ハーモニー

成井露丸

ハーモニー

 天井には剥き出しの垂木が走る。無垢材フローリングの上に立つRAMSAラムザのスピーカーから荒ぶる和声が放出されて、その木々に反射する。

 僕は身震いする。そして刮目する。


Check itチェケッ! Check itチェケッ! Ah Ah Ahア〜アァ ♪』


 アフロの男が、五人のボーカルグループから一歩前へと踏み出した。

 SHUREシュアーのマイクから垂らしたケーブルを隣と絡まらないように捌きながら、相貌は情熱に濡れている。和声ハーモニーの中で、その男の声だけが異質だった。


 リードボーカルは一歩踏み出したアフロ男に変わる。右手に握ったマイクを掲げ、その先端に食いつくように。堪らない食欲が彼を駆り立てるように。

 観客に向いた視線は焦点をも定めずに、その向こうへ。遠くへ。

 打ち込みのリズムセクションがモダンなR&Bのグルーヴを刻む。ベースラインが彼の声に応えて重低音を叩く。


『この想いを〜♪ Check itチェケッ! Check itチェケッ! Ah Ah Ahア〜アァ ♪』


 音楽が鳴り響く。思わず仰いだ空は、山間の音楽堂の天井。

 その仮設ステージの上で、その五人組は奏でていた。

 無骨で、粗野で、情熱的で、どうしようもなく心を揺さぶるハーモニーを。


「――バケモノかよ」

「……光岡みつおかくん?」


 思わず漏らした僕の呟きに隣の藤井ふじい夕貴ゆうきが振り返った。

 驚いた表情。でも、その瞳は、僕の言葉で見開かれたのではない。

 この音楽堂に響き渡る歌が、僕と彼女の心を掴んで、身体を震わせていた。

 僕らがなんとか追いつこうとしていた仮想敵のバンドは、突然現れた新奇な存在によって異次元の音を奏でだしていた。


「イノセントグルーヴって……こんなバンドだったっけ?」

「……私は、初めて聞くから――わからないけど。凄いね」

「そうだよな――」


 他大学の軽音サークルに所属するイノセントグルーヴは男声四人のボーカルグループ。年末のライブで聞いた彼らの歌は四声和音を丁寧に奏でる透明感のあるものだった。イノセントグルーヴはそうい存在だったはず。それなのに――


『君へと〜♪  Stay with you tonight♪』


 野獣のような咆哮が、透明で重厚なメジャーセブンスの和声に重なっていく。

 荒ぶるメロディーライン。混沌に聞こえさえするその声は、けれども後方が奏でる四声和音の倍音を絡み合い、響き合う。五人の声は情熱的な音楽に変わる。


 五〇人ほどの観客が――ライバル達が、息を飲んでいる。

 

 やがて、幾つもの玉が弾かれるようなアルペジオ。それが重なり合うごとに新たな倍音が生まれ、RAMSAが放つ空気の振動が、僕らを包む空気をコード進行プログレッションさせていく。


 楽曲は終局を迎える。五声のハーモニー。Amaj7 add9エー・メジャーセブンス・アドナインス

 全てがフェードアウトして、非現実的な程の情熱が――収束した。

 音楽堂は大学生達の沈黙に包まれた。夏の夜の夢。

 きっと、みんな思っているのだろう。

 バケモノが現れたと。


 はっと我に返って周囲を見回す。隣の女性、僕らの歌姫―藤井夕貴の瞳は潤んでいる。

 濡れた目は、ステージの五人を見ていた。その向こうのバンドメンバーも同じような雰囲気だ。他大学のサークルから来ている学生達も同じ。進化したイノセントグルーヴの演奏に――そして彼のボーカルに度肝を抜かれている。


 誰がこのバンドを変えたのかは一目瞭然だった。

 曲が終わった。マイクを持った五人の中からバンマスが一歩前に出てMCを担う。そして、メンバーの紹介をしていく。この時、音楽堂の中の誰もが、耳をそば立てて、その男の名前を覚えようとしたのだと思う。


 ――岡谷おかたにたもつ


 それが、イノセントグルーヴの新メンバー――アフロ男の名前だった。


 ☆ ☆ ☆


 夏の朝は早い。そして、暑い。

 クーラーも効かない部屋。僕はベッドの上で寝返りを打つ。枕元のスマートフォンを手繰り寄せると六時を過ぎたところだった。白いシーツを剥がし、上半身を起こす。目を擦って横を見ると、隣のベッドではバンドメンバーの男子がシーツを引き寄せたまま、まだ寝息を立てていた。


 ベッドから足を出す。バンガローの四人相部屋には、僕の他にバンドメンバーの男子二人と、別のバンドの男子一人が詰め込まれていた。夏合宿っぽい。

 カーテンの隙間から、光が差し込んでいる。等脚台形様に張り出した出窓に掛かるその襞を指で動かし、外をうかがう。もう日は昇っていた。

 山奥の草むらは手入れをされておらず、向こう側には杉林。自分が一人暮らしの自宅に居るんじゃなくて、バンドで強化合宿に来ているのだと、あらためて思い出した。

 ユニットバスで顔を洗い、歯を磨く。パジャマのパンツだけを紺のハーフパンツに履き替えると、上はTシャツのままメッシュスリッポンに足を突っ込んで、僕は部屋を出た。

 

 中国地方の山あいにある音楽堂で開催されている強化合宿に、僕らのバンド――極光きょっこうアミグダラは参加していた。界隈では著名な音楽プロデューサーでボイストレーナーでもある人物が主催するこの合宿は、年末のクリスマスイベント「VOXヴォックス FESTAフェスタ」の出場権を掛けたオーディションを兼ねている。

 具体的に選考会があるわけではないが、そのプロデューサーが出場バンドの決定権を実質的に持っているのは周知の事実で、昨年、一昨年ともに、大学生バンドの出場枠は、全てこの合宿の参加者で占められていた。そもそも、この合宿の参加自体に選考があり、どんなバンドでも参加出来るわけではない。僕らもプロフィールや活動歴、デモ音源を送付し、選考を通過し、なんとかここに居るのだ。


 メッシュスリッポンを履いてペタペタと歩いてきた中央のロビーはまだ薄暗かった。バンガローは大きめのログハウス。僕が寝ていたのと同じような寝室が四部屋ほどある。その中央にロビー。

 まだ、熱が体に篭っていた。目を擦る。見上げると丸太組みの骨格が天井に走っている。家の中だけれど、都会とは違う気温と湿度だ。

 暗がりの中で、体の火照りが、夏の暑さと、寝起きのせいではないことに思い至る。天井の丸太ん棒を直上に眺めながら、脳裏には昨夜の映像と音がリフレインしていた。躍動と調和と、咆哮と和声が、どうしようもないほどに、僕の頭の中に残っているのだ。


Check itチェケッ! Check itチェケッ! Ah Ah 〜Ahア〜アァ♪ この想いを〜♪ Check itチェケッ! Check itチェケッ! Ah Ah 〜Ahア〜アァ ♪ ――届けさせてくれぇ〜ッ♪ Yeah Yeah Ah〜!』


 イノセントグルーヴの歌は、昨夜、会場の全部を持っていった。

 新メンバーの岡谷おかたにたもつを加えた中堅バンドは予想外の変貌を遂げていた。

 イノセントグルーヴのメンバーは五人中の四人が三年生で、僕と同期に当たる。

 僕らのバンド――極光きょっこうアミグダラは僕ともう一人が三年生で、メインボーカルの藤井夕貴ともう一人が二年。結成時期は彼らより一年遅く、バンドとしては後輩格だ。それでも、僕、個人としては、同期の三年生が引っ張るバンドとしてライバル視していた。

 他大学のサークルの中でも彼らはそれなりに目立った存在だったけれど、界隈で突き抜けた存在ではなかった。だから合宿に参加する前にはバンドメンバーに言っていたのだ。「イノセントグルーヴに勝てれば、VOXヴォックス FESTAフェスタに出演できる可能性は十分にある」と。このオーディションにおいて、イノセントグルーヴは極光きょっこうアミグダラの仮想敵だった。


「――やばいよなぁ……」


 独り言ちる。自販機に百二十円を入れてワンダのモーニングショットのボタンを押す。夏なのに、ちゃんと温かいコーヒーを置いていてくれた自販機に感謝したら、ゴトリと音がして赤い缶が転がり落ちた。透明の取り出し口に手を突っ込む。


「……熱っ」


 両手の間で背の低いスチール缶を転がす。プルタブを引いて、傾けると、ほろ苦くて余ったるいコーヒーが舌の上に広がった。ちょっと外の空気でも吸おうかと、細い丸太がいくつも連なって出来た扉を押し開く。


 背の低い陽光。目を細める。気温は汗ばんだベッドの上で感じたほどには高くなく、涼やかな風がその湿気を攫った。

 夏風が吹く。左手から差し込む純度の高い光は曲がりくねった石畳の道の両脇に広がる草むらを照らして、それを空気の波が揺らしていた。

 ふと、僕は杉林の手前に人の姿があることに気付く。何か仲良さそうに話している男女の姿。ボブヘアの後ろ姿に、空色のワンピース――明らかにそれは僕の彼女で、うちのバンドの看板娘――藤井夕貴。

 そして、その隣には頭をアフロに爆発させた男が立っていた。


 ☆ ☆ ☆


「――はじめまして、光岡みつおか俊之としゆきです」

「あ、岡谷おかたにたもつっス。イノセントグルーヴってバンドでボーカルやらせてもらってまっス」

 アフロ男、もとい、岡谷保は腰の低い男みたいだ。

 頭を下げられたので、僕も「どもども」と頭を前に出して応じた。


 ステージの上では存在感があったから、大きいイメージだったけれど、身長も思ったほど高くない。一七〇センチも無いかもしれない。


夕貴ゆうきと岡谷さんは……知り合い、だったりしたの?」

「ううん、違うよ。さっき偶然です……よね?」

「アッ、ハイ。そうッス」

 夕貴が彼の顔を覗くと、岡谷は照れたように後頭部に右手を当てた。

 アフロヘアに右手が沈む。


「そっか、何の話してたの?」

「ん? もちろん、イノセントグルーヴの昨日の演奏だよ。岡谷さんの歌、凄かったし。私もああいう風に歌えたら良いなぁって思うわ〜。ソウルフルよね?」


 絶賛だ。自分の彼女が目の前で別の男を褒めるのは悔しいけれど、今回ばかりは仕方ない。昨日の岡谷のパフォーマンスは本当に良かった。


「いやいやいやいや、俺なんてマダマダっすよ。声が、一人トゲトゲしくて、コーラスやるときとか、完全にみんなの足を引っ張ってしまっているんスよ!」


 そう言って、ポリポリと頭を掻く岡谷。

 思っていたよりも、ずっと謙虚だし、なんとなく天然っぽい。

 それに本人は、あの時、鳴らしていた音に無自覚なようだ。

 獣の咆哮のようなハーモニーに。


「それに、藤井さんは俺なんかより、ずっと良いリードボーカルだと思うっスよ。ロバータ・フラックのカバーとか、あと、中森明菜のDESIREデザイアとか大好きっすよ!」

 そう言って、アフロ男は興奮気味に両手で握りこぶしを作った。それは、共に僕ら極光きょっこうアミグダラのレパトリー。僕がオリジナルアレンジを手掛けた、うちのバンドの十八番おはこだ。


「あれ? 岡谷さん、僕らの演奏聞いてもらったことあるんですか?」

「春のサークルライブに来てくれてたんだって」

「え? マジで?」

「そうそう。実は行かせてもらってたんスよ。極光きょっこうアミグダラ――サイコーっすねッ!」


 春のサークルライブは、毎年五月に開催するうちのサークルのライブイベントだ。サークルに所属するバンドが、それぞれ一曲から三曲程度演奏していくライブ。基本的にサークル内部では新歓行事の一部って認識が強いけれど、ちゃんとチケットも売っている外部に開かれたライブイベントなので、他大学の学生が聴きに来てくれていてもおかしくはない。

 

「極光アミグダラは、スゲー個性がありますよね? なんつーかグルーヴィなアレンジに、情熱的な女性ボーカル」

「えっ……? あ、ありがとう」

 思わず挙動不審になってしまう。一番嬉しい褒め言葉かもしれない。


 サークルでは、なかなか楽曲のアレンジについて、評価してもらえる機会はない。夕貴のボーカルだって、僕は宝物だって思うけれど、サークル内の評価がそこまで高いわけではない。うちのサークルは何故か、情熱的なボーカルよりも、技巧的なボーカルの方が持ち上げられる傾向にあるのだ。だから、極光アミグダラはサークルのメインストリームに居るわけじゃない。だから、バンド名の極光アミグダラの「極」の字は、そういうサークル内での「はみ出し者」的な極端な立ち位置を皮肉った節もある。


 思わぬ理解者の登場に、僕の口許が緩んでいくのが自分でも分かった。夕貴の目配せが「良かったね」って笑っている。彼氏の心の内はお見通しといったところか。


「正直、俺、藤井さんのファンっスよ。んで、極光アミグダラのファン」

「えぇぇ、マジですか? めっちゃ嬉しいんですけど?」

「わたしも、わたしも。わたしも! 昨日、岡谷さんのファンで、イノセントグルーヴのファンになりましたよ! 最後の曲のコーラスラインとの掛け合いあたりで、背筋がゾゾゾ〜ってしましたもん!」

「えー? マジで〜! 極光アミグダラの藤井夕貴さんにそう言ってもらえるなんて、オレも復帰した甲斐があったってもんですよ」

「……復帰? 岡谷さんって、元々、イノセントグルーヴにおられたんですか?」

「あ〜、まぁ、黒歴史なんで。わざわざ言うことじゃ無ないんですけどね」

 そう言うと、気まずそうに岡谷保は頭を掻いた。


「――光岡さんって二年前の『夏のストリートイベント』って出てました?」

「あ、うん。……出てましたよ?」


 夏のストリートイベントというのは、僕の大学の近郊のサークルが集まってやる年に一回の新人ストリートライブイベントだ。

 大学一年生の新人バンドばかりで、ストリートライブをやる。まぁ、クオリティは推して知るべしなのだが、それでも、上手いやつは最初から上手い。

 僕も当時組んでいたバンドで、参加していた。あまり上手くは出来なかったけれど、出ていたバンドの中では中間くらいのレベルだったと思う。

 まぁ、僕も努力派なので。二年以上かけて、ようやく今の形になってきたのだ。


 でも、その時のイノセントグルーヴのことはあまり記憶に残っていない。たしか、出ていたとは思うのだけれど、正直なところ、あまり上手かった印象は無い。

 そういえば、あの時のメンバーって今とは違ったんだよなぁ。


「あれ……もしかして?」

「――そうなんスよ。あの時、俺、イノセントグルーヴに居たんスよ」

「えぇっ!? でも、今みたいな印象全然無かったですよ?」

「いやぁ、お恥ずかしいんですけど。こんな声じゃないっすか? ボーカルグループでハモろうにも、全然駄目だったんスよねー。俺の声が浮くし、それにあの頃は音程とかもハチャメチャでしたからね〜」

「へぇ〜。でも、昨日は凄く上手くハマってたと思いますよ?」

「わ〜、そう言ってもらえると、ホンマ、泣けるほど嬉しいっスわ」


 岡谷保は一年生の終わり頃に、一度イノセントグルーヴを脱退したのだと言う。

 自分がいる限り、足を引っ張り続けることになってしまうと思って。

 でも、岡谷は音楽を諦めたわけではなかった。歌を諦めたわけではなかった。

 ボーカルグループというスタイルを一旦脇に置き。専門学校のボイストレーニング講座に通いながら、他の軽音サークルのバンドでボーカルを担当してたりしながら、自らの歌の実力を高めることに集中したのだという。

 彼が抜けた後のイノセントグルーヴはメンバーチェンジを経ながらも、地道な練習を積み重ねて、むしろ、頑強かつ繊細なハーモニーを奏でられる中堅バンドとしての位置を固めていった。

 ――そして、岡谷は帰ってきたのだ。


「――化学反応ケミストリーよね。ドラマだわ」


 夕貴が呟く。嬉しそうに。彼女はこういう物語が大好きなのだ。

 その通りだ、と僕も思う。昨日は彼のことをバケモノだと思った。

 でも、その裏には、彼自身の、そして、残された四人の地道な努力があったということなのだろう。人間としての、人間らしい、日々の積み重ねがあった。だからこそ、異質な声もハーモニーの中に溶け込んで、僕らの心を震わせる音を鳴らしたのだ。獣の咆哮のようなハーモニーを。


化学反応ケミストリー! 良いですね! そうありたいッス! 俺も春のライブで極光アミグダラさんには勇気を貰いましたから」

「――勇気?」

「ええ。ボーカルグループなのにコーラスラインは声を溶かすことよりも、個を主張することを大事にしていて、その中でも、リードボーカルの藤井さんがずば抜けた個性で、情熱的に歌い上げる。後ろは彼女が一人にならないように、食らいつくように支える。そして、独特のコーラスアレンジ。『嗚呼、ここまで個性的で、突き抜けて良いんだなぁ』って思ったんスよ。だから、俺は、本当に、ファンなんですよ? 極光アミグダラさんの――」


 思わず夕貴と顔を見合わせた。僕の歌姫が破顔する。僕もなんだか胸が詰まった。


 それは、僕が目指していたスタイル。これまでずっと藻掻いて、探していた新しい創作の形。主張と主張がぶつかって、個性と個性がまぐわって、奏でられるハーモニー。そうやって、僕らは歌ってきた。そして、僕らはこの音楽堂までやってきた。

 目標だったVOXヴォックス FESTAフェスタまで後一歩。

 僕たちのその音楽をもっと沢山のオーディエンスに届けたいんだ。


「ところで、『極光きょっこうアミグダラ』って相当パンチのあるバンド名ですけど、どういう意味なんスか?」


 アフロ君が首を傾げる。


「えっと、極光はオーロラって意味なんです。それで、アミグダラっていうのは扁桃体って脳の部位で、情動を司っている器官なんですよ」

「だから、私たちは、情動を歌うの! 北極で見るオーロラみたいに綺麗に、壮大に、皆の記憶に残る歌を!」

「――素敵っスね!」


 アフロ君が笑って、僕らも笑った。


 ☆ ☆ ☆


 合宿二日目の夜。長かった日も落ちて、音楽堂に集まる若者たちの間には、隠しきれない疲れが広がっていた。音楽漬けの一日。学ぶことも多いし、刺激も多いけれど、大学生の体力も無限ではない。

 木造の音楽堂の壁や天井は、繰り返し歌われる歌を何度も何度も反響させて、僕たちの非日常を作っていた。

 それまで歌っていたバンドがマイクを置き、プロデューサーに一礼する。そして、彼らはステージを降りていった。次は僕たちの出番だ。


「――じゃあ、次! 『極光アミグダラ』!」

「ハイッ!」


 名前が呼ばれて、立ち上がる。夕貴も、そして、あと二人のメンバーも。


 スピーカースタンドに支えられたRAMSAラムザの後ろを通って、ステージの上へと移動する。マイクスタンドに立てられたSHUREを抜き、左手でそのケーブルを捌いた。夕貴が中央で、僕はその左後ろ。いつもの立ち位置。


 ステージの前には、三角座りで待ち構える五〇人ほどのオーディエンス。彼らは皆、オーディエンスであると共にライバルだ。この強化合宿を抜けて、どのバンドがVOXヴォックス FESTAフェスタのステージに立てるのか。それがこの場に居る全員の関心事だ。

 言いようのない視線を浴びる。それは真剣で、圧力に満ちて。


 当確と言われる強豪バンド達。それを除くなら、そもそもVOXヴォックス FESTAフェスタに出演出来るバンドは一つか二つだ。でも、その席の一つを昨日、イノセントグルーヴが攫っていったのは、誰の目にも明らかだった。


 だから、ここからは壮絶な生き残り戦。プロデューサーが枠を増やしたいと思わせるほどの演奏をするか、当確強豪バンドを蹴落とすほどの演奏をするか、神がかった演奏をした昨日のイノセントグルーヴを超える演奏をするか。

 観客の中に、親指を立てた岡谷保の姿が見えた。期待に一杯のワクワクした瞳。


 まぶたを閉じて深呼吸する。――そして、開く。

 広がる音楽堂の空間。


 夕貴が振り返り笑顔を浮かべて、いつもみたいに瞳を丸くして言う。

「みんなを楽しませようね。みんなをとりこにしちゃおうね」

「そうだな。行くか。極光オーロラを届けに――」

 決め台詞になっている僕の言葉に三人は悪戯っぽく頷いた。

 解き放て情熱を! 生み出せ音楽を!


 僕らは悪巧みをする少年少女であり、音楽を創る大人のアーティストでもある。

 驚かせよう聴衆を! 震わせようその感情を!


 右手はマイク。左手はフィンガースナップ。

 四人で指を打ち鳴らし、タイミングを合わせる。吸う息を合わせる。


 ワントゥスリーフォー……

 

 そして、始まりの音符が唇から放たれる。やがて、ハーモニー。  

 垂木が走る音楽堂の天井を抜け、夏の空を、僕らのオーロラが染める。


 オーディエンスよ、知るが良い。

 本当のバケモノはここに居るのだと。


 マイクに口付けをして、藤井夕貴が歌い出した。


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ハーモニー 成井露丸 @tsuyumaru_n

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