2020年9月22日

 ダザイはもう現れない。おそらく、種それ自体が滅んだのだろう。ないとは言い切れない。地球上では毎年、数十から数百にも及ぶ動植物が絶滅しているのだ。あの時、私が水槽へ放り込んだダザイが種の最後の個体だったとしても何ら不思議ではない。それとも、これまでに私が目にしたダザイなる甲虫はやはり私の脳内にだけ存在した妄想で、SNSでシェアした写真も精神の極限状態で発現した念写という私の異能だったのだろうか。残念ながら、ダザイの現れなくなった今となっては、それを確かめる術は永遠の彼方へと失われてしまった。


 そんな夢か現か判断のつかないことなどは、もうどうでもいい。私が心を傷めているのは、先日、事故的に殺害してしまった、ペットのミステリー・クレイフィッシュのことである。何がミステリーかというと、単体で増えるのだ。つまり、オスが元から存在しない種のザリガニなのだ。殺害の顛末はSNSで触れたが、要約すると、水槽から脱出したザリガニに気づかず、床を這っていた彼女を暗闇の中で踏み殺してしまった、といったところである。ウチに迎え入れた時に臆病だったのは、まもなく抱卵したことで外界の刺激に過敏な時期だったからなのだろうとわかったが、その後も彼女は日がな一日物陰に隠れっぱなしで、餌の時以外はまったく姿を現してくれなかった。私が水槽を覗き込んだだけでも、魔弾を射出するような速さで身を潜めてしまうほど臆病だった彼女。あれほど注意深く生きていた彼女は、カーペットの上という、普段棲み慣れた水の中という潤いに満ちた世界とは正反対の、未知なる数多の雑菌が蔓延はびこる荒い繊維で出来た乾き切った異世界の大地の上で、信じられないような大きさと質量と重量とを兼ね備えた、私という未曾有みぞうの超巨大生物に踏み潰されてその生涯を閉じた。果たしてこんな異常な出来事が我が身に降りかかろうなどとは、一体誰が想像し得ようものか。それまで餌を、生きる糧を与えてくれていた生物、つまり私によって彼女は殺されてしまったのだ。こんな矛盾があっていいわけがない、と真実を知ったザリガニの彼女は思うだろう。あんなに餌に必死に食らいつき、なるべく目立たないよう無駄なことはせず、穏やかな生涯を送ろうとしていた彼女は、ザリガニにとってはあまりにもエクストリームな最期を経験することとなってしまったわけだが、ここから得ることが出来る教訓は一つしかない。ビビって生きても死ぬ時は死ぬである。最後に、今までありがとう。私は君には謝らない。それは必死に生きた君に対する冒涜のような気がしてならないからだ。冥福を祈る、ザリ先生。

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ダザイ 混沌加速装置 @Chaos-Accelerator

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