愛の食事

狂言巡

即席スイートルーム

 椅子に座って読める書店で見つけた、素敵なケーキの本。ピンクだらけのコーナーは、スイーツのレシピ本を特集していました。パラパラと中を開くと、まるで装飾品みたいな可愛いお菓子ばっかり。こんなの、作れたらどこにいっても人気者でしょうねぇ。

 スイーツのレシピ本の新刊らしいんですが。パラパラと中を開くと、まるでオモチャみたいな可愛いお菓子ばっかり。こんなキラキラしたの作れたらいいですよねぇ……。


梅園うめぞのさんは、ケーキを作ったことはありますの?」

「へ?」

「ケーキ。クッキーとか。ありますか?」

「ないなあ、姉さんがたまに作ってたけど俺は味見係だったし」

「こんなお菓子、作れたらきっと楽しいですの」

「あ、レシピ本ねえ……ふーん、作ってみる?」

「そう言ってくれるって思いましたの。じっくり研究して今度作ってみましょうね」

「え? いいじゃないか、今日帰って作ろう」


 ……そう言われるとは思っていませんでした。


「え、梅園さんん? 急には無理ですの」


 あたくしは驚いて、そして慌てて言い返します。いいえいいえ、言い聞かす、ですの。


「出来るよ」

「無理ですの」

「地下に行こう、デパ地下」


 あたくしの手から本を奪いとるとレジに向かって歩き出し、さっさと会計を済ませて、ぼけっとしてるあたくしを手招きしました。

 ……お料理はともかく、お菓子はパティシェさんが専門に作ってるんですから。しかもその本、クックパドみたいなお手軽レシピじゃなくて、ものすごく手間がかかるタイプですよ? それ以前に、梅園さんはスイーツに興味がないから分からないじゃないですか。無謀すぎます、インパール作戦もいいところですよ。


「あのですね? 型とか泡だて器とかそんなのも要るんですよ?」

「そうだね、一通り揃えれば大丈夫だろ」

「そうですけど……」


 ……結構、無頓着ですの、この人。何事も綿密に計算しつくして行動を取るPGモードとは大違い……どっちも好きですけど。


「これは必要ありませんの」

「こんなのもあるんだねえ」

「そうですねえ……」


 お菓子作りの器具も。あたくしの助言をまるで聞かないで感心しながら買い込んでいます。お菓子の材料だってそう。


「そんなの絶対使いませんよ」

「いいじゃない、使ってみよう」


 まるで子どもですの。まだ子どもですけど。ううんと、なんかですね、遠足前の小学生がお菓子を選んでるみたいな。三〇〇円に必死ですの。三〇〇円とっくに超えてますけど。

 でも……みんなの彼氏さんもだいたいこうなんでしょうね。彼女さんがいくら言っても聞きてくれませんの。なんていうかですね、そこはかとなく子どもですの。道具も材料も、有り得ないほどの買い物をして帰ることになってしまいました。車で来ててよかったです、本当に。

 あたくしは助手席でさっき買ったケーキの本を読んだんだけど、これがかなり難しくて。上級者向けもいいところですの。梅園さんは確かに器用で大体のことをパパっと終わらせちゃいますが、いくらなんでも、作ったことも無いのにこればっかりは無理でしょうに。


「梅園さん、メレンゲって分かってます?」

「メレンゲ? よく聞くけど、クッキーの種類か何か?」

「違います。卵白を泡立てた物ですの。泡だて器を上げた時にね、ツンと立つまで泡立てますの」

「ツンと立つ?」

「そうですの。結構大変なん……」

「ツンと立つだって、ははは、ヤラシー」


 ……ダメダメですの。きっとこんな時の梅園さんは当てになりません。家に着くまでにこの本、暗記しておこうと思いました、必死に。


「さてと」

「梅園さん、あの、本当に……」


 冗談なわけがなく、でもあたくしは確認してしまいます。


「俺達に不可能は無いって感じで頑張ろう」

「何だか不可能だらけな気がするんですけど……」

「大丈夫ですよ。はい、小春は生クリームの方よろしく」

「違いますの。生クリームは最後です」

「じゃあ……何だっけ?」

「小麦粉を振るいますの。空気を混ぜ込んで、サラサラにしておくんです。あ、ベーキングパウダーも一緒に振るってくださいね」

「手がかかるんだなあ」

「それがケーキ作りですの」


 梅園さんと一緒にいて、ここまで不安になったことなんてなかったのに。大丈夫、ですの?


「あはは、コナコナだ」


 うわっ、白いです、真っ白しろすけですの!


「梅園さん……量りましたよね?」

「ううん?」

「…………」


 変なオモチャを手に入れた子どものように純粋凶悪ですの。目を光らせて見ていないと、なにを仕出かすか分かんないなんて。

 それでも……やっぱり器用なのと料理上手なのとが功を奏して、慣れてきたのかチャカチャカと手際よく作り進めてますが。初めはオロオロしていたあたくしもだんだん楽しくなって来て……。なにかもう細かいこととかどうでも良くなってなってしまいました。

 もう、いいですよね、出来上がりがどうでも。こうして一緒に作ってるときが楽しいなら。


「小春、生クリームって最後じゃなかったっけ?」

「はい、これはあたくしのオヤツ用ですの。生クリームのボウルまま食べるのって夢だったので」


 ケーキを焼いている間、あたくしはボウルで生クリームを食べました。生クリームオンリーで。なんて素敵な夢のつまってるボウルでしょう。

 梅園さんはますます調子に乗って、今度はクッキーを作りはじめました。生クリームを食べながら、クッキーを作る彼氏さんを見てるのって、とってもワクワクしますの。ウサギの型を買って来たのでウサギさんクッキーになりました。

 オーブンのアラームが鳴って中を見たら、スポンジケーキはちゃんと膨らんで焼きあがりました。しぼまなかったんですよ! これこそ奇跡的瞬間です。お菓子は数学みたい分量がにきっちりしてるのに、それをほぼパスして適当に作ったのに……梅園さん、やっぱりさすがですの。


「三十センチくらいの高さから落としてくださいね。縮むのを防止しますの」

「ふーん……はい」

「それで大丈夫です」

「良く知っているね」

「本に書いてありましたの……必死で読みましたから」


 休憩がてら、アツアツのケーキをちょっと摘み食い。


「お……おいしい」

「本当で?」

「梅園さんをあたくしの専属のパティシェにしてさしあげます! ウサギさんも焼いてしまいましょうか」

「そうだね。美味しい小春が沢山出来ますように……」

「……あたくしはもっと可愛いくて美味しいですの」


 ぶっちゃけると実は今深夜なんですのよ。作り初めが夜だったもので。でもやたら二人でテンション高くて……もうこの際、買った材料全部使っちゃおうって、片っ端から練っては焼き上げていきました。

 ケーキやらクッキーやら……なんか『おはぎ』までありますの。ここだけ超純和風。地味なのに逆に浮くことになりました。アンコまで買ってたんですから、この人。

 チュンチュンとスズメさんの鳴き声がします。外はもうすっかり明るいようで……。目の前には大量のクッキーとケーキ……それとおはぎ。

ほとんどの材料を使いきって、あたくしたちはなんだか妙な達成感で結ばれました。

 ちなみにふわふわ生クリーム。ボール食いを二回くらいお替りしたから、デコレーションする前に無くなってしまいましたが。まあ、シフォンケーキってことにしますの。たまにはシンプルなのも、オツでしょう。


「……眠い」

「はい。生クリームでオナカいっぱいで幸せ過ぎてやたら眠いですの」

「……寝よっか」

「そうですね、寝ましょう。後片付けは起きてから」


 ウサギさんクッキーは不気味に焼き上がりましたけど、味は一番の出来でした。家中に甘い香りが漂っていて、まるでお菓子のお家みたいですの。

 クッキーのドア、チョコレートなフローリング、シフォンケーキなソファ、マシュマロのベッド。クレープのカーテン。キャンディーの電球。なんて箇条書き的妄想を並べてみるととても、メルヘンだこと。

 二人して、灰かぶりならぬコナかぶりのままベッドに倒れ込み、手を繋いですぐに寝てしまいました。これこそ本の通りの、あまーい生活ですの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛の食事 狂言巡 @k-meguri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ