第七章 闇の案内人(六)
あれからもう三ヶ月と少し、経ってしまった。冬の名残はもはやなく、桜の花がすでに八部咲きにまでなっている。神隠し事件が解決されたのは一月も中ごろのこと。新聞には本当に神の仕業だったと言う記述はないものの、政府にはそれで通したのだろう。
神との邂逅の後、大祓の手伝いと榊原の家から正式に出るために話し合いと書類整理をするから残ると言った弓削と分かれて、史香さんと二人で帰路に着いた。汽車ではとりとめないことを、今までよりは少しばかり多く喋った。その途中、窓の外を見ながら彼女は小さく『無断外泊なんて初めてだったんで、電話したら凄く怒られちゃいました』なんて言って、苦笑した。俺から事情を説明しに行こうかと言ったのだが、自分で説明すると断られた。『多分しばらく、一人じゃ外に出してもらえません』と、ぼやくので、ドキドキしながら電話番号を教えた。外に出れなくて暇だったら、かけてみて、と。東京に帰ってから二、三度電話があった。電話料金が高いのでほんの少ししか話せないが、向こうからかかってくるってだけで凄く嬉しかった。
で、俺は今、一世一代の決心をして、桜並木を歩いているのだ。何の決心かと言うと、史香さんを活動写真に誘う。彼女はどうやら、活動写真が好きらしい。俺は金がないからあんまり見に行ったことがないが、ああいうところなら会話が少なくても気詰まりしないだろう、とまで考えての決断だ。
けれども、歩いていくうちにだんだん決心が鈍ってきて、足取りが重くなってくる。やっぱり今日は、やめとこっかな…………。
「こんな晴れた日に、なに辛気臭い顔して歩いてんの」
引き返そうとしたところでいきなり後ろから肩を叩かれた。
「弓削⁈」
「久しぶりー。何かそこまで驚かれると心外なんだけど」
後ろにいたのは久しぶりに会う弓削で。へらへらと笑って手を振ってくる。
「お前、こっち来るなら手紙の一通でもよこせよ」
元気そうな姿のほっとしつつも、一つ文句を言っておく。
「僕がそんな筆まめなほうだと思う?」
「思わねぇけど。それでも返事だけでも書いたらどうなんだ?」
そう、こっちからは何通か手紙を送っていたのだ。借りている長屋の金はどうするのかとか。
「あぁ、あれ。うん、ちょっと面倒で。あの部屋どうなってる?」
「俺が勝手に荷物引き払って解約した。だって、大家さん怒ってて怖かったから」
そう、史香さんが誤魔化しきれずにかなり正直に事情を説明したから、弓削は目の敵にされてる。榊原なんて呪い殺さんばかりのいきおいだろう。そしてどうやら俺のことは誤魔化しきってくれたらしい。た、助かった。
「もったいない…………あれだけ安い物件はこの近辺にはないかもしれない……」
「知らねぇぞ。うちにある荷物、さっさと引き取ってくれよな」
「神崎のケチ」
「は? 聞き捨てならねぇな。荷物全部捨ててやろうか?」
「すぐ取りに行くからそれはやめて」
弓削は長屋に行くはずだった足を止めて、俺の家に行こうとする。俺も今日は何だか気分が萎えたので、荷物を早々に引き取ってもらうために一度家に帰ることにした。
「で、史香さんとは上手くいってるのかな?」
弓削が、にやにやと笑いながらそんなことを聞いてくる。どうやら荷物取りに行かなきゃいけないのが腹立たしいので、俺をからかって憂さを晴らすことにしたらしい。
「聞いて驚け、電話番号教えてもらった」
「で?」
「………今日、活動写真に誘おうかと思ってた」
「ふぅん、じゃああんまり進んでないのか」
予想に反して弓削はからかうのではなくただ首を傾げた。
「どうした?」
「ううん、何でもない。ほんっとに神崎って奥手だなぁと」
「うるせぇ、ほっとけ」
どうせスケコマシのお前とは違いますよ。だけど図星だから上手く言い返せない……。話、変えよ。
「そういや、一通り終わったのか?」
その質問は神隠しの件と、弓削の件と両方の意味が含まれていた。
「神隠しはね。仁が真顔で政府の要人に『神の祟りです』って言ってたよ。それで最後まで押し通してた。あれは笑えたね」
……確かに。洋装をした政府の人間に、仁が真顔で神の祟りについて語る構図。なかなか滑稽だな。
「僕の方は、まぁ、話し合いは一段落着いたってところかな。書類整理とか法律上のところについて、またちょくちょく京都に行くことはあるかもしれない」
「そりゃ、よかったな。これで堂々と住めるだろ」
「先立つものがあればね」
「こんな晴れた春の日に、なに辛気臭い顔してんだよ」
深く溜息をつく弓削に、先程言われた言葉をそのまま繰り返して、ばんと肩を叩いてやった。
「お前のじいさんとこ行きゃあいいだろ。とりあえず部屋ぐらい貸してくれるんじゃねーの」
「うん……というか、喜んで家に置いてくれるよ。ただなぁ。あの人は絶対密かに隠れ陰陽師の跡継ぎにしたくてたまらないはずだからな。法律違反なのに……」
絵の勉強ができないらしい。
住むところについて考えて唸っている弓削を見て、失礼だが少し笑ってしまった。本人には切実だろうけど、三ヶ月前とは比べようもない気楽な悩みで。ようやく日常だなと言う気がしたから。
「ちょっとの間だったら、うちの部屋一部屋貸してやろうか?」
「ほんとに?」
「家賃は払えよ」
「……やっぱりケチだ」
一瞬前にパッと明るくなった表情が、また少し沈む。
「それじゃ、家賃は労働で」
「何? 荷物運びとか、掃除とか?」
「いや、お祓いで」
「それだけで家賃の分いくのかよ?」
「それがね……」
人の悪い笑みを浮かべて、もったいつける。
「実は神崎んちの店の蔵に、実害はないだろうけど胡散臭いものが最低二、三個あると思うんだよね。前に行った時の気配からして」
「げ、まじかよ」
今度は立場が一転して、俺が蒼白になる番だった。
「あはは、ほんとだよ。それで一か月分の家賃ぐらいにはなるんじゃない?」
弓削は不意に上に手を伸ばし、散ってくる桜の花びらを取ろうとした。行動の読みにくい奴だ。
「じゃあ……追加条件で……さっき、史香さんを活動写真に誘おうとしてるって言っただろ? どうやって誘えばいいか教えてくれ」
決まりが悪く、弓削と顔を合わせたくなかったので、真似して桜の花びらを取ろうとしてみた。あ、結構難しい。
「普通に誘えばいいじゃん」
弓削も取れないらしく、しつこく何度も手を握ったり開いたりしている。段々表情に真剣みが帯びてきた。
「だからさ、普通ってどんなんだよ? 人が恥を忍んできいてんのに……あっ、取れた」
手に握られた桜の花びら。薄紅色の滑らかな質感のそれを手を開いて見る。
「お、幸先いいじゃん」
「だよな」
「あとは、努力と結果が伴うのを待つだけか」
「うるせー」
笑う弓削にムッとして返したと同時に、いきなり強い風が吹き、掌の上の桜の花びらが飛ばされた。
「あっ」
「まあ、運に頼らずがんばるんだね」
「もちろんそのつもり」
「じゃ、まず、史香さんを自力で誘ってみよう」
なんだか初っ端から難しい課題を出された気がするが、それも桜の季節にはふさわしいと思えてくる。
抜けるような蒼い空に手を伸ばして、淡い紅色の桜の花びらをとろうとして。公道ですることではないけれど、そんなくだらないことが凄く楽しい。それもこれもきっと。
春は、始まりの季節だから。
「闇の案内人」完
闇の案内人 小鳥遊 慧 @takanashi-kei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます