第45話

 青い光が真紀を包み、その光が美鈴を覆う赤色の閃光をも包みこむ。青と赤がまだらに揺らぐ光のヴェールが、美鈴の頭上を巡り、次第にその温度を下げていく。二つの色が混ざり合い、別の色になっていく。これも恵庭の能力を映したものなのだろうか。そうであるならば、今、こうして混ざり合っているのは、恵庭と美鈴の精神なのかもしれない。これこそが、恵庭が言っていた、理解すること、のその先に見える景色なのだろうか。


「鳥飼先輩。『ヴォーウェル』が存在するのは、こういう世界を目指しているからです。すぐには難しいと思います。でも、ゆっくりとでも、私たちの存在が当たり前になるように頑張る、それは『ヴォーウェル』も『ニュー』も、目指す方向は同じじゃないですか?」

 マーブル模様だった光が、紫色に変わっていく。紫は、二面性のある色だ。いいときは艶やかで、悪いときは下品だと言われる。それは、真紀たちが置かれている状況と似たようなものかもしれない。


「人には、きっといろんな可能性があって、その先にひとつの、何かひとつの光があるなら、そこにはたぶん、独りでは辿り着けないと思うんです」

 気づけば、真紀はそう言葉を紡いでいた。ぼんやりとしていた景色が、徐々に輪郭を表していく。目の前が明るくなる。その光に目を細めながら、恵庭が更に言葉を続けた。


「みんなで行きましょうよ。どれだけ時間がかかっても、どれだけ困難でも、この光の向こうに——」

 三人を覆う光の球が、上方へ向かって盛り上がる。薄くなったベールを破り、内側から虹が迸った。掌にあった〈オリハルコン〉が、その虹のカケラのひとつになって、宙を舞っていく。美鈴と恵庭がゆっくりとその流れに乗るように、上昇していく。


「ほら、捕まってろよ。飛べないんだから」

 恵庭の伸ばした腕に捕まり、真紀は上を向いた。虹がかかる空はどこまでも青かった。ここが異空間であることを忘れさせるほど、それは澄んでいた。虹の上に降り立つと、ゆっくりとした傾斜で前線基地まで降りているのがわかる。ニプラツカとアビーがその虹を囲むように旋回し、時折外に向かって炎や電撃を繰り出した。それは、虹の出現を歓迎する祝砲にも見えた。


 アビーの上からアリスが手を振る。ニプラツカの上で、夏希と柳瀬が笑顔を向ける。虹の橋は螺旋を描き、真紀たちを降ろしていく。歩くよりも早い速度で下降する視界は、またたくまに地面に迫ってくる。

「私は、これからどうなるの?」


 先頭に立つ美鈴が、こちらを振り返った。目尻が下がり、不安と諦めを露わにした少女の顔は、涙で濡れていた。

「テロ行為の扇動、重火器不法所持、公務執行妨害、市街地での戦闘行為……。正直、命がいくつあっても足りないでしょうね」

「こんなに空が綺麗なのに、もっと気の利いたことは言えないの?」


「それが『ヴォーウェル』ですから」

「先が思いやられる。っていうか、こんなでかい陽動なんて、聞いてないんですけど」

「陽動って、どれがですか?」


「今までの、これが全部陽動だったんだ。今頃、ガラ空きになった『ニュー』の本部に警視庁と神奈川県警、それから陸自が押し寄せて、残存部隊の制圧にかかっている。魔法部隊の大半をこちらに引き込んだ時点で、こちらの勝利は約束されていた」

「私は、残念ながら騙されたってことね」

 そうして空を仰ぐ美鈴の顔は、虹が放つ逆光で影になり、その表情を伺い知ることはできなかった。



  **



 生徒会室に入ると、そこには白く長いコートを着た細身の男が立っていた。開け放たれた窓から吹き込む風に豊かな金髪が揺れている。透き通るような碧眼を恵庭に向け、その男は小さく手をあげた。

 幼少期に一度見たきりであっても、その立ち姿から湧き上がるオーラは、常人ではありえない、黒と白が入り乱れたもので、時折それが太陰太極図のようにも見える。これほどのオーラを放つ人間を、恵庭は一人しか知らない。


「祐介、首尾は?」

 こちらをまっすぐに見据え、エアリアス・フォークトは穏やかに言った。

「〈オリハルコン〉は無事。『ニュー』は解体。リーダーの鳥飼は魔法族専用の更生施設へ入ることになる。警察庁と防衛省の陣取りゲームが終わるまで、まだ時間がかかりそうだが」


 その実態さえ掴めていなかった『ニュー』を解体にまで至らしめた直接の要因は内海の立案した作戦にあった。陽動作戦の裏で進められていた強制捜査にあたっては激発物破裂罪が適用されたが、その後、公安調査庁によって破壊活動防止法適用相当の判断が下り、組織の解体が決定していた。

 魔法による国家転覆の旗を振っていたのは鳥飼だった。主要な構成員であることに疑いの余地はなかったが、まさかその中心にいたとは、恵庭も最初は信じられなかった。組織の統制や作戦立案に関わったはずの幹部級構成員は、結局確認できなかった。


 組織の解体も形式的なものになりはしないか、恵庭はそう憂慮していたが、手がかりがないとあってはそれ以上の追求はできない。

「今回は、最初から最後まで〈オリハルコン〉に踊らされたな」

「そう言えるかもしれないが、それだけではない。収穫もあったさ」

「ほう。それはどんなだい?」


「〈オリハルコン〉を祀る儀式があったんだ。巫女が第二次大戦以来不在だったこともわかった。これまで歴史の最前線にあったと思われていた神器は、すでに過去のものになっていた。政府も、つい最近までその事実を隠匿していたんだ。〈オリハルコン〉の扱いは、今国会の最優先課題だ。特別委員会に真紀が参考人招致されたし、色々と大変だったよ。最近のテロ災害の収拾をどうつけるか、超党派で議論している。確かに、あの石はこれまで誰も動かなかった政治にメスを入れた」


「それにしては、不機嫌そうだね」

「事態が収束するまで、自衛隊員としては休職なんだと。今は、ただの高校二年生だ」

「それが、君の本当の姿なのだろう?」

「その通りだが……」

「『後の祭り』ってやつか?」

「ちょっと使い方が違うな。『祭りの後の静けさ』かな……。本当は、未だに信じられないんだ」


「彼女のおかげ、なんだろう」

「そこは、まだ評価が分かれている」

「君の意見を聞いているんだ」

 エアリアスは、そうしてこちらの言いにくいことを平気で突いてくる。全てを知った上で詰問する様子に、恵庭は辟易した。


「五十嵐はよくやったよ。それは奥寺も一色も同じだ。それぞれがそれぞれの能力を最大限発揮したからこそ、『ニュー』に勝てたのは間違いない」

「勝って手綱の尾を締めろ、ってやつかい?」

「それは、お前が日本にいることと関係しているのか?」

 恵庭は、エアリアスの質問攻めに問い返した。


「どうかな。それはまだ可能性のひとつでしかない。僕がただ君とおしゃべりしに来た可能性もある。可能性にかける、と彼女は言ったらしいけど、それはいいことだ、と私も思うよ」

「可能性っていうのは、結局のところわからないということの言い換えだよ。ただひとつ確かなことは、これから先、あの石が政に使われることはない」


「未来か——。それが分かれば苦労はしないな」

「そうだな」

「それで、要件はなんだ?」

「いや、大した話じゃない。彼女が戻ってくるのだろう」

「ああ。それがどうかしたか?」

 彼女、という語感が恵庭の耳朶を打つ。不在の生徒会会長のことを指していると見当をつける。


「彼女には、気をつけた方がいい」

「またそれか。会長が何かやらかすのか?」

「どうだろうね。未来はまだ、僕たちの手の届かないところにあるから」

 なんだそれ、と思う間に、エアリアスの気配が希薄になっていく。

「もういくのか?」

「ああ。この国でまだ、やることが残っているからね」


 会長の凱旋、か。先週までのゴタゴタの片付けもまだ終わる目処さえ立っていないのに、これはまた、波乱が起こるかもしれない。

 不敵に笑うエアリアスの顔が背景と同化していく。その姿が最初から虚像だったのか、それともテレポートをしているのか、恵庭にもわからなかった。未知の魔術を操る王家の末裔は、いつも恵庭を驚かせる。


 そこで内線が鳴った。その音に気を取られているうちに、エアリアスの気配は完全に消えた。

「はい。生徒会室、恵庭です」

 やれやれと胸の中でつぶやき、受話器を取る。

「宇佐美です。すまないけど、職員室に来てもらえるか? 問題発生だ」

「わかりました。すぐに行きます」


 エアリアスがいなくなったと思えば会長は帰ってくるし、問題が起こればすぐに呼び出される。日常が戻ってきた。

「先輩、おはようございます」

「おはようございます」

 ドアが開き、五十嵐と一色と奥寺が顔を出した。


「おはよう」

「なんかあったんですか?」

 奥寺が、したり顔で尋ねた。

「宇佐美先生から呼び出しだ。問題発生だってさ。一緒に来るか?」

「はい」


 四人で連れ立って生徒会室を出る。初夏を迎えた午後の廊下は、木漏れ日が差し込み暖かかった。

「そういえば、会長が戻ってくるって聞いたんですけど、どんな人なんですか?」

「一言で表すのは難しいな。っていうか、未だに僕もあの人のことは理解できない」

「天然系なんですか?」


「どうだろうな、まあ、来週には来るみたいだから、その時になればわかるだろう」

 会長のことは、あまり考えたくなかった。日常が戻ってきたと言っても、恵庭の苦労は減らないだろう。それでもいい。それがきっと、平和ということだ。

 職員室のドアの前で、一旦立ち止まる。どんな問題だろうと、『ヴォーウェル』なら解決できる。自分たちなら、何でもできる。そのくらいの覚悟を持てるくらいには、自分も成長したということだろうか。


「先輩、ジャンケンしましょうよ」

 奥寺が言い、すぐに「最初はグー」と掛け声が始まった。恵庭はそのままグーを出した。三人は揃ってチョキを出していた。

「お、一抜け」

「じゃあ、先輩からどうぞ」

 奥寺が恭しく腕を横に出す。


「勝ったのにか?」

「勝ったからですよ」

「そうそう」

 五十嵐と一色が相次いで恵庭の退路を塞ぐ。理不尽だ。やれやれと思う。三人の嬉しそうな顔を見ていると、反論する気もなくなる。

 確かに、これが日常だ。この日常が安穏と続くとしたら、それはそれで大変なのかもしれない。どうにでもなれ、と恵庭は覚悟を決め、職員室のドアを開けた。

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悠久のオリハルコン 長谷川ルイ @ruihasegawa

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