幼馴染みが馬鹿なので、

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幼馴染みが馬鹿なので、

「恋人ごっこしよ!」

 玄関からやたらでかい声の呼びかけに反応して出てみると、馬鹿そうな顔をした幼馴染みが馬鹿そうな表情で馬鹿なことを言っていた。

 生まれてから今日まで、一体何回見たかもわからない顔は、満面の笑みを私に向けている。普段なら一つ大きなため息をしてから追い出すところだけど、この馬鹿の面倒を見るのも今日限りかと思えば、少しだけ相手をしてやっても良いかという心持ちにもなった。

「なんの話?」

「これ!」

 袈裟懸けにしたドット模様のポーチから取り出したのは、文庫本サイズの小さなメモ帳。ハルは表紙をめくって私の鼻先に突き出すけど。

「近くて見えない」

「よく見て!」

 と言って、私の鼻に押し付けるようにぐいとメモ帳を突き出した。なんだこいつ。

 顔を離してメモ帳を取り上げると、そこにはハルの下手な字で『恋人になったらやりたいことリスト』と題され、いくつかの項目が箇条書きされていた。

「……何これ?」

「もしかして、読めない?」

「ちがう」

雪菜ゆきな、そんなんでよく大学受かったね」

「ハルこそ、そんな理解力だから落ちたんじゃない?」

 するとハルは、拗ねたように眉根を寄せて外方を向いた。幼い時からよくするけど、この仕草は私以外にはあまりしない。この仕草には弱いんだよなぁ。

「……で、なに?」

「引越し明日でしょ?」

 元々私よりも六センチ低い背に、上がりかまちの高さも含めた上目遣いで、ハルはこちらを覗き込む。楽しそうに笑う顔に、少しだけ心に冷たいものが落ちた。

「……うん」

「思い出、作ろ?」

「はぁ?」

 ハルの何も考えてなさそうな笑顔に、露骨に嫌そうな表情で返す。心に落ちたものを無視して、いつもの私たちに戻った。

「思い出って言葉が理解できない人?」

「ハルのことが理解できない」

「生まれた時から一緒なのに……」

「人は結局理解し合えないんだね……」

「理解は出来なくても、話し合うことはできるでしょ?」

「IQが二十違うと会話が成立しないらしい」

「そっかごめんね、私が天才だったばっかりに」

「仕方ない、馬鹿と天才は紙一重だっていうから」

「ん?」

「で、なんだっけ? 思い出?」

「そうそう」

 ペラペラとメモ帳をめくると、二枚目まで読みづらい文字が書き綴ってある。

 えっと「お互いの呼び方を決める」「お互いの好きなものを把握しておく」「お花見をする」などなど、全部で十五個くらい。一番最後には「星を見ながらキスをする」なんて書いてある。

「えーっと……」

「これはさぁ、恋人が出来た時のためのやりたいことリストなんだけど」

「はぁ」

「まあ、仕方ないから雪菜とやってあげようかなって」

 ……何言ってんだ?

「明日引越しでしょ?」

「ああ、うん」

「だからさぁ、雪菜の思い出作りに、今日一日恋人になってあげるよ」

「え、本気?」

「うん」

 何かおかしなことでも? と言いたげな表情で小首をかしげ、こちらを伺うハル。丸くきらきらと輝くどんぐり眼で下から覗き込まれ、思わず大きなため息が出た。

「……ハルは、馬鹿だなぁ」

「……ん?」

 ハルは笑顔のまま、青筋を立ててこちらを睨んでいた。






 小日向こひなたはるとは、家が近所だったこともあり、幼稚園か、もしかしたらその前からか、とにかく物心ついた時からずっと一緒だった。幼稚園も小学校も中学も高校もずっと一緒だった。いわゆる、腐れ縁的な、そんなやつ。……なんだけど、この春からやっと進路がわかれることになった。

 私は関東の方の大学に通うために一人暮らし、ハルは地元に残って浪人生。引っ越しは明日だから、今日でハルともお別れだ。だからハルなりに、思い出づくり? をしてくれようとしてるみたいなんだけど。

 ……まあ、基本的にハルは馬鹿だからね。

 幼い時から一緒だからよくわかる。ハルは悪い奴じゃないし、基本的には優しくていい奴だ。ただちょっと、信じられないくらい馬鹿だけど。

 まず基本的に勉強ができない。いまだに九九が怪しいんじゃないかと心配になる時がある。七の段とか。

 同じ大学に行きたいって言われたから散々勉強を教えたのに、結局ハル一人で落ちやがったし。

 あと思いつきで行動するところがある。

 突然海が見たいとか言い出して、学校をサボって海水浴場まで引っ張って行かれたり。

 靴とばししようとか言い出して、公園のブランコを女子高生の身分で全力で漕がされたり。

 読書に目覚めたとか言い出して、地元の図書館で貸し出し制限いっぱいまで借りて重すぎて持ち帰れなかったり。

 とにかくまあそんな呆れるレベルの馬鹿だ。

 そんな馬鹿だから、一人にすると何をしでかすかわかったもんじゃない。だから私も、ハルのお守りとしてよく付き合ってやっている。

 まあ一緒にいてたまには面白いこともあるんだけど、大抵は他人に迷惑をかけるか私が迷惑を被るか、あるいはその両方で終わる。

 だからまあ、今回の恋人ごっこ? も同じように終わるんじゃないかと思うんだけど……。

「ほんとにやんの?」

「時間がないから、はよ」

 家の玄関先にて、白いワンピースに黒っぽいブルゾンを羽織ったハルは、私の鼻先にメモ帳を突き出している。

 今日は両親とも出かけていて、私の引っ越し準備もすでに完了しているから、家で適当に動画でも見ていようかなと思っていたのだけど。

 ため息をつくと、ぱっつんのいわゆる姫カットの黒髪の下でハルは爛々と両眼を輝かせている。

 その笑顔を見ると、まあ、最後の日くらい、付き合ってやるのも吝かではないかと思えたので、まあ付き合ってやるか。

「えーと『呼び方を決める』?」

「うむ」

 メモ帳の一番上を音読すると、やたら尊大に頷く。

「時間ないしさ、歩きながらやろうよ」

「んあ?」

 ハルはメモ帳を私の方に向けながら、自分でも横から覗き込んで「デートをする」のところを指差した。

「今日中にこのリスト、全部やるからね」

「……」

 明日引っ越し当日なんだけど、本気か? 本気だよなぁ……。なんてったってハルだし。底抜けの馬鹿だし。

「じゃあこの『お花見をする』はどうすんの? まだ咲いてないでしょ」

「梅でいいよ、城址公園の」

 そんなんでいいのか? まあいいならいいけどさ。

 改めてメモ帳を眺め、一枚めくって二枚目も眺める。現在は昼の十一時半だから、まあ確かに頑張れば今日中に全て実現可能か? という内容にはなっている。

 うーむと唸る。と馬鹿は明るく笑った。

「ほら、先生も言ってたでしょ?」

「あー『後悔しない選択』だっけ?」

「イエス!」

 ハルはグッとメモ帳を持っていない方の手でサムズアップを作る。

「後悔しない選択」というのは、小学生のときの担任だったおばあちゃん先生が、私たちが卒業するときに贈ってくれた言葉だ。当時から単純だったハルはその時の先生の話にいたく感動したらしい。

「後悔しないよう、思い出作ろ?」

「えー……」

 馬鹿な上に行動力がすごいから、ほんと強引だよなぁ……。

 ……でも、このハルの期待する顔を見るとさ、どうやっても付き合ってあげることになるんだよね。

 だからハルに見せつけるように、わざとらしく大きなため息をつく。

「ちょっと待って、なんか上に着てくる」

「うむ、はよう頼むぞ」

 満面の笑みに送られて階段を登り、自室に戻ってから適当なパーカーをキャラもののロンティーの上から羽織る。

 最低限の財布やらスマホやらハンカチやらをパーカーとスキニーのポケットに突っ込んで鏡を確認する。一応ほら、人生初のデートではあるわけだしね。

 軽く髪型だけ確認。まあいつもと変わんないかな。

 あとは、小さく呼吸を整える。

 ……もはや、今更、この期に及んで、期待なんかしない。

 浮かれそうに、高鳴りそうになる心臓のあたりに、自らちゃんと釘を刺しておく。

 私たちの関係が今更変わることなんかない。

 十八年間ずっと変わらなかったし、私がハルのことを好きだって自覚した中学生の時から、えっと、五年間かな? も、ずっと関係は変わらなかった。ハルに好きだって告白したこともあるけど、馬鹿だから友達としての好きだと勘違いされたりしたしね。

 そんな私たちの関係が今更進むとも思えないし、流石にもう進める気もない。

 深呼吸をして冷たい空気を肺に落とすと、喉の奥あたりが冷えて随分と冷静になれた気もする。

 浮かれた気持ちが落ち着けば、残った気持ちはずっと抱えてきた虚しさだけ。

 まあ脈が一切無いのに恋を続けるのも大変なのだ。忘れようと思っても、これだけ近くにいられると無理だしね。

 だから本当はデートなんかしない方がいいんだろう。封をするはずの気持ちを抱えたままじゃ、デートしたってただただ虚しくて寂しいだけだろうし。

 肺に入れた空気は、ため息という形で世界に放出された。

 ……まあ惚れた弱みだ。ハルが一日付き合って欲しいというなら、付き合ってあげよう。なんと言っても今日で最後だしね。

 だから最後くらい、精々楽しませて欲しいものだ。

 まあ、キスができるとは思ってないけどさ。



 ***



「じゃあ、『ハル』」

「いつもと一緒やん……」

「急に関西風じゃん」

「なんでやねん」

 城址公園までは、徒歩にして約十五分程度の距離。二人で近所の住宅街を散歩しながら、まずはリストの一番上に書いてあった「呼び方を決める」からやっている。私の提案した「ハル」は早速却下されたが。うーむ何が良いかね。

「じゃあ、『ひな』は? 小日向だから」

「お、かわいい」

「じゃあこれでいい?」

「うんうん」

「じゃあ、ハルは私のことなんて呼ぶ?」

「いや、ひなって呼べし……」

 幸いにも天候に恵まれ、三月にしては暖かな気温だけど、ティーシャツにパーカーで過ごすにはまだ少し寒いかな。風はそれほどなくて、散歩をするにはちょうどいい感じ。

 子どもの時から何度も二人で探索した、歩き慣れた住宅街を並んで進む。

「じゃあ雪菜は……うーん、白村はくむらだから」

「うん」

「白菜?」

「じゃあそれで、よし終わり」

「ちょっと、めんどくさがらないで」

「時間ないし、それでよくない?」

「ちゃんとやりたいのー」

 ハルは不満そうな口調でぼやきながら、拗ねたように外方を向く仕草をした。この仕草には弱いんだよな……。好きになるって大変だよ、ほんとに。

「っていうかさぁ、いつも通りで良くない?」

「……そお?」

「だってもし私たちが恋人になっても、呼び方変わんないでしょ」

 なんて、自分で言ってかなり虚しくなったけれど、ハルは納得したように「なるほどね」と頷いた。

「じゃあ呼び名はいつも通りということで」

 ハルは一人でうんうんと頷いて、小脇のポーチからさっきのメモ帳とシャーペンを取り出すと、一番上の「呼び方を決める」のところに打ち消し線を一本引いた。やっと一つ達成した。

「あと幾つ?」

「十六個」

 まだ結構あるなぁ……。

「じゃあ次ね『頭をなでなでする』」

「ほい」

 隣を歩くハルの頭に背中から手を載せ、軽く上下左右に動かして頭を撫でる。偶にハルにやるから手慣れたものだけど、ハルもこういうことを恋人にやって欲しいのかね。

「うむ、苦しゅうないぞ」

 満足げな表情で撫でられているハル。優しく何度も動かすと、心地よさそうに目を細める。犬みたい。

 ハルはいつか私以外の誰かの手でこの表情をするのかと思うと、また胸のあたりにもやもやとした物が心に溜まる。この感覚だけは慣れないね。

「お、どした?」

「何が?」

 ハルは馬鹿のくせに、偶に鋭いから冷や冷やする。とぼけたフリをすると、ハルも小首を傾げたけど、それ以上気にした様子はない。

「まあいいや、じゃあ交代ね」

 ハルはひとしきり撫でられて満足したのか、今度はこちらの頭に手を載せた。私の方が背が高いので無理のある格好になるから、立ち止まって少し屈んだ。

 頭を向けて待っていると、ハルの手が頭を撫でてくれる。柔らかに動かす手の感触は、なんだかよくわからないけどとても気持ちがいい。好きな人の手は、脳内麻薬の分泌を促すようになっているのかもしれない。

 ハルに頭を撫でられるのは初めて。指も掌もとても心地がよくて、いつまでも撫でて欲しいと思ってしまっている。

 だからハルに「雪菜?」なんて声をかけられても、名残惜しくて反応するのを一瞬躊躇ってしまった。「ああ、もういい?」とか言ってとぼけてみたりするけど、ハルはにやにやしてる。

「気持ちよかった?」

「なかなか上手いじゃん」

「でしょ」

 撫で撫でを楽しんでいたことを素直に肯定すると、ハルも満足そうにこちらに笑顔を向ける。

「よし、じゃあかんりょー」

 と、またドット模様のポーチからメモ帳を取り出して、二つ目の「頭をなでなでする」に線を一本引いた。さて、残りは十五だっけ。

「じゃあ次ね」

「えー『お互いの好きなものを把握しておく』って、なんで?」

「プレゼントする時とかにイイでしょ?」

「ああ、なるほど確かに」

「もっと褒めても良いぞ」

「どうせ検索エンジンに教わったんでしょ」

「そうだが?」

 ハルの明け透けな態度に、思わず吹き出してしまった。

 ハルはメモ帳をポーチに仕舞い、またどちらからともなく、二人で並んで歩き出す。

「じゃあ雪菜の好きなものは唐揚げ?」

「え、そうだが」

「あとどーせ変なキャラティーが好きなんでしょ」

「え、可愛いじゃん」

「センスないよねぇ」

「馬鹿のくせに……」

 なんて会話を繰り広げながら住宅街を抜けて商店街に差し掛かる。まだ子どもの頃にお遣いに行った郵便局やら、暇つぶしによく顔を出した本屋やら、一度だけ年確せずに売ってくれた酒屋とかが並んでいる。

 この商店街も、このくだらない会話も、隣の好きな人も、全部今日限りか。名残惜しくはあるけど、まあとりあえず今は楽しいから良いか。






 城址公園のそれなりに広い敷地内には、復元された石垣や石塔なんかが点在している。また桜の名所としてもそれなりに有名で、五月頭ごろには花見客で賑わう。ハルとも毎年なんやかんや花見にきてるから、それほど目新しくもない。

 石造りの階段を登って復元された城門をくぐると、広い石畳の広場にでた。広場の端には石碑や木造建築のトイレなんかがあって、日陰になっているあたりにはまだ根雪が溶け残っている。

「ちょっと待って」と立ち止まってポーチからメモ帳を取り出す。ここまでに六つ消化したから、残りは十一。三十分程度で三分の一だから、なかなかのハイペースじゃないか?

「えっと、とりあえず『お花見をする』かな?」

「梅ってどの辺だっけ?」

「忘れた」

 子どもの時に何度か梅も見た記憶あるけど、覚えてないもんだね。

「とりあえず池の方行こ」

 とハルに誘われ、石畳の上を歩調を合わせて歩き始める。敷地内にはそこそこに大きな池があって、鯉やカエルなんかを見たことがある。池は復元された物じゃなく、築城当初からあるらしい。

 ハルと並んで歩いていると、少し風が出てきた。ずっとあたっていた太陽も、見上げれば今は雲の裏側に隠れてしまっている。

「寒くない?」と横を歩くハルに尋ねられる。

「ちょっと」

「あなた身体弱いんだからダメよ」

「ごめんねおばちゃん」

 ほれ、とハルは自然に私の手を取ると、ハルが着ていたブルゾンのポケットに突っ込まれる。するとやたら温かな感触が指先から伝わってきた。

「あれ、カイロ?」

「うん、身体壊さないでよね」

 ハルも自分のポケットの中に手を突っ込み、ポケットの中でハルの手と一緒にカイロをもてあそぶ。挟んだり擦ったり握ったり、そんなことをしてるだけで楽しいから不思議だ。やっぱり好きな人の手は、脳内麻薬の分泌を促すようになっている。

「カイロ用意してたの?」

「私と違って、寒いとすぐ風邪ひくじゃん」

 ついとハルは顔を前に向ける。そんな素っ気ないようなぶっきらぼうな態度だけど、ポケットの中は温かい。

 昔からそうだ。

 なんだかんだ言いながら、結局私に優しい。

 馬鹿のくせに、私の事だけはすぐに気付いてくれる。

 ほんとそういうとこだよなぁ……。

「どーせ馬鹿は風邪ひかなくて良いねとか言うんでしょ」

「……言わない」

「言えよ」

「……あのさぁ」

「なに?」

 どーしよ。やっぱちょっと恥ずかしい。

 けど今日で最後か。もう二度と言う機会もないかもなぁ。

 ……じゃあ言うか。

「ありがと、優しいじゃん」

「でしょ? もっと褒めても良いよ」

「ハルのそういうとこ」好きだよ、は言えなかったから「良いよね」と代わりに付け加えた。

「うむ、苦しゅうない」

 なんて、またハルは馬鹿みたいにドヤ顔で胸を張っているから、つい可笑しくて笑ってしまった。

 はーあ、全く。せっかく忘れようとしてるのになぁ……。

 大体、なんでこんなに私のことに気付いてくれるのに、私の好きだって気持ちには気付いてくれないわけ?

 あの時だって勇気出して告白したのになぁ……。

「お、あの辺咲いてない?」

「ほんとだ」

 思考を中断してハルの指差す先を眺めると、白い小さな花を付けた木々が目に入った。一つのポケットにハルと手を突っ込んだままゆっくりと近づけば、木々には五つの花弁が幾つも咲いていることがわかる。

「まあ、桜ほど派手じゃないけど」

「うん」

 地面に散っていた白い花びらを踏みしめながら一しきり眺めて、ハルはポケットから手を抜いてポーチからメモ帳を取り出した。

「じゃあ『花見をする』と『デートをする』がクリアね」

「ん」

「……ねーこれさ」

「うん?」

「手、繋いだよね?」

「あーね」

「じゃあ『手を繋ぐ』もクリアで」

 言いながら、ハルはメモ帳に線を引いていく。これであと八個か。

 私もハルのポケットから手を抜いて、自分のポケットにしまったスマートフォンを取り出した。時刻は十三時十一分。まだお昼食べてないから、そろそろかね。

「ね、これもやろ」

 メモ帳を向けるハルの指の先には「目を見て好きって言い合う」と書かれている。流石にちょっと難易度高くないか?

「誰もいないし良いじゃん」

「えー」

「もしかして恥ずかしいの?」

「そうだけど」

「じゃあ私からするね」

 ペンとメモ帳を持ったまま、ハルは私の正面に回る。私よりもやや低い目線を真っ直ぐにこちらに向ける。切りそろえられたぱっつんの前髪の下から覗くどんぐり眼には、私の顔が映り込んでいた。

「雪菜」

 名前を呼ばれて、ピクリと身体が反応してしまった。胸の辺りで、きゅんと何かが反応するのは、期待してしまってるってことだろうか。

「好き、だよ」

 言いながら、ハルは照れ臭そうに笑顔を見せた。私の方が顔が赤くなってしまった気がしたから、赤面の言い訳を頭の中で考えてしまう。

「次、そっち」

 やっぱりまだ少し照れているようにハルは笑う。

 私はわざとらしくため息をついて、いかにも仕方ないなぁといった感じを演出しておいた。

「ハル」

 私の顔が映り込んだ瞳は、よく見ると少し潤んでいる。

「私も、大好き」

 躊躇うとたぶん恥ずかしいことになると思ったので、勢いに任せて言ってしまった。でも「大」は付けなくてよかったか……。

 変な後悔をしていると、ハルはふっ、と吹き出したかと思うと急に声を上げて笑い出した。

 何かを吹き飛ばすように勢いよく笑い声をあげて、やや過剰でわざとらしさを感じるくらいに笑っている。

「なに、急に?」

「だって……可愛い……」

 お腹を押さえ、笑い声を交えながら笑い出した理由を説明しているけど、よくわからないし、なんか面白くない。

「そんなおかしい?」

「ごめ……可愛くて……」

 憮然とした表情を作る私をよそに、ハルはしばらくして笑い続けて、幾分か落ち着いてから持っていたペンでメモ帳に線を引いた。

「これもクリア……あと七個かな」

「……そう」

「怒んないでよー」

「怒ってない」

「じゃあ良いか、そろそろご飯食べよ」

 笑いながら歩き出すハルを、ため息をひとつついて追いかけた。

 ……そういえば昔、告白した時もこんな感じだったっけ。

 高校生になって、最初の夏休みの数日前。急にハルが海に行きたいとか言い出して。その日は短縮授業だったけど、もちろんサボって良いってわけじゃない。でもまあ、そこは今回みたいに惚れた弱みで、無理やりに付き合わされた。

 いつもと反対方向に行く電車に乗って一時間、そこから乗り換えてさらに一時間。

 人もほとんどいない海水浴場の砂浜で、非日常にあてられた私は、ハルに自分の恋心を告げた。

 つもりだったのだけど、ハルはなんか急に爆笑して、最後に「私も!」なんてしょうもない返答を貰った。

 ……仕方ない、馬鹿だから。

 結局、私の恋は実らなかった。でも、いまだに引きずっている。もしかしたらなんて、考えてしまう。

 ハルも馬鹿だけど、私も相当な馬鹿だよな。

 今日で最後だし、もう一回伝えてみようかななんて、そんな考えが脳裏を掠めてしまった。



 ***



 城址公園の敷地内に蕎麦屋があることを、今になって初めて知った。十八年目の新事実だ。

 店内には私たち以外の客はおらず、二人で四人がけのテーブル席に向かい合ってかけていた。

「次はこれだね、『お互いにあーんをする』」

 ハルは髪を掻き上げて海老天入りの掛け蕎麦をすすりながら、横にメモ帳を広げている。さっきからだし汁がメモ帳に飛んで染みになっているのがやたら気になるんだけど、ハルは馬鹿だから一切気にしてなかった。

「蕎麦でやんの?」

 同じく海老天入りの掛け蕎麦をすすりながら尋ねると、ハルは小首を傾げる。

「いいじゃん、ダメ?」

「まあいいけど」ケーキとかもっと可愛いものでやった方がいいんじゃない、という脳裏上の考えは口にしないでおいた。

「やりづらいから、隣行く」

「ん」

 がたがたと忙しなく席を立って、ハルは私の隣の席に移動する。湯気が立つ丼鉢と箸も近くに寄せて、私を見上げる。

「はい、あーん」

 と、口元に運ばれた蕎麦をずぞぞと音を立てながらすする。服にだし汁が飛ばないように手だけ下に添えたけど、結局あちこちに飛んでしまった気がする。めんどいから気づかないフリ。

「美味しい?」

「ハルに食べさせてもらった蕎麦は特別に美味しいよ」

「えへへ……嬉しいな」

 なんだこれ。

「お返しだよ、はいあーん」

「あーん」

 同じように蕎麦を箸で掬ってハルの口元に寄せる。遠慮なくずぞぞと吸い込もうとするので、だし汁が飛ばないように慌てて丼鉢の方をハルの口元まで持っていった。私と違って、結構ちゃんとしたワンピース着てたからね……。

「ありがと」

「いいえ」

「雪菜に食べさしてもらった蕎麦、美味しい」

「よかったねぇ」

 ハルは満足そうに、反対側の席に置きっぱなしのメモ帳に手を伸ばして線を引いた。

「あといくつだっけ」

「えーと……」

 と楽しそうに笑いながら、メモ帳を手元まで引き寄せた。ハルは肩を寄せて私にも見せるようにして二人の間でメモ帳をめくる。メモ帳の一枚目と二枚目の、線画引かれていない項目を目でざっと数えると、残りは六個。

「次、どれやるの?」とハルに尋ねる。「これはちょっと面倒かな」とハルが指したのは「お互いの知り合いに紹介する」の項目。

「誰かに連絡取ってみようか?」と尋ねると「んー」と唸ってイマイチ気乗りしない様子。

「じゃあこっちは? 『お揃いのアイテムを持つ』と『一緒にお買い物する』」と水を向ける。

「ふむ、続けたまえ」

「売店みたいなとこあったじゃん、確かお土産とか売ってたはず」

「ほー」

「まあ買ったことないけど」

「地元民はそーだよね」

 まあ、地元に住んでいて地元のお土産品を自分のために買うやつはそうはいないよな。といっても、私も明日から地元民ではなくなるわけだけど。

「もしかして結構時間余る?」

「うん、良いペース」

「日没って何時くらいだろ」

「六時くらいじゃないかな」

「これね」

「うん」

 ハルが指差したのは、一番最後の「星を見ながらキスをする」だ。少なくとも日没まで粘らねければ、星が出ている時間にはならない。本当にキスするわけじゃないだろうけど。

「したら、とりあえず次は売店いこ」

「りょー」

 と返事をして、食事を再開しようと丼鉢の上にのせた箸を手に取った。

「時間余ったら、そっちのやりたいことやろ」

「私?」

「なんかないの? だってほら」

 最後の日だから、という言葉は言外に埋まっていた。馬鹿なりの気遣いだろうか?

「んー」と考えているように喉を鳴らして、残っていた蕎麦を啜る。

 やりたいことね……。

「海老天ちょうだい」

「いいよ」

「お、ほんとに?」

「お腹いっぱい」

「普通の掛け蕎麦にすればいいのに」

 ハルの方に丼鉢を寄せて、残った海老天が隣の丼鉢に移動するのを見つめる。

 普通の掛け蕎麦にしたらハルに海老天あげられないじゃん、と心の中で呟いてみる。自分で食べてもよかったけど、ハルと一緒の時はハルが欲しがるから、なるべくあげられるものを選んでしまう。苺の乗ったショートケーキとか、ハルのために上の苺をとっておいてたりしてる。

 もちろん、好きだからだけど、ちょっと自分でもキモいくらい好きなんだな。こんなことしても、気持ちなんか全然伝わんないのに。

 ……なんとなく、ハルに聞きたくなった。

「そういえばさ」

「うん」

「昔、学校サボって海行ったじゃん」

「そんなことあったっけ?」

 ……だよね。だって馬鹿だもん。

 はー、つら。なんでこんな馬鹿のこと好きなんだろ。

 さっきはもう一度好きって伝えてみようかなんて考えてたけど、伝えたところでこれじゃあ何にも変わんないよな。

「海行きたいの?」

「いや、別に」

「そう? なんか凹んでる?」

 小首をかしげて、楽しそうに海老天を頬張るハルは見事なアホ面だ。凹んでることには気付いても、その原因までは頭にのぼらない。

 だからもう良いよ。

 あまりにも脈がなさすぎるから、大人しく諦めれば良いんでしょ?

 まあ、明日ここから出ていく私が何を言ったところで、結局何も変わらない。

 私が出ていくという事実は変わらないし変えない。

「やりたいこと、とくにないね」

「ほっか」

 私は明日、東京に行く。

 行ったらまずは、女の子が好きな女の子を探そう。

 東京は人がいっぱいいるはずだから、すぐに見つかるだろう。

 その人と幸せになろう。

 ハルのことなんか忘れてさ。






 城址公園の敷地内にある売店は、蛍光灯が切れかかっているのかやや薄暗い。八割くらいがお土産コーナーになっていて、お城に関係する武将のグッズや、地元のお菓子なんかを取り扱っているみたい。

「お揃いのアイテムを持つ」と「一緒にお買い物する」という二つをまとめて達成しようという目論見で訪れているのだけど、わりと苦戦しそうかもしれない。

「お、これ可愛い」

「すぐ変なキャラティーに食いつくね君は」

「ええ……可愛いのに……」

「真面目にやって?」

 ずっと真面目だよ。さっきからこんな調子であれこれとお勧めしてるんだけど、どうにもハルはどれもお気に召さない様子。

「じゃあこれは?」とお城を模したキャラもののキーホルダーを提案するけど、「さっきと一緒じゃん」と却下された。

「これなら?」とさっきと同じキャラクターのマグネットを見せる。今度は半笑いでため息を吐かれた。ぐぬぬ。

 どうも昔から、ハルとはセンスが合わないんだよな。

 そしてハルだけじゃなく周囲の人間に聴いたところ、私はセンスが悪いらしい。だからこういうお土産品みたいなものを一緒に買うときは、相手に任せるようにしてるんだけど。

 ただ、今回はハルが一緒に選びたいっていうから、さっきからいくつか提案している。

「これは? 手拭い」

「いや、だからこのキャラ可愛くないって」

「え……」

「いや、驚くところじゃないけど」

「そうなんだ……」

「……どうしてもこれが良い?」

「いや、どうしてもってわけじゃないけど」

「そう? じゃあもう少し探そ」

 と、ハルはまた店内を進んでいく。ハルは基本的に馬鹿だから私がリードすることが多いんだけど、こういったセンスが問われるようなところでは立場が逆転してしまう。

 ハルはうーんうーんと悩みながら店内を回り、時折商品を手にとっては戻すを繰り返して、さほど広くない店内を二周くらいした。

「どーしよ」

「別のところで買う?」

「うーん……」

 ハルは店内の時計に目を遣る。時刻は二時をわずかに回ったところ。

「まだ時間あるかな……」なんて心細そうに呟くから、そんなに悩むものかと疑問に感じた。そもそもそのリストだってハルが思いつきで始めたことなんだから、全部やらなくてもいいわけで。

 それにこんなことしたって、ハルが私と付き合ってくれるわけじゃないし。

「もう適当でいいじゃん」

「ダメだって」

「そんなに悩むこと?」

「ちゃんとやりたいの」

 あからさまに態度を硬化させて、徐々に不機嫌になるハル。ふーっとため息をついた。なんかハルめんどくさいな。いつもならもっと簡単に進むのに。

「もうお菓子とかでいいよ」

「消えものはダメ」

「私たちの関係も消えてなくなるしいいじゃん」

 茶化すようにそういうと、ハルは信じられないものを見るような表情でこちらを睨んだ。その表情に、胸のあたりがきゅっと押し潰されるような感覚を覚える。

「……じゃあもういいよ」

「嘘だよ、ごめん」

 早足で逃げようとするハルを捕まえて素直に謝ると、ハルは丸い目で一度こちらを伺ってから、やや俯き加減で頷いた。

「今日で最後だから、変に喧嘩とかしたくない」

「うん」

「ちゃんと、いい思い出にしたい」

「わかった、ちゃんとする」

 そう言って私が頷くと、ハルもため息をついて苦笑した。

「全く、ちゃんと私の気持ちも理解して?」

「はーい」そっちもね、は胸の中にしまっておいた。

「じゃあ再開」

 そういって、ハルはもう一度売店の中を周り始めるので、私もハルに付き従った。

 ……ふと思ったことがある。

 ハルのメモ帳の「恋人が出来た時のためのやりたいことリスト」は、なんとなく今日のためにハルが用意したんじゃないかってこと。

 ハルは前々からあったものを流用したみたいな口ぶりだったけど、実際には今日の為にハルが作ってくれたんじゃないかな。

 思えば少し変だ。

 お花見はあるのに、クリスマスやバレンタインみたいなもっと大切そうな行事はないし、旅行とかキャンプとか時間がかかるようなものも一つもない。

 全部、今日中に終わらせられるもので、そんなに時間もかからないものばかり。

 まるで今日一日のデートプランのようだ。

 もしかしたら、私との最後の日を大切に過ごす為に、ハルなりにちゃんと計画を練ってくれたのかも。ハルはハルで、私のことをちゃんと大切に考えてくれてるのかも……なんて。

 まあ、惚れてる側の都合の良い妄想かもしれないけど、だったら嬉しいな。

 それを確かめるのは野暮かなと思ったので、確かめはしないけど。

「馬鹿のくせに」

 と小声で呟いておいた。






 結局、お揃いのアイテムはハンカチになった。売店の端っこにあったもので、地元? の伝統的な製法で織られたものらしい。ちょっと怪しいけど、まあハルが喜んでるからなんでもいいか。

「お揃いのアイテムを持つ」と「一緒にお買い物する」に線を引いて、残りはえっと、四つかな?

 今はハルと一緒に売店を出て、復元された門を背景に買ったハンカチを広げてカメラに向かってピースしていた。

「撮るよ」

「おー」

 片手を伸ばしてスマートフォンをタップする。かしゃりという合成されたシャッター音と共にフラッシュが光る。スマートフォンにはハンカチを広げてピースするハルとのツーショットが撮れている。

「どう?」

「うむ、苦しゅうないぞよ」

「苦しゅうないって、使い方あってる?」

「知らんけど」

 ハルはハンカチを畳んでポーチに仕舞い、代わりにメモ帳を取り出して「ツーショット写真を撮る」に一本線を引いた。これで残り三つ。「お互いの知り合いに紹介する」「子どもの頃の写真を見せ合う」そして「星を見ながらキスをする」。

「子どもの頃の写真ってある?」メモ帳をポーチに戻しながら、ハルは尋ねた。

「家に帰れば、なんかあるんじゃない?」

「一旦帰ろっか」

 んー、と返事をして歩き出したハルの横に並ぶと「あれ?」とハルが声をあげた。

「あそこにいるの」

「先生?」

 小学校の高学年のときに担任だったおばあちゃん先生だ。私たちが卒業する時に一緒に定年を迎えて先生をやめたんじゃなかったかな。まあ近所に住んでいるから、たまに街中で出会って挨拶することもあるけど。

 先生は門の方から入ってきて、周囲を見渡しながらゆっくりと歩いている。散歩かな?

「先生ってさ、少し前に旦那さん亡くなったよね」

「でも元気そう」

 半年ほど前に急に訃報があって、近くの斎場で行われた告別式にハルと一緒に制服で参列した。

「挨拶しよっか」

「うん」

 二人で声をかけながら正面から近づくと、先生は手をあげて応えてくれた。

「先生、今日は」と会釈すると、先生も朗らかに微笑んだ。

「ええ、二人とも式に来てくれてありがとね」

「いえ、お散歩ですか」

「うん」

 先生は年齢的には七十の手前くらい。あんまり他人の年齢とかわからないけど、なんとなく若く見えるような気がする。

 告別式のときは遠目にも随分と疲れてやつれて見えたけど、今はそんな様子は微塵も感じられない。

「二人は何してたの?」

「えー……デート?」

「おー、雪菜さんおめでとう!」

 先生は何故か私がハルに恋してることを知っている。誰にも言ったことないのに、何故か先生にはバレてしまってるんだよなぁ。

「いや、違くてですね……」

 と、軽くここまでのしょうもない経緯を説明した。先生は困ったように笑っている。

「というわけで、今日だけ恋人のハルです」と先生に紹介した。先生に会ったついでに「お互いの知り合いに紹介する」をやってしまう。まあ先生は二人の知り合いだから、ちょっと意味合いが違うけど。

 横にズレて、何故かさっきから後ろに隠れているハルを前に出す。

「今日は、春さん」

「ねー先生、訊いていい?」

「うん、どうしたの?」

 微笑む先生に、ハルが遠慮がちに尋ねる。一瞬嫌な予感がしたけれど、何かする前にハルは尋ねた。

「先生は辛くないの? 旦那さん死んじゃって」

 馬鹿だ……。

「あのさ、もう少し訊き方ってものがあるでしょ?」

「え、だめ?」

「もう少し配慮とか遠慮とか覚えろ」

「ちょっと難しい」

 そんなやりとりを聴いて、先生は楽しそうに笑った。

「雪菜さん、いいですよ」

「……そうですか?」

「ええ、案外ストレートに聞いてもらったほうが、答える方も楽ですから」

 そんなもんか、と思っていると、先生はハルの方に向き直る。

「春さん、私が卒業式の日に言った言葉を覚えてる?」

「『後悔しない選択』のこと?」

「ええ、ちゃんと覚えてて偉いね」

 ふふん、とハルは自慢げに胸をはる。そんな様子を見て、先生は楽しそうに笑った。

「私もね後悔しない選択を積み重ねてきたつもりだけど、それでもやっぱり別れたあとは『ああすればよかった』とか考えちゃって辛かった」

 と、やっぱり先生は微笑む。辛そうな素振りなんか一切見せないけど。

「それでもね、やっぱりよかったこともあるよ」

「よかったこと?」

「うん、例えば、そうだな、少しくらい忙しくても一緒に旅行に行っといてよかったとか、億劫でも毎晩寝る前におやすみを言っていてよかったとか」

「おやすみ?」

 旅行は、なんとなくわかる気がするけど。

「そ、最後に交わした言葉が、お夕飯の味付けのことじゃなくなったからね」

 なんて言って、先生は楽しそうに笑う。ちょっと難しいけど、そんなもんなのかな。

「うん、だから二人も『後悔しない選択』をして」

 そう言って先生は、「ね」と私の方に視線を向けた。

 それにどんな意味があるのかは、まあなんとなくわかったけど。






 ……先生は言った。後悔しない選択をしてほしいと。

 だからと言って、安易にもう一度告白してみようなんて結論に達することができれば、こんなに生き辛い人生じゃなかったかもしれない。

 大体にして、どっちが後悔するかなんてわかったもんじゃない。

 思い切ってもう一回告白して、もう一回傷つくことも全然ありうる。

 なんせ相手は、私の人生で出会った中でも一番の馬鹿なんだから。






 小さい時の写真を我が家のリビングのテーブルに広げていたけど、写真そのものがあまり見つからなかったし、そもそもいつの写真かわからず全然盛り上がらなかった。

 なので仕方なくスマートフォンに入っていた中学生以降の写真の方を二人で眺めている。

 さっき城址公園で撮ったばかりの写真から始まり、少しずつ古くなっていく。

 全然泣かなかった卒業式、ハルが落ちて私だけ受かった入試、勉強の息抜きにやったクリスマス会、適当に手を抜いた球技大会、後輩に楽しませてもらった文化祭、ハルに勉強をさせまくった夏休み、やっぱり手を抜いた体育祭、そして入学式などなど。

 その殆どが、ハルと私の共通の思い出。

 望んでもいないのに積み重なってしまったものが確かにそこには有った。だってその写真の中にいる全ての私がハルのことが好きで、だけど諦めているのだから。積み重なった感情が、なんという名前になるのかは知らないけど。

「いやー、どれも懐かしいね」

 うんうんと頷いて、楽しそうにハルは語る。

「どれもいい思い出だよ」

「覚えてるの?」

「これはあれでしょ、修学旅行、沖縄」

「沖縄ではどんなことを修学したの?」

「え、海ブドウはプチプチして美味い」

「お、ちゃんと覚えてるじゃん」

「ハードル低いな」

 少しずつ遡っていけば、あの日、学校をサボって海に行った日の出来事も、ちゃんと写真に撮ってあった。

「おー、あったねぇ」

「覚えてんの?」

「覚えてるよ、二人で学校サボって海に行った日」

「え、さっき覚えてないって言うたやん」

「関西風だ」

「なんでやねん」

「いやー今でも昨日のことのように思い出せるなぁ」

 えー、ほんとに覚えてたのか? 写真見て思い出したのか?

「なんかこの日、すごい良いことあったよなぁ」

「そーなんだ」

「覚えてないの?」

「覚えてない」私にとっては、良い思い出なんかひとつもない日だ。ハルにとって、何が良かったのか。

 んー、と少し考えたあと、ハルは「まあいっか」と独りごちてから語り始める。

「雪菜にはさぁ、ずっと迷惑ばっかりかけてるなって思ってたんだよね」

「事実だが」

「ちょっと、最後まで言わせて」

「はい」

「えーっと、でさ、この日もさ、なんだかんだ海まで付き合ってくれたじゃん」

「おー」

「だから、ちょっとだけ悪いなーなんて思ってたんだけど、言ってくれたじゃん」

「ん?」

「私のこと、好きだって」

 ……おう。

「嬉しかったんだよね、迷惑かけてばっかで、嫌われてると思ってたから」

 口角を上げて、楽しそうにハルは笑う。

 大きなため息が出た。

 だってさ、私が傷付いたことも知らないで、こいつは勝手に良い思い出にしてたんだ。

 ……たぶん、もう一回告白しても、ハルは良い思い出にするんだろう。

 私がちゃんと恋心を伝えたら、受け入れてくれるかどうかはわからないけど、たぶんめちゃくちゃ喜ぶんだろうな。

『え、ほんとに!? うわーめちゃくちゃ嬉しいわー、まあ付き合わないけど、でもめっちゃ嬉しいよー!』とか、いうんじゃないか。馬鹿だから、こっちの気持ちもろくに考えないで。

 だから、まあ、もう一度、告白するか。

 だって好きな人に、喜んでもらえるのは、たぶん嬉しいことでしょ?

「さて」

 とハルはポーチからメモ帳を取り出して「子どもの頃の写真を見せ合う」に線を引いた。

「あと一個だね」

 ちらりと時計を見ると、五時半を指している。

「じゃあ、そろそろいこっか」

 窓の外には、夜が降りてきていた。



 ***



 流石にこの時間になると冷えるだろうと思い、ベージュのトレンチコートを羽織った。いくら馬鹿でも寒いのは辛いだろうと思って、ハルにもマフラーを貸した。

 家を出ると吐息が白く濁る。天気が良くて空気が澄んでいるせいか、夕陽の橙色がいつもよりも濃いような気がした。

 先に歩き出したハルに並んで、住宅街を抜けていく。頭上は徐々に藍色に染まっていって、遠く稜線に沈んでいく太陽のあたりだけが綺麗なグラデーションになっている。商店街に着く頃には殆どの街灯が静かに光をたたえていて、一基だけ暗いままだったものは、たぶん故障かなにかだろう。

 会話もないまま商店街も抜けて、城址公園に向かう途中の道を折れる。もともと本丸があったという小高い丘は、今は展望台になっている。ハルはそちらに向かっているようで、私も黙ってついていく。

 丘を周るように作られた坂道には人の気配はなく、道に沿って足元を照らすように点々と明かりだけが続いている。

 展望台に着く頃にはすっかりと陽も落ちて、頭上全てが濃い藍色の世界に移り変わった。

「よく見えるね」

 コンクリート造りの展望台の中心付近で、ハルはこちらに向き直った。

「寒くない? あなた体弱いんだからだめよ」

「わかってるよ、おばちゃん」

 昼間やったような会話の後、同じようにハルは私の手首を掴むと自分のブルゾンのポケットに突っ込んだ。入っていたカイロは、まだ少しだけ温かい。

 次にハルは、巻いていたマフラーを一巻きだけ残して、残りを私の首にかけて巻いた。

「これやりたかったんだよね」と照れたような笑顔を見せたあと、ハルはポケットに手を突っ込む。カイロを挟んで手を繋ぐと、目を合わせて笑い合った。

 二人で横に並ぶような格好で頭上を見上げる。藍色の空間には所々に白い穴が開いている。

「キスするんでしょ?」と尋ねる。

「したい?」

「したいな」

「しよっか」

 といって、ふざけるように顔を近づける。もちろん、本当に唇を寄せたりはしない。それには腹がたったけど、まあいつものことだ。

 だから私の方から、自分の唇をハルの頬にあてた。これくらいは許せ。

 顔を離すと、ボケたように口を開けて目を白黒させるハルがいる。

「……っくりしたぁ」

「うん」

「どしたの? デレ期?」

「は?」

 デレ期ってなんだよ、ずっとデレ期だよ、こっちは。

「じゃあなんなん?」

「……もっと驚くこと言って良い?」

「え、こわ」

 ポケットの中で手を繋いだまま、目を合わせられずに星ばかり見ている。

「ハル」

「うん?」

「……好き」

「私も好きだよ?」

「いや、違くてさ」

 まあこうなるよなぁ……。

 予想はね、してたんだけど。

「恋人にしたい、好きなの」

「んー?」

「だから、キスしたいとか、そういう好きってこと」

「……あー」

 と呟く声が聞こえる。未だに顔は見れないままで、マフラーに顔を埋めてコンクリートを見つめていた。

 沈黙があって、何か言うべきだろうかと思案しようにも、脳は上手く次の言葉を見つけてはくれない。どうも人並みに緊張とかしてるらしい。ウケるな。

「そっかぁ」

「うん」

 はぁーと、ため息を漏らしたような音が聞こえた。喜んでもらえると思っていたから、その音は胸に刺さった。

「なんで今いうの?」

「ごめん」

「もっと早くいってよ」

 と、その言葉の意図を掴みかねていると、肩の辺りに体重を感じた。見ると、ハルが寄りかかっている。

「いつから?」

「中学二年くらいかなぁ」

「……馬鹿」

 いつもする側だった罵倒の言葉をハルから貰う。

「だってさあ、明日から離れるのに、このタイミングで言うの?」

「いや、まあ、最後だし」

「もっと早く言ってくれればさ、もっといろんな事できたじゃん」

「あの、ごめん」

「そういうとこあるよね君は」

「あ、はい……」

 え、なんでこんな言われてんだろ……。

「だいたいさ、私が、馬鹿、だって、知って、なら」

 細切れになった言葉に、顔を上げてハルの顔を覗くと、ハルは両目に涙を溜めている。

 こぼれ落ちそうなくらいの涙に驚いてしまい、手を伸ばしてさっき買ったハンカチで拭った。

「何回も、言ってよ、つた、わん、ないよ……!」

 顔を歪めて、細切れの吐息が白く吐き出されては消えていく。

「ごめん、あの」

 何かいう前に、正面からきつく抱きしめられて。

「こっちは、しょ、がくせ、の時か、ら、なんだからっ……」

 そんな告白を受けてしまう。

 え、え……。

 まじか……?

「はぁぁ?」

「うっせ!」

「さっさと言えよ!」

「そっちも、だろーがっ!」

「そんなん知らんし!」

「こっちだって知らんわっ!」

「あの時言ったじゃん!」

「誤魔化したの!!」

「なんでだよっ!」

「恥ずかしかったの!」

「乙女かよ!」

「乙女だが!?」

「馬鹿じゃん!」

「知ってるじゃん!」

 はーっと、二人で同時にため息を吐いた。

「今日はなんなん?」

「最後に、恋人っぽくなれたら良いなって思って、計画した」

「……乙女じゃん」

「そうだが」

「早く言ってよ」

「まだ間に合うから、早く言え」

 正面のハルは、拗ねたように眉根を寄せて外方を向いた。この表情には弱いんだよな……。

「……言うよ」

「おう」

「ハル、好きだ」

「私も好き、雪菜」

「恋人になって」

「いいよ」

 最後まで目を合わせないまま、気持ちを伝え合う。それが少し寂しくて、ハルの額を合わせると、ハルもこちらを向いてくれた。

 目が合って、数センチの距離しかなければ、恋人になった二人ならキスするのが、自然だよね?

「絶対、忘れないでよね」

「うん」

「ゴールデンウィークには、帰ってきてね」

「うん」

「大好きだよ」

「うん」

 そんなやりとりを交わしてからもう一度、今度はたっぷりと数十秒、ハルの唇を貪った。






 一週間ぶりの地元の駅の改札を出ると、そこにいたのは母でも父でもなく、近所の馬鹿な幼馴染み。

「帰ってくるの、ゴールデンウィークじゃないの?」とニヤつくハルは、私が両手に持っていた荷物を半分持ってくれた。

「うっさい、素直に喜べ」

 私たちが、まあ、なんだ、恋人? になった一週間後に、もう会いたくなってしまったので帰省することにした。

 休みは土日しかないので、来たのが今日で、帰るのは明日という過密スケジュール。

 なんだけど。

「ふへへ、おかえり」

「うん、ただいま」

 笑うハルの顔を見ると、過密だろうとなんだろうと、帰ってきてよかったなんて思ってしまう。どんだけ好きなんだよ。

 駅舎を出て、ハルと並んで家に向かって歩き出す。ずいぶんと暖かくなった気がした。

「勉強してる?」

「してるよ」

「ふーん」

「疑ってる?」

「疑ってるが」

 と疑いの目を向けると、ハルはにへらと油断しきった笑顔を浮かべる。

「だって、同棲したいじゃん」

 なんて言うもんだから、ニヤけ面を晒さないよう誤魔化すために、わざとらしくため息なんかついてみたりした。

「……馬鹿」

「え、したくない?」

「したいけど」

「だよね、頑張る」

 と、気合を入れるように笑顔でグッとサムズアップを作る。

 まあ、ハルは浪人生という立場だから、勉強を頑張っているならそれで言うことはないんだけど。

 でも、なんというか、一応恋人としては、今日明日くらいは、いちゃいちゃしたいなー、なんて、思ってるけど。

「だからさ」

「ん?」

「帰って来てる時くらい、いちゃいちゃしてもいいよね?」

 と、見事に思考がトレースされてしまった。だからやっぱりもう一度、ため息を吐いた。

「え、だめ?」

「いや、違う」

 恥ずかしくて、言うのが躊躇われた。

 でもやっぱり伝えておこうと思ったのは、きっと喜んでくれるだろうと思ったからだ。

「私も、いちゃいちゃしたいって考えてた」

 んふっと、吹き出して、またもう一度にへらと笑みをこぼす。

「えへへ、嬉しい」

「馬鹿と同じ考えだった」

「その馬鹿のこと大好きなくせに」

「そうだが」

「私も雪菜大好き」

 横から覗かれる顔に、今度は誤魔化さずにニヤついておいた。

「……私も馬鹿だな」

「え?」

「んーん」

 と首を振ってから、隣の美少女に抱きついた。

「せっかく来たのに、いちゃいちゃしないのは勿体ない」

「……そうだよ」

「好きだよ、ハル」

「全く、君は馬鹿だなぁ」

 まあ、それはお互い様ということで……。

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幼馴染みが馬鹿なので、 @yu__ss

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