みどりクエスト
井守千尋
第1話 金沢ブルー編
白山
毎年、お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんからたっぷり祝ってもらい、必ず家族写真を尾山神社近くの写真館で撮ることにしていた。
真ん中に二つの椅子。左側に座るのは碧子だ。後ろには両親、その左右に父方の祖父母がならんで、ちょっとだけおめかしをして撮る写真だ。
十四才になった碧子は、去年に引き続き中学校の制服を着ている。来年も中学校の制服で、次の三年間はどこに進学するのかはわからないけれど、高校の制服になることは確定だ。浅野川中学はブレザーなので、おしゃれなセーラー服の高校の制服がいいなと思う。
「にっこり笑って!」
この年ようやく、家族はこの日を心から笑えるようになった。
みどりへ。碧子は、無事十四才になりました。
自室に戻り、碧子はぼうっと携帯の画面を見つめていた。お待ちかね、メールの受信音がする。
「来たッ!」
from;midori_shiro@☓☓☓.co.jp
碧子へ。
一年ぶり! 元気にしていることを姉ちゃんは願っています。生徒会長にはなれたかな?
今年のお願いは、これ!
金沢高校に合格すること。
碧子が金沢高校に入れる成績なのかわかりません。でも、姉ちゃんの妹ならきっと入れると思います。
金沢で一番の進学校に碧子が入れたら、きっと人生は楽になると思うし、姉ちゃんの願いに近づけるのかなと思います。
勉強がんばって!
二〇一一年三月一四日 白山
碧子は、はぁーっ、と大きく溜息をついた。碧子の今の成績は、上の下だ。このままそこそこの進学校には入れたとしても、金沢高校に進むことは難しいだろう。自分ではまず、選ばない選択肢。それでも。
「お母さん!」
碧子はためらいなく、母親に進学塾に入りたい、金沢高校に入るために。そう伝えたのだった。
一年間の勉強漬け、その成果を結べるかどうか。碧子は今までになく緊張してこの場にいた。四年目の生徒会長選挙に立候補したときも、三年目の初めての家出をしたときも、こんなに緊張はしなかったのだから。ただ、みどりの言う通りのことを実行しただけ。いずれも、毎年三月一四日から半月の間に実行してきたいわばルーティンワークに過ぎない。
しかし、今回は違った。朝、六時に起床して、朝ごはんまでの数学ドリルをこつこつと続けたり、寝る前に必ず英単語を五〇個ずつ暗記を続けたりして、諦めることなく、くじけること無く。金沢高校の合格発表の場にいる。奇しくも今は三月一四日。毎年必ず家族で撮っていた写真も、今年だけはちょっぴり延期してもらう。
「571番……、571番……」
周りの受験生たちは、みんなが碧子よりもずっと頭が良さそうに見える。きっと彼らもそう思っている。だから、深く気にしちゃ駄目なんだ。
『碧子が思っていることは、姉ちゃんも思っていることなんだよ』
「ごひゃく……、あ、あった!」
張り出された番号の中に燦然と輝く碧子の受験番号。こうして、碧子は見事、金沢高校に合格を果たした。ちょうど一年。辛いことはたくさんあったけれど、碧子のそして翠子の望む合格を手にすることができた。
「やった、やったよお母さん!」
「よかったね、碧子」
「やったよ、みどり……!」
その喜びの声は、双子の姉には決して届きはしない。でも、碧子はみどりが背中を押してくれたから、合格できたのだと信じて疑わなかった。嬉しさに泣きそうになる。でも、約束したんだ。
もう、泣かないって。
白山翠子、碧子は双子の姉妹。待望の第一子がまさかの双子で、白山夫妻には一気にかしましくもてんやわんやな日々が訪れたのだった。いたずら大好きなお姉ちゃんの翠子、そしていつもみどりの真似をしてちょっぴり要領の悪い碧子。お姉ちゃんのみどりがかならず助けてくれるから、甘えんぼで泣き虫で、それでも天真爛漫な妹。
誰からも愛されて、まっすぐ育った二人は、三月一四日。揃って九才の誕生日を迎えた。 その日の金沢市内は、非常に冷え込みが厳しく、前日には溶け始めていた雪が仇となって道路がすべて鏡のようにおそろしく凍結していた。福井県、富山県はどちらも大雪で、JR北陸本線も小松空港もまともに利用ができない状況。幸いなのが、この日は土曜日で、あんまり通勤・通学に影響が無かったということだろう。両親と双子は四人で揃って郊外のショッピングモールへ。誕生日プレゼントを買いに、そして大きなケーキを買ってもらいにでかけた、その最中のことだった。助手席側の後部座席に座っていた碧子は突然、みどりに思い切り身体を引っ張られて、みどりが覆いかぶさるように床に押される。どうしたの、と尋ねる間もなく大きな音、衝撃と痛みが突き上げてきた。気がつけば天地が逆さまになって、身体が濡れていくのがわかる。意識がなくなるまで、ずっとみどりは笑って、大丈夫だよ、と言っていたけれど、表情から光は失われていった。
交通事故。トラックがスリップし、中型のバンにぶつかってからの五台玉突き事故に巻き込まれてしまったのである。
次に碧子が目覚めたのは、三月二〇日だった。もう六日も過ぎ、半ばあきらめていた家族は泣いて喜んでいた。母は左腕をギプスで固定していたし、父は頭に包帯を巻いていたけれど、それでも軽症だったという。
「みどりは?」
目覚めて一言目に発したのは、姉の心配だった。両親は何も言えずに、その場に泣き崩れてしまう。
みどりは、碧子をかばうようにして亡くなった。
傷心状態な碧子。小学校四年生に上がってからの一年間はまるで記憶が抜けていた。何も手につかないし、誰もがはじめは優しい言葉をかけてくれたけれど、夏休みも前になれば誰だって碧子に近寄ろうとはしなかった。みどりと仲が良かった子は碧子を責めたりもしたけど、ずっと放心で泣いていた碧子をいじめたって、なにもいいことは無かったのだから当然だろう。
そんな、碧子にずっとかまってくれたのは、ずっと幼馴染だった少年・
「碧子は碧子だよ。僕は碧子がいてくれてよかったって思う」
よくできた幼馴染だ。年齢の割に小柄なシオンは、どこにパワーがあるのかというくらい元気いっぱいな少年で、地域のスポーツ少年団では高学年に混じって野球チームのレギュラーに入っていた。
「本当? 私がいてもいいの?」
「いなきゃ駄目だよ。僕は、みどりも碧子も、どっちもいなきゃ駄目だったんだ。でも、もうみどりはいないんだから、なおさら碧子がいなきゃ駄目」
マセたやつ、と思いながら、大切な友達。みどりがいなくなっても、シオンがいてくれるから、高校生になる今まで碧子はがんばってこれたのだと思う。
そして。
翠子の一周忌。碧子の十歳の誕生日。はじめて家族全員で写真を撮った。ぽっかりとみどりが座る席が空いているけれど、これはこの日だけ、しっかりとみどりを思い出す必要があるからだ、と母が言い出したこと。涙に濡れてこの年はまともな写真が撮れなかったので、碧子にしてみれば黒歴史でもある。
みどりの一周忌を迎えたその日の夜。
つい先週買ってもらったばかりの携帯メールに、来るはずのないみどりからのメールが来たのだ。
『もう、泣かないで。姉ちゃんと約束しよう』
その一言だけ。今から思えば、姉であっても十歳だ。拙い文章しか書けなかったに違いない。いたずらだと、どこかで思っていた碧子。でも、もし。本当に天国のみどりからのメールだったとしたら。
このことは、誰にも言ってはならない、そんな気がして。みどりへの思いはいくらでも溢れてくるけど。返信もしないし、受け取ったメールの文面だけがあるけれど。
碧子は、姉の願いを守ろうとがんばることにした。
あの日から五年。一度も碧子は泣かなかった。
十一歳の誕生日。みどりは碧子に、「いつも笑顔でいてね」と願った。
十二歳の誕生日。みどりは碧子に、「もう中学生になるから子供らしいことをしておこう」と願った。
考えた結果、それは家出をするであり、失敗したなあとは思った。両親にも怒られたし、その翌日シオンに大笑いされたから。子供らしいことはもう十分だと気持ちを切り替えて、しっかりものの中学生に碧子はなった。
十三歳の誕生日。みどりは碧子に、「みんなの前に立てる中学生になって」と願った。碧子は周りに比べれば冴えはしなかったけれど、シオンに手伝ってもらって生徒会長を努めることになる。それがしっかりと、金沢高校の合格にも役立ったのだからみどりの見立てはすごいなと思う今日この頃。
そして、十五歳、十六歳と碧子はみどりの望む、一度しかない女子高生を満喫することに全力を尽くした。両親も祖父母もみどりの死を決して忘れはしなかったが、品行方正・文武両道で日に日にきれいになる碧子が誇らしかったし、少しだけ、みどりと碧子の二人が揃ってこんな娘だったらとあり得たかもしれない今日を慈しむのだった。
十七歳の誕生日。この頃碧子は、恋をしていた。それは普通のことであり、みどりが生きていても、恋をして、あるいは恋人ができるころなんだと碧子は思っていた。だから、遠慮せずにただクラスのイケメンに片思いをしていた。不思議な同級生で、ムードメーカーで、下品なことばかり言っているのに志は清廉潔白。勉強もできたのだからモテて当然だった。
『恋をして。その気持を忘れないで。できれば大学に行ってほしいな』
全てを見透かされているような言葉で、みどりはメールを送ってきた。夕方。毎年のように写真館に向かう碧子一家。しかし、昨年夏に祖父が亡くなり、祖母と両親と碧子の四人で写真を撮ってもらった。なんとも言えないふくよかな笑みで祖父の遺影を胸に抱く祖母を見て、なぜか泣きそうになってしまう。いったい、何年ぶりにこの感触が来たのだろう。
「お父さん、お母さん、おばあちゃん。あと一年で受験だけど」
「大学に行きたいの?」
「うん。みんな受験するし、私も、大学生になって、……その、医学部を受けたいなって」
昨年の夏のことだった。祖父が危篤になり、親族が大勢金沢にやって来た日の夜。父は珍しく酒を飲んで、碧子に事故の日のことを教えてくれた。碧子は今まで詳しくは聞こうとはしなかったことだ。だって、両親が悲しむだろうから。それを見たみどりが、悲しむだろうから。
「天気が悪かっただろう? ちょうど、病院の外科の先生が東京に出張していたんだ。大雪で電車が止まって、越後湯沢で足止めを食らっていたんだってなぁ。今になっちゃどうにもならんことだけど、雪がなければ事故には合わなかったかもなあ、って」
「もう、お父さん弱気なこと言わないで。お母さんに怒られるよ?」
からかうように言うと、背中に氷を投げ込まれたように震え上がった父親は床についたのを覚えている。その存在があるだけで、人の命を救える力となる医者、そして看護師、他医療従事者。こうして最後まで祖父の命を尊重してくれた病院の人たちも、何より九歳の碧子の命をつないでくれた人たちに、感謝と尊敬を抱いていた。だから、難しいかもしれないけれど碧子はその道に進もうと考えた。
ついでに、大学生になりたいという願いも碧子は一身に背負うと決めていた。高校を出てすぐに働いた母親の願いと、みどりの願いを一緒に。
十七歳の誕生日の夜。八時を回った頃に、シオンが訪ねてきた。
「誕生日おめでとう! 碧子」
シオンは毎年、碧子の誕生日を祝いに家にやってくる。ご飯を一緒に食べたことも、写真館で一緒に写真を撮ったこともあった。中学校の制服、そして高校の制服のツーショットを碧子とシオンはそれぞれ一枚ずつ自室にわざわざ写真立てに入れていることを、互いには知らないまま。
まず家に上がるとシオンは仏壇に向かって手を合わせる。みどりと、そして碧子の祖父に手を合わせて拝んだあと。今年は雪もほとんどないから、と夜の散歩に二人ででかけるのだった。
「私、進路決めたよ」
「進学するの?」
「うん。……なんでわかったの?」
「だって、金沢高校だし」
「……シオンも同じクラスじゃん」
浅野川の土手沿いには主計町という小さな花街がある。碧子とシオンはその対岸をゆっくりと歩いていった。水面に映るおぼろげな灯りを眺めるこの道はデートスポットとしてもよく知られていて、雪のない時期は観光客で賑わっている。
「医学部に行こうと思うんだ。医学科か看護科かは決めていない。けど、私の命を助けてくれた人たちと同じ場所に行きたいなって」
「そっか。すごいな碧子は」
「シオンはどうするの?」
「俺も大学に行こうと思う。東京の」
金沢にも、国内有数の総合大学はある。碧子もシオンも、実家から十分に通える場所だ。でも、みどりはきっと。
「私も東京にしようかな。そっちのほうが」
「みどりが喜ぶからって?」
「えっ?」
「碧子ってさ、いっつも頑張っているけど、それ半分くらいみどりのため、なんじゃないかな?」
「そ、そんなこと」
無い、とは言えない。むしろシオンの言う通りだった。ただ、それを認めたくないなというのもある。頑張って、頑張って。みどりに恥じない妹で居続けた碧子はそれが自分であると思いたかったから。でも、シオンにはわかってしまうのだろう。お調子者でムードメーカーで、文武両道なこのクラスメイトは、他人の気持ちになって考えることができるのだから。
「ないもん。もう、シオン。競争だよ。どっちが東京の大学に行けるか」
「競争って、どっちかが落ちるっていう前提かよ」
「そんなこと……。一緒に、行こうか」
ちょうど、川にかかる、人が渡るだけの通路橋にたどり着いた。どっちからでもなくそこに足を伸ばし、川の真ん中の一番高くなっているところにはちょっとした出っ張りがあった。卯辰山まで見上げられる開けた金沢の夜景を平野から見上げるのだ。
「碧子、誕生日おめでとう。それと、これホワイトデーのお返しも一緒に」
「うわあ、ありがとう。開けてもいい?」
「ええ……、俺のセンス無いからなあ」
「じゃあ開ける」
金沢駅の駅ビルは去年から新しいお店がいくつもオープンしていて、おしゃれな店が入っているとは友達から聞いていた。そこの包み紙。開けてみると、水色の毛糸の帽子が入っていた。桜色の小さな模様がワンポイントに入っている。
「あったかそう。ありがとう!」
「いいよ」
「結構センスいいじゃん。今度は、もっといい人に恋するんだぞ」
「うるさいなー。大学生になったら彼女つくるんだから! 帰って勉強するよ」
「……そうだね」
先日、シオンが片思いだった先輩に告白して、断られて、みみっちくめそめそしているところを碧子は無理やりカラオケに連行して六時間みっちりとはげました。少しは傷心から立ち直ったようで、碧子はめちゃくちゃクラスで失恋ネタでシオンをいじりにいじっていたのだった。
受験まで、あと一年。もしかしたら、シオンが碧子の誕生日を祝ってくれるのがこれで最後かもしれないと思うと少しさみしくて、もらった帽子をかぶるとまだ冷えるな、という仕草でシオンの腕にしがみついた。
「うわっ」
「これで元気だせよ、朴念仁!」
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