【家族愛】「中華料理屋」「花束」「話す」
「お父さん、久しぶり。お母さんと元気でやってる? せっかくまた二人になれたんだから、喧嘩ばっかりしないでよね。あ、私は元気だよ。
一息ついて傍らのベビーカーを見やると、先ほどまで手足をばたつかせて暴れ回っていたのが嘘のように眠っていた。
子供の寝顔は天使というのは本当だ。言うことを聞かずどれだけ腹が立っても、すやすや寝息を立てる様子を眺めていたら全て許してしまう。
「『中華料理屋は継がない』って実家飛び出してから、もう十年経つんだね。店手伝ってた私がいなくなって、何年か一人で切り盛りしてたって聞いたよ。その頃から疲労が溜まってたんだろうって……。長い休みでも帰らなかった親不孝な娘でごめんね。それでも突然結婚するって彼氏連れてきた私のこと、最終的に許してくれて……。本当はずっと私の人生応援してくれてたんだなって、やっと気づいたの」
父の口癖は、「俺の店を継ぐのはお前だ」だった。
幼い頃から言われ続けてきたせいで、思春期に入るまで、何の違和感もなく小さな飲食店の店長として生きていくのだと思っていた。
だからこそ、親に敷かれたレールの上を走ることにふと疑問が湧いた時、もうこの家にはいられないと悟った。
それまで従順に親の手ほどきを受けていた子供が、突然手のひらを返したように反抗的な態度を取るようになり、さぞ驚いたことだろう。
けれど、自分の意志で選択した未来を選びたかった。自分の決めた道を進みたかった。
そのためには、親元を離れてきちんと自分と向き合う必要があったし、啖呵を切った手前すぐさま逃げ帰ることなんてできなかった。
だというのに、数年ぶりに帰郷した娘が結婚相手を連れ、一方的に第二の人生を歩むことを宣言しても、散々沈黙を守った末に了承してくれた。
きっと、全部自分で選んだことだからと、不安も心配も飲み込んで認めてくれたのだと信じている。
「でもさぁ、笑っちゃうよね。ダンナの胃袋掴んだ料理って、お父さんに一番力入れて教えてもらった酢豚だよ。そこら辺のお店で食べるより、私が作った酢豚の方が何倍も美味しいんだって。そりゃそうだよねぇ、お父さん直伝の味だもん」
親の期待に報いることができなかった娘は、できそこないだと思っていた。
自分を生んですぐ亡くなった母はともかく、男手一つで育ててくれた父にすら孝行できない心苦しさは常にあった。
でも、父の教えてくれた料理を食べて喜んでくれる人が現れ、自分の中にも受け継がれたものがあったと知った。
その時初めて、自分が掴んだ道を恥じることはないと確信できたのだ。
「また来年来るね、お父さん。その頃には颯太も歩けるようになってるかな? 『世界一料理の上手なおじいちゃん』だって、ちゃんと説明するからね」
最後に手を合わせ、伝えきれない言葉を胸に両親を想う。
どうか娘の健やかな姿を見て、心安らかにいられるようにと。
「そろそろ行こうか」
後ろで静かに合掌していた夫に呼ばれる。
一つ頷き、先導する彼に続いてベビーカーの向きを変えた。
動き出したら息子も目を覚ますだろう。今度はおとなしくしてくれることを祈りつつ、砂利道の上をそろそろと押す。
墓前から離れようとした瞬間、何かの予感がしてもう一度だけ振り返った。
風がそよぎ、供えた菊の花が揺れる。
「幸せに」――と、囁かれた気がした。
手のひらの宝石箱 青桐美幸 @blue0729
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