第10話:GOTO名古屋編 ――ローストビーフ・ローテーション

 一流のホテルはロビーの雰囲気からして格調高かった。

「天空」と書かれた大きな屏風と、金のしゃちほこのデフォルメされた絵が描かれた屏風が左右一対で並んでいる。足元は青と白で濃淡をつけた縞模様の敷物が敷かれていて、その上に雲をイメージしたのか真っ白な椅子が置かれている。その横のオブジェは丸く白い灯りが灯っていてさながらちんまりした太陽のようであった。

 この描写だけ見ると怪しい土産物屋がやるような趣向なのだが、吹き抜けのロビーそのものの圧倒的な高さと広さ、屏風や椅子それぞれの大きさが、「天空」というテーマに負けないスケール感を出していた。


 粋でも伊達でもない。ここは名古屋だでいく。


 と言わんばかりの心意気が感じられる素晴らしい装いだった。もちろん我々は白いソファーに座ってポーズを決めながら一通り写真を撮った。撮って撮って撮った。その様子をホテルマンたちはカウンターから遠巻きに見つめていた。顔や態度にこそ出さないがそのウェルカムではない距離感に、「またGOTO民が来たよ」といううんざりした心の声を感じ取れなくもなかった。

 特に制度としてぎこちなかった初期のGOTOはまじで美味しいイベントだった。ありとあらゆる高級ホテルに半額以下で泊まれたのである。そうして半額以下で泊まりにくる我々のような人間には常識もなければドレスコードもない。私の恰好は白シャツにアロハ柄のズボンにサンダルだったし、猫ちゃまの恰好もインドネシア辺りのエスニック風な白青ワンピースにサンダルである。そんな連中がご自慢の「天空」を占拠してご機嫌にフォトグラフィックに興じているのだから、何か思うところがあってもおかしくはなかった。彼らにしてみれば我々こそが出合い頭の狂人であろう。


 ご機嫌な我々は案内された部屋にたどり着いた。既に暗くなりつつあったので名物の夜景の美しさを堪能しつつ、部屋のあちこちの家具や間取りを「よいね」「さすがプリンス」「おみゃーん」「水がすぐに出る」「お湯も出る」と褒めまくった。

 今にして思うと特に部屋の広さがちょうどよかったのだと思う。プリンスホテルスカイタワーといえば「夜景」が最大の売りなのだが、それを十分活かせるくらい広かったのである。狭い窓から見させられてはせっかくの解放感が台無しになるところであった。吹き抜けのロビー然り、スペースをケチっていない。その余裕が高級感を生むのである。


 テンションの上がった我々はその勢いのまま上の階にあるレストランに突き進んだ。名物のビュッフェ付きのプランを頼んでいたのである。この頃はまだコロナといってもオミクロンのようなパンデミック感はなく、正直なところ「大げさじゃね」とみんなして思っているような空気感だった。なので手袋とマスクは必要だったがビュッフェそのものができないほどではなかったのである。

 そしてそのビュッフェは、GOTOの値段では到底やってはいけないような破格のサービスを行っていた。

 なんと高級ローストビーフが、いくらでも、何枚でも、食べ放題だったのである。


「百枚食うね」と猫ちゃまはキレた目つきで私に言うと、チュールにがっつく猫そのものの動きで重ねたローストビーフにかじりつく。

 もちろんローストビーフ以外にも美味しい料理が揃っていたのだが、日ごろローストビーフを味わえない我々はローストビーフばかりに執着した。新鮮なローストビーフを食い、少し時間のたったローストビーフも探して食い、ローストビーフはまだですかと女性のスタッフに目で訴えかけた。

 そうして最高のペースでローストビーフ・ローテーションを回していたのだが、そんな風に目立っているとさすがに他の客の目が気になってくる。猫ちゃまはだんだんと落ち着かなさそうにきょろきょろして、観察を始めた。

「パパ活カップルがいるめー」

と目くばせで報告してきた席には年配の男と背中の開いた服を着た若い女の組み合わせがあった。我々にはあまりにも高級ホテルレストランでの食事経験がなかったので、その年齢差の組み合わせでの食事は全てパパ活に思えた。

 なるほどパパたちもまたGOTOを利用し、日ごろのホテルからワンランクグレードを上げて若い女を引っかけていたのである。そんなふうに見えるカップルが三組ほどいた。どの若い女もローストビーフにがっついていなかったことから、その席に慣れていることが伺えた。

 我々のような単純な旅行GOTO民には年配の女性グループが多かった。恰好は我々よりはまともだったが、声のボリュームの大きさや話題の下品さでそれが分かった。その頃まだ「パラサイト」という映画を見ていなかった我々だが、半地下の臭いというのはまさしくあれらの席のことであると見た今となっては思う。

 純粋にホテルの対象客だと思われるのは一組の窓際のカップルだけだった。きちんとスーツを着た男が上品なドレスを着た女に小ぶりな花束と共にプロポーズをしていた。猫ちゃまと私はそれを遠くから見守り、ローストビーフを取りに行くときにも近寄らないように心掛けた。レストランのスタッフたちもあの席が最後の希望だと言わんばかりにガードするような陣形を組み、近くのGOTO民たちを「窓際の席が開きましたのでよろしければ」と巧みに遠ざけながらホールを回していたのであった。

 

 そして我々はビュッフェの時間ギリギリまで粘っていたのだが、いつまで経っても窓際の席には案内されなかった。猫ちゃまが「せっかくせっかく」と鳴きながら恨めしそうにしているので、終わり際のだいぶ空いた頃に「せっかくなんで窓際に移動していいですか」と女性スタッフにお願いして席を替えてもらった。

 窓際に移動した猫ちゃまはこれで心置きなくローストビーフが食べられるということで最後の追い込みに入った。いつもなら必ず「甘いのほしい」という頃合いだったがその一声もなく。客が残り二組になるまで粘って粘って、しかし最後の一組になるのは気が引けたのでパパ活カップルに譲った。そのパパ活カップルだけは訳ありかもしれなかった。若い女の背中に少し産毛が目立ち、日常的にエステに通っていないことが見て取れたからである。いわゆる職業的なパパ活女がエステに通わないことはまずないだろうから、彼女だけは、違ったのだ。きちんとした、真心のこもった不倫であろう。

 そしてテーブルの様子からして、彼女たちはほとんど料理を食べていなかった。

 ただただ、席が冷えていた。



      〇


 猫ちゃまはすっかりお腹をぽっこりさせて満足かと思いきや、「部屋の飲み物は高いからコンビニに買いに行こ」と言い出した。もちろんプリンスホテルは「そのようなお客様を想定してはございません」ので、一階にあった商店は夜には閉まっていた。なのでコンビニまで歩くことになった。

 もっとも駅にほど近いこともあって、コンビニも横断歩道を渡ればすぐのところにあった。しかし猫ちゃまはどうしてか、近くのセブンではなく遠くのファミマに行こうという。

「なんでえセブンでいいやん」と横断歩道を渡ると、何度も腕に取りすがって首を振る。しかし理由がさっぱり分からないので、私は半ば引きずるようにしてセブンの方へと歩いて行った。

 セブンの店の前では大きなキャリーケースを小脇に置いた痩せた男が、スマホを片手に何やら通話をしているようだった。かなり大きな声で通話をしていた。「お金がない? それはなんとかしてください」と切羽詰まっているようだった。猫ちゃまはこの男が気になったのだろう。

 気にせず店に入って飲み物を選ぶ。猫ちゃまは落ち着かない様子で三ツ矢サイダーのペットボトルを持ってきた。私はいつものクラフトコーヒーだ。

 そしてレジに並んでいると、隣のレジの並びにさっきの男が通話をしたまま並び始めた。


「お金がない? それはなんとかしてください!」

「お金がない? それはなんとか、してください!」


 ――ここに来てようやく状況のおかしさを悟った私は、猫ちゃまを見つめた。猫ちゃまは半泣きになって怯えている。コンビニ店員も他の客も職業的無関心さを最大限発揮してその男を無視するように努めている。

「なんとかしてくださいと言ってるんです」と言いながら男は栄養ドリンクの瓶を持ってレジに並んでいた。


 果たしてあの男は小銭を持っているんだろうかと心配になりつつ、目が合ったらまずいので、ドリンクを買った我々は逃げるようにしてプリンスホテルの分かりにくいエレベーターまで駆けていった。



 まだコロナが流行りだして半年ほどしか経たないうちに、日本はもうだいぶ、狂い始めていた。

 


 



 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る