第四話 ハハコグサのせい


 ハハコグサの花言葉 永遠の想い



『こら、穂咲。それは着ちゃだめだ。パパは許さないからな。人様の物を勝手に取るのは、悪いことだろう? ………………』




「ああもう! あああああもう!」

「立たされてるってのにうるさいの」

「卒業式を台無しにしておいて何を言いますか!」

「台無しくないの。素敵な答辞ができたの」

「あの茶番のせいで送辞の時間は無くなっちゃいましたけどね!」


 卒業式を終えて。

 最後のホームルーム。


 そう、最後だというのに。

 なんといういつも通り。


 ……いえ、厳密に言えば。

 いつも通りでは無いですね。


 先生による、最後の温情。

 俺と穂咲は、黒板の前に立たされているのです。



 そんな俺たちを見つめる六十の瞳は。

 どれもこれも、何となく慈愛に満ちて。


 だから俺を。

 こんなにもイラつかせるのです。


「みんなして、ああこれで見納めか~って顔しないように」

「そうなの。道久君の学校に行けばいつでも見れるの」

「もう立たないよ!?」


 だって、君が隣にいないから。

 俺はそんな言葉を。

 思わず飲み込んでしまいました。


 分かっているから口にしないで。

 まるで、君の瞳が。

 そう呟いているように思えたから。



 ……三月一日。

 高校の卒業式。


 学校を卒業するというのだから。

 きっと、それなりの知性を持っていなければいけないはずなのに。


「しかし、まいりました……。おじさんの発言がややこしいせいで、とんだドタバタ騒ぎだったのです」

「パパに酷いこと言わないで欲しいの」

「君も勘違いしていたのでしょうに。今までずっと、ウェディングドレスを着るなと言われていたと思っていたのでしょう?」

「まさか、道久君のドレスを着るなって言われてるとは思わなかったの」


 普通、卒業証書の授与なんて。

 厳格で張りつめた空気の中で行うもの。


 だというのに、穂咲のせいで。

 うちのクラスはご覧の通り。

 笑いっぱなし。


 ……でも、今日は。

 今日だけは。


 この、いい加減な空気にしてしまっているのが。

 ちょっぴりだけ、俺のせいでもあるんじゃないかと。

 思わずにはいられません。


「ああもう。結局、娘を嫁にやりたくないお父さん心でもなんでもなくて。穂咲の泥棒癖を叱っていただけじゃないですか」

「そんな癖無いの」

「じゃあ、君がかじってるチョコバーはどなたの品でしょう?」

「お腹ペコペコだったの。キャベツすら手に入らなかったし」

「ど・な・た・の・ものでしょう!」

「…………八割方食っちったから、哲学的にはもうあたしのもんなの」

「ニーチェもソクラテスも絶対に俺を擁護します!」

「シュレディンガーさんがそう言ってたの」

「ぽいけども! そのひと物理学者!」


 漫才でしかない俺たちの口喧嘩は。

 オチの都度、みんなを笑わせて。


 そしてオチの回数分だけ。

 先生の額に青筋が浮いていくのでしょうけど。


 ここからでは見えませんし。

 もう、これ以上立たされることも無いと思うので。


 今日は知ったこっちゃありません。



 最後ですし。

 無礼講なのです。



「よし、これで全部だな。ではこれからお前たちに最後の教訓でも話してやろう」


 そして先生は、みんなに向けて。

 最後のメッセージを語り始めようとするのですけど。


「ちょっと待って! 俺と穂咲! 証書貰ってませんって!」

「……お前らは、俺の話をまともに聞けたら卒業を認めてやる」

「なんて横暴な!」

「俺から見れば、式もめちゃくちゃにしておいて卒業させろと騒ぐお前らの方が横暴だ」


 むぐぐ。

 それは確かに。


 ここは大人しく。

 先生の有難いお話とやらを聞きましょう。


「……お前達は、本校で沢山の事を学んだはずだ。だが、教えられたことは覚えていても、それをここで学んだということは忘れてしまうものだ」


 先生が話を始めると。

 穂咲が袖を引いてくるのですけど。


 ねえ、それって。

 条件反射なの?


 今日はいくらなんでも。

 お相手しません。


 そう決め込んでいた俺の耳に届いた。

 小さなささやき声は。


「……あたし、先生のお話好きなの」


 意外にも。

 まともなお言葉。


 でもね?

 だったら静かに聞きなさいな。


「誰から、いつ教わったのか。それについて、皆は覚えておく必要はない。教わったことを体にしっかりと染みつけること。それが、教えてくれた者への最大の礼儀なのだからな」


 いつものだみ声が。

 岩を思わせるいかつい顔から響き渡る。


 でも、今日のお話は。

 ちょっぴり寂しく感じてしまうのです。


 だって、そんなことを言ったら。

 先生の事は忘れていいと言っているわけじゃないですか。


「教える、伝える、残す、繋げる。それはおおよそ人が行わねばならない最低限の義務だが、教わったことがしっかり身についていないうちに伝えたところで、それが誰かの胸に刺さることはない」


 あいも変わらず、先生のお話は。

 実に胸に刺さる。


 と、いうことは。

 先生には、それがしっかりと身についているということなわけで。


 なんだか、先生の先生にも。

 興味が湧いてきたのです。


 ……でも。


「俺もかつて、この話を誰かから聞いたのだろう。だが、その相手が誰だったのか、それは思い出せん。意外と、どこで誰に聞いたか分からん話というものほど、しっかり自分の言葉になっているもんだ」

「でも、そのご意見はちょっぴり寂しいのです」


 ああ、いけない。

 思わず妙なことを口走りました。


 慌てて口を押えたのですが。

 零れた水は、今更なかったことに出来ません。


「す、すいません。続けてください」

「……いや、気にするな。貴様がそう言ったということは、少なからずそう考えている者がクラスにいるという訳だからな」

「おお、さすが先生なのです。では、教えた人が自分の事を覚えていてもらいたいと思う気持ちと、教えてくれた人の事を覚えていたいという気持ちをご理解いただけると?」


 だって、ここにいるみんなは。

 先輩として、後輩たちにいろんなことを教えて来たわけで。


 自分の事を忘れられたら。

 寂しく思うのは当たり前なのです。


 それに、自分の為になることを教えてくれた人を。

 忘れるなんて薄情に思えるのです。


「理解はできるが、それを望むより、義務を果たすことを優先せよと言いたい」

「伝える事を?」

「そういうことだ。ひとつの言葉を教わった瞬間は、その人物とセットで覚えるものだろう。だが正しく後世に伝えるには、その言葉を自分の物にせねばならん。研鑽に研鑽を重ね、何度も繰り返し唱えているうちに、言葉はその本来の意味を持って光り輝くということだ」

「……自分の中で言葉を成長させていくから、一番初めに聞いたインパクトも、教えてくれた人さえ忘れるということ?」

「そうなるな。今の話を、将来お前達が道に迷った時の指針にすると良い」


 先生がそう結ぶと同時に。

 クラスの皆は、そろって頭を下げたのですが。


「でも、先生。そんなこと無いです」


 俺は、どうしても納得できなくて。

 文句をつけてしまったのです。


「……そんなこと無くはない。これは一つの真理だ」

「いいえ? 気に入っている言葉ほど、ちゃんと誰が教えてくれたものか覚えていますって」

「そんなことはない」

「あります」

「ないと言うのに」

「だって俺、おじさんが教えてくれたことは全部覚えてますから」

「やかましい。立っとれ」

「もう立ってます」


 俺の口答えに。

 とうとう返答できなくなった先生が。


 頭を掻いて困っているようなのですけど。


「あのですね、俺は穂咲のおじさんから教わったことを、おじさんが教えてくれたものとして全部覚えていますので」

「あたしも、全部覚えてるの」


 穂咲と二人で頷くと。

 少しだけ、表情を和らげてくれました。


 ……でも。


「いいや、そんなはずはない。お前たちの心にとけて、お前たち自身の気持ちだと思っているものは全部、教えてくれた相手を忘れているものだ」

「まだ言いますか頑固おやじ」

「頑固おやじ」

「立っとれ」

「立ってます」

「立ってるの」

「やかましい」

「先生の教えてくれたことも、先生が教えてくれたこととして覚えています」

「あたしもなの」

「お前たち……」

「勉強以外のことは」

「右に同じ」

「やっぱり立っとれ」


 

 ……とは言いながらも。

 俺も、実は思い出せないだけで。


 誰かの言葉を。

 自分のものとして使っているのかもしれませんね。



 でも。

 おじさんの言葉は。



 全部覚えていて。



 そのうちいくつか。

 ある程度身についているかもしれませんけど。


 全部、おじさんの言葉として守っているに過ぎません。



 ……はたして、それらが。

 自分の言葉になるのは。

 いつの日なのでしょうね。



 『こら、穂咲。それは着ちゃだめだ。パパは許さないからな。人様の物を勝手に取るのは、悪いことだろう?』



 そこで終わった、おじさんの言葉。


 いまはまだ、君には出来ていない事だけど。

 俺の物を平気で取るけど。


 おじさんの言葉として。

 覚えているから。

 

 いつかきっと。

 身につけることができる。



 そして、すっかり身についた言葉だって。

 先生は、さっき否定していたけれど。


 誰から聞いたのか。

 ずっと覚えていることができるのです。



「では、お前達にも証書を渡そう。……藍川穂咲」

「はいなの」



 高校。

 卒業。


 その日が来るなんて。

 考えもしなかった。



 三年前。

 不安いっぱいでくぐった門も。


 今では、もう。

 別れるのが辛いほど愛着がある。



 クラスの皆とも。

 これからも、繋がっていくことはできるけれど。


 でも。

 こうして教室に集まることは。



 もう、二度とない。



 先生の前に立つ。

 ウェディングドレス。


 卒業と。

 結婚と。


 共通して持つ二つの意味。



 とても幸せなことで。

 とても寂しいこと。



 でも、穂咲は。

 嬉しそうに証書を胸に抱くと。


 先生に改めてお辞儀をして。

 懐かしい話をするのです。


「……先生、言ってくれたの」

「何をだ?」

「困った時には、困ってることを大声で叫ぶの」

「うむ。大人になると体裁を気にして行わなくなるからな。これからも、困ったら迷わず誰かを頼れ」

「そうするの。そんで、それを教えてくれた人は先生なんだよって、みーんなに教えるの」

「…………そうか」


 そして先生は。

 ぼろぼろのウェディングドレスを着た穂咲の頭を、ぽんと撫でると。


 娘を持つ。

 一人の父親の顔になって。


 お父さんを亡くした少女が。

 無事に卒業できたことを。


 心から祝福してくれたのでした。



「……卒業、おめでとう」

「…………やっぱり先生は、パパみたいなの」



 おじさんの言葉も。

 先生の言葉も。


 きっと、ずっと忘れない。




『こら、穂咲。それは着ちゃだめだ。パパは許さないからな。人様の物を勝手に取るのは、悪いことだろう?』




 びしっと叱って。

 それきり黙って。


 でもどういう訳か。

 照れくさそうにしていたおじさん。


 そんな表情も。

 ちゃんと、全部覚えていますよ。



「パパは、人様の物を勝手に取るのは悪いことって教えてくれたの」

「はい。そうでしたね」

「でも、悪いことをした人を追いかけて捕まえるのは、ダメな事なの」

「肝が冷えましたよ、あの時は」

「道久君も覚えてる? 助けて欲しい時は、声を上げて大声で叫ぶの」

「はい。ちゃんと覚えていますので」

「先生が教えてくれたことなの」

「先生が教えてくれたことですよね」



 素直な君の言葉に。

 先生は、目に涙を浮かべています。


 そう。

 君は常に純真で。


 一緒にいるだけで。

 胸がスーッとして。



 おじさんは口にしなかったけれど。

 今の俺なら、思いますね。


 君の姿を見ていると。

 だれか他の人のところへ。

 お嫁さんに行ってしまうようで。


 だから、ウェディングドレスなんて。

 着ないで欲しいって。



 君は、俺の物でもないのに。

 そんなことを思うのは。

 ちょっと都合が良すぎるかも。


 でも、いつかちゃんと。

 言えると良いな。



 俺の物に。

 なって下さい。



 それさえ言えたら。

 君はきっと。



 ずっとずっとずーっと。

 俺のお隣りにいてくれるから。




 ~🌹~🌹~🌹~




 ……まだ小さいのに。

 こんなに小さいのに。


 娘というものは。

 生まれたその瞬間からずっと。


 父親に涙させるというけれど。


 僕はまだ、一人前の父親じゃないから。

 そのことを受け入れることが出来なくて。



 つい、声を荒げてしまった。



 芳香さんがここにいたら。

 僕を𠮟りつけていたに違いない。


 でも、思わず言わざるを得なくなってしまったんだ。



 ……花嫁衣装に身を包んだ。

 そんな君を見て。



 胸が熱くなって。

 むきになって口にした言葉。



「こら、穂咲。それは着ちゃだめだ。パパは許さないからな。人様の物を勝手に取るのは、悪いことだろう? ……君が誰のものになるかは知らないけど。穂咲はずっとずっとずーっと、パパの物なんだから」



 ――穂咲は喜んで。

 僕にしがみついてくれたけど。


 こんなことも。

 きっと高校生くらいになったら。

 忘れてしまうに違いない。


 きょとんとした顔の道久君も。

 きっと忘れてしまうのだろう。


 ああ、そうか。

 僕の想い。

 君が継いでくれるかい?


 今の言葉。

 僕が言った言葉として覚えて。

 しっかりと継いでほしいな。


 ……いや。

 僕が言ったなんて。

 忘れてしまうほど。


 君の胸に、しっかりと。

 とかして欲しい。



 そうすれば、穂咲は。




 ずっとずっとずっーと。

 僕のお隣りにいてくれるから。




 ~🌹~🌹~🌹~




「……では、仕方がないからこいつをくれてやる」

「なんてひどい。それを渡さなかったと知れたら先生の立場が危うくなるのではないですか? そもそも……」

「最後まで口を開かずにいたらな」

「むぎゅ」


 穂咲のとなり。

 いつもの右側に立った俺は。


 先生の前で一呼吸。

 彼が手にした卒業証書を見つめます。



 いろんなことがあった高校三年間。

 俺は、これを手に出来るほど。

 成長できたのでしょうか。



 すぐ隣では。

 穂咲が俺の顔を見つめていて。


 そんな君の成長は。

 驚くばかりでした。



 この学校で。

 大人な意見を言えるようになって。

 大人な視野を身につけて。


 そして。

 ウェディングドレスが似合う程。


 横顔まで。

 大人になりました。



 ……ほんとに。

 綺麗になりました。



 気付いていたことだけど。

 自分の気持ちに。

 ウソをつき続けて来たけれど。


 これからも俺は。

 ずっと。

 ずっと。


 君のことを……。



「……ねえ、道久君」



 あぶなっ!

 危うく返事をしそうになりましたよ!


 なんというトラップ。

 なあに? 君はおれを卒業させたくないの?



「あのね? どうしても思い出せないことがあるんだけど」



 ……は?



 この期に及んで何を言い出しました!?



「目玉焼きの味、思い出させて欲しいの」


 また目玉焼き!?

 今度は何!


「小さい頃にたべた、しょっぱくて優しい味の目玉焼き。あれ、どんな調味料?」

「もう忘れたのかよ!」


 ウソでしょ!?

 なにそのゴール一つ手前のふりだしに戻るマス!


 クラスの連中もお腹を抱えて笑いながら。

 俺に同情の言葉をかけてくれるのですが。


「ああもう、帰ったら焼いてあげますので。君は泣ける映画を探しておきなさい」

「…………サスペンスホラー?」

「それは卒業式ん時の君!」


 最後の最後でどうしようもない。

 俺は気を取り直して。

 卒業証書に手を伸ばすと。


 それを、ひょいと持ち上げられてしまったのです。


「子供かっ! なんの真似です!?」

「しゃべるなと言ったはずだ」

「……あ」


 いやいやいや。

 今のはしょうがないでしょ!?


「そもそも、証書を手渡すに当たってなんたる態度」

「す、すいませんその通りです!」

「秋山」

「はい!」

「立ってろ。……向こう一年くらい」

「留年しろって事!?」

「一年だまっていられたら、こいつをくれてやる」




 俺は。


 これからもずっと。



 穂咲のことを。

 好きなのか。

 嫌いなのか。



 考え続けることでしょう。



 それに答えが見つかる日は。

 まるで見えやしないのですが。


 とりあえず、今は。




 嫌い。




「道久君、なんか辛そうだけど。助けて欲しい時は、声を上げて大声で叫ぶの」



 それを教えてくれたのは。

 どなたでしたっけ。


 よく思い出せませんが。

 既にそれは、俺の中の常識なので。



 俺は、お腹の底から。

 力いっぱい。


 心からの『助けて』を。

 大声で叫んだのでした。



「なにもかにも! ぜんぶ! 穂咲のせいなのです!」






「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌



 完


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 30冊目🌸 『思い出は いつか心にとけて』 如月 仁成 @hitomi_aki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ