マッチ1本

スヴェータ

マッチ1本

 雪を抱えた軒の下に少女が1人、いくつものマッチ箱が入った籠を手に立っていた。みすぼらしい茶色のワンピースに、やぶれ穴の目立つ黄ばんだエプロン姿。少女は白い息を漏らしながら、か細い声で何度もこう叫んでいた。


「マッチいりませんか」


 街行く人の足は止まらない。足音どころか、足を動かす際に服が擦れるその音でさえ、少女の声をかき消した。もっとも、聞こえたとて誰もマッチを欲しがらない。世の中はもっと便利なもので溢れているのだ。


 少女は知らない。己の声が届かぬことも、もはやマッチが売れないことも。少女は教育を受けないまま8つになり、母親が内職で拵えたマッチを売って暮らしていたのだ。


 いつもより多くのマッチ箱を持って来た少女は、休まずひたすら叫び続ける。その叫びがたとえハイヒールで一歩「カツン」と鳴らす音より小さくとも、ただひたすら。


「マッチいりませんか」


 売れないのに、少女は毎晩マッチを売りに街へやって来ていた。朝方になるととぼとぼと外れの方へ歩いて行き、空き家から伸びに伸びたレモングラスの藪へと消えてしまう。日中は姿を現さない。そうして夜になるとまた、籠を提げ、箱を1つ手に取り、街行く人にこう呼び掛けるのだ。


「マッチいりませんか」


 夜も深くなった頃、あまりの売れなさに少女はマッチを1本取り出し、勢いをつけて擦った。するとその煙はモクモクと目の前を覆い、ほわり、ほわりと昇っていった。


 童話のように豪華な暮らしが映ることはなく、少女はそれを放ると、1本減ったマッチの箱を籠に戻した。そうして再び、声を掛け始める。


「マッチいりませんか」


「マッチいりませんか」


 声を出すたび、吐く息は白の濃さを増した。吹雪がごうごう、ごうごうと殴りかかる。少女の声は、やはりその音にかき消され、街を歩くわずかな人にも、既に自宅で休む人にも届くことはなかった。


 街はとうとう空っぽになったというのに、少女はそれでも売り続けた。そうしなければ助からないから。生きるために、ただただ必死だった。


 数時間が経ち、吹雪が止んで空が白み始めた頃、少女の白い息は消え、辺りはすっかり春のように暖かくなっていた。籠にあったマッチ箱は1つも残っていない。小鳥のさえずりとともに、穏やかな朝を迎えた。


 立派な靴を履いた男が、白い息をもうもうと吐きながらやって来て、少女の前に立つ。それから軒をどかして辺りを見回すと、側に落ちている真っ黒のマッチを1本手に取った。


 しゃがんで少女を見つめる。ほんのりレモングラスの良い匂いがした。男は少女には声を掛けず、同じ匂いのマッチを拾うと透明の小袋に入れ、そのまま立ち去って行った。

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マッチ1本 スヴェータ @sveta_ss

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