常連とバイトは紙一重
イヌガミユキ
第1話 『あなたが1人目のお客様です』
賽銭を投げ入れ、二礼二拍手一礼と共に願いを念じる。まあ詳しい作法はよく知らないけれど、とりあえず神頼みするには十分だろう。
「今回こそは受かるといいんだけどな……バイト」と呟いて神前を後にする。今回の面接で4件目なのだが、どういうわけか今までの3件で尽く不採用を通達された。高校生のバイトなのに採用氷河期とも言えるような落とされぶり、どれだけ僕は信用に足らないのだろう。
まあきっと運が悪いだけなのだ。だから今回こそ採用されるだろう。4度目の正直だ。
そのまま、雪で滑りそうな階段を降りて境内の外に出る。住宅地に出るのでそのまま家に向かってあるいた。
しばらく歩くと、見慣れない立て看板が目に入った。
「あれ、こんな所にカフェあったっけ……?」
間違いなくそこは黒と紺を基調とした喫茶店だった。でも毎日通っている道なのに今まで気づかないなんて、そんなことあるのだろうか……。
心惹かれた僕は、まっすぐ帰ることを忘れてそのまま喫茶店の扉に吸い寄せられていった。
開くとカラカラというお馴染みの音が鳴った。扉を閉めて、僕は店内に目を向けた。
その瞬間、信じ難い光景が目に入った。
「いらっしゃいませ」とマスターが言い、続けて笑顔で「あなたが当店1人目のお客様です」と歓迎された。
が、普通はここで喜ぶべきなのだろうが、今の僕にそんな感情が湧く余地などなかった。もう1度目を擦ってよく見てみたけれど、微笑むマスターが変わらずそこにいて、空いた口が塞がらないまま「え……えぇ?」と情けない声を漏らしてしまった。
明らかに、マスターは人間ではない。
上に耳が生え、アホ毛が生え、体が白い毛で覆われている。顔立ちはむしろ猫のそれで、少なくとも僕の知っている人間ではない。でもすらっと二本足で立っていて、眼鏡も掛けていて、立派に言葉を話し、カップを布巾で拭いていた。
しばらく唖然としていると、マスターの方から喋りかけられた。
「たいへん驚かれてますね、ふふ」
ふふ、ってなんだ!? と内心ツッコミを入れてしまった。ツッコミじゃ足りないレベルだ。
少し冷静になって、僕は思い出した。他の動物とヒトの特徴を兼ね備えたもふもふ人間の総称を。それは……そう。
「獣人……?」
「はい、いかにも。もっと緩く"ケモノ"とも呼ばれます」
物腰柔らかな態度と声でマスターが答える。
「やった〜、正解だ……ってそうじゃなくて! その、ケモノってマジで……?」
「そんな驚かなくても……広い世界ですから、1人や2人いたっておかしくないでしょう?」
「いたらおかしいからビックリしてるんですが……まあいいや、初めまして」
だんだんツッコんでも意味が無い気がしてきた僕はそのまま真っ直ぐカウンター席へと歩を進めた。
*
「改めまして、いらっしゃい。記念すべき当店1人目のお客さんですよ」
「あ、そういえばそんなこと言われてましたね……すっかり忘れてました」
僕は1つ、気がかりなことがあった。
獣人騒動(?)に気を取られていたけれど、よく考えたらこっちはこっちでおかしな点がある。時計に目をやって、再び猫獣人の顔を見て質問してみた。
「あの……開店1人目とは言いますけど、もう16時じゃないですか。さすがに1人ぐらいは来てくれると思うんですけど」
昼に休みを入れて夜に備える居酒屋じゃああるまいし、こんな時間まで1人も客が来ないなんてことあるのだろうか。
「それが、本当に誰も来なかったんですよね。まあ開店告知も何もしてないですし今日は平日ですからね」
「そっか、僕は冬休みだから……って」
些細なことだけど次々ツッコミどころを挟む人だなあと内心さらなる驚きを感じている。
「よくそんな開店のしかたしましたね……」
「静かで隠れたカフェにしたかったんですよ。本当は裏路地に開きたかったんですけどやめておきましたからこれでも分かりやすい方です」
「それは英断でしたね。裏路地だったら当面誰も入ってなかったですよ」
*
話が比較的落ち着いてきたところでマスターに注文をする。今日はたいへん冷えるのでホットカフェラテを頂くことにしよう。
「ところで、今日は何かなさってたんですか」とマスターから話しかけられたので「はい、バイトの面接を受けに行きました」と受け答える。面接を受けた後だからかすこし固い返答をしてしまった。
「へぇ、どんなお店です?」
「ファミレスです。ほら、あの『ロイヤルキッチン』っていうお店」
「ありますあります」
「……これで応募4件目です」
愛想良く相槌を打ってくれていたマスターから若干「あ……」みたいな声が漏れていたのを耳が捉えてしまっていたが気にしないことにしよう。自滅だし。
「あ、あの。ホットカフェラテです」
僕の自滅をフォローするようにコーヒーを渡された。僕は猫舌なので少しだけフーフーと冷まし、小さく1口頂く。
「……おいしい」
「ありがとうございます。 ……なんだか、おいしいって言って貰えるととっても嬉しいです」
マスターの顔がさらにホッコリしたのを見ると、本当に嬉しいんだろうなと思う。心なしか耳もピクピク揺れている。
「あ、話切っちゃいましたね……なんでしたっけ」
「えーと……そうそう、バイトだ。それで、今度こそは受かりますようにって神社にお参りしてきました。その帰りにここを見つけて寄ってみたって訳です」
「そこまでしてるなら今度こそ受かりますよ、大丈夫です」
「これでお参り4回目です」
励ましてくれていたマスターから若干「うっ……」みたいな声が漏れていたのを目で捉えてしまったが気にしないことにしよう。2回目だし。
凹んでいたら、ちょうどカフェラテを飲みきった。そういえば今日は早く帰って来て欲しいと親から言われているのを思い出した。
「すいませんマスター、もうそろそろ帰らなきゃ。お代いくらですか?」
「ふふ、記念すべき1人目のお客さんですから今日は結構です」
「え?」とさっきとは違う驚きをしてしまった。困ります困りますと申し上げたが、それでもマスターはふわふわにこにこと表情だけで、無言で受け取らないことを伝えてきた。
「だから、今日はお代はいいです。その代わり」
「代わり……?」
少しだけマスターの表情が変わった……気がしなくもない。続けてマスターはこう言った。
「その代わり、また来てください。私のコーヒーをまた飲んでいただきたい」
告白みたいな言葉に少しだけ狼狽してしまったが、きちんとお返事をした。
「ええ、絶対来ます。バイト採用されて来ます!」
「あ、次いらっしゃった時はお代頂きますね」
それはもちろん。2倍払わせてください。
荷物を軽く整理し、席を後にする。マスターから「お待ちしております」と言われたので僕も会釈をし、店の扉を開けた。
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