第6話 エピローグ

 ふと考えたことがある。

 今この瞬間にも死にゆく人が存在するということを。

 死者は絶え間なく存在していて。

 時折息継ぎをするように、僕らの小さい現実の中に現れる。

 気怠い朝。

 僕はいつの間にかぼんやりとニュースを眺めていた。


『転落事故により2名が死亡』


 そんな文字が瞳の上を流れる。

 きっと、1ヶ月前もあった話だろう。でも、僕らはもう覚えていない。

 次は自分の番かもしれないほどに死は身近なのに。

 その瞬間が訪れるまで僕らは気付けない。


 それは、きっと拒死にも似た視点なのだろう。僕らは死なないと妄想しながら日々を生きる。


「……生きて……いる?」


 それが疑問だったのは僕、いや、俺の体が動かなかったからだ。

 それにしても、ここは病院だろうか。


[やあ。生まれ変わった気分はどう?]

「……俺は死んだんじゃないのか」

[死んでいるよ。ただ、一時的に拒死になった影響で、半日程カラーコードがこの世を彷徨ってしまうんだ。ボーナスステージってやつだね]


 天使は相変わらずこちらを見もしないで話し出す。

 窓の外を眺めているが、木にとまった鳩が気になるのだろうか。


「そうか……。なあ、今はいつだ? 二人はどうなった?」


 俺の手にはRATが無い。当然ヴィジョンも使えないから、日付はおろか、時間すら分からない。


[今日は7月20日の午前10時39分23秒。夏休み初日だよ。二人は拒死が世界中に完全に適用されるまで隠れてもらっている。上代一はともかく、水上碧は元死者だからね。今の世界は奇異の目を向けるだろう]


 水上は拒死を受け入れたのか。良かった。

 そう安心する自分がいることに、俺自身驚いた。俺は一を置いて死を選んだことに罪悪感を抱いているのか?


[拒死が当たり前になれば、死なんてものは存在しなくなる。そうなれば、元死者なんて肩書に興味を持つ人間はいなくなるだろう。死が無くなるだけじゃない。生の定義すら不可能になる。それは何故か住良木真は分かるかい?]

「……水上のように、死者も拒死によって生者のように振舞えるからか?」

[それも一つの解だ。ただ、より本質に近い解は別にある。拒死によってもたらされるのは、生死の境界の喪失だ。死が無くなれば、死によって形作られていた生の枠が瓦解する]


 鳩はいつの間にか飛び去っていたようで、巣と卵だけが残されていた。

 天使は窓から手を伸ばし、卵を一つ手に取った。


[この卵の殻みたいなものだ。殻があるからその中に生があると確信できる。割れた殻の外に中身があってもそれを生きているとは思わない。それが今の人類の大半が思い描く生死観だ]


 天使は卵を暫く見つめるとそっと元に戻した。


[さて、そろそろ拒死を全人類に適用しなくては。無理矢理に銃規制までして延命した人間社会なんだ。急がないと]


 そう言うと、天使は姿を消した。

 俺は陽の差す病院にただ一人になった。どうやら空き部屋のようで人が来る様子はない。

 俺は死んでしまった。

 俺は……独りだ。

 なるほど、一はこんな気分だったのか。


「今だったら一と分かりあえたのだろうか」


 死んで初めてそう思えた。

 ……だとすれば、俺は酷い言葉を一に押し付けたものだ。

 そして、俺は自分の体が糸のようにほつれていく感覚を覚える。

 天使は半日と言ったが、30分も持たないじゃないか。やっぱり、長く生きるものたちの感覚は当てにならない。

 俺は蛇足のような最期を静かに迎えた。

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