何も持たないところへ

梧桐 彰

何も持たないところへ

 ケンに最初に会ったのはいつだったかな。


 たしか、ハンブルクのKARATE1カラテワン・プレミアの大会だったはずだ。ちょっとググらせてくれ。2016年。4年前だ。でもなんだ、それが随分前なのか最近なのかって言われると、あんまりピンとこないね。


 ただ、ケンと最初に会ったときの事はよく覚えてる。ハッキリいってガキだと思ったよ。


 だってさ。こう言っちゃなんだけど、当時のケンとオレとじゃ、立場が違ったんだよ。こっちはレジェンド。欧州大会と世界大会で金メダルが2桁。ワールドゲームズもイスラム諸国連合競技大会でのチャンピオン。そこらへんを総ナメしてきたんだから、気にするほうが難しいってもんだよ。


 オレの母国、どのくらい知ってる? アゼルバイジャン。どこだっけってカンジか? 学校の教科書で、バクー油田くらいは聞いたことあるかな。オレの生まれたスムガイトはそこからちょっと離れた、カスピ海ってデカい湖のそばだ。


 そんな小さな国の選手に、絶対王者スペインも、空手王国フランスも、母国ジャパンも、だれも勝てやしなかったのさ。


 オレが得意なのは投げだ。カラテに投げなんてないって思ってるか? あるんだよ。カラテのルールから説明したほうがいいのかな。競技は演武の正確さや力強さを競う「カタ」と、体重別で互いに攻め合う「クミテ」の2種目だ。オレはそのクミテの75キロ以下級の選手ってわけ。ちょっと見方が難しいスポーツなんだけど、キレイなフォームでパチッと当てて引く。その一連の動作で得点だ。バチコーンってなぐり倒したらダメだぜ。それができるけどあえてやらない、そういう動作を競うんだ。


 でね、世界で上に行きたけりゃ、投げができなきゃいけないんだよ。パンチは1点、キックなら腹を蹴って2点、頭を蹴って3点。ところが投げて上から突いたら3点ももらえるのさ。こいつができると一気にポイントが引き離せるんだな。終了時の点差で基本的には決まるから、3点はデカい。


 投げのタイミングはいろいろだけど、突きをお互いに出して体がぶつかり合った時がチャンスだ。たいていの審判は、お互いの距離が詰まっちまうとパンチやキックじゃポイントを取ってくれない。だから普通の選手はそこで仕切り直しになると思いこんじまう。つまりコンマ2秒くらい、意識の空白が生まれる。


 ところがオレの勝負はそこから始まるんだ。


 意識が途切れて相手が棒立ちになる瞬間。一瞬の勝負だ。柔道みたいに取っ組み合ったら反則だから、さっと投げを入れて上から突く。自分で言うのもなんだけど、オレはこれが天才的にウマい。


 俺はそれで勝ってきた。勝った、勝った、いやってほど勝った。2008年のトーキョー大会で、オレは世界空手連盟会長のアントニオには「空手界のダイヤモンド」って呼ばれたんだ。


 これで、ケンとの初対面なんて、ロクに覚えてないの、わかるだろ。


 もちろん、ジャパンに強い選手がいるのはわかってる。性別や階級が違う奴ならたくさん知ってる。女子のウエクサ。オレより一階級上のアラガ。ほかにも何人か。


 だが、ケン。何者だ。


 オレはそんなヤツ知らない。聞いたことない。格下だ。ジャパンだからってビビる理由なんかない。そう考えて試合場に立ったってわけ。


 ケンは長身痩躯で180センチ。165センチのオレよりかなり高いけれど、それはいつものこと。まあ、親父が有名なカラテ家だからな。せいぜい厳しくしつけられて、よく練習したんだろうなってぐらいのイメージだ。


 ハンブルクの大会は、そんな気分で始まった。


 試合序盤はいつも通りだった。オレは競技場を回りながらステップを踏んで右へ。ケンも同じ方向へ。それからふともう少し様子を見ようと、今度は左へ回っていった。お互いに牽制を繰り返したが、なかなかいいタイミングが来ない。


 そうやって一分半くらいが過ぎたあたり。最初のチャンスが来た。オレはケンのパンチをぐっと姿勢を低くくぐって、胴に組み付いて投げに入った。


 ところが思ったより腰が強い。逆にケンがオレの体を大きく振り回した。両手のつかみ投げになったから点数はナシだけど、ヤバかった。でもいいや、始まったばかりだ。試合時間はまだ半分以上ある。いいタイミングはまだ来るはずだ。


 ところがだ。そこでだ。次の仕切り直しが始まってすぐの時だ。オレが下がったわずかな瞬間を、ケンは見逃さなかった。

 

 気が付いた時には腹に確かな感覚があった。キックだ。中段蹴りだ。あっと思った時には副審の旗が上がり、ケンが大声で吼えていた。


 2ポイントを取られた。そしてやっと気が付いたんだ。こいつはタダ者じゃないってな。


 後半に入った。オレもケンも積極的に攻めに行く。そこで、ついに来るべき時が来た。詰められた瞬間だ。オレは上段を蹴った。180センチのケンのコメカミへ高く蹴りを振り上げたんだ。いけるはずだ。いけるはずだ。オレのキックは190センチまで届くんだ。


 どこに油断があった? どこに慢心があった? ケンはガッチリとオレの蹴りを受け止めて倒しこんできた! 投げられた! 信じられない!


 ケンのパンチが上から降ってくる。的確な寸止めだ。また副審の旗が高く上がる。やられた! ちくしょう! やられた! 今度こそやられた! しかも、オレの得意な戦法で!


 試合は続いたけれど、この一発で勝敗は決まった。時間が切れるまで点数は覆らなかった。5対0だ。なんてことだ。ボロ負けだ。ハンブルクの体育館で呆然とするオレの手をケンが握りしめてきた。気づくのが遅すぎた。オレは、とんでもないヤツを相手してたんだ。


 それがオレとケンの最初の試合だった。


 さて、そのあとどうなったと思う。一進一退、いいライバルになった? フィクションならそのほうが面白いだろうな。違うよ。現実は厳しいね。そのあとケンに6回も負けたのさ。勝ったのは1回だけさ!


 わかるか? オレのプライドはズタズタだ。もう当時はケンの顔なんか見るのも嫌になったよ。試合が終わっても握手なんかしてやるもんかって、顔背けて試合場を後にしてたね。スポーツマンシップ? 知らないね。みっともない? そうだよ。だからどうした? とにかくあのジャパンのガキなんて二度と見たくない! そう思ってたよ!


 でもな。スペインのマドリードの試合の時。この時に、オレとケンの関係はちょっと変わったんだ。その時、オレたちはどっちもふるわなかった。優勝したのは絶好調だったイランのバーマンで、ケンはそいつに負けた。オレはイタリアのわけわからん奴に負けた。敗者復活戦で2人とも3位になって、表彰式の控室でオレはケンの隣に座った。


 まともに話したことなかったなって、ちょっとケンのほうを見てみたんだ。そしたらずーっと携帯いじってるんだよ。外国だとカネかかるのに。


 日本人はあんまり社交的じゃないって聞いてたけど、それかなって思った。けれどそのうち、ははぁ、こいつ気まずいんだなってわかったよ。もうオレはレジェンドじゃないし、そうしちまったのはケンだからな。なんかおかしくなっちゃってな。なんだよ。お前が次のレジェンドなんだぞ。何しょぼくれてんだって思ったね。


 でもなんかそこで、オレも変なこと考えてるなって思えてきたんだ。


 オレより強いケンも今回は3位だ。オレも3位だ。いったい、レジェンドってなんだ。強いってなんだ。毎回毎回、トーナメントに乗っちまったら、なんにも持たないでゼロからスタートなのに。格上とか戦績とか、試合上に持っていけないもの背負って、なんか意味あるのか。そんな気持ちがムクムクと沸き上がってきた。


 そもそもカラテってのは、中国の武術って意味らしい。カラは中国、テは武術ってこと。でも日本の文字で「空手」って書くと、それは「素手」って意味もある。オレはこっちの意味が好きだ。


 オレたちは毎回、何も持たないで試合場に行く。そして何ももたないで帰ってくる。勝敗とかメダルとかはあるかもしれないけど、試合の間はゼロだ。なにも持たない場所で過ごす、なにも持たない時間だ。


 オレは突然、ケンの目の前に携帯の写真を差しだした。「だれ?」って変な顔で聞かれた。「オレだ」って答えたら、急にケンが明るい顔になった。レジェンドでもない、強くもない、なんでもないオレの写真を見てケンが笑った。


 「かわいいね」ってケンが言った。大笑いしたよ。何言ってんだこいつ。大の男に向かってかわいいだってよ! でもなぜかな、その言葉がムチャクチャにうれしかった。若造が10以上年上のオレに向かって、子供に話しかけるみたいな言葉で答えてきたのが、たまらなくおかしかった。


 その時から、オレはケンと勝負がしたい、いつだって、どこだって、あいつと勝負がしたい、そう思うようになったんだ。


 思い出話はそのくらいで終わりかな。


 2020年。夏。東京のオリンピックは流れちまった。それをどう思ってるか。あんたたちが聞きたいのはそれだろう。わざわざその当日にこんな番組を作ってるんだからな。


 でも、残念かもしれないけど、それは俺にとって大事なことじゃないんだよ。今年だろうが来年だろうが、そんなことは小さなことさ。


 このインタビューではっきり言っておきたい。大事なのは、ケンか、オレかだ。


 場所じゃない。時間じゃない。互いが互いに互いをぶつける、それがオレにとってのオリンピックなんだ。


 さて、このくらいでいいか? まあ適当に格好よくたのむよ。編集したり加工したりしたって構わないからさ。


 あいつのところへは、何も持って行けないからな。


(了)

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