仮説②:天武天皇 = 蘇我入鹿の子
🔴天武の次代 持統は、天武を快く思っていなかった?
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🔴それ故、天武が作成を命じた正史を改変した?
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🔴完成した正史は "反蘇我の書物"とされ、蘇我氏が天皇を弑逆したことなどが伝わるが、それは持統が 先代 ひいては その当時まだ残存していた天武の勢力を掣肘・牽制するためのものだった?
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🔴持統は おそらく皇祖神 天照大神の中身を自らと置き換えているが、もともとの"天照大神=推古女帝"は 蘇我氏全盛時代の天皇。元来、天武は 蘇我氏を祖とする神話・正史を考えていた?
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🔴蘇我宗本家を滅亡させた乙巳の変において持統の父 中大兄皇子と その側近 藤原不比等の父 中臣鎌足が活躍しているが、これは 持統と不比等が 父親の代に自分達を仮託したもので、先代 天武 並びに その残存勢力に対する当てつけであり、溜飲を下げるものだった?
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🔴乙巳の変で暗殺された蘇我入鹿には 天武の母 斉明天皇と密通したとの疑惑があり、入鹿は 自分の子を"皇子"と呼んでいるが、それが 天武の正体と目される漢皇子だった?
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🔴そもそも、皇族の端に連なるくらいの存在に過ぎなかった宝皇女(斉明)が 天皇にまでなれたのは、入鹿との繋がりから?
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🔴漢皇子の父 高向王は 用明天皇の孫とされているが、高向王が蘇我入鹿であった場合、入鹿は 用明天皇の娘の子だったのではないか? 用明天皇の娘に
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🔴酢香手姫皇女の同母兄 当麻皇子の記録には脚色がなされており、当麻皇子の子は 蘇我氏と近い人物が持つ"豊"の字を冠している。かつ 当麻豊浜は 天武天皇の治世下において、(生前)冠位が最も高いが、これも天武との関係からか?
酢香手姫皇女の役職 伊勢斎宮の純潔のくだりは暗喩もしくは虚構? 伊勢神宮からして、大方、大海人皇子(天武天皇)が 壬申の乱で かの地付近に立ち寄ったことから創建されたものではないか?
◯
‖——聖徳太子
用明
‖——当麻皇子——当麻豊浜
◯ |
∟ 酢香手姫皇女
‖——? 高向王 ⬅︎ 蘇我入鹿?
⬜︎? ‖——漢皇子 ⬅︎大海人?
⬆︎ 宝皇女(皇極・斉明)
蘇我蝦夷?
では、壬申の乱の勝者 天武天皇の正体が、 "漢皇子=蘇我入鹿の子"であったとして、如何にして かの人物は 宗本家が滅亡したとされる乙巳の変の禍から生き延びることができたのか?
千載一遇① 営為つむぐ @eiitsumugu
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