第七章 闇の案内人(五)

 冷え切った身体が芯から少しずつ暖まり、疲労で重かった身体が軽く感じる。それはきっと俺の中に竜神様とやらがいるわけで。そう考えると、身体を貸すのもそんなに嫌ではなくなった。神隠しなんていうから凄く怖い神様を想像していたけど、結構いい奴(失礼)かもしれない。そりゃ、口調は素っ気無いけどさ。


 そう考えてみると、傍観者という立場をやめて話してみたくなった。自由にならない身体はそのままで、そっと心の中で問いかけてみる。


『どうして、神隠しなんてしたんですか? 俺にはあなたが意味もなくそんなことをする人とは思えない……』


『人……なぁ』


 今度の声は耳を通ってではなく、頭の中で直接響くように聞こえてきた。目を閉じたわけではないのに視界が真っ暗になり、もちろんそばにいたはずの弓削や仁の姿も見えない。近くにいるはずなのに全くそんな気配も感じない。ただ、遥か遥か遠くの方に銀の光が見えた。少しだけ、妖刀にとり憑かれた時に似ている。違うのはあの時と違って、そんなに嫌な感じのしないこと。


『人と同じに扱われ、性格を分析されたのは何年ぶりか』


 そう言われてさっき俺が言った言葉を反芻してみて頭の中が真っ白になった。


『ご、ごめんなさい! すみません』


 何で俺、神様に向かって人とか言ってんだよ。焦って謝りまくる。


『気にしてはいない。珍しかっただけだ』


 そうは言ってくれるが、これ以上口は滑らさないぞと決心して、ビクビクしながら次の言葉を待った。


『約束して欲しいことがあるのだ』


『……へ?』


 唐突に話が変わったのについていけず、思わず聞き返してしまった。


『さっきの質問の答えだ。約束がほしい。信頼できる約束が欲しい』


 さっきの意地悪な質問は、信頼できるかどうかを試すためだろうか? そう考えていると、またしても話がころりと変わってしまう。


『近年、起こっている目覚しいまでの文明開化、近代化、欧米化。その裏では川が潰され、山が削られ、古い建物が次々と壊されている。そのために元の居場所を追われた神や天狗などの妖怪が吾に泣きついてきてな。住むところがないと言うので、ほとんどの者をここに住まわしている』


『ああ、それで』


 その結果、稔は妖怪を呼び出してしまったのか。あれはどこかから神社という結界の中に入ってきたのではなく、もともとこの神によって招き入れられていたのである。


『住むところがない。存在するところがない。人々に忘れ去られたが為に、元いた場所を追われ、ここに来るものが多くいる。このような状況を、古道具屋はどう思う?』


『俺は……』


 とりあえず何か言わなくてはと口を開き、困惑して口ごもった。この神様は何故こんなことを俺なんかに尋ねるのだろうか。まるで俺を対等な者と扱うように。自分が正しいと主張すればいいのに。それをするだけの力はあるはずなのに。


 そんな疑問が伝わってしまったのだろうか。


『吾らはずっと人間と共に在った。田を見に行き、雨を降らせ、季節を運び、川に住み、人間と共に在った。だが、人間は吾らと袂を分かとうとしている。……忘れられるのは淋しいと、そう言う者が多い。だから、その時が、真に袂を分かつときが来てしまったのか、それが知りたい。古道具屋よ、どう思う』


 再度問いは投げかけられた。もはや、この質問に質問で返すことはできない。きっと、身体に自由が利いたなら、これが真に現実で交わされた会話なら、俺の掌は緊張で汗をかき、自分で自分の鼓動を聞くことができただろう。


『俺は……新しい物は好きです』


 この神様は他の者だけが淋しいと感じているように言ったが、そうではない気がする。自分自身が一番淋しいと感じたから神隠しを行ったのだろうと思う。そんな神様を哀しませたくはなかったから、正直に、どこまでも正直に話すことにした。

俺は真実新しい物好きだ。滅多にかけられない電話はいまだにドキドキしながらかけてるし、ここまで初めて乗る汽車にワクワクしながら乗ってきた。けど。


『だけど、古い物も大好きです』


 じゃなきゃ、このおとなしくない俺が家業なんて継ごうとするわけがない。陶磁器はじじくさいから苦手。それは本当だけど、苦手なのには他にも理由がある。あまりにもそこには「時」が現れすぎていて、俺みたいな若造が触っていいのかと畏れと気後れを覚えてしまうから。それは決して嫌いなわけではなく、むしろ好きだから起こる感情だ。


『誰も古いものが嫌いなわけでも、忘れられたわけでもないと思います。ただ、新しいものは便利だから凄く魅かれる面もある。外から便利なものがたくさん入りすぎて、皆焦って前まであったいいものに目を向けられなくなってるだけです』


 加速的に過去を失う東京で、それに目を向けるのは難しいことだ。だが、ここに来るような道では神への畏怖をも思い出すことができる。


『だから……忘れてません、忘れません。この混乱が収まればきっと、きっと……』


『もうよい』


 途中で冷たい声で遮られてしまった。うなだれて口を噤む。新しいものは便利で、ってやっぱり言わないほうがよかったかな……。


『古道具屋が先に、ほしかった答えをくれるとはな』


『え?』


『忘れないという、それだけの約束が欲しかった。それだけのために、最も吾らを忘れようとしている、この時代に即した成金や財閥の娘ばかりを神隠しにしたのは、馬鹿らしいと思うか?』


 さっきのは別に冷たく言ったのでもなく、普通だったらしい。……もっと感情表現を豊かにしてくれよ。さっきのは心臓に悪かった。


『いえ、馬鹿らしいとは。ただ…………ちょっと、おとなげないなぁと』


『おとなげないか』


 ほっとしたせいでとんでもなく口が滑った自分を心の中で罵る。


『そうかも知れぬな。あの者たちが、信頼できるとは分かってはいたが、ついつい試してしまった』


『あの……差し出がましいでしょうけど、あの二人は小難しく考える癖がついてるだけだから、言えば分かると思いますよ』


 気のせいかもしれないけど、くすりと小さく笑われた気がした。


『そうだな、古道具屋も一生懸命話してくれたのだ。吾も正面から話してみるのもよいかもしれない』


 その声と共に、遥か遠くに見えていた光が上の方へ上っていき、視界には闇だけが残っていた。





 気がついた時、倒れた俺を弓削と仁が心配そうに覗き込んでいるのが目に入った。


「あれ、神様は?」


 普通に声が出てくれたのにほっとした。いくらそんなに嫌じゃないって言っても、やっぱり自分の身体は自分で動かせないとな。


「もう帰られたよ」


 ってことはちゃんと上手くいったんだな。よかったよかった。


「しかし、驚いたな。こいつにこんな能力があるとは」


「ただ単に中身が空っぽだから入りやすかったんだろ」


「なんだって?!」


 せっかく仁が感心したように言ってたのに、弓削がしれっと失礼なことを言ってくれる。


「ま、神崎のおかげで解決したんだし、感謝しなよ」


「神隠しでいなくなった人もこの件が終わったら帰してくださるらしいし………あのお嬢さんにはすまないことをした」


 仁が決まり悪げに言ってくる。ということは……まさかこの二人に感謝されたり謝られたりしてるわけ? 非常に珍しい状況に不意に笑がこみ上げてきた。


「じゃあ、牛鍋チャラにしてくれよ」


「するわけないだろ。それとこれとは話が別。まぁもっとも……仁が奢ってくれるって言うなら話は別だけど」


 弓削が笑って仁のほうを見ると、仁は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

弓削は茶化すように言ったが、俺は気付いてしまった。俺の知る限り、初めて面と向かって仁の名前を呼んだ。たまたまかもしれないけど………この兄弟の仲が少しは改善されたと希望視しても、バチは当たらないよな。



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