第2話 千葉シオン編
from;midori_shiro@☓☓☓.co.jp
碧子へ。
一年ぶり! 医学部の二年生になったんだね。そしてもうすぐ三年生。東京は楽しいだろうないいなあ。
姉ちゃんはまだ、北陸新幹線に乗っていないから、簡単に東京まで行けてうらやましいです。お母さんにもお父さんにもいつでも会いに帰ってこれるしね。
勉強ばっかりで大変だと思うけど、きちんと泣けるようになりましたか?
この一年、それは心配でした。おばあちゃんが亡くなったのは、姉ちゃんも悲しいけど、それはどうしようもないこと。碧子がお医者さんになっても、助けられない命はあるってことを知っているよね。
だから、しっかりと悲しんで、忘れないであげて。
そしてそして、今年のお願いはこれです!
今年こそは、彼氏を作ろう!
気になっている人はいますか? 素敵な男性はいくらでもいます! 多分。
勉強をおろそかにしなくても、碧子だったらうまくできるでしょう。
誰よりもきれいになった自慢の妹の姿、見たかったなあ。まあ、私のことは気にしないでね。
そっか、二十歳になったんだね。碧子も。私も。ハッピーバースデー。
二〇一七年三月一四日 白山
二十歳になった碧子は、千葉県の大学徒歩七分のアパートで誕生日を迎えていた。去年までは尾山神社の写真館で家族写真を撮っていたのだけれど、医学科の春休みは忙しい。毎日実習で、帰ってきてぐったりしているところに例年どおり、みどりからの「クエスト」メールが届いた。
「まるでクエストだな」
「クエスト?」
「そう。碧子はゲームしないからあんまり聞かないのかもね。課題だな。毎年、達成してほしい、って課題をみどりからお願いされて、碧子はクリアする。それで経験値がもらえてレベルが上がるんだから、クエストなんじゃない?」
十八歳になった碧子は、誕生日の一週間前に第一志望の国立大学医学部医学科に現役合格をした。ついでにシオンも。シオンはもっと上の大学を狙えたけれど、碧子と競うように勉強をしていて、同じ学部学科を受験する羽目に。だから、一時期はライバルだといって口も聞かなかったけれど、合格すれば幼馴染同士喜びも倍増だ。
この年の誕生日、三月一四日。碧子とシオンは揃って東京に向かっていた。大学の手続きとアパート探しのため、二泊三日の行程である。乗っているのは、ちょうど今日開業した北陸新幹線「かがやき」のグリーン車。奮発して父が買ってくれたペアチケットは、ちょっとしたクラスでの話題の中心になった。冬深い金沢と光の町東京がこの日から一つにつながる当日に、東京に出る碧子は難関への現役合格という実績も含め先生からもいいな、と言われる始末。そして隣に座るシオンはそれはもうさんざんにリア充とからかわれたのである。お弁当を食べたあと、シオンにならば話してもいいかな、と思った碧子は、毎年みどりから届く誕生日メールについて打ち明けた。
「このクエスト、いつまで続くのかな」
「さあ。大学に合格したんだから、これで終わりなのかもな」
「ええ? それは、……寂しいな」
一方的なメールだけど、そして本当はもうみどりが死んでいることは受け止めているのに、碧子はたった数キロバイトのメッセージを本当に大切にしていたのだから。
「寂しいと思ったら、来年もまた来るんじゃないの」
「なにそれ! ……あっ、スカイツリー!」
東京が、車窓に林立していく。
恋を自分からしよう、そんな難しいことを言われても。と、碧子は悩んだ。泣くなと言っておいて我慢させたくせに去年はもう泣いてもいい、と言った気まぐれなみどりのクエスト。今度は恋人だなんて性急なことを指示してくれるなあ。
「もしもし、碧子? 今東京駅に到着したよ」
「はいはい。千葉駅まで来てよ。迎えに行くから」
毎年の行事は正月やお盆と変わらず、今年は両親が東京観光を兼ねて千葉までやってくる。そして、写真館で変わらず写真を撮った。わざわざ白衣を持って来てという母のお願いのとおり、成長する姿を今年もファインダーにおさめてもらう。
ただ、両親が持つ祖父母の遺影を見ると、みどりがいなくなってからの時間が経ったなあと寂しく思えた。
「勉強ばかりで、恋人の一人でもできたの?」
「一人でも、だなんて、二人や三人いたらどうするの?」
「それは、父さんが許さない!」
「大丈夫。全然そんな暇がないから」
この年。はじめてみどりクエストをクリアできなかった。あの先輩は、とか、今度きた研修医は、とか、様々な情報をシオンから貰ってもどうにも興味がわかない。幼馴染だから気が付かなかったけれど、小さなシオンはいつの間にか百八十センチを越えるまでに成長し、折れない精神を持って医療に立ち向かっている。その姿をいつも誰よりも近くで見ていたのだから、別の男に対しての興味なんて湧きはしない。シオンが自分のことには鈍感で、他の男を紹介してくるものだから、まともな恋なんて考えもできなかったのだ。
しかしみどりもしつこいもので、三年連続で「恋人をつくろう」だなんて、よほど恋愛脳な姉だったんだなあ、と今になって思う。そう。碧子は大学四年生。二十二歳になった。十三回目のみどりクエストにも「今年こそ」と書いてあったのである。そんな暇、病棟実習真っ只中の碧子には無いんだとわかっているくせに。十三回忌はしっかりと泣いて、ついに今年の家族写真には、みどりの席を外してもらった。忘れるんじゃない。三月十四日に逐一思い出す必要が無いともう家族全員がわかったからだ。
大学五年生の冬。碧子はシオンと二人金沢に帰った。突然の訃報、シオンの父親が亡くなったのである。長男であるシオンを叱咤し、無理やり連れ帰る役目だ。辛いけれど、碧子にしかできないと頼まれたので憎まれてでもシオンを新幹線に押し込んだ。
「シオン。あんた長男だからって、我慢しなくていいんだよ」
「我慢って、俺」
「泣いていいんだ。みどりだって、それを許してくれるから」
「碧子……父さんが……うわあぁぁ」
窓側の席に座らせたシオンが通路から見えないように、二時間半。ずっと碧子は支えながら、いつの間にか眠ってしまった日の夜を、生涯忘れることは無い。医者としての矜持、家族である想い。その板挟みでどうすることもできなかった感情を受け止めてくれた大切な幼馴染のことを。
長い時間が巡り巡って、みどりが亡くなってから十五度目の三月十四日がやって来た。令和三年。去年の誕生日は写真を撮る暇も無く、感染病対応でばたばたとしていた碧子とシオンであるが、二人共医師国家試験に合格し、碧子は金沢の病院、シオンは大学病院への配属が決まっていた。
その別れの二日前のことである。千葉の大きなホテルのレストランにシオンは碧子を呼び出した。誕生日祝いだという、大学お疲れ様会だ。
「おめでとう碧子」
「ありがとう。私たちの腐れ縁も、ここまでなんだねえ」
二十四年間ずっと一緒だったのだから、思えばみどりよりも長い時間をこの幼馴染と過ごしていたのだった。
「うん。そうなんだよな……なあ碧子」
「ねえシオン」
二人の声が重なった。その時、ウェイターがオードブルを運んできてしまい、タイミングを見失う。コースのフランス料理はどれも美味しくて、慣れないワインもおかわりを頼んでしまう。
「聞いておきたかったんだけど、シオン。あんた、みどりのフリして毎年メールくれたよね?」
「……ぉぅ」
デザートがやって来る頃。十五年黙っていたことを打ち明ける。あのタイミングで碧子のメールアドレスを知っているのは家族とシオンだけだった。シオンのメールアドレスは知らなかったし、毎年メールが来るアドレスはみどりのものとは別のものである。
「俺、碧子に」
「ありがとね。あんたのおかげで、医者になれた。みどりのおかげだ、って思っていたかったけど、実際姉ちゃんのおかげだけど、シオン。シオンのおかげだよ。ありがと」
「怒ってない?」
「それはだいぶ前のことだよ。恋人恋人、ってあんたしつこいから」
「だって! そっちのほうが碧子は幸せになれるって」
「私は! 他の人よりも!」
他の人よりも。と言って、その先何も言えなくなってしまった。赤ワインよりも真っ赤に染まっているであろうこの顔をシオンに見られたくない、ととっさに手で隠す。
「碧子」
「なによ」
「好きだ」
「えっ」
目の前のシオンが、こちらも顔を真っ赤にして言った。
「やっぱり、他の誰にも譲りたくない。俺と、付き合ってほしい」
「私でいいのね」
「ああ。それと、誕生日おめでとう。碧子」
「ありがとう、シオン」
ようやく、二人は恋人になった。なんだか微笑ましいものを見たなと店内は暖かな雰囲気になる。
「もう、みどりクエストは?」
「やらないよ。クリアしたからね」
帰り道。手をつないで歩く碧子とシオン。共通の話題はたくさんあるけれど、今日ばかりはみどりの話だ。大切な幼馴染、大切な姉、そして二人を結んでくれた人。足を止めた、碧子のマンションの前で二人は向かい合い、どちらからともなく目を閉じて顔を近づけていく。その時。碧子の携帯が、メールを受信する音を発した。
「もう! ……みどりだ。シオン?」
「違うよ、今年はやっていない!」
うっそお! と受信したメールを開くと、タイトルも送信人も文字化けをしている。数字も全部読み取れない。それでも。
『碧子、そして幼馴染へ もう、私を忘れて二人で幸せになってね。 翠子』
二人は、小さな画面を覗き込んで、これだけ読み取ることができた。顔を見合わせて笑うと、次の瞬間その文字もふっ、と消えてメールそのものが消失したように見えた。
「そのクエスト、受けられないな」
「そうだねっ、うわぁっ!」
ぶわあっ、と強い春風が舞い上がる。二人の声を空の上まで届けるように。
おわり
みどりクエスト 井守千尋 @igamichihiro
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