第21話


 めちゃくちゃに走り回ったせいで道に迷い、スマホもない状態で本当に困ったけれど、三十分以内には、どうにか涼真のマンションを見つけることができた。

 辺りを見回し、蜜の姿がないのをよく確認してからエントランスに入り、エレベーターのボタンを押した。


 まだ手が震えている。動揺がなかなかおさまらない。

 蜜に知られてしまったからには、遅かれ早かれ、私は母のところに連れ戻されるだろう。捜索願いが出されているということは、最悪の場合、警察が訪ねて来るかもしれない。その場合、当初は彼に監禁されていたなんて、絶対に知られてはいけない。

 私が自主的に家に帰るのが、一番穏便に済ます方法だと、本当はわかっていた。でも今はまだ涼真と離れたくない。どうしたら、このまま一緒にいられるんだろう?


 エレベーターの速度が、やけに遅く感じる。早く部屋に帰って、涼真に会いたい。ほんの数十分、彼と離れていただけなのに、ひどく恋しかった。



 インターホンを鳴らすか迷いながら部屋のドアに手をかけると、鍵はかかっていなかった。

「涼真!」

 もどかしい思いで靴を脱ぎ捨て、部屋の奥に走った。リビングのソファに彼を見つけ、押し倒すような勢いで抱きつく。

「琴里……帰ってきたんだ?」

 涼真は泣きそうな顔でそう言うと、私を見上げて微笑んだ。

「遅くなってごめんね」

 彼の頬を優しくなでて、じっと見つめる。


 どうしてこんなにも愛しく思うのだろう。

 誰を傷つけてでも、涼真と離れることなんて出来そうにない。


 母も……茅原昴に対して、こんな気持ちを抱いたのだろうか。実の妹とその子供たちを傷つけるとわかっていても、会うことを止められないほど、昴を愛してしまったのだろうか。

 今までは考えることも嫌だった母の道ならぬ恋について、全否定できなくなっている自分がいた。


 涼真は目を伏せて、私の視線から逃れた。

「ごめん」 

「なんで? 涼真が謝ること何もないよ」

「俺が買い物行こうなんて誘ったから……」

「たまたま知り合いに会っただけでしょ。そんなに深刻にならないでよ」

「琴里」

 涼真は目を伏せたまま、私の腰に手を回して抱き寄せ、顔を隠すように右肩に頭を乗せてきた。さらさらの髪の毛が首筋に当たってくすぐったかったけれど、私はされるがままにじっとしていた。

「今から話すこと、ちゃんと聞いて欲しい」

「うん、わかった」

 愛しい涼真。何を聞いても、あなたを嫌ったりしない。だから安心して欲しい。そんな想いを込めて彼を抱きしめる。

「夏休み前まで、あいつと付き合ってたんだ」

 低く小さな声だった。

「そうかなって思ってた。前に駅で見たから」

 できるだけ、何でもないことのように口にした。私だって涼真と再会するまでの間、二人の男子と付き合ったのだから、誰とどんな付き合いをしていたか、彼を問いただす気なんてない。

「はじめは好きな人いるからって断ってたんだ。でも、もしその人と付き合えるようになったら身を引くから、仮の関係でいいからって言われて……成り行きで一年ぐらい付き合ってたんだ」

 一年と聞いた瞬間、カッと頭に血が上るのを感じた。そんなに長く一緒にいたなんて予想外で、少なからず衝撃を受けてしまった。

 一年も付き合っていたのなら、浅い関係ではなかったかもしれない。蜜の性格を考えると、攻略に意欲的な気がして、想像したくもないのに、涼真に絡みつく彼女の姿が脳裏に浮かんでしまう。

 複雑な気持ちにかき乱され、呼吸が苦しくなってきた。涼真の背中に回した手に、思わずグッと力が入る。

「高校であの先輩と付き合ってる琴里を見て、あきらめようと思ったんだ、初めは。でも、どうしても苦しくて……彼女に最近変だよ、どうしたのって言われるようになって。心配してくれてるってのはわかったけど、ただただ鬱陶しいだけだった。それで、もう限界だって思って、別れた」

「そっか」

「着信拒否して、繋がり全部切ったんだ。でも、向こうは納得してなかったらしくて」

「うん……」

 仮の関係でいいなんて、口実に違いない。何でもいいから付き合ってしまえば、ふり向かせるチャンスはあるーー蜜ならそう考えるだろう。

「ここに呼んだこと一回もないし、どこに住んでるか教えてないのに、ストーカーみたいに俺の後つけて把握してたっぽい」

「涼真」

 聞いてはいけないと思うのに、口が勝手に動いて止まらない。

「その子と……した?」

 涼真は私を抱きしめたまま、小さくため息をもらしただけで、言葉では何も言わなかった。だけど、その沈黙こそが答えだとわかってしまって、私は唇を噛みしめる。

 高校に入ってからの私が誰とどう付き合ってきたか、言わなくていいと涼真は強く主張した。その気持ちが、今は痛いほどわかる。この熱を知っているのが私一人じゃないことが、こんなにつらいとは思ってもみなかった。

「キスして」

 震える声で求めた。涙こそ出なかったけれど、私の胸はやるせない気持ちでいっぱいだった。涼真は頭を上げ、目を伏せたまま唇を寄せてきた。遠慮でもするように軽く触れ、すぐ離れていこうとする。

「やだ、もっとして」

 私はすがりつくようにねだり、彼の唇を追いかけた。捕えてむさぼる。強く抱きしめ、押し倒す。むしり取るように服をはだけ、素肌を重ねていく。

「琴里、俺……」

「黙って」

 もう何も聞きたくない。

 一刻も早く、涼真の熱はすべて私のものだと感じたかった。

 

 


 

 



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