Ep03.牙の獣

 —アスタニア帝国、皇帝領・バチカン。


 ゲオルク達が暗躍しているという情報は、時の皇帝—アンドレアス7世のもとにも届いていた。


「黒のギルドを中心に何やら怪しい動きが始まっております。如何なさいますか?」


「そう焦るでない。所詮は下級貴族共の戯れだ」


「左様でございますか。それでは、引き続き観察を行います」


 そう言い残して、側近は深々と礼をし帝前を去ろうとしたのだが、数歩も行かぬ内に踵を返した。


「そういえば、もう一つ報告が...黒のギルドの創設者であるハイネマン侯ゲオルクとヴルートブルク家の跡取りが接触したそうです」


 先程まで呑気に構えていた皇帝の目の色が変わる。


「ほう...報告ありがとう」


 しばらくの沈黙の後、ただその一言だけを告げ、表情が翳ったのを視るなり、側近は何かを察したような足取りでその場を去っていった。

 皇帝の心中には一抹のどす黒く不吉な予感がべっとりとこびりついた。













「おい新入り!いつまで寝てんだよ!」


「ふぁ...?」


「寝ぼけてる場合かよ...いいよなぁ、お子様は呑気で」


「誰がお子様だ!」


 革命戦争を目前に、シュヴァルツィエは問題だらけの新人—アーベルに手を焼いていた。


「今日はバルリング伯から対人格闘の御指南があるんだぞ...!それなのに、なんだその態度はッ!」


「バルリング?誰だか知らねぇけどよぉ...強ぇのか?そいつ?」


「はぁ...全く、本当に何も知らないんだな。黒の猛犬—バルリング伯ヴィルヘルム。シュヴァルツィエ一番隊隊長にして、マスターからも一目おかれる素晴らしいお方だ!」


「ふーん...そんなもんか。じゃあいいや。もうちょっと寝る」


 アーベルはまるで興味がないように個室の小さなベッドの上で欠伸をして見せた。

 彼の横柄なその態度は、ヴィルヘルムの指南など受けたこともない世話役の三番隊—クラウスにとって屈辱以外の何物でもなかった。

 心のたがは外れ、本人にも無意識のうちにクラウスはアーベルの胸ぐらを掴み、今にも殴りかかろうとしていた。


「アーベル...アーベル・フォン・ヴルートブルク...!貴様は...貴様だけはッ!」


 しかし、言葉にならぬ忿怒と共に振り下ろされた拳は、アーベルの顔面に達する前に、背後から伸ばされた別の力によって抑えつけられた。


「嫉妬かはたまた羨望か...醜いねぇ。—クラウスと言ったかな...君が三番隊止まりなのもこれを見れば納得であるな」


 クラウスはその口調や声色に聞き覚えがあった。いや、聞き違えるはずもなかった。

 自らの怒る拳を制する者の正体—それこそが、まさにかのである、と。

 恐れながらも振り返るとそれは遂に確信へと変わった。


「バ...バルリング伯」


 それは今にも泣き出してしまいそうなほどか細い声であった。


「戦場につまらん感情を持ち込むでないぞ、クラウス子。言っておくが、ウチには味方や仲間などどこにもありゃしない。信じれる者は己自身、ただのそれだけである。弱肉強食ですらあり得ない...ココは"強肉強食"の世界なのだよ。...分かったかね?」


 光を失った眼の奥と、対照的ににこやかな口元がいやに恐怖を掻き立てる。

 猛毒の牙に噛みつかれたクラウスは、言葉を失い、やがてその場に気絶した。


「さて...噂には聞いてるよ、アーベル君。私と果たし合うつもりはないかね?」


「あんたが猛犬とやらか...。やってやってもいいけど...死んでもしらねぇぞ」


「フフフ...気に入った。威勢の良いガキは嫌いじゃない。修練場で待っている、その気になったら来るといい」


 そう言って、彼はレザー製の黒い手袋を両手に履かせながら足早に部屋を後にした。

 先程までとは打って変わって、アーベルの眼には彼の背中が焼きついていた。大きな何かを背負った、その背中が。













 —シュヴァルツィエ、修練場にて。


「...待ちくたびれたよ、アーベル君」


 中央で腕を組んだまま直立する猛犬。


「悪いな、一眠りさせてもらった」


 首を鳴らしながら徐に歩み寄る若獅子。


「ほう...随分と余裕であるな」


「さっさと捻り潰してやるよ、飯が食いてぇんでな...」


「フフ...飢えた若獅子か、こいつは凶暴そうだ」


 睨み合う二人—否、二頭の獣。


「ハイネマン侯からは『殺してもいい』と許可を頂いているのでね...君もでかかってきなよ?」


「お前のほうこそ、舐めてかかってきたら殺すぞ」


「あぁ...先程も言ったが、馴れ合うつもりなどはなから無いのでな...」


 間合いを取った二頭は、まもなくほぼ同時に叫んだ。


覇道レガリアッ!!」

「覇道...!」


 それに共鳴し、ヴィルヘルムの義眼の右目と、アーベルのペンダントが黒く煌めく。

 —瞬間、一気に間合いを詰めたヴィルヘルムは、引っ掻くように左腕を振り下ろす。

 アーベルは身を翻し、既の所でそれを躱したが、暫くして右の足首から血が吹き出した。


「アアアアァァァァァ...!!」


 突然の出来事に悲痛な叫びを上げるアーベル。

 そのまま後方に吹き飛び、立ち上がることができなかった。


「...勝った」


 勝利を確信したヴィルヘルムは、トドメの第二撃を繰り出そうと再びその場で左腕を振り下ろした。

 数秒後、掠めるどころか、触れてすらいないアーベルの傷口からさらに血が噴き出る。それに合わせて、アーベルの叫びも一入強くなる。


「私の獣が匂いを覚えた。もう君に逃げ場はない...」


「それが...お前の覇道か...」


「そう、私の覇道—《牙の獣ハウンド》は、血の匂いを覚えた相手を死ぬまで追い続ける貪欲で獰猛な獣なのだよ...素敵だろう?」


 そうして、身動きすら取れなくなったアーベルを微笑む目で見つめながら、残忍にも三度目の牙を振るった。


—革命戦争まで残り17時間

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