書きじゃくれば

真花

書きじゃくれば

 赤と青の混ざった顔で自宅に辿り着くと、梓は真っ直ぐに自室に入り鍵を掛け、ノートを広げる。

『失恋した。失恋した。失恋した。生まれて初めて「好き」って言って、すぐに「ごめんなさい」って言われた。私の好きが中畑君に打ち落とされるまでの時間は三秒くらい。すごい長い三秒。それを感じている自分と、冷静にカウントしている機械みたいな自分が両方いた。でも気持ちが発射台に乗るまではすごく長かった。中学に入ってから同じクラスになって、遠くからずっと見てて、その間に水をやるように気持ちが育って、だから、時間の長さが優劣を決めるなんてことはないって分かってるけど、でも、一年半想い続けてやっと、伝えたいって思って、そう思ってからもずっと悩んで、だってもし嫌いだって言われたらって思うと怖いし、でも、決めて、なのに、フラれた。決意した私はエラいと思ったけど、フラれるって分かってても同じことしたのかな。関係ないかも、私は気持ちを伝えたいって思った。付き合う付き合わないって言う次元じゃなくて、ただ伝えたいって気持ちがあった。あったよ。あったんだよ。決意と、気持ちの両方があったんだよ。私の胸の中で弾けるような燃えるような、確かにそれはあって、今も、消えてはなくて。諦めなきゃいけないのかな。もう一回くらい告白してもいいのかな。客観的に見たら、望みはないのだろうけど、もしもだよ、あと十回好きって伝えたら中畑君も私のことを好きになるのなら、するでしょ? そんな保証はないし、きっと三回目くらいから気味悪がられるし、頭おかしい子だって、本格的に嫌われるかも知れない。でもそれを突破した先にハッピーが待ってるんじゃないのかな。どうなんだろう。中畑君は「ごめんなさい」って言った。嫌いとかキモいとかは言わなかった。何を考えていたんだろう。あの三秒間。私を傷付けずに断ることなのかな。きっとそうだ。中畑君は優しいから、どう言ったら私が傷付かずにフラれるかを考えたんだ。フラれた時点で傷付くのに。その三秒。ってことは結論はもっと早く出てたんじゃないのかな。校舎裏に呼び出した時点で察しは付いているだろうからそこから考え始めたのだとしたら、三秒は別のものなのかな。あまりに即答で「ごめんなさい」するとおかしいと思ったのかな。違う。即答しないことが優しさなんだ。彼なりの。でもそれは私に気を持たせる三秒だよ。中畑君が迷うことがあるのかも知れないと期待させる三秒だよ。優しさの失敗だよ。だから私はもう一回告白することを考えてる。考えてるけど反面で、それはしないことも決めている。今決めた。三秒の意味がそれなら、私はちゃんとフラれなくちゃいけない。失恋をやはりしなくちゃいけない。やっぱり、そうなのかなぁ。そうなんだよな』

 込み上げる涙で梓は書きじゃくっていた手を止める。

「やっぱり、ダメなんだ」

 両目から涙がポロポロと流れ、制服のスカートに染みが出来る。その染みを見て、梓は、もうすぐ冬服になるんだな、と反射的に考え首を振って「違う、今はそれじゃない」呟いて再びペンを取る。

『多分、本物の初恋が死にました。正確には胸の中にまだ生き残りがいるけど、それらは焼き払わないといけない。やだな、自分で自分の想いを殺すって。だって初恋だよ? 小学生の頃の何となく好き、と燃え方が全然違う。未来にどんな恋があるか知らないけど、私にとっては最大の恋で、絶対にそれまでと違う恋だ。それは世界一を知るってことだ。私にとって中畑君は世界一輝いていた。今もだけど。それがあるかないかが本物の恋かどうかの違いなんだと知った。その輝きを根本から刈り取る「ごめんなさい」。でももっと深いところに隠れていた根っこはまだここにあるのです。どうやったらそれがなくなるのか見当が付かないよ。今日だって明日だって、気持ちがフラれたからって消える訳じゃない。頭で、終わりにしなくちゃいけない、って分かってるだけ。こころも体もまだ全然恋のままなんだもん。もし明日、中畑君が「昨日はごめん、本当は好き」って言って来たって許すし、手を繋ぐ。来年だったらどうだろう。新しい恋してるのかな。彼以上と出会えるのかな。だって世界一だよ? あり得るのかな。それとも未来の私にとっての世界一は別の人なのかな。いや、そんなこと考えたくない。でも、目下大事なのは、この想いをどうすればいいのか、ってことだよね。時間が経てば減るのかな。これまで時間と共に育ったように。それとも永遠に胸の中に残すのかな。生まれた想いが最後にどうなるのかなんて、未来の自分しか分からないもん。中畑君と付き合いたかったな。一緒に登校したり、帰りにマックでおしゃべりしたり、したかったな。でも全部叶わない。私は一人ぼっちだ。きっと登校したりマックに一人で行ったりしたときに、中畑君が居ないことに胸に穴が開いたみたいになるんだろうな。違う、今既にそうだ。胸がへこんでる。中が。きゅうんとどこかに引き込まれるような感じがある。もしかして、恋のあったところが急にその主を失って、へこもうとしているの? 何? 失恋って、悲しいとか寂しいだけじゃなくて、なくなる感覚ってことなの?』

 梓は自分の胸に手を当てる。確かに物体としての自分はあるのに、その内側で陰圧が発生しているかのような感覚がある。その感覚に意識を向けていたら、また涙が、今度はさめざめと流れ始める。

『やっぱり、失ったんだ。だから失恋って書くんだ。恋を失うんじゃなくて、恋に破れることでこころの中の恋の塊を失う、そう言う意味なんだ。でも別に知りたくなかった。私は恋を手に入れる方を知りたかった。でも、それはもうない。手続きをちゃんと踏んで、正式にフラれたんだもん。これ以上は中畑君に迷惑だと思う。こころに残った彼への想いがどうなるかは分からないけど、しばらくは一緒に生きていく。そうする。そう決めた』

 梓はペンを置く。ふぅ、とため息をつく。

 乱雑に書きじゃくった文字。スカートの染み。

「梓十四歳、失恋しました」

 ぐちゃぐちゃだった気持ちが、少しの納得を伴いながらまとまって、見えて、どうするかを決める礎となる。だからって気持ちが消える訳もなく、梓はベッドに転がって、また泣いた。


 初めて梓が書きじゃくったのは十歳のときで、宇宙の概念を知り、そこから世界の成り立ちを考えたとき。調べるのではなくて、きっとこうなのだろうと言う考えを、ひたすらにノートに書いている内に、内容が徐々に自分を取り巻く世界のことになり、自分の内側のことになった。その段で、色々な想いがノートに展開されていき、梓が朧に感じていた多くのことが明確になった。それは生活を大きくは変えなかったが、梓が届く範囲であってもその向こう側であっても、世界とどう関わるかと言うことに影響を与えた。

 それからずっと、梓はこころに考えに何か打撃や影響があったときに自分のノートに書きじゃくるようになった。


「梓って、秘密で書いてるノートあるじゃん、どんなこと書いてるの?」

 新婚旅行で来たハワイのビーチでノンアルコールカクテルをストローで吸いながら、新郎が問うてくる。

「思ったこととか、感じたこととか、考えたこと、かな。何て言うのかな、気持ちとか考えとかが、しっちゃかになっちゃうときって、あるでしょ?」

「んー、そうだね。でかい打撃が入るとそうだね」

「そう、打撃。そういうときに書いてる」

 新郎はチューとカクテルを飲み干して、グラスを置く。呼応するように梓が自分のグラスを取る。

「それすると、未来が分かったりするの?」

「未来は分からないままだよ。ただ、今がちゃんと終わって、自分の意思がまあまあ決められるだけ」

「そっか。でも今がちゃんと終わって、意思が決まれば、未来に繋がるね」

「あんまりそう言う観点では見て来なかったけど、思い返せばそうかも知れない」

 新郎が梓の方に向き直る。

「例えば?」

 梓は顔だけ彼に向けて、サングラス越しに見る。

「進路を決めたとき。親と和解したとき。友達が死んだとき。結婚相手を決めたとき」

「強烈だね。そのノートってやっぱり見ちゃだめなの?」

「見たら離婚する。絶対に秘密じゃなきゃいけないノートなんだ」

「そんなに?」

「そうじゃないと、書きじゃくれないもん」

 夫は首を傾げる。そして、いいアイデアを思い付いた、のジェスチャー。

「俺は梓の文章読んでみたいな。人に見せる文章、書いてみてよ」

「小説とか?」

「そうそう。今はネットのサイトで小説をアップ出来るらしいし、反響があったらやり甲斐も出るんじゃないのかな。多分、文章書くのが好きじゃなきゃ、秘密ノートに何十年も書き溜めないでしょ」

 その夜。新郎が寝静まったあと。

『ハワイ。新婚旅行。仕事を一週間休むのは気持ちがいい。今のところはのんびりとアトラクション的なものをするのくらいしかしてないが、毎日ちゃんと眠れるのが不思議。小説を書いたらどうかと言われたけど、果たして面白いのだろうか。私が書きじゃくるのは私のためであって、完全に自分本位の行動だから、他の人を楽しませるための文章を書くとなったら根本的に組み直さなくてはならない。もちろん書きじゃくりは継続するから、目的に応じた二つの書き方、と言うことになるだろう。まず、思っていることとして、自分の文章が表現としてどれくらいのレベルにあるのかを試してみたいと言う気持ちは、言われてみたらあった。じゃくっていても、自分の感覚や想いについては限りなく正確に表現しようとして来た。そのせいか、作文や小論文はいつも高評価を貰って来た。私が思っていること。それは、やってみたいと言う気持ちがあると言うことだ。きっと彼の言う通り、文章を書くのが好きだ。挑戦は人生の最強スパイスだ。やっても失うものは時間と労力くらいだから、そうだ、彼に読んで貰うと言う設定で書こう。それで、出来上がったらアップする。それなら出来る。そうか、私は評価をされることに対して臆病になっているんだ。でも、彼に読ませると言う設定なら、評価は彼のだけを気にすればいいから、クリア出来る。こうやって書いている間にも、むくむくとやりたい気持ちが育って来た。そうだね、やろう』

 梓はすぐに小説をアップ出来るサイトを探し、決め、生まれて初めての小説の構想を練り始めた。

 小説作りは思いの外面白く、夫へのウケも上々だ。

 後はもう一握りの勇気を蓄えたら、初投稿をする。ふいに、中畑君に告白をしたことを思い出す。書き上げた作品を知らない誰かに発表することが、恋の告白に似ていることに気付く。渡すものが作品か想いかの違いで、どちらも自分にとって大切なもので、だから、フラれるとこころに穴が開く。きっと、投稿作が読まれなかったり酷評されたりしても、こころに穴が開くのだろう。そうしたらきっとまた、書きじゃくる。



(了)

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