからだ。
アロベインに戻ると、校長邸に呼び出されて事情を説明された。サーシャ女学院と今回の事後処理のことで話し合ったらしい。とくに頭を悩ませたのは、殺人事件の対処。とりあえず生徒が多大な不祥事を起こしたことに因って廃校という選択肢も出たが、伝統ある学校故に、そういう話は努力して避けた、とは聞いた。
その次に困ったのが私の処理だったが、アロベインでも榎園セリカとしては十分遜色ないくらい振る舞っていたので、君が望むならこのままこの学校に転校すればいいと勧められた。もちろん、柚木脇千鶴として。
悩んだが、私は了承した。虫がいいとは思ったけれど、なんとなく、もうこの学校を離れる気分にはなれなかった。セリカとして振る舞って、私が築いた関係は、偽りではなかったからだ。
学校は、二、三日の休校ののちに、何事もなかったかのように普通に再開していた。礼拝の時間は、焼けてしまったので流石に無くなったが、しばらくすれば再建工事が始まると聞いた。
実は榎園セリカではなく柚木脇千鶴でした、と名乗る私を、友人たちは何事もないように受け入れた。急に親の都合で苗字が変わってしまった生徒と、扱いはそう変わらなかった。私は、そのことに感謝した。
戒能希巳江とは、友人を続けていた。別に準・文学部に入ったわけでもないのに、彼女は私を誘って部室に行こうとすることが何度かあった。それに従うことはなかったけれど、自習時間に一緒に時間をつぶすことは多くなった。
平松先輩、谷端先輩とも、すれ違えば挨拶をするような仲になっていた。文学部の会報は、なんとか今回の事件を記事にして間に合ったらしい。手柄の横取りと言えば、否定はしないが結構手伝ってくれたし、と私はy7でその会報を買った。
新聞部も存続しているが、池田は退学処分となった。当面は教員と残った部員達で運営していくらしい。過激な記事や新鮮な記事は大幅に減ってつまらなくはなったけれど、まあ休みの日に都会に出かけることで、世の中のことを知っていこう、という気持ちにはなった。
妃麻先輩は、私の腕のメンテナンスを定期的にしてくれた。以前より人当たりがよくなったような気がする。私への信頼感をなにかのきっかけで得たのだろう。こうして話してみると、変な知識をたくさん知っていて、興味深い人だった。今度希巳江と一緒に遊びに連れて行ってもらおうか。
香代美先輩は相変わらずだ。運動機能を改善しようとしづ先輩と一緒にトレーニングなんかを始めたらしいが、効果は薄いらしい。時々覗かせてもらっている。私までやるつもりは毛頭なかったけれど。
そして、しづ先輩とは、まあうまくやっているよ、セリカ。
花壇の隅にある花に、私は話しかけた。青い、胡蝶蘭。部屋に飾ってあった、セリカが好きだったと思われる、あの花。
それを植えた。こうして見ると、この花壇に馴染んでいた。もともとそうだったように。
「ここにいたんですの」
後ろから、声がした。
しづ先輩だった。強く打ったのか裂傷でもしたのか、頭には未だに包帯を巻いていた。それすらも似合っている。いつもと違ってほどかれた長い髪が、風に揺れていて綺麗だった。
「花を、植えていました」
「へえ……それですの?」
彼女は指を向ける。私は頷いた。
青い花が、揺れている。
「セリカの部屋にあった、あの花です。ここにある方が、良いかな、と思って」
「それは、どうして?」
「部屋なんて狭苦しい場所にあるよりは、ここで見ててもらうんです。私が、あいつの代わりを、立派に努めていることを……。だって…………それ以外に、セリカに向かって出来ることなんて……もう私にはなにもないから…………彼女に伝える方法は、もうこれしか思いつかないから…………」
いつの間にか溢れていた涙を、しづ先輩に拭われた。
「あなたは、立派です。代わりなんて、それどころじゃありませんわ……あなた自身の性格は、確実に変わったと思います。それも、良い方向に。きっと、セリカさんのために、自分を強くしたんですわ」
「…………先輩」
「すこし……暴走しすぎることもあるみたいですけれど」
ふふ、と彼女は笑った。
私は、思い出したように頭を下げた。
「先輩……私と、セリカを見つけてくれて……ありがとうございました……」
その頭を、ペットみたいに撫でられた。
「良いんですよ。おかげで楽しかったですわ」
「……楽しかったって……死にかけたんですよ、先輩」
「それも経験ですわ」彼女は言う。「セリカさんにも、お礼を言ってあげて? あの日、結局はあなたを探しに外に出てくれたんですから、優しい人でしたのね……」
「でも、その所為で……セリカは……」
「もう! その話は無しですわ!」しづ先輩は怒る。「起きてしまったことは、変えられませんから……今をどうにかすることしか、わたくしたちに与えられた権利はありませんの。彼女のことは、運命だったと言っては悲しすぎますが、それをどう処理するかのほうが……私達にとっては、ずっと大切ですわ」
「…………はい、すみません……」
「ほら、わかったら、セリカさんに言いたいことを伝えてあげて?」
両手を合わせて、私は、花に向かって祈った。
神様への祈りなんて、未だによく分からなかったけれど、セリカには通じたら良いなと思った。
ごめん、セリカ……
私はとてもひどい扱いを、あんたにしてしまったと思う。
あんたに頼りすぎていたと思う。
こんな祈りだって、謝ることだって、もう届いていないと思う。
それでも私は、あんたに見せ続けるしか無い。
あんたの分まで、私は頑張るよ。
だから絶対、臓物にあんたの名前を刻み込んででも、忘れないから。
できれば、私のことを、見守ってほしい。
あんたのおかげで、初めて人生が楽しいって感じたことも、感謝する。
通じないのかな、こんな言葉も。
どれだけ祈っても、意味なんて無いのかな。
ごめんね、
立派な人間になるから、せめて謝りたい。
謝りたかった。
直接、あんたの顔を見て、ただ謝りたかっただけなのに。
それすら出来ないのかな。伝えるって、なんて難しいんだろう。
「そうだわ、千鶴さん」
しづ先輩が私を呼んだ。私は正気に戻った。また泣いてしまいそうになっていた。
「あなたが良ければで良いのですが、準・文学部に入りませんこと? 希巳江さんが寂しそうですわ。……ああ、いえ、」
彼女は掌を広げて、私に向けた。
「今、瞳が予測してしまったんですけど、忘れてください。答えは貴女の口から聞きたいわ」
そう言って、見えてしまった、わかりきってしまったことの答えを、じっと待っているしづ先輩。
私も、その答えは決まっていたけれど、なるべく予測されない言葉を考えて口にした。
「……まったく、しょうがないですね。ねえ、どうしようセリカ。あの蔵乃下先輩に口説かれちゃった」
「…………その答えは、予想してませんでしたわ」
二人で笑った。
一抹の寂しさを抱えながら、笑った。
もうあんたがいない世界で、こうやって笑っている自分なんて、ひどく滑稽に見えた。
それでも、そう思うしかなかった。あんたに見守ってもらっていると、思うことしか私に選択肢はなかった。
段々と日が傾いてきた。そろそろ、寮にでも戻ろう。
じゃあね、セリカ。
手を振った。
もう、泣いている暇なんてなかった。
あんたに、見られているのだから。
吹かれて花が頭を振っていた。
別れを告げられているような気分になった。
花壇。離れて見れば、昨日までの様子と変わらない。
風が、私を恋人みたいに優しく撫でた。
あの片隅でひっそりと咲く、青い胡蝶蘭の正体を、私は知っている。
ブルーオーキッドの正体 SMUR @smursama
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