Ep05.開戦

「お父様、わたくしどこにつれていかれてしまうの...?」


「安心しなさい、シャルロッテ。ここよりずっと楽しいところだよ」


「たのしいところ...?」


「そうだよ。楽園のようなところだよ」


「やったー!それじゃあ...いってくるね、お父様!」


「あぁ、行ってらっしゃい」


 引き取られていく娘をぎこちない笑顔で送り出した父の背中には哀愁が満ち満ちていた。


「...元気でな」


 零れ落ちる涙滴のなんと美しいことだろうか。

 人の悲しみとはこのように常に麗しき輝きと共にやってくるのかもしれない。アスタニアの柔らかな朝焼けが、今日は嫌に眩しかった。













「『ドラコ・ロッソ』が攻めてきました!」


 深夜のゲルマニアを駆け抜けたのはそんなニュースであった。


「ラインハルト...兵達を集め、お前はここに残っていろ」


「えぇ、初めからそのつもりですよ...」


 寝静まっていた『シュヴァルツィエ』が不意に騒がしくなる。

 寝ぼけて状況が掴めていない者や焦って走り回る者もいた。

 それからしばらくして、ゲオルクの号令を聞き、1000を超える貴族兵達が一斉に広間へと集結した。

 大きな欠伸をしながら最後尾を行くアーベル。

 屈強な一番隊を率いて先頭を行くヴィルヘルム。

 まるで対照的な二匹の獣だが、その目の奥にある『黒』は同じであった。


「『ドラコ・ロッソ』が南門を越えてゲルマニア内に進軍したらしい。貴族としてあるまじき破約の進攻だ。いいか...これはお前たちが想像しているような単なる"戦争"などでは断じてない。一つになるための、アスタニアの未来のための"戦争"だ!...気を抜くなよ」


 頭上から降ってくるようでいて、足元から突き上げてくるようでもある覇気に溢れた言葉は、兵達の心に炎を灯した。


「...後は頼んだぞ、ヴィルヘルム」


 ゲオルクは隊長—ヴィルヘルムの背中をトントンと叩いた。


「任せてくれ。あぁ、そうだ...」


 ヴィルヘルムの視線が列の後ろへと抜ける。


「アーベル君。君も一番隊ウチに来るといい」


 兵達がざわつき始める。

 兵にとっての憧れの一番隊。そこに急遽任命されたのは入団から僅か数日の問題児であったからだ。


「バルリング伯、失礼ですが。どうしてあのような男が一番隊に指名されるのでしょうか!」


 声を上げたのは世話役のクラウスであった。

 それに多くの三番兵が賛同する。


「...クラウスと言ったかな。何度も言わせるな。ここは"弱肉強食"の実力至上主義社会だ。牙を持つ者が持たざる者を支配する—そのルールに例外はない。異論があるならここでその男を殺してみせることだな」


 騒ぎ立てる兵達の間を割って、アーベルはヴィルヘルムの許へと眠そうに向かった。


「眠いんだ...とっとと終わらせようぜ」


「そうだなぁ...夜が明けるまでに終わればいいんだが」


 肩を並べた猛犬と若獅。その背中は大きさにこそ違いはあれど酷似していた。


「行くぞ!ゲルマニアの誇りにかけて!」


 ゲオルクの出軍を告げる力強い宣言が、ゲルマニアの夜天を切り裂いた。













「まだ呑むのか?イーヴォ。程々にしとけよ」


「ちからが〜ひっく、みなぎる〜」


 ウイスキーのボトルを片手に千鳥足で歩くイーヴォとそれをするアンジェロ。

 ゲルマニア民族自治区、南門を超えた『ドラコ・ロッソ』は、心臓部である『シュヴァルツィエ』を目指していた。


「あまり民に迷惑をかけるなよ。俺たちの狙いはあくまでもギルドだからな」


 アンジェロが後ろを歩く兵達に語りかける。

 心得顔ではい、と返事をした兵達は民を起こさぬよう静かな足取りに変わった。


 —一方、西門付近。


「ラファエロ様、どうやら黒のギルド達が動き始めたようです」


「楽しみだなァ...ウヒヒ。先ずはこっちから仕掛ける...。そんで、ゲオルクをオレがヤる!いいなァ!」


 始終、喧嘩腰のラファエロは半ば脅迫のような態度で背後の兵を殴った。

 恐怖心のためか兵達は「...は、はい」と震え上がりながらそれに応じた。

 しばらくして、北の方から微かに足音が聞こえ始めた。


「...来たか」


 ラファエロはニヤリと口角を歪め、後ろに続く兵達に行け、という意図のハンドサインを送った。

 それを受けた兵は西門から目抜き通りに向かって突撃する。













「——ッ!」


 西からの赤の軍の奇襲に怯み、前線は一気に押し上げられる。

 しかし、それを後方から眺めるヴィルヘルムに動じる様子はない。


「怯むな!突っ込めぇ!!」


 彼が咆哮のような檄を飛ばすと、形勢は一気に入れ替わり、前線を押し返した。


「奇襲に次ぐ奇襲とは..奴ららしくないな...」


「ああ...それに向こうの覇者ロードどもが全く見えない...何か妙だぞ」


 ゲオルクとヴィルヘルムには唯ならぬ予感があった。


「...アーベルは何処へ?」


 さらに、共に来ていたはずのアーベルの姿が見えず、訝しく思ったゲオルクはヴィルヘルムに尋ねた。


「ほう...たしかに、先ほどから姿が見えんな」


「まぁ...気にすることはない。あいつなら独りでも十分だ」











 —『シュヴァルツィエ』正門前。


「アーベル殿、どうして帰って来られたのです?」


 ゲオルクの指示でギルドに残っていたラインハルトが、早々にして帰ってきたアーベルに気が付いた。


「俺の出番がなさそうだったからだ」


「はぁ...そうですか」


 不測の事態を前に彼がここまで冷静であるのは、その出来事が彼にとって不測でなかったからである。


 ラインハルト・バックハウス

 —覇道レガリア:《神の賽ダイス》。


「それならばアーベル殿、一緒に東へ向かいませんか?」


 彼には確かな目論見があった。


「東...?どうして?」


「来てみれば分かりますよ...フフフ」


 その不敵な笑みに釣られるがまま、アーベルは彼と共に東門の方へと歩き始めた。


「そういえば...アーベル殿、以前から聞きたかったことがあるのですが...」


 道中、ラインハルトは畏った態度でアーベルの方を向いた。


「...なんだ?」


「えぇ、実はヴルートブルク...と聞いて『さては』と思ったのですが、貴方の父親は...」


「—おい!イーヴォ!誰かいるぞ!」


 ラインハルトが言い切らないうちに、向こうから同じように歩いてくる二人の男に出会した。

 片方はガタイの良いいかにも屈強な男。

 もう片方は、酔ったようにフラフラと覚束ない肥満の男であった。


「おやおや...呑気に質問なんてしている場合じゃありませんでしたね」


 相手の顔が分かるやいなや、うってかわって眼鏡を人差し指でクイッと押し上げ、真剣な眼を向けた。


「...ドラコなんたらとかいうとこの輩か?」


「えぇ...予想通りでした。それも、一番隊の最強コンビです」


「へぇ...そいつはおもしれぇ」


 それを聞いて退屈そうだったアーベルも眼の色を変えた。


「あの眼鏡...シュヴァルツィエの...!」


 対するアンジェロも相手の正体に心当たりがあった。


「なぁ〜...アンジェロ〜あのチビだれ〜?」


 その傍ら、イーヴォはラインハルトの左隣にいる少年を指さして首を傾げた。


「確かにあんな小僧見たことないな...ただの市民か?」


 アンジェロも、見慣れない少年の姿に当惑していた。


「...アーベル殿。幸運なことに、貴方の顔はまだ割れていないようです。一般市民を装って仕掛けましょう」


 しかし、ラインハルトがそう指示し終えた頃には、既にアーベルの影はそこにはなかった。


「アンタら強ぇみてぇだな...殴り合おうぜ」


 二人の前で仁王立ちして挑発するその姿は、まさに何にも恐れぬ若き獅子の姿そのものであった。

 ラインハルトはそれにやれやれと呆れつつも、彼という存在の登場に期待を寄せてもいた。

 彼ならばアスタニアを一つにできる、と。

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