最近、市井の歴史研究者に対する現役の歴史学者らの批判(?)を耳にする。
プロの歴史家からすると、アマチュアが何を言っているか!というのは それは当然なんだろうなと思う。史料もろくに読み込んでいないし、そもそも史料が読めない。史料を探せるような権限とかも勝ち得ていないわけだから。
しかしその一方で、自由な発想というのが制限されてしまうのじゃないかとも感じている。史料の充実している近世などならともかく、史料の揃わない時代では 時に逸脱した発想が求められる。
まぁ、とは言っても 市井の研究者の見解を 通説にしろとかいう話ではなくて、私が言いたいのは、多くの人が向いている方向と違う方向を向く人がいてもいいんじゃないかということ。
瑕疵のないものはないわけだから、その穴を塞ぐのに市井の歴史研究者の発想が役に立つこともあるのではないか?
私としては、全員が同じ方向を向いて事にあたるのではなくて、ある程度の人数は別の方向を警戒していて、その両者の連携が取れているのが理想なんだけど。