第23話


 それは蜜との関係をお互い打ち明け合った翌日のことだった。

「お父さん……」 

 迎えに来た人物を前に、私は言い訳ひとつできず、呆然と立ち尽くしてしまった。どうして父がここに現れたのか、意外でもあったし、経緯いきさつがさっぱりわからない。

「お母様は鳴井いずみさんで、お間違いないですね?」

 温厚実直な銀行マンの顔をした父は、涼真に丁寧な口調で話しかけた。親の名を出したということは、涼真のことをある程度調べてから来たのだろう。

「はい、そうです」

 玄関先で私の横に並んだ涼真は、意外に冷静な様子で答えた。

「お母様には大変お世話になっております。このたびは娘がご迷惑をおかけいたしました」

 父は深々と頭を下げた。

「そんな、迷惑なんて……」

 何か言いかけた涼真の手を引き、首をふって見せる。本当のことを話す必要などない。戸惑うように視線を揺らす涼真に、私は小さく微笑みかけた。

「ごめんなさい」

思い切って一歩前に出る。

「お父さんに迷惑かけるつもりはなかったの。あの人達をちょっと困らせるぐらいの軽い気持ちで……」

「軽い気持ち? 琴里らしくないね」

 父は顔を上げ、私の目をじっと見た。本心を見透かすような怜悧れいりな視線に、こういうところが母と合わなかったのだなと感じる。温厚そうな印象とは裏腹に、いつでも瞬時に冷徹になれる人だ。相手が他人でも身内でも、それは変わらない。

「あの二人のところに帰りたくないなら、うちに来なさい」

 父は視線をそらさずに言った。

「連絡したくないなら、しなくていい。こちらで対応するから」

「あの、すいません」

 いきなり涼真が口を開いた。

「ここにいてもらっても、全然かまわないんですが」

「それは色々な意味で難しいでしょう」

 考える余地などないと言わんばかりの即答だった。

「あなたも琴里も未成年で、まだ何に対しても責任が取れる立場にありません。親戚でもないティーンエイジャーの男女が二人で同居など、どんなに事情を説明しても、理解を得らえることではない。違いますか?」

 口調は穏やかだが、理詰めで追い詰めるような論法が、いかにも父らしい。これでは、涼真は責められているように感じるだろう。

「お父さん、そんな言い方しないで」

 割って入ると、父は意外そうな顔をして私を見た。

「彼は私の気持ちを考えて提案してくれただけで、そういうこと、ちゃんとわかってる人だから」

「……そうか」

 父は何を思ってか、涼真と私を交互に見て微かに笑った。

「鳴井さん」

「はい」

「本来ならあなたのお母様にも報告すべきなのでしょうが、娘が家出して一人暮らしの異性宅に転がり込んでいたなど、親としてはあまり知られたくないことです。なるべく穏便に済ませたいと……」

「母には話す必要ありません」

 涼真は少し強い口調で言い切り、父の視線から逃れるようにうつむいた。

「一人暮らしだとご存知なのなら、母との関係がどんなものかも知ってますよね?」

「それについては察している程度ですが、このマンションの建物があなたの名義であることは存じ上げております。他にも、お父様から譲られた資産をご自分で運用されておられる…」

 父の顔を見上げる。マンションの部屋ではなく建物と言ったその口が、まだ何か聞きたくない言葉を吐き出しそうで、今すぐふさいでしまいたいと思った。

「ですから、琴里との交際を反対するつもりはないのです。むしろ、娘との将来を真剣に考えていただきたいと思っているのですよ」

 私はいたたまれない気持ちになり、カッと頭に血が上るのを感じた。父は涼真にそれなりの財産があると知って、悪くない相手だと判断したのだろう。だから丁重な態度をよそおいながら、涼真が交際について責任を感じるよう圧力をかけたのだ。こんなことを言う人が父親だなんて、恥ずかしくてたまらない。

「お父さん!」

 思わず声を上げた。涼真がどんな顔をしているか、怖くて見ることができない。

「私、お父さんと一緒に帰るから。だから、もう何も言わないで。お願い……」

「琴里さんと別れるつもりはありません。これから先ずっとです」

 涼真の手がそっと私の背中に触れた。温かく優しいそのぬくもりで、急速に気持ちが落ち着くのを感じて泣きたくなる。

「軽い気持ちでは、決してありませんから」

「そうですか。安心いたしました」

 父は白い歯を見せて笑った。一見さわやかそうだが、浅ましい要求をしておきながら、どうしてこんな笑顔を向けられるのかと思った。父の内面を垣間見たようで、嫌な気持ちになる。

 母の好みが茅原昴のような男だとしたら、父は真逆だ。丁寧で実直そうな態度の裏に、冷徹で計算高く底知れない顔がある。私を迎えに来たのも、親心からだけではなく、利益になると考えたからなのかもしれない。

「では、そろそろ失礼を。琴里、いいね?」

「……はい」

「車を回してくるから、支度して下りて来なさい。十五分でいいね?」

 父の言葉にうなずき、私は回れ右して玄関を離れた。背後で涼真と父が挨拶する声がして、ドアが閉まる。

「涼真」

 振り返らずに名前を呼ぶ。

「早く来て!」

 叫ぶように言うと、涼真は急いで私のところにやって来た。

「琴里、どうしたの?」

「ごめん」

 彼に抱きつき、胸に顔をうずめる。

「あんなことしか言えない父親で恥ずかしい。嫌な思いさせて、本当にごめん」

「大丈夫だよ」

 涼真はなだめるように私の頭を撫で、優しく抱きとめてくれた。

「良いお父さんじゃん、わざわざ迎えに来るなんて」

「でも……」

「俺のこと子供扱いしないで、ちゃんと話してくれて、逆に嬉しかったよ。まあ、本当のこと言ったら殴られるかもしれないけど」

 ちょっと笑って言う涼真に、ますます申し訳なさを感じて、涙がにじんできた。

「私が自分で涼真と離れたくなくて帰らなかったんだから、殴られるようなことなんか、何もないよ」

「でも最初は拉致監禁だったし」

「それ、これからは絶対に言わないで。冗談でもダメだからね」

「わかった」

 涼真にしがみつく手に力がこもった。

「帰りたくない」

「琴里」

 ぎゅっと強く抱きしめられ、切ない気持ちがこみ上げてくる。

「これからは好きなだけ会えるだろ。いつだって遊びに来ていいし、俺も会いに行くから」

「うん……」

 その時の私は、現実に戻らなくてはと頭では理解していたけれど、心は不安と寂しさでいっぱいだった。

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放課後、きみの手をとり迷宮へ 奈古七映 @kuroya-niya

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