3.
野久保は、男――立花をぎょっとして見つめ返した。男のたれ目が、嬉しそうに細められる。
「私は……肩書のとおり学者でしてね……。民俗学っていう退屈な分野を研究しているんですよ……。……民俗学については、ご存知?」
「……うんにゃ。世の中のことには詳しいつもりなんだけど、知らないなァ」
「そうですか……歴史学の一分野なんですがね……。歴史上の偉人ではなく、そこらへんのなんともない一般人の文化や信仰を研究するっていう学問です……」
「へェ、おたく、物好きだねェ」
野久保はグラスを傾けながら、至極正直な感想を言う。立花は気分を害した様子もなく、むしろ嬉しそうに、にっこりと笑って言った。
「ふふふ……おっしゃるとおり……、実に地味でカビ臭い学問なんです……。ですが、研究室に籠って資料を読み漁って結論が出るモノでもなくてね……民俗学者が学識を広げるためには、フィールドワークが必要なんです……。一つのテーマを調査するために、時には日本全国を巡ることもありましてね……」
まるで話が見えてこない。
口を挟めない野久保とは対照的に、立花は饒舌に、けれど陰鬱に続けた。
「あー……そうだな……。……調査といっても基本は人の話を聞いて回って、情報収集をするんですが……。まァ、ほとんど田舎の老人たちが相手ですからね……。話を聞くついでに、色んな仕事を手伝わされるんですよ……。漁や畑仕事の手伝い、猪退治、屋敷の大掃除……。それでたまに、老人たちからこういった“いわくつき”を預かることがあるんです……。蔵に眠っていたガラクタとか……ご先祖に捨てるなと厳命されたものとか、ね……。こっちとしては早く処分したいんですが……。中には、寺や神社に引き取りを拒否されることもありまして……」
「そのなかに心霊写真があるってコト?」
「えェ、いま所持してるのはごく一部、ですが……。もっときわどいものもありますよ……?」
「へぇ……」
やっと興味深い話が出てきた。それどころか、思わぬ掘り出し物になりそうだ。野久保は身を乗り出した。
思えば、『大辞典』では、まだ心霊写真を取り扱ったことがなかった。心霊写真は、ホラーのなかでも鉄板の人気コンテンツだ。ホラーとしての怖さ、面白さもありながら、「どこに霊が映っているか」として視聴者を参加させる楽しませ方もある。
立花は早速、手持ちのジュラルミンケースから写真アルバムを取り出して、野久保に差し出してきた。野久保はそれを受取り、なかをパラパラと検める。
アルバムの写真は、色んな人物、状況、ロケーションを写したものが、無作為に並べられていた。先ほどの立花の話どおり、様々な土地の様々な人物から預かったものなのだろう。白く縁どられたカラーの家族写真やスナップ写真から、レントゲンやパスポート用の証明写真まで、実に多様な種類がある。
共通しているのは、それら全てに“いわく”が映りこんでいることだ。
赤い顔、首が消えている人物、人の顔に見える白い靄――。
それを目にした瞬間、野久保の背筋が、知らずぞくりと震えた。
――おいおい、まじかよ……。
およそ霊感と呼べるものがない野久保だったが、写真を何気なく見ただけで、じわりと――例えるなら後ろに誰かの気配がするような――威圧感を覚えた。恐怖はない。むしろそれを凌駕する、興奮と喜びが野久保の脊髄を駆け巡っていた。
オカルトに懐疑的な野久保ですらこうなのだから、オカルト好きの視聴者にはどれほど刺さることだろう。
長話に付き合った甲斐がある――野久保は顔がニヤケるのを抑えられなかった。これだけの量と質なら、心霊写真特集だけで一時間は枠を使えそうだ。好評ならまた次回の特番でもワンコーナー作れるかもしれない。野久保は上機嫌になってジャックダニエルを飲み干した。
「いいね……、買う、これ、ぜーんぶ買っちゃうよ! とりあえず現ナマで前金払うからサ!」
「即決、ですか。ずいぶん景気良いなぁ……」
「ホラーはキラコンだからねェ。やればやるほど視聴率が取れちゃうのよ! おっ、これなんか良いじゃない! 白黒写真だ! 合成の疑いがなくて説得力増すよ! ほい、じゃあここにサイン書いてね!」
野久保が渡した受領書にサインを走らせた立花は、目元を和ませて笑った。
「こんなに……? ふふ……嬉しいなぁ……これ、親孝行に使いますね……」
スタイリッシュな容貌のクセに、男はまるで子供のような笑顔を向けてくる。
野久保も財布から現ナマを取り出しながら、とびきりのスマイルを返した。笑顔はまるきり嘘ではない。この立花という男は、利用価値がある。
「なんのなんの! あ、名刺に連絡先書いてあるよね? またよろしく頼むよ、センセイ!」
「ふふ……こちらこそ……。あー、それと……これ、お近づきの印に、差し上げますね……」
そう言って、またジュラルミンケースをごそごそと探った立花がカウンターの上に置いたのは――小さなぬいぐるみだった。
なんの変哲もない、マスコットサイズの熊のぬいぐるみだ。野久保はなんの冗談かと眉をひそめたが、立花はぬいぐるみを横に振ってみせたり腕をあげたりして楽しそうに遊んでいる。
「ふふふ……可愛いでしょ……クマチャンです……」
「はぁ」
心底いらなかったが、破格のネタをもらっておいて、いらないとは流石の野久保も言えなかった。
「……アリガト、センセイ! 大事にするよ!」
マスコットをスーツの内ポケットにしまって、野久保は改めてアルバムに目をやった。写真を見て、思いついたアイデアをどんどんメモしていく。
「おっ、この写真も良いじゃなーい! こっちも良いねー! 雰囲気出てるよー! どんどんインスピレーション湧いてくる! 放送日決まったら連絡するからね!」
「はい……それじゃ、私はこれで帰りますね。ほんでまづ、サヨナラ」
「ハイハーイ、ご苦労ちゃん。……ほん? なんて?」
聞き慣れない言葉に、野久保は何気なく男の方へ目をやる、
男の姿は、もうバーのどこにもなかった。
その奇妙で幸運な出会いから、二週間後。
立花から譲ってもらった心霊写真を使った番組の企画書は、社内にも局にもすんなりと通った。
話はとんとん拍子に進み、放送枠も取れ、間もなく収録日を迎える。
スタジオ収録前日の深夜、野久保は会社に徹夜で泊まりこみ、収録準備の大詰めに入っていた。
前回の放送の編集画面を見つめていると、ふいに、扉をノックする音が聞こえた、「ドーゾ」と野久保が返事すると、コンビニのレジ袋を持った田所が顔を見せる。
「あ、やっぱりいた。野久保P、お疲れさまです」
「ん? タコちゃん? 終電前に帰るんじゃなかったの?」
「少し用があって……。ついでにコンビニ行って色々買ってきたんで、適当に食べてください」
「ハイハイ、ありがとー……」
野久保は欠伸ついでにすっかり凝り固まった肩を回し、編集画面から目を離した。
長時間作業をしていた訳でもないのに、どういう訳か全身が重くだるい。野久保は田所に尋ねた。
「ねェタコちゃん、ここって湿布なかったっけ? すげー肩凝るんだよね」
「総務課の救急箱にはあると思いますよ。まぁ、湿布貼ったぐらいじゃ無駄だと思いますけど」
「は? どゆこと?」
田所は答えず、ビニール袋から様々なものを取り出し、長机のうえに並べた。栄養ドリンク、バナナ、カップ焼きそば、缶コーヒー、あら塩。……あら塩?
訝しがる野久保に構わず、田所はビニールに入ったあら塩の袋を素手で小さく開け、真っ白な小皿の上に山を作って乗せた。円錐形に固めたそれを、部屋の隅にそっと置いて、「とりあえずこれでいいか」と一人で呟いている。
「……田所ぉ、いったい何しちゃってるワケ?」
「盛り塩です。これぐらいじゃ無駄だと思いますけど、一応」
「はーあ?」
「すみません、これ会社の色んなとこに置かなきゃいけないんで。失礼します」
軽く頭を下げると、田所は塩の袋を抱えて足早に部屋を去っていった。
「意味わかんね……はーあ、疲れるわ……」
部下の奇行を問い詰める余裕はなかった。野久保は栄養ドリンクを飲み干して、再び準備作業に戻る。
今日中に作業を追えなくては。もっと良いものを、もっと視聴率が取れるものを。
気合を入れたいのに、なぜか肩が重い。
いや、肩だけでなく、背中全体が重い気がする。野久保は舌打ちする。なんでこんな大事なときにだるいんだよ。くそ。
あぁ、重い。
肩が、重い。
ハカナキ 梅屋凹州 @umeboshisuki
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