雪が降る。
針間有年
雪が降る。
六月二十一日 雪
妻と山梨県の温泉旅館に来た。子供が巣立ち久々の二人きりの旅行。妻は浮き足だっていた。
富士山を見に行くと妻は言った。私は車の運転で疲れていたため、旅館に残った。
まだ、感情の整理ができない。
六月二十二日 雪
妻が帰ってきた。
初めて見る富士山は楽しかったらしい。ピントのぶれた写真を見せてくれた。私がそれを指摘すると、妻は少女のように頬を膨らませた。私は笑いながら、明日は二人で行こうと提案した。妻は納得したようで、笑顔を見せた。
すべては夢であった。
旅館の部屋で一日を過ごした。何もやる気が起こらなかった。
妻は帰ってこなかった。
六月二十三日 雪
妻が帰ってきた。
私を見るなり妻はがなり立てた。私の浮気に気づいたようだ。相手とは先日別れたばかりだ。事実を伝えたところで妻の怒りが収まるわけがない。私は深く反省した。二度と妻に不貞を働かないと誓った。
すべては夢であった。
私は、部屋の外に出た。テレビの前に人が群がっていた。彼らのような事実を知る勇気はなかった。自販機に向かったが、全ての飲み物が売り切れていた。
妻は帰ってこなかった。
贖罪の機会さえ与えてくれないというのか。
六月二十四日 雪
妻が帰ってきた。
突然娘に呼び出され、関西に行っていたという。納得がいった。無事でいて当然だ。だが一方でありえないことだと分かっている。それでも私は目を細めた。妻を力いっぱい抱きしめた。
すべては夢であった。
部屋を出て、旅館の中を巡った。人々は殺気立っていた。
人気のないところを探すうちにゲームセンターを見つけた。旅館の中の小さな遊び場。電力が途絶えた今、その遊び場は暗い。その中に、子供が好きだったキャラクターの乗り物を見つけた。意味もなく、小銭を入れた。小銭の落ちる音が空しく響いた。
三日待ったが妻は帰ってこなかった。
七月三日 雪
妻が帰ってきた。
そんな夢も、もう見なくなっていた。
外からの喧騒ももう聞こえない。誰もそんな元気はない。食料も底を尽きて久しい。
もちろん、妻は帰ってこない。きっとこの先も。そして、私もどこかへ帰ることはきっとない。ここで命が尽きるのを待つ。
今日も雪が降る。火山灰の雪が降る。
すべて夢であったらよかったのに。
雪が降る。 針間有年 @harima0049
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