桜の木
武市真広
桜の木
ある夢を見た。
夢にしては実に鮮明であった。はじめはこれが夢だと思わなかった程である。
僕は山道を歩いていた。日はとうに暮れて辺りは暗い。街灯などない道である。月明りだけを頼りに道を歩いた。荷物は何もない。気ままな格好で出て来たものと見える。自分がどこに向かって歩いているかなど分からない。歩いていればいずれどこかに辿り着くだろう。そんな気軽さがあった。
夢の中では時間の感覚が曖昧である。もう何時間も歩いたような気もするし、そんなに長く歩いたような気もしない。暗い夜ということもあって風景の変化も分からない。
やがて上り坂を歩いていることに気が付いた。坂の上が何やら明るいのが下からでも見えた。しかし僕は決して駆け上がろうとはしなかった。淡々と同じ歩幅で歩き続けた。
坂道を上がりきると真っ先に大きな桜の木が見えた。空に向けて力強く伸びている枝に桜の花は咲き溢れていた。少し強い風が吹いて一斉に花弁が舞った。桜の木を囲むように等間隔に石灯籠が立っている。その灯篭も年季が入っていて濃い緑色の苔が生えていた。灯篭に灯された淡い火が、桜の白を薄赤く染めて浮き上がらせた。
僕はその光景を恍惚と眺め入った。
「桜、お好きですか」
そう声がしたので振り向いてみると一人の女がいた。色の白い女だった。着ている着物もやはり白い。黒い髪とは対照的だった。
「はい」
女はそれ以上何も言わなかった。どうしてこんな所に女がいるのか。そんな疑問は少しも起こらなかった。ここに桜の木があるなら、ここに女がいるのも不思議ではない。そんな風に思った。
風の音が心地いい。桜の花弁が頭についたので指先で取った。
女は桜の木の下まで歩くと、立ち止まって木を見上げた。その後ろ姿は神々しい程に美しかった。
ふと月に視線を向けてまた元の方に目をやると、そこに女の姿はなかった。
「ああ、彼女は桜の木だったのか」とその時ようやく気が付いた。
空が少しずつ明るくなっていく。東から太陽が昇ってきたところで目が覚めた。
終
桜の木 武市真広 @MiyazawaMahiro
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