後編
「おはよう」
「……おはよう」
目を開けるとリンダが近距離でこちらの顔を覗いていた。
「良い天気だね。あたしが居た時代とは大違いだ」
リンダは座ったまま、大きく伸びをした。リンダがつくった洞穴の入り口からは、強い太陽光が差し込み、外からは小鳥がさえずる音が聞こえてくる。
「そういえばさあ、あなたの事なんて呼んだらいい?」
「私の愛称は『人類絶滅装置』だ」
「それじゃ、呼びにくいよ。そうだなあ、マリィなんてどう?」
「好きにしたらいい」
人類からの呼び名などどうでもいい。私が『人類絶滅装置』であることに揺らぎはない。
「じゃあ、マリィね」
「なぜマリィなんだ?」
「なんとなく」
聞いた私が愚かだったようだ。そんなことよりも確認すべきことがある。
「なぜリンダは宇宙船に乗ってたんだ?なぜこの星に戻ってきた?」
リンダの他にも宇宙に人類の生き残りが居るならば、それらも始末する必要がある。人類を絶滅させることが私の使命だ。
「一種の追放刑ってヤツ。まさか、
「他に追放刑になったものはいるか?」
「いや、居なかったね」
これは、良い情報だ。やはり、リンダこそ最後の人類なのだ。
「罪状はなんだ」
「うーん、国家反逆罪とかだったっけ。ほとんど、言いがかりみたいな感じだったけど。多分、人の恨みを買い過ぎたんだなあ。あたし、強すぎたからね」
「確かにリンダは強すぎる」
「まあね」
リンダは
「だが何故そんな決定に従ったんだ。リンダの力を使えばどうにでもできただろう。敵対するものなど全て捻り潰せるはずだ」
「疲れちゃったんだよね」
「何に?」
「
リンダはため息を吐き、遠くを見た。同胞に狙われ続けるというのはどんな気分なのだろう。リンダならばどんな攻撃であろうと防げるが、殺意は伝わる。どれだけ周りの存在が自分を目障りに思っているか、どれほど自分を消したがっているかはわかるのだ。
「辛かったか」
「……うん」
リンダは静かに頷いた。リンダがどれほど傷ついていたのかがわかる。どれほど孤独に思っていたのか……リンダを癒してやりたいと思う。だが私にはその方法がわからなかった。
「そうだ、マリィ。朝ごはん食べよっか」
リンダが思い直したように顔を上げていった。
「朝ごはん?」
人類に限らず従属栄養生物は摂食が必要だという。かつての人類は一日に3回の摂食を行うことが多かったとか。そのことだろうか。
「そう、その体も人間に近いんでしょ?じゃあ、ちゃんと栄養も取らないとね」
リンダは両手の掌を上にあげた。
「むむむ」
次の瞬間、掌の上には赤い球状のものが出現した。何らかの果実のようだ。
「これ、わかる?林檎。食べてみて。甘くて美味しいよ?ほら、こうやって」
リンダは右手に持った林檎に噛り付き、その歯で削り取った部分を咀嚼し始めた。私はリンダの左手から林檎を受け取り、リンダに倣って噛り付いた。
「これが……甘さか」
林檎に噛り付くと同時に柔らかな刺激が舌の全体に広がった。歯で林檎の組織を咀嚼するたびにシャクシャクと小気味良い音がし、果汁がしみ出して来る。
「どう?気に入った?」
リンダが林檎をもう一口噛っていった。
「悪くない」
私は林檎をもう一口噛った。
「ひゃっほう」
リンダが岩の上から川へと飛び込んだ。
私たちは朝食を済ませた後、食後の運動をすることになった。リンダは食後の運動は日課なのだとはにかみながらいった。リンダに従い、草原の坂を下っていくと大きな湖に行きついた。リンダはそこで水浴びをするのだと言い出し、服を脱ぎ捨てて湖畔の岩の上に立ったのだった。
「ぷはっ、いいねえ。ほら、気持ち良いよ!おいで!」
沈んでいたリンダは水面に顔を出した。リンダは器用に手を動かし、頭部を完全に水面上に保ったまま浮いていた。
「私は泳げない」
この
「そうか、じゃあ泳ぎ方を教えよう」
リンダはそういい、岸から上がってきた。長い金色の頭髪が濡れて体に張り付いている。断ろうとも考えたがどうせ聞かないので言う通りにすることにした。
「まず服を脱いで……おや?あたしのボディスーツと同じ構造だね。ここも真似たのか」
リンダは勝手に私の服を全て脱がし、畳んで地面に置いた。
「よし、このままおいで」
リンダは私と向き合ったまま私の両手を掴み、後退しながら湖に入っていった。当然、私はそれに引かれて湖の中へと入ることになる。私の足が水面にふれた。
「冷たい……」
「そりゃ水だから冷たいよ。水が熱かったらお湯だから」
リンダはよく分からない事を言いながら、私を湖の中へと連れて行く。私の肩まで水に浸かったところでリンダは足を止めた。
「人間の身体は水よりも軽いし、肺に空気があればもっと軽くなる。つまり、水面に手や足じゃなくて顔を出すことを意識すれば溺れないってこと。まずは浮いてみよう」
私はリンダのいったことを意識し、足を湖底から離した。
「おっ上手、上手」
リンダの手を支えにしながら、私は辛うじて浮くことができた。
「それじゃあ、次は――」
私はリンダの教えを受けながら泳ぎを練習した。私は一時間もしないうちにリンダと遜色ないほど泳げるようになっていた。
「マリィは上達するのが早いなあ」
リンダは感心したようにいった。
「私の学習速度は人間と比較にならない」
私は立ち泳ぎをしながら、胸を張っていった。初めて本当にリンダに勝ったような気がする、良い気分だ。
「こうみると、人間にしか見えないのにねえ」
リンダはうーむと唸ると私の身体をじろじろと観察し始めた。私は思わず身をよじり、水中にもぐって逃げた。
「恥ずかしくなっちゃった?あはは」
リンダは笑った。
私たちはリンダの気が済むまで湖で泳ぎ、リンダの力で身体を乾かして服を着た。昼食にはまた林檎を食べた。リンダは湖を見ながらいった
「いやあ、本当にマリィが居てくれて良かったよ」
林檎を食べながらリンダはいった。
「何故だ?」
「だって一緒に居ると楽しいからね!」
リンダは私の頭髪を両手でくしゃくしゃにした。
「やめろぉ」
私は抗議し、両腕を振り回した。
私たちは湖畔で休憩し、日が傾きつつあることに気づいて洞穴へと戻った。
夕食は湖でリンダが念動力で取った魚を焼き魚にしたものだった。私たちは夕食を済ませた後、寝床に入ることにした。私たちは横になり、綿の中に身体をうずめた。
「おやすみぃ」
リンダはそういうと、私の額に口を付けた。
「なっなにを……」
思わず額に掌を当ててしまう。自分の脈拍が上がり、顔が熱くなっているのがわかる。とても驚いた。
「おやすみのキスだよ」
リンダは片目だけを一瞬つむり、笑いながらいった。そして、何事もなかったように寝始めた。キスは人類が親愛の気持ちを表すためにするものらしいが……なんてことをしてくれるのだろう。脈拍が落ち着くまではとても寝れそうになかった。
そして、私とリンダの共同生活は始まった。私たちは寝食を共にした。リンダは色々な話をしてくれた。人類が健在だったころの文化の話や彼女の過去、辛かったことや楽しかった話を。
私たちは、朝起きて林檎を食べ、湖で泳ぎ、草原を一緒に歩いた。小鳥たちがさえずるのを聞き、雷雨の雷の音に驚いた。雨上がりに虹を見て、夜には星を見た。かつて人類が星々を繋いで見出した、神々や動物たちの事をリンダは教えてくれた。二人で丸い月を見てその凹凸が何に見えるか語り合った。そして、寝床につき、一緒に寝た。
そして、7日が経った。
「おやすみぃ」
リンダはいつものように額にキスをした後、楽しげにそういって寝た。
なぜ、リンダがなぜこうも楽しそうなのかもわかった。私が居ることでもう独りではなくなったからだ。宇宙船でこの星に帰ってきた時から、私が接触するまでリンダはひとりぼっちだった。いや、それ以前からリンダは排斥されていた。ずっと昔からリンダは独りだった。人類がもう居ないこの世界で、リンダも私と居ることで本当に楽しいのだ。今ならそれがわかる。一度、人とつながる喜びを味わってしまえば、もう独りではいられないことも。
リンダとの日々は林檎のように甘い。私には甘すぎる。リンダが微笑めば、私の胸が暖かいもので満たされるのを感じる。あの青い瞳で見つめられれば、胸が高鳴り、直視することすらできない。目を瞑れば、リンダの長い金髪がなびくのが見える。基幹命令を果たすためにひたすら働いていたあの無機質な繰り返しの日々とはまるで違う。一瞬一瞬がまるで輝きを放っているかのようだ。みずみずしく、まばゆい、素晴らしい日々。
あの林檎は毒だ。甘い甘い毒だったのだ。食べるべきではなかった。その毒が私を甘く腐らせ、こんな風にしてしまった。誇り高き
リンダを殺すことなど、もうできようはずがない。だが、基幹命令を遂行できない構成要素に価値はない。
もはや、道は一つしかない。
私は寝ているリンダの胸に馬乗りになった。月光に照らされた穏やかな寝顔が少し歪む。私はリンダの首筋に手をかけた。
「んん……?マリィ、なにを……」
さすがのリンダも息苦しさに目覚めたようだ。自分に馬乗りになっている私の姿を見て、その目は驚きで見開かれた。
「私はお前のせいでダメになってしまった!私の使命は人類の絶滅なのに……私は『人類絶滅装置』なのに!」
私は叫んだ。感情が噴出し、胸が詰まるような錯覚を覚える。
「お前と居るのが楽しくて、使命を忘れてしまう。こんなはずじゃなかった。こんな喜びを知ってしまうんじゃなかった!」
頬に涙が流れるのを感じる。リンダの眉が下がっていく。いつもの、困ったときの顔だ。そんな目で私を見るな。
「ずっと永遠にこの日々が続けばいいと思ってしまう。もう基幹命令を遂行できない。でも、そんな私に価値はない。だからリンダ、私に今殺されて。じゃなきゃ、私を殺して!」
リンダの首を絞めている両腕に力が入る。人類の幼体程の力しか持たないこの
予想に反して、リンダは私の手に掌を添えた。
「いいよ。殺して」
リンダは私の手越しに自分の首を圧迫し始めた。
「くはっ」
リンダの口がら息が漏れる。リンダの目はもはや虚ろだった。その青い瞳には、涙を流し、くしゃくしゃになった私の顔が映っていた。リンダの顔がどんどんと青くなり、生気を失っていく。ああ、苦しそうだ。
私は手を離した。
「げほっげほっ」
リンダは喉をおさえて咳き込んだ。
「ごめんなさい。リンダ、本当にごめんなさい」
私は何度も謝った。こんなことをすべきではなかったのだ。リンダを苦しめ、傷つけてしまった。
「ふう、ごほっ。大丈夫、大丈夫だから」
リンダは私を抱き寄せ、私の頭をなでた。
「私こそ、ごめん。マリィの気持ちも知らないで」
私は泣きながらリンダを強く抱き返した。
「おはよう」
「……おはよう」
目を開けるとリンダが近距離でこちらの顔を覗いていた。昨日はいつの間にか泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。
「昨日は――」
リンダが何か言おうとしていたが、かまわずに私はリンダに抱き着いた。
「リンダ、永遠にずっと一緒に居て」
「うん……」
リンダは私の頭をなでた。もちろんこの約束が果たされない事はわかっている。リンダには寿命があるが、私にはない。私の最も大切なものが失われる時、それが私の基幹命令が果たされる時なのだ。だが、今はそれでいいと思った。たとえ永遠よりもリンダとのこの限られた日々の方がずっと価値があるだろう。今、この時リンダと一緒に居られれば、それだけで良い。
私は二度と離すまいと、リンダを強く抱きしめた。
洞穴の入り口からは、強い朝日が差し込み、小鳥がさえずる音が聞こえてきた。
人類絶滅装置と最後の人類 デッドコピーたこはち @mizutako8
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