水の街

夏野彩葉

プロローグ

A.フェルナンデス氏の日記

 太平洋を遥か西に進み、やっと辿り着くことができる海に閉ざされた列島。古くはジパングと呼ばれた土地だ。今は日ノひのもと列島、大和やまと王国と名を変え、Gran Bretañaに倣い立憲君主政をとっている。

 梅雨つゆ入り前のいい時期にいらっしゃった、と私より幾つか若いだろう案内役は微笑む。

 新明濱しんめいはまは、王都でもあり、世界に開かれた港でもある―東洋の水の街と呼ばれるのはそのせいである―。西洋の都市と何ら変わりない様相を呈している。ここがつい二十年近く前までは髷を結って帯刀したが闊歩していたとは思えぬほどの発展だ。私のような外国人―お雇い外国人と呼ぶらしい―がぞろぞろ歩いている。この国の人々は非常に覚えがよく、手先が器用で、また上下関係を重んじ礼儀正しい。この国の発展に彼らの力は不可欠だったことだろう。その証拠に、早くもこの街の舗装は大方終わっているらしいし、下水道も完備している。工芸品も見事なものだ。子供たちにも何か土産を買っていってあげよう。


 国王に謁見することが認められた。

 王宮は開国直後に建てられたものらしい西洋風の建造物であり、従者たちも燕尾服に身を包んでいた。

 国王は、もとは名門貴族であった羽衣はごろも家から輩出されているという。陛下は「私は十七歳のときに国王にと担ぎ上げられるまで、自分はそのまま一生をただの貴族として過ごすものだと信じて疑わなかった」と言うような、非常に物腰柔らかな男性であった。案内役はあとから、陛下は最初のご結婚ではお子様に恵まれなかったのをきっかけに離婚、その後同じく名門貴族である青柳家の女性とのご結婚で王位継承順第一位の芙希子ふきこさまをはじめ二人の王子と三人の王女に恵まれたという話まで聞かせてくれた。

 国王はやはり第一王女の芙希子さまを殊の外可愛がっていらっしゃるようであった。話の途中で芙希子さまをお呼びになり、十二歳になったという彼女を我々の目の前で膝に乗せるほどであった。非常に有意義かつ愉快な時間だったが、王妃や他の王位継承者の謁見がかなわなかったのが残念だ。


 議会が渋っていたという、学校への視察許可が予想より早く下りたのは幸いだ。

 六歳からの九年間が男女共に義務教育というのは、世界中どこを見てもこの国くらいだろう。列車の線路に沿って新明濱をはじめとする八か所の大都市に王立学校アカデミーがそれぞれ建てられている。八か所に子供たちを集めるような収容能力があるのかという疑問については、御一新のときの戦乱、伝染病、飢饉などで人口がかなり減少してしまったので問題ない、と案内役は乾いた笑いで答えた。

 この国の子供たちは、まず生まれると二週間以内に役場へ届け出をされることになっている。医者の入念な診察のあと、健康なら親元で育てられるが、異常が見つかれば病院に併設された施設で育つことになる。幼児教育は浸透していないが、「村の者みんなで育てている」とのこと。六歳まで親元で育った子供たちは、実家が八か所の大都市に近ければ実家から、そうでなければ寮か下宿から、学校へ通う。生徒たちは九年間の義務教育を終えると、学校の専攻課程、養成学校―軍学校を指すそうだ―、就職の三つの進路に分かれるそうだ。

 学校はレンガ造りで、屋根は瓦である。富岡とみおか製糸場もそうではなかったか。ここまでの西洋の真似事のような建造物より、よほどいい。地震に備えた構造だというのも興味深い。地震の多い国ならではのことだ。また、最新の防火設備まで施しているというのだから、驚きである。

 生徒たちは皆、白いリボンに紺色の水兵セーラー服、紺色のスラックスを着用していた。女子レディーまでスラックスというのはいかがなものかと思ったが、「生徒にも父兄にも人気なんです。体操の授業にも対応できますし。」と校長。生徒たちはこちらをいかにも珍しそうに見上げたあと、教師の合図で「ようこそいらっしゃいました」と綺麗な礼をした。教師に倣って音読をする姿や、上級生に率いられて校庭を走る姿は、まさしく従順さを表している。


 新明濱の駅から蒸気機関車に乗り、新京野しんきょうのへ向かった。

 大和王国の発展というのは、新明濱という非常に狭い、限られた範囲でのものだった。新明濱を少し離れた途端に広がる、青々と稲が揺れる風景。あの稲が、この国の主食の米になるものだそうだ。本当に信じられない。秋には黄金色の穂をつけるというあたりは、麦とそっくりであるというのに。「百姓はこれまでそれはそれは辛い生活を送ってきたものです。」という案内役、彼はもともと農民の出身だったという。そんな彼が我々の案内を務めている、この国の教育水準の高さは目を見張るものがある。

 新京野は、開国前の都であり、今もその面影を残していた。白い漆喰壁に瓦葺きの屋根、新明濱をではほとんど見られなかったを着た人々が大勢行き来する。これが、かのペリー代将の見た日本人か。

 案内役はすぐに京野神宮へと馬車を走らせた。そこは、開国以降この国の民の多くが信仰しているという宗教の総本山といえる場所だという。

 大和王国が建てられると同時に、羽衣家が昔から信仰してきた水神様みずがみさまを神の中心として崇拝するのが主流となっていったらしい。『水神様』信仰というのは、水を万物の母と捉えるものだ。人は水によって命を支えられ、死んで荼毘に付されたらその煙で天に上り、の母の胸に抱かれる――それを幸とするという。

 水を母とするだけあって、この宗教の聖職者は皆女性である。当主は綾小路あやのこうじ家が務めている。現在の当主は、先代が早く亡くなったそうで、小柄で黒髪と黒い瞳を持つ、まだ二十歳に一年足りないという女性だった。「八重やえ」という名だそうだ。後ろからついてくる二歳くらいの女の子は彼女の娘だという。驚いたことに、我々の信仰する宗教と異なり、この宗教では、聖職者になったあとでもことが許されて―それどころか推奨されて―いた。

 我々は運良く祝詞を捧げるのを見ることができた。

 神に祈る姿は、どこの国でも同じものである。






 短い期間であったが、わざわざ長旅をした甲斐のある滞在だった。待遇に不足はなく、むしろ十分過ぎるほどであった。彼らはこれまで秘境の民族のように思われていた大和王国の国民たちだが、非常に従順かつ礼儀正しい人々と言えよう。




視察団団長 A.フェルナンデス氏の日記より

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