第22話
いつの間にか眠っていたらしい。
「琴里……」
涼真が私の名をつぶやいた。二人とも横向きで、私は背後から抱きしめられていた。
首の後ろに彼の唇を感じる。汗くさくないかと気になり、寝返りを打つふりをして身をよじった。
「目が覚めた?」
優しい声だ。私はうなずき、彼の腕の中でくるっと回って正面を向いた。
「何時?」
部屋はほのかに薄暗いけれど、まだ夜遅い感じはしない。
「七時ちょっと前」
涼真は愛しそうな目で私を見て微笑んだ。
「お腹空いたんじゃない? 何か作ろっか?」
「まだいいよ。もう少しこのままで」
言いながら、顔を近づけてくる。視線を合わせたまま、甘いキスを交わす。
「こんなこと言うの馬鹿みたいだけど、琴里が嫉妬してくれて、なんかすごい嬉しかった」
涼真に言われ、あの複雑に絡み合うドロドロした感情が嫉妬だったのだと、初めてわかった。
「俺にとって特別なのは琴里だけだよ。今も昔も、ずっと変わらない」
「私も涼真だけが特別……信じられないかもしれないけど」
「信じるよ」
即答して、涼真は私の頬に触れた。輪郭をなぞるように指先をすべらせる。
「信じてるけど、なんか謎で……」
「何が?」
「俺のどこがいいんだろって」
「全部だよ」
嘘ではない。姿も仕草も、声も言葉も、衝動的なふるまいも重い執着も、孤独に耐える強さも、細やかで繊細な優しさも、本当に何もかもが愛しかった。
「全部ってそんな大げさ」
「ほんとだもん。涼真の全部がす……特別」
好きと言いそうになって慌てた。
涼真は蜜に「好きな人がいる」と言ったようで、それは聞かなくても私のことだとわかる。だから今はもう面と向かって「好き」と口にしても大丈夫かもしれないけれど、涼真を気遣って避けてきたワードなだけに、安易にスルッと言うのは怖い気がする。
「なんか、現実じゃないみたいな感じ」
涼真は少しはにかんだ表情で笑った。
「無理やり連れ込んで、そのまま閉じ込めるとか、どうかしてるし、自分でもおかしいと思うよ。なのに、琴里にとって俺だけ特別とか夢みたいで……縁切られたのに追いかけて同じ高校入ったなんて、絶対に気持ち悪がられると思ってたから。だけど電車で会った時、普通に俺の名前呼んでくれただろ? あれでもう理性ぶち切れて……やっぱりどうしても諦められないって思ったんだ」
確かにかなり強引ではあったけれど、今となっては感謝すらしている。彼が諦めないでいてくれたおかげで、私は本当の気持ちが誰に向いているのか、やっと気がついたのだ。誰といてもどこか満たされなくて、余裕なく求めて一時の熱に身をゆだね、空虚さから目を背けていた。
あの頃、傷つくことを恐れず素直に涼真と向き合っていたら、そんな虚しいことなどしなくて済んだのにと思うと、今更ながら後悔が重くのしかかってくる。
「私、自分の感情に鈍感なのかも」
幻滅されるかもしれないけれど、涼真には私の駄目な部分も知って欲しい。
「小さい頃から、まわりの期待に応えるばっかりで……自分が本当は何をしたいのかとか、わかんなくなっちゃった」
涼真は黙って聞いてくれている。穏やかな表情にほっとした。
「だから今も、涼真に言われるまで、あのぐちゃぐちゃな感情が嫉妬って気がつかなくて」
私は生まれた時から、家族の期待が大きい子だった。頭脳明晰な両親を持つのだから、生まれつき優秀なはずだと信じて疑わない。秋嶋の祖父は、私が父の教えを受けて病院経営に携わる未来を望んでいる。それに応えるべく努力はしてきたものの、私自身がそれを望んでるかというと、自分のことなのによくわからないのだ。
「私のそういう部分が、また涼真を傷つけるんじゃないかと思うと、ちょっと怖い」
「琴里は優しいから」
柔らかな笑みを浮かべ、涼真は私の髪をそっと撫でた。
「自分のことはわかんなくても、相手が望んでることなら、わかるだろ?」
「まあ……少しは」
「少しどころじゃないよ。すごい敏感」
そうなのだろうか。
「相手が傷つくこととか絶対言わないし、どんな場面でも相手を理解しようとするし、手助けとかちょっとした気遣いがすごく的を得てて、やり方がさりげない。しかも、押しつけがましく感じさせない。自己満足とか見返り求めるとか、そういうんじゃなくて、本当に相手のことよく見てる優しい人だなって、中学ん時から思ってた」
ずいぶん好意的な意見で、唖然としてしまった。いくら何でも、良く受け取り過ぎだ。私はそんな立派な人間じゃない。
「涼真にはそう見えてるの?」
「うん。だから、俺は琴里がいいんだ」
涼真はじっと私の目を見て言った。
「あの合宿の時も、ラケット忘れたなんて誰にも言えなくてガチで悩んでたとこに、琴里が一人で現れて心底ほっとしたんだ。秋嶋先輩なら絶対に助けてくれるはずって」
中学の頃の私は品行方正な優等生で、特に意識しなくてもまわりから浮いて見えることはなかったと思う。部活でも特に後輩に優しくしていた覚えはないけれど、涼真のことは入部してきた時から可愛いと思っていた記憶はある。他の後輩より話しかけることが多く、気にかけていたのは確かだ。
思い返すと急に恥ずかしくなってきて、頬が熱く火照った。そういえば部活の同輩に「瀧川涼真をひいきしてる」と指摘されたこともあった。
「あれより前から、俺は琴里が好きだった」
「……好き?」
涼真がそれを口にするなら、私も言っていいのだろうか。その言葉を信じてくれるだろうか。
「好きだよ」
私を見つめたまま、涼真は真剣な顔でそう言った。
「琴里が好きだ。昔も今も琴里だけが特別な存在で、好きで好きでどうしようもないよ」
「涼真……」
私も目をそらさず、涼真を見つめた。
胸が痛いほど緊張して、どきどきするのが止まらない。ちょっと一呼吸おいてから口を開いた。
「私もあの時、涼真だから一緒に倉庫まで行ったの。他の後輩だったら対応違ったと思う」
「うん」
「いつからかはわからないけど、ずっと涼真が好きだった。今はもう言葉では表せないほど好き。大好き」
どちらからともなく、私たちは手を取り合い、互いにかたく握り合った。もう二度と離れたくない。たとえ行き先に闇が待ち構えているとしても、涼真と手を取り合って歩けるなら、どこに向かったっていい。
だから、やっぱり早く言わなくてはいけない。ズルズル先延ばししないで、今すぐ打ち明けるべきだ。
「驚くかもしれないけど、茅原蜜は従妹なの。そして私が家に帰りたくない理由は……」
なるべく淡々と説明する。涼真の表情の変化がつらかった。
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