汚部屋脱出プロジェクト

金糸雀

それはちょっとした大事業である

 二〇二〇年。

 うるう年であり、オリンピックイヤーでもある。二月二十九日生まれの人にとっては四年に一度の誕生日が巡ってくる年であり、彼ら彼女らにとっては特別な年となるだろう。オリンピックを楽しみにしている人も多いようだ。私は「東京オリンピックなんかやめてしまえ」派なので、何がそんなに楽しみなのかさっぱりなのだが。


 私にとっても、この二〇二〇年は四年に一度の節目の年である。

 それは、今から十二年前、二〇〇八年に「四年に一度引っ越しをしよう」と決めたからだ。決めた最初の引っ越しを含めて四回目の引っ越しをするのが今年、というわけである。

 何故四年に一度か。それは、私が所謂汚部屋おべや住人であり、止まらない汚部屋化をリセットするためには引っ越しをするしかないと考えるからだが、二年に一度ではコスパ的にイマイチだし、五年、六年と同じ部屋に住み続けるとやがて私の手には負えなくなる。間を取り、「よし、四年に一度引っ越しをすることにしよう」となった次第である。


  そうはいっても私は今住んでいる界隈がなんだかんだ気に入っているから、必然的に近所を転々とすることになる。駅のあちら側からこちら側へ、とか、今までよりちょっとだけ駅から離れた場所の建物へ、とか、そうしたちまちまとした移動を繰り返し、今回に至っては同じ建物の二階から三階に移るだけである。

 もうそろそろ条件に合う物件が尽きつつあるのでそういった選択をするに至ったわけだが、この話を管理会社に切り出した時は「どうしてわざわざ……?」というような微妙な反応をされた。それこそ、「引っ越す必要はないのでは」と言わんばかりの。それでもこちらは客であるという強みもあって――部屋を散らかしに散らかして、敷金が戻ってこないほどの汚れも残してしまうので、良い客と言い難いことは自覚している――最終的には私の申し出が通った。


 私ってヤドカリみたいだな。そんなことを思う。

 尤も、ヤドカリは身体の成長に合わせて棲家すみかにする貝を替えるが、私は部屋が汚すぎるので脱出するために引っ越しをするという違いがある。同じように棲家を転々と変える生態を有するといっても、その理由にどこか前向きな印象のあるヤドカリと、私は全然違うと思う。要は、手に負えなくなる寸前まで散らかした部屋から逃げるために私は引っ越しをするのだから。


 引っ越しの時期は二月と決めている。進学、就職、転勤といった理由で引っ越す人は三月に集中すると仮定し、引っ越し業者の繁忙期前に引っ越しをしようという魂胆である。近年は「引っ越し難民」なる言葉も登場し、三月に引っ越しをしようとすると業者が見付からないし引っ越し代も高く付く、といった話も聞く。だから、引っ越し時期が「二月」というのは譲れない線である。

 

 私の部屋に、家具は少ない。窓際に置いたベッドと、諸々の作業用のローテーブル、テレビ台、壁に沿って設置したハンガーラック、そして、ハンガーラックがあるのとは反対側の壁沿いに、本棚が三本。これだけである。そして、床の上には本棚に収まりきらなくなった本、読んでしまったからもう要らない雑誌、ハンガーラックにかけられない服といった様々なものが堆積し地層を形成している。たまに、床置きしていた飲みかけの水のペットボトルを踏んづけて中身を流出させ、近くにあった本をびしゃびしゃにしてしまう――といった、悲しい事故も発生する。

 なんでもかんでも床に置くのをやめれば良いのに、とは私自身思う。しかし、床以外のどこにものを置けば良いのかわからないからこうなるのである。なんとなく、ほとんど空のままの押し入れを有効活用すれば良いのでは? と認識はしているが、どんな収納グッズで押し入れにものを入れれば良いのかがやはりわからないし、そもそもの話、「出したものを元の場所に戻さない」というズボラさをも兼ね備える私には、いくら便利な収納グッズを用意したところで、床を野放図に散らかさずにたくさんのものを定位置管理するのは不可能であろう、とあきらめてもいる。

 だから形成されたのが、この、僅かな通り道以外には床が見えない――汚部屋住人的な語彙を用いるならば面積が少ない――部屋である。

 

 引っ越し準備は、二月になってから本格的に始めた。失業中だった前回と違って今回は働いているのだから、丸一日を引っ越し準備に充てることができる日は少ない。とにかく徹底して「部屋の中に何もない」状態にするためのラストスパートのために引っ越し直前の二日については有給休暇を取ったが、時間が限られていることには変わりない。


 まずは、本の箱詰めからだ。なんせ本は生活必需品ではない。なくても困らないものから箱詰めするのは、引っ越し準備の基本である。あるのだが――私には「本は蔵書管理アプリに読んだ順で登録して、一言感想を書きたい」という譲れないこだわりがあるから、スマホ片手に登録状況を確認しながらの作業となるから、いきおい、時間が掛かる。

 本棚に差してある本は概ね登録済みだったが、問題は、この先片づけを進めるとともにゴロゴロ出てくるであろう、無造作に床置きした本である。本に関する私の座右の銘は「買ったら読め、読むなら買え」であるが、そうはいっても買った後どこに置いたかわからなくなったり、買ったこと自体忘れてしまったりで、「買ったけど読んでない」本というものはどうしても発生するのだ。こういった所謂積読本はまた別に箱詰めして、順次読んで行かねばなるまい。

   

 次は、可視床面積を少なくしている主原因の服である。同じように床置きしている服でも、この季節に着ているものはまだ箱詰めできない。掘り進めると出てくるシーズンオフの服は、片っ端からポリ袋に入れて行く。これらの服は洗濯機で洗えるもの、クリーニング店に持って行かなければならないもの、もう着られないもの――と、概ね三種類に分けられると思われるが、いちいち仕分けている暇はないと割り切ることにする。いずれにせよ、掃除もろくにしていない部屋の床から発掘された服たちであるから、このまま捨てるしかないものが多い可能性もあり、その場合はこのまま燃えるごみに出すしかないだろう。

 地層の底の底の方からは、無造作に脱ぎ捨てたと思われる下着なんかも出てきて、こんなものまで出てくるなんて女としてさすがにどうなのか、と自分自身に少々呆れるとともに、見当たらないから下着泥棒か何かに盗られたと思ってたのにこんなところにあったのか、とホッとしたりする。良かった、私の下着を盗んだ悪い人はいなかったんだ――なんて。


 そうして可視床面積を広げ、少しずつ少しずつ掃除機をかけて行く。この掃除機はそこそこ性能の良いサイクロン型の品だが、床が見えなくなるとともに出番が大きく減っていた。おそらく、コイツが仕事をするのは二年ぶりくらいではなかろうか。

 二年分のいろいろを吸い込むとあってエアーヘッドには髪が絡まって回転ブラシが回らなくなり、そうするとごみを吸わなくなるから、なんか吸い込みが悪いなと思ったらその都度絡まった髪を取らなければならないし、ダストケースもすぐ一杯になるから、頻繁に中身をごみ袋に空けることになる。

 その時は気を付けなければならない。吸い取ったものの中に、ごみではないものが混ざり込んでいる可能性があるからだ。現に、片方だけのピアスが都合四つ五つ、ダストケースには紛れ込んでいた。ピアスというのは「お前ら足でも生えてんのか」と思うくらいあっさりと片方だけどこかに行ってしまい、残りの片方だけを死蔵するしかなくなることが往々にしてあるのだが、これで両耳の分が揃い、着けられるピアスが増えることだろう。

 余談だが、逆に「お前ら子供でも生んでるのか」というくらい何故かあちこちから出てくるのが、爪切りと鋏である。もちろん彼らが子供を生むはずなどなく、単に私がどこかになくし、なくすたびに買い直すからこうなっているだけだが、それにしても爪切り六個に鋏五丁は多すぎである。

 

 ほぼ物置と化しているローテーブルからは、ごみであることが明らかなものはごみ袋へ――ちなみに、今この場では分別は度外視している。そんなところに時間を使っていたらいつまで経っても片付けが終わらないからだ――ごみではないものは箱詰めへと回すが、まぁほとんどがごみである。PCまわりのたくさんのコード類も、ほどいてみたらどれもこれも、どこにも繋がっていなかった。大方、なんらかのデバイスに繋がっていたものが必要なくなったが、なんとなく面倒でコードだけ残しているうちにこの状況に至ったのだろう。


 

 大方片付いたと思えるまでの状態になったところで、部屋を改めて見回す。


 床――大丈夫、全部見えてる。それにしても、片付いてると広く見えるものだ。

 ベッドの下は――大丈夫だ。多分、目ぼしいものは拾い終えた。

 本棚――全て空。しかし、引っ越し先のスペースに余裕があればもう一本ほしい。

 ローテーブル――今置いてあるのはPCだけだが、これは当日自分で運ぶ予定。

 ハンガーラック――まだ服がかかっているが、業者から専門BOXを借りて運ぶ。


 玄関側に移動する。滅多に掃除をしないから水回りの汚れは相当なもので、できる範囲で掃除はしたが明らかな汚れは残ってしまっているから、今回も多分敷金は帰って来ない。なんなら追加で料金を請求される。しかしまぁ仕方あるまい。


 段ボール箱は大小合わせて二十ほど。中には、空だと思っていた押し入れから出てきたが中身が何なのかわからないものも二つ含まれる。なんだかよくわからないが、きっと何か大事なものが入っていたのだろうなと判断して、今回の引っ越しにも一緒に連れて行くことにした。



 予定通りの日取りで、引っ越しを終えた私はまっさらな部屋で開梱作業を始めた。

 今度こそ綺麗に暮らそう――そんな決意を固めながら。

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