第2話 『3日が経った今もなお、雪は降り続いている』

つ 冬休みのとある日。

 僕は家の近くで、何かとヘンテコな喫茶店を見つけた。いや、変なのは店だけじゃない。というか、店よりも変なところがある。


 その店のマスターは、猫だ。

 人間の形をした、白猫だ。


 ヒトのように直立し、人間の言葉を話し、ホモ・サピエンスのように物事を思考する。本来ならそんなのファンタジー世界にしかいないはずなのに、マスターは確かにそこに存在していて、暖かいコーヒーを淹れてくれたのだ。

 僕は、ヒトと他の動物がかけ合わさったような、現実に存在しえないはずのソの名前をしている。


 獣のような人間。

 人呼んで「獣人」だ。


 ***


 住宅街に佇むダークブラウンを基調とした喫茶店。ある日突然現れてそのまま営業している。店自体の変なところはそれだけで、ほかは至って普通の喫茶店、だと思う。

 今日の僕にはやることが無い。高校1年生の冬休みなんて多分そんなものなのだろう、世の3年生が必死の追い込みをしているさなか、僕は呑気にあの喫茶店へと足を運んだ。


 家から徒歩5分ぐらいの所にあって、気が向いた時にはすぐ行ける。毎日行っていたらさすがにお金が尽きてしまうので、何日かに1度来ることに決めた。というか、ここのコーヒーを毎日飲めるぐらいのお金をバイトで稼いでやろう。新たな目標が出来た。


 ふらっと歩いただけで、店にすぐたどり着いた。扉の上の看板には"Cafe Blue-Cat"と筆記体で書かれている。前回来た時は何も見ていなかったので、店の名前を認識するのは初めてだった。


「ブルーキャット……青猫? マスターは白猫なのに」


 僕は目線を前に移して、程よい重みの扉を開いた。店内では洒落たピアノジャズの音楽が流れている。中ではテーブル席に座る数人の客が淑やかに会話し、奥のカウンターで微笑むマスターがカップを布巾で丁寧に拭いていた。

「いらっしゃいませ」


 ***


 そのまま歩を進め、僕はマスターの真ん前の席を陣取った。

「ふふ、本日のカウンター席の1人目のお客様です」

 えっ、また? と思わず聞き返していた。けれどまあ今日はまだお昼時で、開店からも時間は経っていないし、店自体がオープンして間もないのだから、マスターとの顔なじみは僕ぐらいしかいないのだろう。いや、そもそも僕はマスターとの顔なじみなのだろうか。まだこの店には2度しか来たことがないし、店の名前を知ったのもつい先程の出来事だったから顔なじみを名乗るのもおこがましい。


「あっ」と思い出した声を漏らし、僕は気になったことをマスターに質問してみた。

「どうなさいましたか?メニュー表はこちらになりますよ」

「ああ、どうも。でもそうじゃなくて……」

 店に包まれるように充ちたコーヒー豆と紅茶葉の匂いを堪能したあと続けた。

「店の名前のことなんですけど。マスターは白猫なのに、なんで"Blue-Cat"なんですか?」

「あー……それね。特に理由はないですよ」

「え、そうなんですか」

「まあその場の思いつきってものです」

 個人的に意外だった。もっと物事をしっかり考える人だと思っていたのだけれど……。

 でもまあ告知もなしに喫茶店を開く人だから案外適当なのかもしれない。細かいところにこだわって大きいところを適当にするのも些かどうだろうとも感じるが。


 これ以上店の名前について話すこともなさそうなので、マスターに注文をして話題を変えた。

「注文で、ブルーマウンテンをお願いします。……それにしても、今日もまた雪が凄いですね」

 マスターの耳がピコンと揺れて、話が移った。

「そうですねえ。あなたが来てから3日経ったのに、あれからずっとです」

 落ち着いた、紳士的で、それなのに猫なで。マスターという人(猫)をそのまま写したような声が、かかっているジャズと混ざり合いそうで、それでいて互いを潰さない。

 まるでそれはコーヒーのブレンドのような……やっぱり恥ずかしいからやめよう。

 それはともかく、だ。マスターの毛の色のように白い雪が、ここ三日三晩絶え間なく降り続けている。もっと北の街であれば当たり前かもしれないが、この街は毎年雪が降るか降らないかというレベルで、だから2日も降ったら大騒ぎなのに、街のお母様方の世間話は雪のことで持ち切りであった。

「不思議ですよねえ。雪が止まないなんて話、聞いてなかったんですけどね」

 マスターは話しながら、コーヒーをドリップし始めた。コポコポと鳴る音と共に、小さな泡が弾けるように芳醇な香りが広がり始めた。覗き込まないとマスターの手元は見えないが、その手つきは想像でもよく分かる。


 しばらくして、淹れたコーヒーを受け皿と共に手渡された。

 ミルクと少量の砂糖を加えて、温かいうちにいただこう。

 左手の人差し指をカップの取っ手に通し、親指を軽く添えて口へと運ぶ。正しい作法などは全く分からないので、僕はただマスターの淹れたコーヒーを味わうことだけを考えた。


 カップから舌の上へと運ばれたコーヒーがそのまま真っ直ぐ喉へと向かう。熱々でほろ苦いものが身体へと流れていくのを感じる。

 ごくり。カップを口から離してすぐ、僕は心からの素直な感想を伝えた。

「おいしい……やっぱりとてもおいしいです」

「ありがとうございます。そんなにとろんとした顔でおいしいって言われると照れますね……」

 とろんとした顔。そういわれて慌てて表情を少し引き締めた。しかし口に残るコーヒーの味がそれを引き止めにこやかな顔に落ち着く。

「マスターが丁寧に淹れてくれたことが伝わってきます……すごいや」

 マスターはいっそう砕けたほほえみを浮かべている。コーヒーを褒められて嬉しく思っているのだろうか、案外そういう純粋な面も供えているのかもしれない。

「こんなに美味しそうに私のコーヒーを飲んでくれる人は初めてです。店を開いた甲斐がありました」


 ***


 それから僕は一滴と余すことなくカップのコーヒーを飲みきった。

「お会計お願いします」

 マスターは「はい」と応え、そのままカウンターを降りて店の扉の方にあるレジへと向かった。

「……って、カウンターでお支払いするんじゃないんですね」

「今は空いているのでそれでもいいんですけど、混雑するとカウンターでやり取りするのは大変そうだと思って別々にしたんですよね」

 曰く、バーのように店の一番奥にカウンターを作りたかったらしい。確かにお洒落でマスターらしいけれど、ここでお会計となると他のテーブル席の人はやりにくいだろうなあ。

「でも、こうして人のいない時にも移動するのは大変ですね……」

 続いて、マスターはコーヒー代を電卓に入れて見せた。コーヒー1杯なので口頭でいいのではないかと思うが、わざわざレジに移動して会計するのも含めてデモンストレーションを兼ねているのかもしれない。

 僕は410円ちょうどを支払い、店の扉を開けた。雪は止む気配を見せず、入る前と全く同じ様相だ。

「では、またお待ちしております」

「もちろん」

 振り返って扉を閉め、真っ白な住宅街を歩いて家に向かった。

 コーヒーは体の芯を未だに温めてくれている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

常連とバイトは紙一重 イヌガミユキ @inugami_n1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る