2032年2月29日まで

悠井すみれ

第1話

 私の誕生日は2月28日。彼の誕生日は3月1日。よって、例年は2月の末日にどちらかの家を訪ね、だらだらと飲み食いしテレビを観、カップルならではのあれこれもあったりしつつ、日付が変わった瞬間におめでとう、を言うのが私たちの慣例だった。


 しかし2020年の今年はうるう年である。私たちの誕生日の間に、2月29日がいるのである。さてどうすべきか──と悩むまでもなかった。なぜなら2月29日は折よく土曜日、新型感染症の流行もあって外食する気分にもなれないご時世でもある。お互いの誕生日にかこつけてだらだらする時間が丸一日になっただけのこと、と。結論付けるのに何ら支障はなかったのだ。


 それぞれワインやら缶チューハイの袋を手に提げて、近所のスーパーから戻る私たちに初々しさも恥じらいももはやない。既にして馴染みきって、夫婦のようなものだ。


「地震でも来たっけ? それか台風とか」

「そんな話は聞いてないけどねえ」

「米までなくなってるのおかしくない? パスタでさえなかったぞ!」

「まあまあ、家にはあるから。これだけ買えば十分贅沢できるよー」


 度々我が家を訪ねる彼のために、米パスタ麺系の貯蓄は十分なのだ。缶詰や冷凍食品はかなり品薄になっていたけれど、生鮮食品はそれなりにあった。高齢者や小さい子供のいる家庭には大変気の毒な事態なのだろうけど、そこそこ健康な若者としてはさほどの危機感もおぼえていない。この先のことはともかくとして、まずはこの週末を自堕落に過ごすことができれば良いのだ。


 とりあえず昼食は、買い置きのパスタでペペロンチーノを。スーパー産のチーズとサラミも切って、早速スパークリングワインを開ける。


「ちょっと遅いけどおめでとー」

「ちょっと早いけどおめでとー」


 私にとっては前日の、彼にとっては翌日の誕生日を祝って乾杯する。ガラスが触れ合うチン、という音。口の中で弾ける泡、ニンニクの香り。うん、良い。


「一日かけて誕生パーティって良いね」

「ねー」

「またこういううるう年を過ごしたいね」

「次回は一緒かな? 四年後だよ?」


 何気なく言う彼に、少しどきりとしながら答える。今回は、私たちにとって初めてのうるう年だった。四年後、というのは非常に想像しづらい。学生ではあるまいし、いつまでもけじめのない付き合いというのもできないのだろうけど。でも、だからこそ「次」を探す、という選択もあり得るだろう。いや、私はそれは考えてはいないのだけど。彼の方は、分からない。


「2024年2月29日は木曜だってさ。だからこういう感じはできないだろうねえ」

「平日だからね」


 世間話なのか、何かの探り合いなのか。相手の心を読もうと目を凝らしながらグラスを傾ける。彼の方はというと、ペペロンチーノがお気に召してくれたらしい。フォークがくるくると回ってはパスタを絡め、口に運んでいく。唇の端についた唐辛子の欠片を取ってあげるべきか考えるうちに、その唇が、笑う。


「2月29日が土日に当たるのは、次は2032年。日曜日になる」

「12年後かあ」


 その時の私は、いくつになっているのだろう。大人になると、自分の歳も咄嗟に計算できなくなるものらしい。12年後、私の隣には誰がいるのか、子供がいたりするのか──

 ぼんやりと思いを馳せていると、鈍いと詰るかのように相手の眉がちょっと寄った。


「その時もこうしていたいね、って話。その後もずっと、だけど」

「……っ」


 炭酸が変に喉に入って、盛大にむせる。グラス越しに彼を睨むと、素知らぬ顔で水を差しだしてくる。

 これから一日一緒にぐだろうという時に、初手でコレか。やるじゃないか。今年の2月29日は長くなりそうだ。

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2032年2月29日まで 悠井すみれ @Veilchen

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