第11話:GOTO名古屋編  ――奇妙なギャルの誘惑


 たったこれだけの話がもう何年も書けなかった。

 旅行に行って、城が修理中で、狂人に追いかけられて、GOTOで高い飯にありついて、日本が少し狂ってしまったんだなと確認するだけの話である。なのになぜだか筆が進まなかった。

 自分の中でスイッチのようなものが入らないのである。パソコンの前に座ってもやる気がまるで起きない。たいていそういうときは材料が足りないときで、適当に本を読んだり動画を見たり、興味の赴くままにインプットに勤しめば直るのが常だったのだが、まる一年経っても一向に筆が進まなかった。


 なんでだろうなと思う間も生きていかねばならず、なんとなく働いていた。働くうちにある上司と折り合いが悪くなり、口も聞きたくなくなった。挑発的に「自分がつまらない人間だと自覚しろ」と言われた夜に転職サイトに登録したら、リクルートのエージェントから電話がかかってきた。

 べつにエージェントに用はなく、とりあえず求人情報を眺めたいだけだったのだが、今の時代そんな自由も許されないらしい。志望する業界やら転職を志したきっかけやらを聞き出された結果面倒を見られることになってしまった。


 すぐにスカウトがきた。食べ放題の焼き肉屋と大手ピザチェーン店からだった。どうも今の年収をキープしようとするとブラック気味の飲食しかないらしい。

 まあそれでもいいかと覚悟を決めてピザチェーンのオンライン面接を受けた。折しもコロナで宅食業界は景気がよかったこともあり、そこそこ魅力的に思えたのである。

 へらへらしていたら当然のように受かって、二次面接では店舗に行ってエリアマネージャーの説明を受けることになった。

 その店舗は名古屋のど真ん中にあり、名古屋城にもほど近かった。なんとなく懐かしさを覚えながら書きかけの小説のことを思い出していた。


 店舗で出迎えてくれたエリアマネージャーは、ブラック企業界隈では有名なワタミのやせ細った店長の画像と雰囲気が似ていた。「忙しいけど大丈夫ですか」と諦め気味に話す彼は、基本的に店舗辺りの社員は一人しかいないこと。月8日、月9日、月10日の3コースから休日を選べるという説明が嘘で、実際は月6日休めればいい方ということ。バイトが定着しなければもっと休めないし店に問題が起きれば休みだろうと対応しなければならないことなどを滔々と説明してくれた。

 べつにその状況は業界的には普通なのだろうし、改善しようという熱もなさそうだった。

「忙しくて結婚できないのが辛いところですね」と自嘲気味に話す彼はそもそも人を雇いたいとも思っていないようだった。


「まったくの異業種に飛び込むわけですから勉強させていただく気持ちで精一杯」というようなことを言いつつ店から出た頃には、私もすっかり疲れていた。

 ちょっと転職情報を見ようと思っただけなのになんでこんなしんどいことになっているんだろうかと思いながら信号待ちをしていると、


「だからオフ会行けばよかったじゃん」と、

 隣で信号待ちをしていたピンク色の服を着たギャルが、スマホを片手にそんなことを言った。


「御深井の方に行けばよかったし、振り返ってちゃんとぶつかってみればよかったんだよ。なんでいっつもそうなの。おもしろいこと自分の方から探しに行かないからつまんなくなってんじゃん。話しかけたらよかったし、かかわってみればよかったんだって」


 ――気づいたときにはもう、ギャルは信号の向こう側に渡ってしまっていた。

 信号の向こうからこちらに向かって、片足を上げた。

 片方の踵をお尻につけるしゃちほこポーズをしていたのだった。


 ああ、これで話にオチがつくのかと、私は書けなかった理由を理解した。


 ナニか、が日本にいる。


 名古屋ではギャルの形をしているが、岐阜ではリスの形をしていたし、京都では朝の6時から鐘を鳴らしてツボの中に収まっていた。


 そして、地下で追いかけてきた狂人や、お金がなかった狂人のように、私もどうやら狂わされていたようだった。

 私はただ、つまらなくなっていた。



      〇


 しかし書けなかった理由はそれだけではなかった。

 なんと就活を始めたその春のうちに甲状腺に腫瘍が見つかったのである。

「甲状腺が悪くなるとどうなるんですか」と医者に尋ねると、

「代謝が悪くなって非常に疲れやすくなりますね。あとやる気が出なくなります」と言われてしまった。

「ええっと、それってつまり、なんかつまらない感じになるってことですかね」と尋ねると医者は苦笑いをした。恐ろしいことにその医者もまた若い女性だった。まあギャルと言っても差し支えのない垢ぬけた容姿であった。針で甲状腺の細胞を取るだけで四人もアシスタントがついていたので、院長の娘的なポジションなのかもしれなかった。


「だからね猫ちゃま」と私は病状ついでに猫ちゃまに説明した。

「もしギャルの誘惑に負けて、変にやる気を出して狂った上司に突っかかったり、ブラック飲食に飛び込んでいたら、今頃新しい会社の入社前の健康診断で腫瘍が見つかって、手術で何週間も休める職場でもないだろうからさっそくクビになっていて、健康保険もうまく使えずに、って考えたら、むちゃくちゃ危なかったんだよ。もうちょっとでギャルに殺されるところだったんだ」

「まじかよ。大丈夫か?」

と電話越しに心配してくれる猫ちゃまも、昔はギャルだった。しかし今はもうピアスの穴も塞がってしまった。時折、懐かしそうに、埼玉時代の話をするばかりである。


 その後手術で甲状腺を全摘し、甲状腺の働きをする薬を代わりに飲み始めてそろそろ半年ほど経って、今ようやくこの話を書き終えることができたのだった。


 これからも奇妙な生き物との戦いは続くのかもしれないが、めげずにいろんなところに行きたいなと思う。だからGOTO復活してくださいね。みんなでパパ活女を冷やかしながらローストビーフ食いましょう。

 

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そうだ旅行に行こう のらきじ @torakijiA

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