穢れなき信仰
鶴川始
どうしてわたしだけなんですか?
たくさんの私のおともだちが忙しなく働いています。
丈夫で綺麗な服を着ています。あったかいご飯も食べられます。
なのにみんな笑っていないんです。
私たちはみんな
けれども私は
それでも夜に
夜のお部屋の中ではいつも湯気みたいなものが漂っています。陶器で出来た丸い箱のようなものからもくもくと。それがいくつもお部屋の中にあります。その湯気みたいなものを吸い込むとなんだか瞼が重くなります。けれど、眠いのとはまた違うんです。ぼうっとしてきて、身体が熱くなって、なんだか
ベッドの上には私のおともだちが寝転んでいます。汗をかいていて、息も苦しそうにしています。股から血を流している子もいます。そして、湯気の香りが充満していてよくわからないのですが、なんだか嫌な匂いがします。けれどもその匂いも、湯気を吸っている内になんだか素敵なもののように思えてくるのです。
「おいで、レジーナ」
レジーナは私の名前です。
それを飲み下すと、ぼんやりしていた頭がもっとぼんやりしてきて、やがて私は眠ってしまいます。
それ以降、私はどうしているのかわかりません。
朝起きると体中が痛くって泣いてしまいそうになります。お口の中が血だらけになっていたり、股から血が流れていたりして、とても怖いです。眠っている間に歯ぎしりをいっぱいしているのか、奥歯が欠けていたこともあります。
痛くって、怖くって、私は毎朝泣いています。私のおともだちにも朝から泣いている子が居ました。それでも暫くすると泣かなくなります。代わりに笑いもしなくなります。いつまでも泣いているのは私だけです。
どんなに素敵な晴れの日でも、しくしくと傷が痛むような雨の日でも、私は変わらず泣いているのです。
そんな私を助けてくれるのは、イヴちゃんです。
イヴちゃんは私のいちばんのお友達です。歳もわたしより3つ上で、いつも私が泣いていると優しく抱きしめてくれるのです。
「また口から血が出てる……レジーナ、くち、開けて」
私はイヴちゃんの言うとおりにします。んあ、とお口を開けて見せると、イヴちゃんは指を突っ込んできます。それからイヴちゃんは何かをつぶやきます。すると、割れた奥歯や切れている口の中がじんわり暖かくなっていきます。終わったよ、とイヴちゃんが言う頃には、傷だらけだったお口の中が元通りになっています。
「すごいです、イヴちゃんの、えっと、りょ……」
「療術。医療魔術ね」
「それです! すごいです! いつもイヴちゃんが元通りにしてくれます!」
「すごくないよ。私は下手だから。本当はちゃんと傷跡も残らないようにしてあげたいんだけど、私はそこまで魔術、巧くないから……」
そう言うとイヴちゃんは私の身体をなでて、お口の中と同じように傷を治してくれます。傷が治せるだけでも私はすごいと思うのですが、イヴちゃんはなんだかいつも申し訳なさそうな顔をするのです。私は自分の身体に傷跡が残っても別にかまわないと思っているのですけれど。
イヴちゃんの手首を見るといっぱい切り傷みたいな痕が残っています。傷口は塞がっているのですが、見ているだけでも痛そうに見えます。一つだけでもとても痛そうなのに、それがいっぱい残っているのです。それを見ると、確かに元通りにしてあげたいという気持ちにもなります。イヴちゃんが苦しいと、私も苦しくなります。
体中の傷を治していって、最後にイヴちゃんは私の股に指を入れます。
何故だかわかりませんが、このときのイヴちゃんは苦しそうな、恥ずかしそうな、どちらとも付かないような顔をします。
「厭だったら、ちゃんと厭だって言っていいんだからね……?」
「なにがですか? 私、イヴちゃんに治してもらえてとても嬉しいですよ。痛いの嫌ですから、治してくれるイヴちゃんのことが嫌になるとか、そんなこと思うわけないじゃないですか」
それならいいんだけど、とイヴちゃんは、それでも何故か苦しそうに言うのです。
毎日私たちは働いています。そうしないと
私は畑の世話をするお仕事をしています。館からちょっと歩いたところにある、大きな畑です。そこではお野菜を作っています。でもそれはお野菜なのに何故かそのまま食べることはあまりしません。
お野菜は基本的に葉っぱの部分を収穫します。それを館の中の乾燥室へと運んで何日もかけて乾燥させます。そうして水分が完全に飛んだ葉っぱから種と茎を丁寧に取り除きます。少しでも混じっていると、質が下がると
葉っぱだけになったら、さらに手でもみほぐします。十分に細かくなったら、それを紙で細長く巻いていきます。紙で巻いたなかに、葉っぱは入れすぎても入れなすぎてもダメで、加減がむつかしいです。最後に、厚紙を丸めて詰めれば、
これは私たち用のもので、
私よりもっと歳が上のおともだちの中には、もっともらっている人が居るみたいです。分けてもらえるようにお願いしたこともありましたが、分けてもらえたことは一回もありません。
けれども、
私はイヴちゃんの言うとおりに、本当につらいときだけ
歳が上のおともだちは、なんだか雰囲気が怖いです。
雰囲気の怖いおともだちのみんなは、館や畑の周りを警備する仕事をしています。常にナイフや剣を持っていて、怖いです。
おともだちの中には、
私がまだ村に居た頃、
けれど、おともだちの中に弓を持った
代わりに、黒くて長い金属の筒のようなものを持っています。
だから、
撃たれると大変です。すぐに連れ戻されればイヴちゃんのような魔術の上手な子に治してもらえることもありますが、頭に当たってしまうと殆ど死んでしまいます。仮に運良く命が助かっても、まともに喋れなくなったり、歩けなくなったりします。そういった子はいつのまにか館から居なくなってしまいます。どこへ行ったのか、誰も知らないうちに。
こんな暮らしからいつ抜け出せるんだろう、とイヴちゃんは言います。
「イヴちゃんは、いまの生活が嫌なんですか?」
「…………すごく嫌、抜け出せるならいつでも抜け出したい。こんな無理矢理働かされたり、好きでもない人とセックスさせられるのなんて、本当嫌。もっと普通の暮らしをしたい。そういうのに憧れる」
「そうなんですかぁ。イヴちゃんが居なくなったら私、すごく寂しいです」
「レジーナは、嫌じゃないの?」
「嫌なことはありますけど……綺麗な服を着せてもらえるし、ご飯はいっぱい食べれるし、あったかいベッドで眠れますし、そして
「私は、絶対にレジーナを置いていったりはしないからね。ここから出るときは、必ず一緒に出ようね」
「はい! イヴちゃんと一緒だったら、私、どこでもいいです! イヴちゃんは私の憧れです。イヴちゃんはかっこいいし、私を助けてくれるし、魔術もとっても上手です! でも、逃げたら撃たれちゃう。私はイヴちゃんが撃たれてほしくないです」
「…………そっか。じゃあ、逃げるのは、もうちょっと先だね」
そういうとイヴちゃんは私を抱きしめてくれます。
イブちゃんは他のおともだちとは違います。私はおともだちみんなのことを大切に思っていますけど、イヴちゃんだけは特別に大切で大好きです。抱きしめられるとなんだかとっても切なくなって、イヴちゃんのことが大好きになります。
まるで、
その夜はいつもより気分が落ち込んでいる日でした。イヴちゃんは
くらくらするし、吐き気もします。それでも頑張って
「――どうした。さっさと来いと言っているだろう、レジーナ」
「待ってください。レジーナ、今夜は様子がおかしいです」
ベッドの上で裸になっているイヴちゃんが言います。湯気のせいでくらくらしているように見えますが、とても鋭い声でした。
「……だからなんだと言うんだ。お前が治せるのか?」
「……難しいです。多分、単に身体的な不調だけでなく、精神の異常とも大きく影響しているので」
「じゃあ、代わりにお前が延長するのか?」
「…………それでお願いします」
すると
すぐにイヴちゃんの様子がおかしくなりました。目を開いたまま眠ったようになります。イヴちゃんの黒目が高速で左右にカタカタと揺れます。ギリギリとすごい音を立てて歯ぎしりをします。やがて、何か砕けたような音もしました。きっと奥歯をかみ砕いた音なのでしょう。
「イヴは耐性があるからすぐに切れるだろうが……まあいいか」
私は怖くなりました。気分も一層悪くなります。色んな雑音が不快です。不快です。不快です。助けてください。イヴちゃん。誰かイヴちゃんと私を助けてください。雑音が不愉快です。軋む音とイヴちゃんの悲鳴。脳がくらくらします。視界が揺れます。脳が揺れます。私は嘔吐しました。
耳を塞いで目を閉じます。しゃがみ込みます。湯気を吸っても何もかわらない。かわってくれません。ぬるぬるします。夕食を全部戻してしまいました。不快です。血が混じっています。私の戻したものに血が混じっています。お口はまだ傷ついていません。股から血が出ているのです。
怖いです。本当に怖いです。
誰か助けてください。
どうして私とイヴちゃんだけなんですか?
どうして私たちはこんな目に遭っているのですか?
どうしてわたしだけなんですか?
急にけたたましい音が館に鳴り響きます。
恐る恐る顔を上げると、
「護衛は何をやっている!」
「ほぼ、全滅しました! 畑にも、火がっ」
「馬鹿な、何を呆けていたのだ! あれだけの数を揃えていて――」
「相手はギルド
「そんな訳があるか! 近隣のギルドには相当金を積んでいるのだぞ! 裏切る訳がないだろうが!」
「王家の紋章入りでした、恐らくは
イヴちゃんには自分の意思のようなものがありませんでした。ただ
扉が蹴破られます。何人もの大人たちが部屋へとなだれ込みます。
なだれ込んできた大人たちに向けて、イヴちゃんは筒を向けました。
やめて、と私は叫びました。
大きな音がしました。
イヴちゃんはゆっくりと倒れました。
ひたいに、穴が、空いています。
後頭部に赤い花が咲きます。
花ではありませんでした。
血です。
額の穴は小さいのに、後頭部に空いた穴は大人の拳より大きい。
すべてがゆっくりに見えました。
イヴちゃんが倒れ込むと同時に、びしゃびしゃびしゃ、と液体が散らばる音がたちました。
誰の声かわからない叫び声が聞こえます。
それが私のものだと気付いたのは、もっとあとのことでした。
「至急、至急! 第三班より大隊本部! 第三班より大隊本部! ハイドリヒ小隊長以下十五名、寝室を占拠、応戦した児童数名を無力化、その他略取されたと思われる児童数名の保護を完了、目標は逃亡中、現在寝室奥に立てこもる児童数名と応戦中、増援を要請します」
大人の一人がなにかに向かってそう話しかけます。
そんなことを気にしていられません。私はイヴちゃんのところへかけよります。
目と、鼻と、耳と、そして頭の前後から血がどくどくと流れ出ています。
私の手は血塗れになります。その手でイヴちゃんの顔を触るものだから、イヴちゃんの顔もどんどん血で汚れていきます。私の血なのかイヴちゃんの血なのかわかりません。ただ汚らしい赤色で私たちの身体は汚れていきます。
私の身体が宙に浮きます。
大人が私を抱きかかえてイヴちゃんから引き離したのです。
私は暴れます。けれども大人の力には敵いません。
大人の一人がイヴちゃんの元へと向かいます。イヴちゃんに手をかざすと、イヴちゃんの魔術と同じような光が手から放たれます。それでも私は状況がよくわかりません。わかっていません。ただ手足をもがくだけです。
泣いて、叫んで、そのうちに、またとろんとしてきます。
私はそうして、意識を手放しました。
目が覚めてからの生活は、それまでと大きく変わりました。
畑の世話は、もうしていません。お野菜はすべて焼けてしまったとのことです。
けれども、私は綺麗な服と、暖かいご飯と、暖かいベッドをなくしてしまいました。村には戻れませんでした。村がどこだったのか、私にもわからないのです。そうなると、働かなくてはなりません。
結局、私は
それでも、私は大丈夫です。
イヴちゃんは、生きていました。
もう喋れないし、もう歩けないし、一日中目を開いてベッドで寝ているだけですけれど、イヴちゃんは命が助かりました。けれども一人だけで生きていくことはもうできません。誰かがイヴちゃんのお世話をしないといけないのです。
私はイヴちゃんにいっぱい助けられました。
だから今度は私が助ける番なのです。
イヴちゃんのように格好良くは出来ないけれど、私にできるだけのことをしてイヴちゃんを助けていくのです。
綺麗な服はあんまり着られません。あたたかいご飯はそんなに食べれません。暖かいベッドは誰かと寝ているときだけです。
けれども、これが私の憧れた生活。
そしてきっとイヴちゃんの憧れた生活。
イヴちゃんはもう好きじゃない人とセックスしなくてもいいんだよね。もう私を助けなくてもいいんだよね。つらそうな顔をすることはもうないんだよね。もう腕に傷を増やすことはないんだよね。ずっと私たちは一緒なんだよね。
私はそうやって毎晩、イヴちゃんに語りかけます。
ずっと私たちは一緒だよ。
置いてかないから、置いてかないでね。
イヴちゃん。
大好き。
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