第30話 渡来人

 紀元前770年、周王朝が四夷(西戎、北てき、東夷、南蛮)の侵入により滅亡して以降、西の大陸は「春秋戦国」と呼ばれる多くの国が乱立する混乱の時代を迎えた。華南地方に建国された呉・越・楚などの国はこの01タイプの集団だった。

 呉の起源は周の時代、周王族の太伯が呉に降り、華南地方の東夷の王となったとされる。(東夷は「国を委ねる」という意で「倭(イ)人」とも呼ばれた)春秋戦国時代、華南では呉が優勢となり越・楚・斉を破り、紀元前482年呉王夫差が中原の覇者となった。しかし呉王の臣下として仕えた越にその隙を突かれ、紀元前473年呉は越に滅ぼされた。


 紀元前400年頃から、父系遺伝子01b2タイプの呉人が日本列島に渡来し弥生時代が始まる。


 呉の滅亡で、敵対する越・斉・楚の国に囲まれ行き場を失った呉の民(倭人)は大挙して、東シナ海を北上し朝鮮半島に移住した。朝鮮半島に移住した倭人は「韓人」と呼ばれた。倭人達はその後、呉王夫差の王子忌に率いられて朝鮮半島から日本列島へ渡る事になり、九州北部に末羅国、奴国などを建国した。倭人たちは瀬戸内海を東遷し、呉王の姓「姫(キ)」にちなんで、安芸(アキ)・吉備(キビ)・紀(キ)の国にその名を残し、瀬戸内海の東端の河内の地に進出していった。呉という地名は大分・広島等に残っている。呉人達は青銅製の(銅剣・銅鐸)を持ち、貴人は大鯰風の冠(烏帽子)を被っていた。現代でも呉服は着物の代名詞となっている。(父系遺伝子01b2タイプは現代日本人の5~10%)


 紀元前200年頃から更に、父系遺伝子01b1タイプの越人が日本列島に渡来した。


春秋戦国時代の後半、呉を倒し威勢を誇っていた越も、紀元前306年楚に滅ぼされた。越の民はその後も「百越」の倭人として長江下流域・淮河付近に残存したが、一部は南へ向かい於越(浙江省)・びん越(福建省)・南越(広東広西省)・越南(ベトナム)等の国になった。

 紀元前285年頃、中国東北部(満州地域)の強国「燕」が朝鮮半島まで勢力を拡大し衛氏朝鮮を建国した。淮河・山東半島の倭人達は、燕に従い朝鮮半島の地に進出していく。

 その後紀元前226年、燕が秦の始皇帝により滅ぼされると、燕配下だった倭人達は、朝鮮半島沿岸部を南下し、呉系の韓人達との抗争の中、やがて日本列島に渡るという選択をとる事になる。北九州に渡来した越系の倭人達は、面土(メト)国・伊都(イト)国、その後の邪馬台国を建国し、呉系の奴国などとの争いを続けた。越系の倭人達は細型銅剣を持ち、短髪・貫頭衣・鯨面文身(顔と身体に入れ墨)だった。越系の倭人達は山陰(出雲)や北陸(越・高志)にも進出し、越前・越中・越後にその名を残している。(父系遺伝子01b1タイプは現代日本人の25%)


 紀元前100年頃から、父系遺伝子02タイプの秦人が日本列島に渡来し、古墳時代が始まる。


 紀元前221年秦は韓・趙・魏・楚・燕の六国を滅ぼし中国を統一した。秦により中国各地から労役徴用された民衆は、秦の隆盛と崩壊の中で流民となり大陸周辺へと追いやられ「秦人」と呼ばれる事になった。遼東半島付近の秦人達も混乱の中、朝鮮半島へと移動していく。この頃朝鮮半島では、父系遺伝子02タイプのツングース系の騎馬民族扶余が南下し、半島北部に高句麗、半島南部に慕韓(後の馬韓、百済)、弁韓(後の加羅、任那)、秦韓(後の辰韓、新羅)の三韓を建国し、父系遺伝子01タイプの倭人達を支配下に置いた。扶余系の騎馬民族も「秦(辰)人」と称した。

 紀元前206年、秦は始皇帝の死後、楚の項羽に敗れ僅か15年で崩壊する。

 紀元前108年、漢の劉邦が楚の項羽に勝利し、漢が秦の後継王朝となった。漢は朝鮮半島へ進出し、燕系の衛氏朝鮮を滅ぼし漢四郡(楽浪、真番、玄菟、臨屯郡)を設置した。朝鮮半島は、追い込まれた種々の部族で混雑を極める事になり、紀元前100年頃から加羅諸国を中心としたの辰(秦)人達の多くが、朝鮮半島を離れ日本列島へ渡来する事になる。辰人達は早良族、阿羅族として、北九州(筑紫)に上陸した。辰人達は大型の馬、騎馬民族の胡服(筒袖・ズボン)、鉄製武器・甲冑・馬具を持ち込んだ。

 紀元前後に人口6000万人の繁栄を誇った前漢は、新の王莽により王位を簒奪され、紀元後18年からの赤眉の乱に続く混乱と内戦の中で民が逃散し、人口1500万人にまで減少した。この頃、漢人達の一部は華南地方から日本列島へ移動した。南九州に向かった漢人達は薩摩・大隅地方へ進出し、隼人族となり、後に日向、北九州へ向かい倭人系の邪馬台国から国譲りを受ける事になる。秦人達は各地で古墳を造ったので「古墳人」とも呼ばれる。(父系遺伝子02タイプは現代日本人の15~20%)


 そのころ日本列島は紀元前2200年前からサブボレアルという寒冷化の時期を迎えており、縄文中期に人口26万人の中心だった東日本地域の居住が激減し、縄文後期の人口は西日本を中心とする7万人にまで減少していた。

 この後日本列島は、紀元前500年前からサブアトランテックという温暖化の時期を迎え、人口は急激に増加し、呉系・越系の倭人の渡来後の紀元前300年頃の弥生時代中期には60万人、秦人(漢人)渡来後の古墳時代の4世紀には540万人に増加していく。




参照

*揚子江下流域に達した倭族の中で、さらに山東半島に向けて北上したものもいます。漢族は彼らを東夷と呼びました。その東夷から殷(商)が出て建国しますし、また周代には淮(わい)、徐、?(たん)、きょ、奄(えん)、?(らい)などの倭族の国があったことがみえます。彼らは粟・黍を主食とする大紋口文化の土着の民族を討ちながら北上したものとみられます。             (倭族と古代日本P16)


*「後漢書」康王之時、粛慎復至、後徐夷僭號、乃率九夷以伐宋周、西至河上。周の康王(在位前1002?~前993?)の頃、粛慎は徐夷を僭称し、九夷を率いて宗主国である周を撃とうとして、西の河(黄河)にまでやって来たことを述べています。この九夷は中国国内の国々を指します。             (倭人とは何かP94)


*呉は「史記」太伯世家によると、太伯は周王の子であったが、・・・南方のけい蛮の地に逃れ、倭族の風習にしたがって文身断髪したと記されています。その後、太伯は呉の国を建てますが、その傘下に集まったという千余家は、いうまでもなく倭族です。                        (倭族と古代日本16)


*春秋時代末の紀元前472年に呉が南の越によって滅亡した時、・・・水軍に秀でていた呉の遺民が、海路で北へ向けて逃れた・・・呉の遺民のほか淮(わい)、徐、?(たん)などの住民も加わっていた・・・大陸から直接、日本列島に渡来したのではなく、朝鮮半島を経由した・・・朝鮮半島の北部、現在の平壌の近くまで強盛な燕の勢力がのびていましたので、中・南部の西海岸に辿り着きました。そして先住の?(わい)、貊(ばく)族を征して、その地に辰国を建てます。その辰国は後に馬韓を母体として辰韓・弁韓に分立しますが、その辰国に属することを嫌った半島南部の倭族もいました。                       (倭族と古代日本18)


銅鐸は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。・・・中国江蘇省無錫市にある春秋戦国時代(紀元前770 - 同221年)の地方国家「越」の貴族墓(紀元前470年頃)から、日本の弥生時代の銅鐸に形が似た原始的な磁器の鐸が出土している。日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に発展したというのが定説だが、発掘調査を担当した南京博物院考古研究所の張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると指摘している。           (Wikipedia銅鐸)



*紀元前後に書かれた『山海経』戦国時代紀元前285年頃、「海内北経「蓋国在鉅燕南倭北。倭属燕」蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す。

                          (倭人とは何かP106)


*「後漢書」(前241)秦の統一時「秦并(へい)六国、其淮(わい)泗夷皆散為民戸」秦は六国をあわせ、其の淮(わい)泗の夷は皆散じて民戸となす (倭人とは何かP99)


*(前209)朝鮮においては「陳勝などの蜂起、天下の叛秦、燕・斉・趙の民が数万口で、朝鮮に逃避した(『魏志』東夷伝)」「辰韓は馬韓の東において、その耆老の伝世では、古くの亡人が秦を避ける時、馬韓がその東界の地を彼らに割いたと自言していた。(同前)」と記されるように、多様な経路からの移住民が多く、また、朝鮮半島中・西北部は楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の植民地漢四郡が置かれ、漢の植民地だった時期に漢族が移住して土着化し、北部から中部にかけてを高句麗人が数世紀に渡って支配、流入した時期もある、東北部は渤海人、女真人などのツングース民族の流入が相次ぐなど、古代より中国をはじめ、東北アジア諸地域などより、多様な経路から移住民が多い。 高麗時代前時期における、流入した異民族の数は23万8000人余りに達する。                     (wikipedia渡来人)

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道標の星 島石浩司 @vbuy5731gh

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