葬祭の色と祝祭の色(3)

 祭りの朝は晴れていた。


「行くのか?」


「仕方ないね。祭りは今日の深夜までかかるから、明日の朝になってから家出てね。喪服は村長さんに預けといたから、多分明日の昼までは誰も家には来ないと思うし安心していいよ」


 仕立屋は白い死に装束を着て玄関に立った。ドレスと言うにはちょっと簡素で、喪服と言うにはフリルのつきすぎている服だった。おととい取り乱していたとは思えない平静さだ。昨夜はほぼ徹夜で喪服を仕上げていたのに、元気がよい。人が手伝うって言ってるのに断るから、徹夜なんて羽目になるんだ。


「ん。今までどうもありがとう。行ってらっしゃい」


 一度、何を言われたか分からないと言うように瞬き、次いで帰ってこないと分かっているのにこんな言葉をかけてくる俺に向けて苦笑した。そして


「行ってきます」


 帰ってこないと分かっているのにこんな言葉を残して、出かけた。服の裾についているレースが風に靡き、地面に模様を刻んでいくのが見えた。


「誰が別れの言葉なんて口にするか。俺は諦めが悪くて、迷信深くないんだよ」


 そう一人ごちて、準備を開始した。




    * * * *




 神への供物の引渡しは、教会の裏にある山の中で行われる。古びた簡易な祭壇が組み立てられていて、その上で今年の収穫の一部であろう麦と羊毛と共に仕立屋は膝を抱えて心細そうに座っている。俺が後ろから音を立てて現れるとバッと振り返り、次いで驚いたような顔をした。


「よう」


「どうして………明日までは出ちゃ駄目だって言ったのに」


「だってさ、この祭りかなんかで村中の人が教会に集まってて、簡単に出られたぞ。と、いうわけで迎えに来た。村に帰るぞ」


 そう言うと、仕立屋は顔を曇らせる。


「だから、私は帰れないって、生きられないって言ってるじゃない。神サマに捧げられるものだもん。私は……っ」


 言い募り、だんだん泣きそうになってきたので、割ってはいる。


「その神サマを伸してきたって言ってもか?」


「へ?」

 

 仕立屋は今言われたことが理解できなかったと言うように、間抜けに口を半開きにしたまま俺を見つめた。それがあんまり面白かったので思わず笑ってしまう。


「何なら見てみるか?」


 そう尋ねると仕立屋は渋ることなく意外と素直に頷いた。


「この山結構険しいな。負ぶってやるからこれ代わりに持って」


 今まで背負っていた猟銃を仕立屋の肩に掛け、しゃがむ。仕立屋は恐る恐る手を肩にかけて負ぶさる。小柄だから軽い。


「わっ、わっ」


 普通の速さで立ち上がると、仕立屋は慌ててしがみついてきた。うん、それぐらいしっかり持ってもらったほうが背負いやすい。


「ねぇ、伸したってどういうことなの? バチ当たっちゃわない?」


「うーん……絶対当たらないと思うよ」


 両手がふさがっている状態で茂みの中を歩くのは結構骨が折れた。しばらく無言で歩く。ちょっと登って汗をかき始めた頃、それは見えた。


「ほれ」


 目の前には、山賊と思しき人物たちの倒れる様。全て気絶して、縛られている。全部で五人。


「どういうこと……?」


「神サマなんていないんだよ」


 そう、神なんてものはいなかったのだ。憶測でしかないのだが、昔村とこの山賊達が契約をしたのだろう。『収穫の一部と若い娘をくれてやるから、村を襲うな』と、そんな契約を。危険も無く物が巻き上げられるのだから、山賊にとっても悪い話ではないだろう。きっと昔からあったこの契約が村の中で忘れられ、山賊達が覚えていたがために形式だけが残ったのだ。今では昔この辺りで山賊に悩まされたことすら村人は知らないだろう。もし知っている人がいたとして、それはこの祭りの司祭をやっている村長ぐらいのものだ。


「これって全部マレビトくんが?」


「うん、そうだよ」


 そう簡単に答えるには苦労したが、そんな詳しく説明するつもりもない。猟銃を使って狙撃した。動きを封じてから近寄り、気絶させてふん縛った。うーん、我ながら卑怯。


「私はこの人たちに売られるはずだったの?」


「うん、そうだね」


 もっとくどくど説明しなきゃいけなかったら面倒だなと思っていたのだが、思いのほかに飲み込みが早くて助かった。そう呑気に考えていると、背中から微かな震えが伝わってきた。それは遅まきながら感じた恐怖か、それとも安堵のためか。


「知ってたの?」


「そうじゃないかと思ってた。俺ってあんまし神サマって信じてないから」


「…………とう」


「ん?」


 あんまり小さな声だったので、聞き取れなかったから聞き返した。


「ありがとう」


 微かな震える声で、そう帰ってきた。


「村に帰るよな」


「うん、ありがとう」


「うん」


「助けてくれてありがとうね」


「うん」


「本当にありがとうね」


「うん……」


 仕立屋は、何度も何度も震える声で、その言葉だけを繰り返した。




    * * * *




 何も入っていない棺は真白き布で覆われ、その周囲は白き花々で囲まれている。参列者も皆沈痛な面持ちで真白き服に身を包んでる。沈黙と悲しみが教会を満たし、空気が重々しくなる。


 葬式の段取りとして次は修道女が神に祈りを捧げる場面である。その役を受けた修道女が祭壇の前に跪き、指を組んで頭を垂れた。


 祈りの言葉を捧げようとしたとたん、別の声が教会で響いた。


「長い年月の間の務め、ご苦労であった」


 軽くビブラートがかかった低い声は、その場所が教会だということも手伝ってとても重々しく荘厳に聞こえた。一時の間、村人の間でざわめきが起こる。


「今まではそなたらの誠意を計るためにこの祭りを行ってきたが、もはやその必要はない。これより先は代償なしでもこの村を守ることとする」


 数人が「神の声だ」と呟いた。それが徐々に全体に広がる。こんなことは初めてなので神に仕える司祭や修道女も驚いている。


「捧げられた命は皆、別の場所で普通に人生をまっとうしたので、心配せずともよい。ただ、その者たちが本意でなかったのに村を離れたことだけは、忘れるでないぞ」




    * * * *




「あのときの村長の顔笑えたー」


 仕立屋はあの場面を思い出したらしく、パンパンと膝を叩いて爆笑している。やたらと、違和感があるほどハイだ。


 今は夜で広場に村中の人が集まっている。お祭りをしているのだ。と言っても例の収穫祭の一環ではない。


 これからは誰も生贄にならずにすむということを祝って。


 仕立屋が無事に助かったことを祝って。


 今まで生贄になった者達が誰も死んでいなかったことを祝って。


 それで今、誰もが純白の服をまとって広場に集まっている。せっかく作りたての服があるのだから、それでお祝いしてもいいじゃないかと。せっかく古い辛い風習がなくなったのだから、ついでの別の風習も壊してしまえと。


 俺達は教会の裏手の山からそれを見ていた。仕立屋がどうしても自分の服の使われ方をこっそりと見ていたいというので、仕立屋を村に届けて俺が町に帰るのを先延ばしにして、そこから村を見ていた。


「結局、村長とその周りの数人だったね」


「うん、顔色変えてたし、今も集まってぼそぼそと話してるしな」


 真実を知っていながら少女たちを見殺しにしていた人々は、今まで存在しないと思っていた神の突然の出現に、自分たちに罰が当たるのではないかと怯えていた。


 ………まぁ、もっとも、俺がそうなるように仕向けたんだけど。


 そういうこと。あの神サマは俺でした。やっぱりちょっと意趣返しがしたかったから、仕立屋に考えてもらった。教会の祭壇の裏側にはパイプが通っていて、しかも亀裂が入っている。そしてそのパイプは教会の裏手まで続いているのだ。昔使われていて、今は忘れられたそれを使って、神サマのフリをした。もう二度と犠牲を出さないように。


「マレビトくん、ほんっとありがとうね」


 それは、朝から何回も、何百回も聞いたセリフだった。


「だからそんな気にすんなって。俺は曲がってることが嫌いなだけ。それより仕立屋はこれでよかったのか?」


 仕立屋を盾にして自分達だけが助かろうとしていたのに、今はあんなに調子よく喜んでいる村人達を、俺は快く思っていない。


「うん、いいんだよ。私は助かったからそれで十分。ありがとうね」


「まぁそう言うなら、それでもいいけど」


 ……実はあんまりいいと思ってないけど。


「それにしても、こうして見ると白って明るいね」


 広場の中央でたかれた赤い火と、その光に輝く純白に衣服を見て仕立屋はそう感想を述べた。


「白っていうのはね、一番光を跳ね返して輝く色なんだよ。だから昔からお葬式に使うのはもったいないと思ってた。こう、晴れやかなお祝いの日とか門出の日に着てほしい色だなって思ってたの。特に…………白いウエディングドレスとか、すっごく綺麗だと思わない?」


 そう言われてもう一度見ると、今まで悲しみの、葬祭の色としか思っていなかった白が、凄く明るい色に見えた。


 仕立屋はそう言いながらも少し悲しそうに広場を見つめる。その目はただ一人の青年を追っていた。臆病だったために仕立屋と共に在れなかった彼を。それでようやく気付いた。仕立屋は決して立ち直ったから明るくしているわけではないのだ。彼女を犠牲にしてでも自分たちが助かりたいと積極的にしろ消極的にしろ思った人が少なからずいることから立ち直れないから、わざと明るく振舞っているのだ。それにようやく気付いたので、わざとらしいほどの明るい声で言った。


「いいんじゃない? お前が凄く売れる白いウエディングドレスのデザインを考えたら、それで定着するかもよ」


「夢みたいな話だね。でも、面白そう」


 そう言って、密やかに笑った。当然俺は自分で言ったことを本気になどしていなかったのだが、


「じゃあ、ものは相談なんだけど。マレビトくんが住んでる町って仕立屋さんはいるかな?」


「いないんじゃなかったかな。服屋は確かいたけど。……ってまさか?」


 答えている途中で仕立屋の思惑に気付いて思わず小柄な彼女を見返す。しかし小柄な身体に反して志はそれこそ海よりも山よりも大きいらしく。


「それじゃあ、引っ越そう。こんな寂れた村にいてそんな凄いことができるわけないし、ここには未練もないしね。もうここは私を必要としてない。居場所もない。だから真っ白から始めよう。何もないところから始めたい」


 仕立屋はそこまでは自信満々で言っていたくせに、ここで少し躊躇いがちに下から上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。台所のことを頼んできたときと同じ、その表情でこんなことを言ってくる。


「手伝ってくれない?」


 俺はその時の仕立屋の表情に酷く弱いことに気付くことになった。




    * * * *




 白は空白。

 何もないことを象徴する色である。

 故に白は始まりを表す色である。

 これから何色にでも染められる始まりである。

 始原は、歓喜。

 だから白は喜びの色である。

 白は祝祭の色である。


 

 それから百年ほど後。


 この地方では祝祭の時には真白き服を着、その真逆の色として、葬祭の時には漆黒の服を着ることが、新たな風習となっていた。




      了


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葬祭の色と、祝祭の色 小鳥遊 慧 @takanashi-kei

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