ゲーム規制国日本、オリンピックeスポーツ代表選手を逃す!

碧美安紗奈

ゲーム規制国日本、オリンピックeスポーツ代表選手を逃す!

 夢を奪われたあの年。蔓延する新型ウイルスで世界中が混乱するなか、オリンピックが延期となった2020年の夏は、別の意味でも特に苦しい時期だった。


 ぼくには障害がある。だからといってパラリンピックに出れるわけでもない。

 あれは、あくまで特定の身体障害者が活躍できる場だ。ぼくの障害は該当しない、目に見えない心の障害だからだ。

 ネットでは、少しおかしな言動をすれば本当にその人がそうかどうかにかかわらず、罵詈雑言としても用いられていた言葉〝アスペ〟、アスペルガー症候群。自閉スペクトラム症だ。

 そんな酷い使い方をしているネットの人々も所詮は現実の反映、だからぼくはいじめられていた。


 もっとも、自分には誇れる特技もあった。


「今大会でも優勝です! すでに他のeスポーツでも連勝を重ねている、彗星のごとく現れた彼。将来が楽しみです!!」


 前年最後のとあるeスポーツ大会を、ぼくはそんな実況者の称賛で締めくくることができていた。

 自称するのもなんだが、アスペルガー症候群には狭い範囲への興味とそこに集中することでの才能の発露が見られることがあるという。医者はそのためではないかと診断した。そもそも、eスポーツはパラリンピックから溢れた障害者の活躍の場としても期待されていたし、ちょうどいい居場所だった。


 あるとき、学校の読書好きな教師はこんなことを言ったものだ。


「本は自分で読み進めるからいい、テレビや映画みたいに情報が勝手に流れ込んできて理解してるか否かにかかわらず過ぎ去ったりはしない。だから学習になる」


 それを聞いてぼくは思った。

 ならゲームはもっと学習になる。知る限り、最も文学に近い映像メディアなのだから。

 ゲームは美麗なCGムービーであっても、日本語の台詞でも字幕がついていることが多い。自分で操作して進んでいく以上、これからどうすべきか説明されていることもある映像の内容も理解していた方がいいからだろう。他にもキャラクター、アイテム、舞台、操作方法など、とにかく文章で補完されているところが他の映像メディアに比べて格段に多い。


 他方、映画好きの教師は言ったものだ。


「映画は総合芸術だ。映像音楽物語、全てを学んで楽しめる。だから素晴らしい」


 それを聞いても、ならゲームだって総合芸術だと思ったものだった。映像音楽物語に加えて、〝参加できる〟という特色まであるのだから。


 かくして、いじめられてきたぼくはゲームという生き場所を見出だし、そこでみんなを見返すことができるようになった。

 そう、思っていた。


「おい条例違反の不良」eスポーツでの活躍を機に離れていたはずの、平気で人を傷つける犯罪を繰り返す本物の不良たちが、そんな風に再び絡んでくるようになるまでは。「自慢の巣がなくなっちまったなあ、かわいそうに。ぎゃはははは!」


 なんでだ。


 ゲームが脳に悪影響を与えるとかいうゲーム脳なる疑似科学が批判されてからだいぶ経ったはずだった。

 脳を鍛えるゲームが社会現象となって効果も評価され、ハリウッドもディズニーもゲームの世界を題材にした映画やアニメを作ってヒットさせていた。もうゲームはとっくに、新たな文化として世界に受け入れられている。

 2016年のリオデジャネイロでのオリンピック閉会式では、総理大臣が日本生まれで世界にも通じるようになったゲームキャラクターのコスプレをして、2020年の予定だった東京オリンピックをアピールし、同ゲームキャラクターたちが登場する宣伝映像まで流れて会場は盛り上がった。

 その後、eスポーツがオリンピックに取り入れられるのではという話も出て、ぼくは内心大きな目標ができたようで嬉しかった。


 なのに。


『――県議会はネット・ゲーム依存症対策条例案を賛成多数で可決しました』


 テレビはそんな間抜けなニュースを伝えていた。

 ゲームは一日一時間なんていう、携帯電話もインターネットも一般的でなかった20世紀のゲーム業界で言われていた標語を21世紀に持ち込んだような、時代おくれの条例が故郷でできて、ぼくは目を疑った。一日一時間以上なんて、全く依存の範疇じゃないじゃないか。

 eスポーツはスポーツだ。五感で捉えられるゲームからの情報に対し、例え指先だろうと身体の動きに対応した操作で結果に反映する。これがスポーツでなくてなんなのか。操作方法だって、これからVRやARでその幅を広げていくだろう。日本産の、外で遊べる某モンスターを捕獲して育てるスマホ用ARゲームだって、つい最近世界でブームを起こしたのに!


 なんであらゆるスポーツが一時間などゆうに超えて練習をできる中、eスポーツだけが縛りを設けられねばならないのか。

 ネットで都道府県の境などなくなり全国どころか世界が繋がって一時間以上のイベントで競い合うなんてことはざらにあり、すでに全国都道府県対抗のeスポーツの大会も行われていて、あるゲームでぼくは県代表だったのに!!


 折しも、新型ウイルスを警戒して外出制限などがもうけられていた時期だった。大人たちは家にいろと言いながら、そこでできることを減らし、ぼくは廃人のようになにもせず引きこもるようになった。

 これまでぼくは校則さえ破ったことがなかった。アスペルガー症候群の人は、言葉のあやがわからずいろんなことを真に受けがちな場合があるという。そのせいかもしれないが、それは理不尽な決まりごとも重く受け止めてしまいがちということでもある。なので到底無理なルールを押し付けられ、それに従わねば不良のように思われることへのストレスは半端ではなく、大人たちへの不審だけが募った。


 しかし、所詮選挙権のない子供だったぼくに抵抗の術はなく、暑くて空しくて怖くて寂しい2020年の夏は、ただじっとりと過ぎていった。

 まもなく、他の都道府県もこのゲーム規制条例を真似、国も真似た。


 IOCがオリンピック競技にeスポーツを導入することを決めたのは、そこからだいぶあとのことだった。


 当然、日本はその分野で大きな遅れをとることになった。


 日本生まれで世界にも通じるゲームキャラ、マリオに扮して世界にオリンピックをアピールした日本は、その分野で落ちこぼれた。


「日本はマリオでなくスペランカーだった」


 と。自分の身長の何倍ものジャンプ力を有するマリオでなく、自分の身長ほどの高さから落ちただけで死んでしまうゲームキャラクターになぞらえて世界中から嘲笑された。


 日本の権力者たちは不要な規制を設けて、自分たちで国の活躍の場をなくしたのだ。


 子供には無限の可能性があるなどと綺麗事を言いながら有限にされた。

 ぼくの曾祖母は幼い頃本の虫だったそうだが、昔は本を読みすぎるとバカになると怒られたと聞いたことがある。

 結局現代でもそんな風に、新しい時代についていけない大人たちが理不尽をもたらしたとしか思えなかった。


 ……そしてさらに年月は流れた。


「失われた2020年の東京オリンピックと同時に、規制によって大きく出遅れた日本のeスポーツ分野。されど唯一の日本人選手が今、競技の舞台に立ちます!」


 実況の紹介と共に、十代後半になったぼくはオリンピック代表のeスポーツ選手としてそこに出場した。


 五輪のための専用ソフトによる、複数ジャンルを融合させた対戦ゲーム競技。

 アスペルガー症候群は平均知能指数が健常者のそれより高いこともあるそうで、幸いなことにぼくもそうだった。だから、障害を才能として活かす道を研究し、編み出した。

 まず、日常生活に支障をきたすこともある障害に伴う感覚過敏を逆手にとり、五輪専用コントローラーの配置ゆえに手の動きが出す僅かな操作音、画面全体のあらゆるエフェクトなどから対戦相手の次の出方を普通に反応するより早く予期して対処する。さらに、空気が読めないという嫌われがちな特性も利用、対戦相手が一般的にとる手段と想定しているこちらの動きを予測不可能なものにする独自の操作術も開発した。


 かくして、ぼくはメダルを授与できる立場にまで到達。初のオリンピック大会で華々しい成果を残すことができた。


 ……けれども残念ながら、ぼくは日本人選手ではあるが日本代表選手ではなかった。そうでなければ規制によって鍛練を重ねられなかったのだから仕方がない。


 でも、ぼくは諦めてはいない。

 この分野で活躍して、故郷の大人たちに過ちを認めさせてやるつもりだ。

 それが新しい夢。


 そう、試合ゲームはまだ、始まったばかりだ!

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