社会不適合者メソッド

長谷川雄紀

社会不適合者メソッド

幾度となく挑戦した社会への道は閉ざされた。

始まりは工場バイトから遡る。

当然のようにやりたいことがなく、二年余り引きこもっていた。このままではと思いつつ、もう少しだけ、もう少しだけ、オンラインゲームに夢中でいたかった。

何度も親に呼び出され家族会議が行われた夜も、反省の色を出しつつ、心の底では早く終われよと思っていた。

無言が続く、リビングテーブルの中央に立ち込める鍋の湯気。もう何日も取っていないまともな食事の誘惑にたじろぐ。

湯気の隙間から見える父親の表情に、殺意を感じた。母親に促され、食事を取りながら今後の方針を決めていった。

僕はバイト探しをしていると言った。

実際は探しているだけで、応募する気などなければ、どれに応募していいかもわからない。応募条件やアットホームな職場、という謳い文句に反吐がでた。

アットホームは決して優位に働くことなどない。仲良しの中に、仲良くもしたくない僕が決断させる為の動機にはならないからだ。

それでも前向きな意見に、父親の表情は柔らかくなった。条件の中に殺されたり、車に轢かれたりしても大丈夫な方、でもあれば即座に応募してもよかった。

背中を押されて、リビングから自分の部屋に向かう道中、僕は飛び上がる感情を抑えつけながら歩く。

これで、次回の家族会議期間を延長できたからだ。しばらくの間呼ばれることはない。

後は応募しても返事がない振りをしながら、オンラインゲームで朝を迎えるだけだ。

ゲームの中では、一目置かれた存在になっている。毎晩やっている内に、上手くなりすぎていった。テレビ音量をゼロにしていても、ゲーム音が聞こえるほどやりこんでいた。

部屋の明かりを付けてしまうと、起きていることがバレル為、なるべくテレビやパソコンの明かりだけで生活した。

そのまま朝を迎え。ゲームの住人達はきっといつものように、社会に足を踏み入れにいくのだろう。関わりのない僕は飽きるまで眠る。

この時心で唱えるお呪いがある。

目が覚めずに死んでいますように。目が覚めずに死んでいますように。目が覚めずに死んでいますように。と唱えながら眠っても、現実は殺してくれない。

  さ

大半はゴールデンタイムに目が覚めるが、まだ部屋を出るわけにはいかない。両親のどちらかに、鉢合わせないためである。

耳を澄ましている内に、十一時になれば眠りにつく習性があることに気付いた。そこからが僕の、ゴールデンタイムだ。

大きな足音はたてないように配慮して、まずは風呂場に向かった。引きこもりでも体は流したい。

風呂場にいる人間を、わざわざ捕まえる事はしないだろう、という策略と、より深い眠りつく時間を割くための行動である。

風呂からあがると、大好きな暗闇のリビングに向かう。部屋の明かりは付けずに、冷蔵庫の光を頼りに、飲み物と残飯を拝借し、部屋に帰る。

ゲームを起動し、夜な夜な集まる同志たちに高飛車な態度を取りながら、つまんで遊ぶ。

食器をシンクに戻しにいくときは三時を回っているので、十一時の時よりは大胆に行動して置きにいき。良心的な日は洗って戻りしたりする。

新聞配達で来るバイクの音から逆算して、父親が目を覚ます時間を確認した。まためんどうになるので、父親が社会と交わりにいくまで息を潜めるのであった。

  さ

まだ就寝していた頃に、部屋のドアが開いた。恒例の家族会議だ。重い腰をあげリビングに向かう。

何度もしていると僕にも知恵がついた。今度は面接を受けても、合格しない哀れな息子を演じること。

社会の荒波に交わろうとしても、お前は消えていなくなれ、と言った、烙印を押された人にもなれないゴミである。

社会のゴミくずを、父親は平等に息子として見る。

二年が経つ頃には、和気あいあいとした家族の一幕になっていた。嘘で固めてしまったことにより、本当に社会人にならなければいけない、という自我が芽生えてしまった。

  さ

ネットの求人情報よりも、職業安定所に直接行ったほうがいい、という母親の戯言で出向いてみた。

そもそもやりたいことがないから困っているのであって、来たところで結局同じようなものだ。

何十台と置いてある。パソコンの一席に座り、希望の職種や待遇を選んでいくのだが、 何度も言うように選ぶ職種がない。

困っていると、相談だけでも出来るというので話すことにしたが、説教紛いなことを喰らってしまい、二度と行かなくなった。

少しでも立ち直ろうとした自分が愚かだ。

自宅のドアを開けると、母親が心配そうに出迎えてくれた。就職活動をする息子にでも、映っているのだろうか。

僕の言い訳は、若者向けの職業安定所に行け、というたらい回しにあった。と言いながら無理やり詰められたファイルの束を母親に突き出して、部屋に戻った。

一日何時間動いても疲れなかった体が、一日一行動をしただけで、フルマラソンみたく疲れた。

パソコンのディスプレイに反射する顔は、暗さも相まって、ますますゴミに近付いた。

部屋のドアがノックされ空返事をした。母親が、先程突き付けたゴミの束を持って入ってくる。

目を通してしまった母親が、これやってみたらという項目に、職業診断があった。

高校生の頃、進路決めの案としてやった覚えがある。あの時は確か、医者、とでた。

オール二の推薦入学野郎が医者を目指す、クソみたいなドラマかと思ったりもした。

人生にまだ前向きだった時と比べ、考え方も腐ってきていることだし、また違う結果が出ると期待した。

パソコンの電源を入れ、検索エンジンを開こうとしたが咄嗟に思い留まる。一緒にやろうと言ってくれた母親には申し訳ない、もしかすると、エロ動画が開く可能性がある。

パソコン調子悪いなあ、なんてほざきながら、決死の覚悟で開いたページは、終わっていた素人の生放送番組だった。

難を逃れ、職業診断と検索し、問いに対する答えを埋めていった。

出た答えは、画家、写真家、といった芸術系という、なんとも曖昧なものだった。

結局僕に向いているのは、社会と適合しないこと。確固たるものとして、人と関わらないほうがいいという、賢明な判断でもあった。

ただ功を奏したのは、人と関わらない仕事で検索を始めたこともある。その中に工場、清掃、警備、が出てきたので、何の気になしに工場から選んでいったのがまた、社会不適合者の烙印を加速させることになる。

ネット求人から、近所の工場を選び応募した。受からなくていいと思った。そうすれば嘘が本当に変わり、まだまだ遊んでいられたからだ。

面接はパーカーで行き、空の無い挨拶をして、空の無い返事をしていた。合否はその場で合格だった。明日から社会に交わることになる。

合格を貰った人間が、浮かない顔をして自宅に帰った。

喜ぶ母の姿を見てしまい、頑張ってみようと思ってしまったのが、大きな間違いになる。

  さ

工場勤務初日。戻せなかった昼夜逆転生活があり、寝ずに行く事となった。

他人の集団に入り込む緊張感はとてつもなく、朝ごはんは喉を通らない。時間に追い込まれるという感覚を、久しぶりに味わっている。

自転車にまたがり、八時半までに工場へ行かなければならない。お腹が空くかもしれないと、コンビニでパンを買って行った。

漕げば前に進む、でも着きたくない。間に合いたくない、間に合わなければいけない。

わざとチェーンが絡むよう乱雑に漕いでみるが、自転車は全く壊れなかった。

工場に着き自転車を止めた。入口から担当者の名前を告げると、工場内に放送が流れ、 やってきた。

ロッカーへ案内する、というので付いていく。

薄暗い部屋に連れてかれ、四畳の畳の上に壁沿いにひとつずつロッカーがあった。入口右側の右端四番目にある、真っ白のネームプレートが、今日から僕の物になった。

荷物置いて着替えると、集会に連れてかれた。ラジオ体操から始まる朝に、混ざらされた。誰も疑うことなく、動く時間に奇妙な気持ちでいた。

改めて前に呼びだされ挨拶をした。人前どころか、人とすらまともに話せない僕は、震える体を必死に抑えながら礼をする。まばらな拍手がおきて、歓迎してもないくせに、と下を向いた。

今日がたまたまついたちで、毎月一日に恒例のイベントがあると、ロッカーで着替えているときに言われた。

全員で声を揃え、社訓と注意事項を読み上げるというものだ。

ラジオ体操での奇妙さは、ここに繋がっていた。目が死んでいる。言わば覇気がない。

多分リーダーらしき人だけが、全力で声をあげ後を追う形。実際に見たことはないが、宗教の臭いがしてため息をついた。

合唱が終わると、各々が持ち場に散っていった。僕も担当者に連れてかれ、初めて仕事をすることになった。

どこに使われるかもわからない部品を、機械に嵌めてボタンを押す。その間にバリ取りをして、出来た部品を取り出しまた嵌める。その間にバリ取りをする。

この先も一生。

大雑把に説明され手探りで始まった。数十分も経たない内に罵声を浴びせされた。できていないらしい。

もう一度説明されている時、ハイと返事をしていた。そしてまた罵声を浴びせられた。

返事をしてはいけないらしい。わかってもないくせに答えるな、という事だった。

言葉を失った。恐怖に支配され、体が自分の物ではない感覚に陥った。

まだ午前中のことである。午後もある。明日もある。明後日もある。

誰も昼休憩の時間を教えてくれず、誰もいなくなったことで昼休憩だとわかった。

動く気力もなくなり、コンビニで買ったパンは、ロッカーに眠ったままにして、亡霊のように足を引きずりながらトイレまで向かい、ずっと泣いた。

僕の体は声に反応して怯えるようになり、 アドバイスも世間話も全部恐怖に変わった。

帰り道、街灯と自動車の明かりに照らされ、早く轢いて殺してくれと願う、蛇行した自転車は無事に自宅へ辿りついた。

玄関を開け、今朝まであった微々たる生気を失い、ご飯も食べず、風呂にも入らず、死んだようにベッドに倒れこんだ。

また死なずに朝を迎えると、お腹の辺りに違和感があった。空腹によるものだと思ったが、軽く押すと激痛が走り、トイレで何も出ない物を吐いた。

震えながら会社に仕方なく電話をして、病院に向かった。ストレスにより胃が腫れていた。薬を貰い家に帰り、そのまま会社を辞めた。

ストレス、恐怖心、対人恐怖症、だけが残り。初めて開けた社会の窓に、不適合者としてじっくりと殺されていった。

  よ

こうして無事に地獄へと舞い戻って来た僕は、また部屋に閉じこもった。

バイトを始める前と違うのは、本格的に寝たきり生活になったことだ。大好きなオンラインゲームも、大好きなエロ動画も、栄養にならなくなった。

ダニの死骸カーペットの上に横になり目をつむる。眠れないときは真っ暗なテレビ画面を見続ける。

数センチ先のリモコンに手を伸ばす気力もない。喜びも、怒りも、哀しみも楽しみもない。

無。

人間の肌を被せた骨の着せ替え人形。ロボットの方が、よっぽど表情豊かに見える。

目をつむり、過去の栄光を振り返った。

人を笑わすことに生きがいを感じていた小学生の頃、部活で優勝し泣いた中学生、地元ではない高校に行き出来た友達。

そんなに悪くなかった人生だったし、ここで終止符を打ってもいいのでは。

そう思うと少しだけ楽になり、眠ることができた。もう朝かも、夜かも、何日かも、何時かもわからない時間に目が覚め。永遠に暗い部屋の中で、何も映っていないテレビを見る塊に生まれ変わった。

僕は死んだ。よかった。

  よ

体が痒くて掻きむしり爪跡で赤くなる。風呂に入らなくなり、食事も水分も取らない日々が続いていた。

髪の毛は油でギトギトになり、体は虫の住処になり、声の出し方も忘れた。

股間の辺りに涼しさを感じ、手で触ると濡れていた。濡れた手を拭こうと、お尻を触ると濡れていた。下半身辺りのカーペットを触ると濡れていた。

漏らした。

そういえばトイレにもいってない。口に入れた物はないのに、体から液体が出た。僕はただの塊としてそこにあるだけ。

僕はただの塊なのに、お漏らしを気にして立ち上がった。寝返りをうつたびに、湿っていく体の気持ち悪さに負けた。

灰色のスエットは、丸い円とお尻の形を型取っていた。緑のカーペットも、ぐったりと湿った部分があり、テーブルやテレビラックの下敷きから引っ張り出して畳んで、フローリングに浮いた水滴をカーペットで拭いた。

服を着替えようと全身脱いだが、履き替えようとしたパンツが、受け付けてくれなかった。気持ち悪い。洗濯後のパンツがこんなにも気持ち悪い。ゴミには履かせられない。

全裸のまま、カーペットとスエットを持って風呂場に向かった。

何時だったかはわからない。偶然にも鉢合わせなかった為、十一時は過ぎていたのだと思う。

久しぶりに顔を合わせた息子が、全裸で登場。

風呂場に向かう途中で、そんなことを想像して笑った。笑った自分がおかしくて、風呂場の音響に笑い声が響いて、それでまた笑った。

僕はまた死んだ。いや生まれ変わった。生きてしまっているのだ、こんな僕でも。

脱衣所の置時計を確認すると九時だった。 リビングには誰もいなかった。

たまに父は、会社に泊まることがある。多分その日だった。母はもう寝てしまったのだろうか。

タオルを腰に巻いたまま、リビングに向かい冷蔵庫を開けた。残りのおかずはない。父が帰ってこない時、母はうどんなどにして一人分で食べる。

冷凍庫を開け、ゴミ箱を漁るようにかき混ぜてチキンライスを取り出し、電子レンジで温めた。

アルミ缶を何個か手に取り、部屋に持ち帰った。あれほど気持ち悪かったパンツは収まり、灰色のスエットに着替えた。

もう一度リビングに向かい、真っ暗闇に眠るチキンライスを取り出して部屋に戻る。パソコンを付けて、エロ動画をおかずにして食べた。

  よ

ひょんなことから、人としての感情を取り戻しつつあった。

目が覚めるとテレビを付ける。目星がなければパソコンをつけ、素人生放送を見た。

街中で喧嘩を売ったり、自宅で花火をしたり。テレビでは失ったリアル感と、ドキドキ感が、とても未熟な人間らしくて興奮した。

自分でもやってみようかなあ。と思ったりしたけど、人前で喋れないことはカメラの前でも喋れないことと同じで、頭で描く言葉が声にならなくてやめた。

ついでのついでに、ネット求人を流して見たりもしている。出来そうと思う求人は何個かあったが、応募画面まではいかなかった。

また工場のひとたちに出会うのかと想像しただけで、目をつむりたくなった。

寝たきり生活から今度は、素人生放送を見る生活に変わった。毎日毎日お気に入りの人物を探してはチャンネル登録し、通知設定までして、起きている時間は常に誰かと一緒にいるような毎日になった。

  よ

家族会議もなくなり、両親と顔を合わせなくなった。同じ家で暮らしているのに、現実では誰にも会わない。

ネットの世界では常に誰かと繋がっていて、コメントを打てば返してくれる。存在している瞬間の確認作業だ。

昼夜逆転生活をしていると、その内元に戻る日が何日かやってくる。昼起きて夜寝る。小さな窓に入りこむ日差しに、気持ちよさを感じる。

なんて人間らしくなってしまったのだろう。ゴミはゴミ箱で眠っていろ。

平日の昼間。沢山の人間が社会と交わっている頃に、僕はリビングで紅茶をのんでいた。

母親はおそらく部屋にいる。僕がリビングを占領しているとしって、出てこないのだろう。

静けさだけが立ち込める場所が、大きく揺れ始めたのはこの時だ。

揺れているなあ。と思いながら紅茶をすすった。揺れている。まだ揺れている。揺れはどんどんと加速し、家壊れるなあと思いながらソファに座っていた。

次々と何かが切れていく音がした。揺れのすごさをテレビで確認しようと、リモコンの電源ボタンを押したがつかない。たまに反応が悪い瞬間があるがそれではない。

電気が落ちた。

脱衣所へ向かい、ブレーカーを上げにいったがつかない。再びリビングに戻りスマホで確認していると、母親がやってきた。

目を合わせたとき。久しぶりという感情は捨て、停電したかもと、まずは告げた。

大型の地震が日本を襲った。

ネットは混乱し繋がらない。ラジオアプリを開き、しばらくの間聴いていたが、充電できないことに気付き閉じた。

部屋に戻り。モバイルバッテリーの残量を確認してみたが、こちらも充電はなかった。

面倒くさくてお粗末にした防災訓練。こんな時人は、何もできない愚かな人種であった。

リビングで母と一緒に、夜を迎えようとしていた。日が落ちていくのがこんなにも不安にさせるなんて。

僕に眠っていた感情が、動き出していた。

  よ

父親と連絡が取れひとまず安堵した。電気も、電車も、何もかも止まってしまった世界で夜を迎える。

父親は会社に泊まり。僕たちは暗いリビングで夜食を取ることにした。

棚の中にいつからかあったロウソクに、ライターで火を付け、テーブルの上に置いた。部屋全体を照らすこともできない、ちゃちなロウソクがぼんやり浮かんでいた。

母親はガスコンロを探していて、僕は手伝いもせずロウソクを眺めていた。

落語の噺で、死神が見せたロウソクの火が人間の寿命を表している。というシーンがあったよなと思いながら、吐息をロウソクにかけて揺らぐ火で遊んでいた。

母親が見つけたガスコンロをテーブルの上に置き火を付ける。その上にフライパンを置き、機能しない冷凍庫からチキンライスを取り出して温めた。その間。腐りそうな物から順番に口に入れた。

チキンライスが出来上がり、お皿に盛り付け、暗いリビングの中で食べた。明るい時に食べた味と一緒だった。

久しぶりの会話は、今日のことや、これからの事とは関係なく。他愛もないどうでもいい話だった。

でもそれがすごく楽しくて、ちゃんと笑った。こんな日でも僕は笑えた。

  よ

数日後。徐々に電気は回復していき、生活は戻ったが、日常に戻ったとは言えなかった。

テレビを付けると、震源地である場所が毎日のように放送された。正直、嘘だろ。と思った。遠い国の話じゃないよなって、同じコマーシャルがずっと流れていた。

その内僕たちには日常が訪れ、被災地の方たちに物資が届けられた。

動物が逃げたというフェイクニュースがネットを騒がせ、心無い奴が捕まったりした。

僕は何も出来なかった。愚かでくだらない人生で、部屋に閉じこもって、いざという時に何も出来ず、何もしてあげられない、ただの傍観者で、心無い奴らと同じような気がした。

  よ

僕はネット求人を見て応募した。清掃の仕事に応募した。

内容は、誰でも出来て簡単ですとしかなくてよくわからない。でも応募した。理由はない。心にピントと来たから。

今度はしっかりと身だしなみを整え、合格したいという気持ちで面接に向かった。

指定された面接会場が、お弁当屋さんで戸惑っていると、中から現れた従業員の方に声をかけられ安心した。

席まで案内されると、間違えたとおもったでしょう。と笑うおじさんがいた。

そうなんですよ。と相槌を打ちながら僕が座ると、早速面接が始まった。

面接官の方かと驚いていると、このおじさんは社長であった。

社長が従業員になりすまし、現場に向かう映像を見たことがある。それかい、と僕は話を聞きながら思った。

仕事内容は、コンビニの清掃だった。床を磨いたり、トイレを掃除したり、窓を拭いたり、と言った内容だった。

従業員さんがやるんじゃないんだ。という思いに被せるように、社長が似たようなことを言って、全員同じ気持ちなんだとも思った。

とりあえずやってみるしかない。どうした僕はこんなに前向きになっちゃって。

明日から来られる?という問いに、大丈夫ですと答えると、十一時に来て、と言われた。

夜のだ。ちゃんと聞いていなかった。そうか夜勤か。夜の生活で、随分と暮らしていたのでむしろ好都合だった。

こうして明日からまた、社会と交わる生活が始まった。

  よ

緊張はしていたが眠れた。夜勤前に母親と一緒に、夜食を食べてから向かう生活に変わった。

初日は母親が気合を入れすぎて、食べきれない量が出てきてしまい、無理やり腹に押し込んだりした。

面接会場とは違う新たな集合場所は、たまたま近所で。自転車にまたがりチェーンが壊れないように走り、パンパンのお腹に便意を感じながら風を切った。

事務所に到着すると、社長と先輩がいた。

挨拶を済ませ、先輩が運転する車に乗り、社長は自分の車で追ってくる形で走らせる。

車内では先輩が話を振ってくれて、好きな芸能人や、好きなアイドルの話なんかをして、 緊張をほぐしてくれた。

現場に着くと先輩はコンビニのオーナーさんへ挨拶に行き。その間、社長に一日の流れなどを教わった。

初日は見ているだけでいいよと言われ、大まかな感覚を学ぶことから始まった。

怒号から始まった僕の社会への交わり方とは随分と違った。楽だと思った。仕事内容ではなくて、心の拠り所のほうが。

ここで頑張ろうってまた思えた。もうあの生活には戻らないようにしようって。

  よ

研修が外れ、先輩とふたりだけの現場が始まった。

ノートにメモしてその内容忘れて、大きく丸をして、忘れないように。と書いてまた忘れて。それでも先輩は優しくて、全く怒らなかった。その内に出来るようになるから、と言って励ましてくれたりした。

車内では初日に話した以来、仕事以外のプライベートな話はない。僕から人に話しかけることなどできない。喋りかけるな。とか言われたらどうしよう、という不安が拭い切れず。黙って助手席に乗っていた。

先輩も話すことがなければ、話したくもないと思っている可能性が高く。必ずラジオを付けた。

静まり返る車内を知らずに、陽気なパーソナリティは鬱陶しい。それでも喋らなくていい、という環境はとてもありがたかった。

  よ

並行して休みの日は、素人生放送を見ていた。夜な夜な集まっていたオンラインゲームの住人とは会わなくなっていた。

テレビはすっかり見なくなって。これだけを永遠と見ながら、コメントして、名前覚えて貰えるようになって、会ったこともないのに仲良くなって、すっかり友達になって、応援していた人が引退するってなって、最後の放送に駆けつけたりして。空いた時間は、新しい人を発掘しに色々な放送を見て回った。

ネットゆえの距離感がたまらなく良くて、 近すぎず、遠すぎない、絶妙な塩梅に翻弄されていた。

それは好きな人が出来てしまった時、大きな牙を向いた。

画面の向こう側に映る女性が好きになってしまった。好きです。とコメントしてみても本気の度量は伝わらず、愛想よく振る舞われるだけに終わってしまう。

まだ視聴者数もコメント量も少なく。人気が出ないで欲しいと思う気持ちは、偶然見つけたアーティストなどに近い。

手の届かない、いや、手は届かない。ネット上からの現実への接点は遠い。

仮にそんなチャンスがあった所でも、告白せずに終わる。ただじっと好きだと思うまま消えていく乱暴な片思いは、着実に現実へ影響を与えた。

仕事中でもその子のことで頭がいっぱいになり、集中力を背いた結果。やってはならないこと、として書いたメモ帳のリストから選出してしまう。

現場での一幕。

コンビニの清掃では、ポリッシャーと呼ばれる機械を回して行う。汚れた水を集めてバケツに入れて置き、奇麗になった床の上からワックスを重ねて塗って仕上げる。

反対に、奇麗に見える床でも埃などを巻き込んで塗っていく内に黒ずみ。厚みがかったワックスの層を剥がしていく作業、剥離、と呼ばれる作業もある。

重ねるワックスと、剥がすワックスは別物ということ。やってはならないことは、剥がすワックスで、通常通り重ねていくことだ。

落ち込む車内の中で、先輩はそれでも優しくフォローしてくれた。

次気を付ければ問題ないよ。という言葉の中にあの子の顔も浮かんで交じり合って、僕はまたゴミの中に片足を突っ込んでしまった。

一年半が過ぎた。紆余曲折あった末に、こうして社会と交わり始めた。遅刻や、無断欠勤や、飛んでしまうこともなく、行きたくない日もなくて、ミジンコの責任感が生まれてしまってきたのかもしれない。

数いる先輩のひとりから、食事に誘ってもらうことになった。いつも運転をしてくれる先輩ではなく、まともに話したことない人。 何故目を付けられたかわからないが、食事先輩と落ち合うことになった。

大勢いるような会社の飲み会ではなく、さし、での食事。

学生の頃でも、先輩、後輩と行ったことはない。あくまでも気の合う同級生のみでしかない。かといって成人式も行かなければ、同窓会もいってはいない。

先輩の車に乗って居酒屋に向かった。気さくに、ありがとうね、と言う目の奥に疑いを感じてしまう。

こんな死に損ない予備軍みたいなやつ誘うか?逆の立場なら、あいつには関わらないようにしようって心に決めるはずだ。

コインパーキングに車を停めて、雑居ビル三階の居酒屋を目指した。

車の中から、後輩としての立ち振る舞いがよくわからなくて焦る。職種による上下関係の厳しさは、大好きなお笑い芸人さんからしか学んでいない。

お会計を払いに行くとき、払い終わって出てきた時、去り際の時、先輩の車が見えなくなるまで見送る時、その日にメールでの時、 後日会ってこの前の事を言う時。

全てに。挨拶と感謝を伝えなければいけないかと思いながら乗っていた。面倒な事になるくらいなら、来なければよかった後悔もしていた。

ただ性格上断ることも出来ず、断ったときの一瞬、間、が空く感じが嫌いで、すぐにいいよと言ってしまう。気の弱さが際立つ。

先輩の横に並びながら、雑居ビルの階段を上がっていった。

僕はお酒が飲めない。好き嫌いも多い。緊張が高まると食事が喉を通らない。最悪の人間的コンディションで生きてしまっている為、弊害が多い。

居酒屋を断れなかったのも、最初に先輩の口から居酒屋でいい?という文言を言われてしまい。そこから、いや、とオセロの盤をひっくり返すことが困難であったからだ。

席に着くと、店員さんにおしぼりを渡され手を拭いた。

とにかく自分から行動してしまうと、機嫌を損ね、恐怖に落とされるリスクがあると思い込んで。迂闊にメニューを取り出せば、勝手に選ぶな。とか言われてしまう事だけは避けたくて、先輩が何かアクションを起こすまで、僕は奇麗になった手をずっと拭いていた。

先輩はメニュー表を手に取り、好きなもの頼んじゃって。と言いながら渡してくれた。

ありがとうございますと返した手前、美味そうに見えるからと頼み。それが嫌いな食べ物と混ざり合ったメニューだった場合。残しても無理やり食べても失礼だと思い、確実に食べられる焼き鳥だけを頼むことにした。

料理を待つ間。僕はテーブルの模様を目で追う人になった。

話を切り出そうにも何も思いつかなくて、閃いた質問も頭の中で咀嚼している内に、失礼に聞こえるかもなあ、とか考える内に、声の出し方がわからなくなり、結局テーブルの隅に目が追いついた。

口を開いた先輩の声が、騒がしい店内にかき消され聞こえなかった。

僕の咄嗟に出た、間抜けな顔のせいで、刺激したかと錯覚し身構えた。先輩はもう一度言い直して、仕事順調?と言った。

僕はまだ。あの時残された、恐怖心、が拭えず体に眠っていた。

てっきり山の奥地にでも捨てて、周囲の落ち葉を振りまいて、蹴っ飛ばして、もう顔を合わせなくていいなんて。

一年半の間。お前はどこで何をしていた?

続いている清掃バイトに浮かれて、見失っていたのだろう。

沸々と山奥から恐怖心が降りてくる。僕はまあまあですかねと答えた。

焼き鳥が運ばれて口に入れる。何にも味がしない。滴る濃厚なタレが取り皿を汚す。この焼き鳥は何にも味がしない無味だ。

満を持して頼んでみたものの、結局はどれを選んでも同じだった。たった一本の焼き鳥が、こんなにも重くのしかかる。満腹の最後みたいに腹の空いた体に押し込んで食べた。

胃に落ちたひとかけらが、水たまりの波動のように広がり、僕は完食を示して串を置いた。

少食も少食な後輩をよそに、先輩は次々頼んでいった。ここから運ばれてきたメニューに僕はいっさい関与していない。食べても、食べなくても、僕に責任は問われないと思い 箸はつけなかった。

お腹いっぱいな振りをしながら、残酷な食事会は続いた。乱雑に空のお皿が増え始めた頃、先輩は神妙な面持ちで口を開く。

見え方が変わってしまうかも。という枕に乗せ話始める。

先輩の言葉がいっさい理解できずにいた。 先輩は時折、宗教、という言葉を口にする。

僕は何のことかわからず、ただただ聞いていた。

先輩は、僕の死に損ないの顔を見て、助けてあげたいと思ったらしい。彼はきっと困っていて人生の岐路に立たされている。と思ったらしい。

あながち間違ってはいない。隙あれば死が近づくし、生きづらさを感じることが常日頃ある。

それでも立ち直ろうと続いている。一年半という数字で、必死に谷底に落ちぬ様、地球の先端にしがみついている。

ただそれは自分の意志にしか過ぎなくて、 他人からは死んでいるように見えた。

先輩の流暢な言葉に連れてかれ、仲間の家に行くことになった。今日の食事会は僕を囮にしたカモ料理で、先輩の形を彩る、宗教勧誘であった。

断り切れず促されるように席を立ち、先輩が伝票を持ってレジまで向かった。もう僕の頭の中には、拉致や監禁しかなくて、お礼の言葉が出ないまま居酒屋を後にした。

コインパーキングまでの間も、大丈夫と励まされるように言われながら、信頼する仲間のおばさんの説明をされた。ますます太文字で、拉致、監禁、とくっきり浮き上がる。

駐車場の精算機に向かう先輩と距離が出来て。拉致監禁の隙間から、逃げろ、というサインが飛び出したが、逃げたら今度は仕事に行けなくなることも考えてしまった。

変に責任感が芽生えてしまった一年半を、ここで捨てられない。

結局棒立ちのまま、首輪の鎖を引っ張られるように車に乗り込んだ。これが本当に、本当に、死ぬまでの道程なのだろう。そう思って深くシートに腰をかけた。

  う

初めての手口ではないかのように、見知らぬ街を進んでいった。もう僕を諭しながら、何度もおばさんへの尊敬の念を口にする。

自宅までの距離が段々と遠のいていき、家を出る時に別れの挨拶でもしてくればよかった、と後悔した。

車は住宅街に入っていき、ある一軒家の前で止まった。先輩は車を降りて、その家のインターホンを押しにいった。

車内に残った僕は、またしても逃亡のチャンスをまざまざと失う。グルであるシートベルトが、このカモを逃がすまいと強く作動した。

一軒家から、そのおばさんと呼ばれる人が顔を出してきた。先輩は本当に尊敬する人の前で行う深いお辞儀をしている。

もう僕は覚悟を決めて、逃走用ルートを確認する目で車を降りた。

おばさんは屈託な笑顔で僕を出迎えてくれた。玄関までの通路経路を頭に叩き込み、家の中に入る。

おばさん、僕、先輩、の順に縦に並ばされた時。逃亡を防ぐための仕掛け加減に慣れを感じた。

玄関で靴を脱ぎ、廊下を進み、リビングに通される。その間も余念なく、逃走経路を確認しながら後をついていった。

ごくごく普通の家庭。と言った印象で、特別変わった様子はない。

椅子に座ると、早速先輩から会社の後輩であることを説明された。僕は軽く会釈をしながら疑いの灯を消さないでいた。

先輩は、僕がいかに人生に迷い、苦労や、葛藤を重ねてきたかをべらべらと喋った。

合っている所、合っていない所が混合し、修復の目処が立たなくなり、全て肯定する形で話は進んでいった。おばさんは、大きく頷きながら話を聞いている。

ある程度話終えると、おばさんは立ち上がり、棚からビデオテープを取り出して、テレビをつけ始めた。

再生を始めた映像は、宗教団体に所属する著名人による挨拶で、いかに人生に与える影響力の大きさを熱弁していた。

それを家族のように見守る三人がいた。

僕は徐々に片足を付け始めている。右足にゴミを、左足に宗教を纏って、新たな道を進もうとしている。

先輩に感想を求められた僕だったが、そうですね。の最後の言葉を残して口を紡いだ。

いきなり困っちゃうわよね。という理解力のある振りをしたおばさんに、愛想笑いをした。先輩は負けずと、胸の高さに手のひらを合わせ、唱えてみるだけやってみよう、という難解な提案をした。

僕にはもう回答の余地はなく、うなだれるように隣の部屋に連れていかれた。

襖を開けると、そこには何百万としそうな仏壇があり崇められていた。あまりの豪華さに初めて実感が湧いた。

嘘じゃない。本物の人達だ。と現実味を帯びる。

畳の上に正座で座らされ、神社でする時のように手を合わせ、目をつむり、南無妙法蓮華経と唱えながら、仏壇に向かうと教わった。

恥ずかしい場合は、心の中で唱えてもいい、という曖昧なルールの中、それは始まった。

僕は勿論恥ずかしい場合の方を選んだ。ここまで来てやりません、とは言えない。相手を刺激せぬよう、郷に入っては郷に従うしかなかった。

何の合図もないまま、先輩とおばさんは声を揃える。目線でリズムを取る歌手よりも息がぴったりだ。

部屋中に響き渡るマンキンの南無妙法蓮華経の中。僕の心は、両親を思うことでいっぱいだった。

終わりを告げられ目を開けると、生まれ変わったような笑顔で僕を見つめる、二つの顔があった。目がギンギンで、唱えていた時間で別の何かしていました?というような印象も重なった。

もう十時も回っていて、居酒屋からの緊張や恐怖で疲労困憊だった。

数時間後、まさかこんな目にあうとは予想できず、欠伸もしていないのに目から涙がこぼれた。この状況での涙は、信仰による改心だという受け止めに過ぎない。

先輩が入信を進めて、おばさんが止める茶番劇を見せられ。こちらに罪悪感を植え付ける手口だろうと、冷静な自分もいた。

今日はひとまず帰りましょう。というおばさんの声で拉致監禁から解放された。カモは泳がせてから食うのが美味いのか知らないが、記憶した逃走経路の後を辿り、車に乗った。

最後のおばさんの顔は暗さも相まって、不敵な笑みだった。

車内では、興奮冷めやらぬ先輩が唱えるようにおばさんへの尊敬をまた聞いた。帰り道は入信のおまけ付きで、僕は死んだようにぐったりとしている。

家の近所まで送ると言われ、僕なりの抵抗で、違う場所を教えて送ってもらった。本能で知られてはいけないと気付いた。

家から数十分離れた所で降ろしてもらい、 ここで初めて今日の事のお礼をした。去っていく車が完全に見えなくなるまで見送った。

そこから自宅まで歩いて帰る中で、僕に降りかかる運命を呪った。

もうお前に人間として更生はさせない。社会に交わる喜びを与えておいて地獄に叩き落す。神も仏もいない。ゴミはすぐさま丸めてポイだ。

僕は泣いた。うまくまわらない人生に対して悔しくて泣いた。

  う

自宅に着いたのは零時過ぎ。玄関で靴を脱ぎすて、そのまま脱衣所に向かった。汗で張り付いたシャツが脱げなくて、破けそうなくらい引っ張った。

風呂場に入り湯船に浸かる。普段は全身洗ってから入るのだが、早く流して欲しい物が沢山あった。

風呂の気持ちよさが極暖と変わった。頬に伝う涙も、まとわりついた見えない何かも、全て受け止めてくれるお風呂の方が、よっぽど改心できた。

ズリズリとお尻を足の方へ滑らしていき、顔半分を湯船につけて叫んだ。

落ち着きを取り戻すと、お腹も大声で鳴いた。バスタオルを腰に巻いたままリビングへ行き、冷凍庫を漁ってカレーピラフを取り出して温めた。

小窓からお皿が回る様子を見ながら、最後の晩餐が冷食のカレーピラフでも最高だなあ、と思いながら動かくなるまで見続けた。

僕は、死にたいのか。生きたいのか。

死を覚悟できないくせに死んだ顔して、死にそうだった自分を励ますように飯食べて、結局性にしがみついて。

僕の誰かと、誰かと、誰かが、こうしてまた瀬戸際で押し合うのだった。

 う

いきづらい。神様は僕を会社にいきづらくした。

夜勤までのタイムリミットに、うまく眠ることができなかった。まだ早朝に起きて、トイレに行く途中で母親と顔を会わせた。

タイミングを失いたくなくて、股間を抑えながら、無様な一日を簡潔に説明した。

母親も昔。勧誘を受けたみたく、コツとしては曖昧な態度よりも、ハッキリと断ることで回避できるという。

それができない為に、こんなことになってしまったのだが、どうしてこうも巻き込まれる運命にあるのか。

僕はバイトに行くようになれただけなのに。

余計な負荷を掛けられていることで、不幸への道を歩む僕に、一緒に幸せになろう。だなんて、殺人を犯した医者に命を救われるようなものだ。

抑えつけていた股間に限界を感じ、トイレに駆け込んだ。水辺に先輩とおばさんが手招きをする顔が浮かび上がり、大量の尿で消し去るように放物線を描いた。ふたりの顔が揺れても消えなくて、大の方で多めに流してやった。

初めて休もうかと思った。数時間後に始まる夜勤に初めて行きたくないと思った。

状況も知らぬ他人の前ではより断りづらく、口にするのだって仲間意識を芽生えさせる。

行っても地獄。行かなくも地獄。八方塞がりであった。

ベッドへ横になり、考えている内に眠ってしまう。目が覚めると、日は沈み夜が始まっていた。

リビングへ行き、ご飯を食べながら、とりあえず行ってみようと決めた。断り切れる勇気はない。ただ曖昧にしていればその内無くなってくれる事に賭けた。

自転車にまたがり事務所へ向かった。その間も、沢山の、余計なこと、を考えながら漕いだ。

事務所に到着して、話しかけられぬようにそそくさと挨拶して、準備を始めた。

近付く足音と人影で、完全にあの人だとわかる。僕は気付かない振りをして、現場のリストから使う道具を用意していた。

話しかけられている。完全に話しかけられている。このままだと今度は、無視を決め込む後輩に映ってしまう。

僕は集中していました感を出して、顔をそちらの方に向けた。先輩はあの日と同じ満面の笑みでそこにいた。

先輩から先に昨日のお礼を言われ、僕はつられるように返した。

僕の耳元に向かって、あの無様な一日を丸めて、どう?とだけ聞いた。僕はあの時と同じように、そうですねとだけ言って下を向いた。

これでわかってくれ。人の気持ちを救い上げられるだろ?人を幸せにできるだろ?だったら汲めるよな?幸せの形は人それぞれだって理解できるよな?

沈黙の後。先輩はまた飲みに行こうよと肩を叩いて、離れていった。

  う

もう逃がしてくはくれないと悟った。僕の中で見切りをつけ、無料で飯が食える日に変えて付いていった。

僕を入信させようと、寿司屋に行き、しゃぶしゃぶ屋に行き、味を占めてまたしゃぶしゃぶ屋に行き、最後は先輩の家まで行き、手作りカレーを食べた。

おばさんの家にあった半分ほどの仏壇がリビングの大半をしめていて。そうか、この人は本物だったと、忘れかけていた現実を改めて突き付けられた。

パンフレットを見せられながら、手ごろな価格で買える仏壇を紹介された。同様にのらりくらりと交わして、無料でカレーを腹いっぱい食べた。毒でも入っていたら、それはそれで別によかった。

この所会ってから別れるまでの間。ボケたようにずっと同じ話で回っていて、タダ飯の代償に、お話を聞いてあげる人として役割を務めた。

先輩は熱が入り、目に涙を浮かべ、何度も何度も口説いてきた。泣きたいのはこっちの方だけどなあ、と思ってそれを見ていた。

僕のうんざりは限界に達し、会社を辞めることにした。

神も仏もいないと言ってしまった手前、待ち受けていた運命を誰のせいにもできない。 運命のせいではよくわからない。

僕は、社会と交わってはいけない人間なのだ。お前だけは絶対に立ち直れさせない。這い上がれば這い上がるほど、地獄への距離が出来て。落ちていく様を、長く、長く眺めていられるのだろう。

  う

他の先輩方には前触れを見せることなく、 突然辞めると言い出したことに驚かれた。理由を聞かれても、あの事は言い出せず、夜勤がきつくなってきて、と嘘をついた。

たったひとりのために。舵を大きく切らなければいけなくなった僕を見て、死ぬまで、幸せにしてあげられた現実を絶対に忘れるなよ。

 な

おかえり。またこの場所に戻された。

双六のマス目にスタート位置に戻ると書かれており、そこを踏んだみたいだ。死というゴールは勝手に狭まってくるというのに。

僕に残された経験値に、人間不信と、清掃経験が増えた。唯一の希望は、清掃に向いていたという事を知れたことだった。

そしてまた削がれた体に、生放送と、エロ動画で、枯れた花に水をやる毎日になった。

恐怖心、対人恐怖症、人間不信を植え付けられた人間に、次への行動力、未来は明るい、 努力は必ず報われる。と言った容姿と才能に恵まれたやつのクソ名言が腹正しい。

パソコンの左窓に生放送、右窓にネットに散らばる成功者の格言を見ながら、生き生きとする顔面にツバでも吐いてやりたかった。

左窓に映る素人は発掘した新人ちゃんで、こちらの顔はとてもやつれていて可愛かった。

新人ちゃんは普段ゲーム実況をしていて顔をださない。声の引っかかりが良くて、ヘッドホンをして聴いていた。

僕にだけのサプライズで、初顔だしした時はイメージよりもロリ顔だった。一見苦労ない人生を歩んできている風ではあるが、目の奥に光る、闇、が見え隠れして興奮した。

ゲーム実況から顔出し放送に変わり、現在に至る流れを僕は初めから見ている。

母親と一緒に取り始めた夕食も、新人ちゃんの時間に合わせるようになり。放送が終わり次第食べるか、食べている間に放送開始通知がくれば、すぐさま掻き込んで部屋に戻った。

今日も可愛い。ということは明日も可愛い。ということは、明後日はもっと可愛い。

こうしてまた部屋の中で半年が過ぎた。

  な

部屋のノック音に気付かず。パソコンに笑顔を振りまく息子の姿を見て、少しだけドアが閉まる。僕は目だけをそちらに向け、フォーマットの死んだ顔に直して、ヘッドホンを外した。

芝居じみた母親の手招きは、招集への合図で、僕はそれに一旦無視をして再びヘッドホンを付けた。

何層にも重ねた新人ちゃんミルフィーユ仕立ての上に、劈く泥イチゴの邪魔が入り。仕方なくリビングへ向かう。

半年の合間に年が明けかかり、久しぶりの家族会議が開かれた。

ソファに座る父親と、テーブルに乗せられた鍋の湯気が天井に当たるお馴染みの構図。

僕がソファに腰を掛けると湯気によって、一枚隔てたように見える毎度お馴染みの構図。

今何やっているの?という父親の言葉から幕を開けた。いつになく優しい口調は、一年半の清掃経験があったからだろうか。

父親には、辞めた経緯を知らせてはいないが、衰退した息子が消えていなくなる可能性を秘めていたからだろうか。

僕にこれまでの日々を語るものはなかった。

毎日エロ動画見て、毎日生放送見て、新人発掘して、ご飯食べて、寝ています。とは口が裂けてもいえない。

テンプレの、面接で落とされるだけ言っておけばなんとかなるだろう。後は年末を利用した言い訳として、企業がお休みに入り連絡は年明けになると言った。

父親のしょうがないなあ。という顔の中に 努力が報われない、いたいけな息子が混入したように見え、後は死相も加えて俯いた。

嘘で固めた僕に、焦らず頑張れと言った父親は、見透かした上での配慮だったのだろうか。

家族会議は幕を閉じて、家族水入らず鍋をつついた。

足早に終わったことで笑みがこぼれそうになるが、部屋に戻るまではフォーマットパーツを崩さなかった。

  な

年が明けても連絡は一通たりともこない。 当たり前だ。送っていない。

夏休みの宿題もそうだったように、追い込まれてから初めてやる気が起きる。最後の日になって初めて動きを始める。

年明けから数か月後。新人ちゃんは引退した。社会と交わる為に生放送から足を洗う。

最後の引退放送も駆けつけて、花道を見送る。僕の支えがいなくる。ほとんどの人間が引退表明無しに自然と消えていった。

放送開始通知は一通たりともこない。暇を潰すように、マウスをブックマークに合わせ、バイトで括ったフォルダを開いて眺め始めた。

職業検索で清掃を選び、似たような謳い文句ばかりを見て気が落ちる。

仕事内容が出来そうと思っても、その奥にいる人間の存在が邪魔をして踏み出せない。

また工場の時のように、また清掃の時のように、生きようとすればする分だけ、背後から蹴られ簡単に落ちていく。ギリギリ死なない程度に打ち付けて、また歩かされる。

応募画面までは辿り着くも、送信ボタンは重力に逆らわれ押せないでいた。

人に会いたくない、人に関わりたくない、

ひとりでいたい、ひとりでいることは苦ではない。

悩ます僕のちんけな頭に、光が射してしまう。残された清掃道具の武器と、ひとり、でできる仕事を掛けてみる。

職業を清掃で選び、フリーワード検索に、 一人、と入力してみた。

あった。

大まかな仕事内容しか載っていない。ただコツコツ一人現場作業とだけは、目が腐っても見える。

あれほど重かった人差し指で、送信ボタンを押した。

今まで嘘をついて、架空面接取り繕ってきました。お願いします。この哀れな精神異常者を、社会に混ぜてはくれませんか。

送信を押せたことで、僕は満足感に浸っていた。地球にとってはどうでもいい一歩。今度は背後を振り向き、崖際から僕にとっては大きな一歩を引いた。

夕食の時間リビングへ行き、母親にバイト応募したことを伝える。まだ面接もしていないのに、おめでとう、と口走って言われ、なんだか受かった気分になった。

出来立てのご飯がテーブルに並べられているが、一緒に取らなくなった夕食に、突然食べ始めることもできず。それだけを言いに伝えて部屋に戻ろうした。

母親は肉を生で焼くか、タレをかけて焼くか、を僕に聞くことで自然と呼び止める形にしてくれた。

僕はひょんな顔で、そのままと言いながら、向いた足を正確に正した。

  な

数日後知らない番号から掛かってきた。僕のスマホには、友達も、営業も、詐欺集団からも、連絡はこない。

確固たる自信で出ると、応募先からの電話だった。余所行きの少し高めの声を取り繕って話した。不快感を与えないよう意識するあまり、か細い声にもなっていった。

電話を切り、適当に拾った広告チラシの隙間に、横浜駅、とだけ書いてあった。

何時集合とは言ってなかったはずだ。不安が煽るも、掛け直せば、聞いていないことで不合格になるかもしれない。

寧ろ近くにオフィスがあって、何時ででもいらしてください。という意味だったかもしれないと解釈して、十時に横浜駅に向かうことにした。

七時にアラームを設定して、眠りにつこうとする。翌日緊張が高ぶる場面で、まともに寝られた試しがない。

遠足、入学式、部活の大会、卒業式、必ずと言っていいほど後に熱が出る。

遠足が楽しみすぎて、当日熱が出ていけなくなったりも、入学式翌日に熱が出て、友達作りに遅れ阻害されたりも。

自分の不甲斐なさがわかってきた頃には、あらかじめ薬を飲んでおく事を覚えた。

今日も当然のように眠れないまま、アラームが鳴りだす前に解除した。何回目の面接だろうと万全で迎えられない。

早めのアラーム設定は、トイレに行くための猶予に使っている。何度もトレイに立てこもり、家を出る予定の時間を過ぎる。

履歴書が入ったカバンを持って、自転車にまたがり橋本駅に向かった。信号待ちの間にも腹痛が続く。

古本屋の裏にある、駐輪場にとめて改札へ向かった。横浜駅まで我慢して、道に迷った振りで時間を稼ぐ。最悪の状況も想定しながら、横浜線に乗った。

電車の中で座ることはない。というか座れない。正面に人がいることで、パニックになってしまう。常に出入口付近に立って、外を眺める。例えどれだけ空席があろうと、必ず立って乗る。

改善しようと試しに、端ではなく、ど真ん中の席に座ったことがある。

左右の人、前の人、前で立っている人に見降ろされている感覚。混んできた時すみませんと言いながら出なければいけないこと。あらゆる悪循環に押しつぶされ、リュックを抱きしめたまま、降りる駅を通り過ぎて、終点まで行ってしまったことがある。

初めて電車通学になった、高校生の頃からそうだった。

誰かと一緒の時はならなくて、ひとりで乗るとなってから気付いた。高校の面接日からが本当の始まりだ。部活の試合会場もみんなと一緒、その高校も親と一緒に見に行った。

四十分程の時間を、振り落とされないように手すりに捕まっていた。強く握る熱が、いつまでもその場所にいる影を作った。

時間通り横浜駅に到着し、履歴から電話を掛けた。何度も、何度も、掛けたがでない。

間違いなく、十時集合ではないことが確かだ。折り返しの電話が掛かり、面接で来たことを伝えた。

担当者は現場作業中で、横浜駅は、一時頃に行ける。とのことで電話を切った。

遅刻は勿論してはいけないが、早すぎた場合の事は知らない。三時間も前に面接を受けに来た奴は、時間という概念が無いまま育った、野蛮な社会人研究生を受け入れてくれるだろうか。

意識を外に向けていたことで、腹痛の荒波を上手にかわしていたが。ひとまず組めた面接と膨大な時間のあまりに安堵し、瀬戸際の攻防を繰り広げながら、デパートに駆け込み、 残りケチャップのようにぶっ放す。

時間までは、バッテリーが切れないようにゲーム実況で潰した。イヤホンを忘れてしまっていても、ゲーム画面なら音が無くても見られるので便利だ。

十二時頃。担当者からの電話で、駅に着くと連絡があった。僕は急いでトイレを出て、待ち合わせ場所に向かう。

夢中になるあまりバッテリーが二十%を切っていて、これ以上刺激を与えないように、何故か小動物のように持って歩いた。

もう一度電話を掛け。人込みの中から電話を掛けている人を探し、口元の動きが電話口の内容と一致しているかを確認して、歳の近そうな、大学生風の男性に声をかけた。

挨拶も早々に、近くの喫茶店に向かうことになった。

道中で歳の話になり。僕は大学生の年齢は盛り過ぎかと思い、気持ち高めで答えると、想像の遥か若い歳を言われたみたく、自然と胡麻をする形になり、ご満悦だった。

この調子で面接官にも、好印象を与えられれば。

喫茶店に入り席に座ると面接が始まった。 まさかここで始まるとは思っておらず、道端で目が合うと勝負を仕掛けてくる、育成ゲームのような戸惑いがあった。

担当者、兼、面接官であった男性に、若く歳を見るという、媚びでの実績が功を奏し合格した。本社は東京にあり、野生の面接会場には戸惑ったが、人手不足という理由での合格だった。

絶対に聞き逃してはならない仕事内容は、 スポーツバーでの清掃である。

担当エリアを、ひとりで、ひとりで、回って清掃していく。

僕の担当エリアは八王子、町田、相模大野だ。清掃道具は店舗に置いてあるので、テーブルを拭くタオルを持ち歩くだけでいい。

午前七時半から十三時半。時給九百円。月、火、木、金、土の五日。アルバイトではなくパートになるらしい。その違いはよく知らないのでどちらでもよかった。

明後日の木曜日から、ということで面接は終わり。現場担当者はバングラデシュ人の男性と合流することになった。

手を付けなかったコーヒーを飲み干して、喫茶店を出た。

面接官と別れ、横浜線に乗って、橋本駅へ戻った。人のいない出入口を探し、窓の外を眺めながら進んでいく。

また社会と交わる日が始まる。

今度は誰もいないひとりだ。恐怖にも、宗教に支配されない、完全自己責任。

嬉しくて。嬉しすぎて。早くしたかったガッツポーズの分だけ、手すりを強く握りしめると、冷えたお腹がうずきだした。

  な

やはり風邪を引いた。頭がはち切れそうに痛く体が重い。

戸棚の救急箱から薬を取り出して飲んだ。

昨日は結局大丈夫だろうと思って、飲んでいない。まだ自分の弱さを知らないみたいだ。

明後日からで良かった。まだ休みの今日を明日からの英気を養う日、として使うことができた。何度も服用している内に、薬を飲んだという安心により、体調がよくなる気がして。特別体調を崩していなくても、合法的に飲む日もある。

本当に用がなければ家からはでない。用というのはランクの高さで判別している。

昨日みたく面接や、仕事のSクラスに分類される事は必ず行く。誘いを断れないのも、この部類に入ってしまう。

それ以外は出ない。ふらっと散歩にもいかない、ウインドウショッピングもしない。歯医者、病院は予約ができない。行くことに緊張して行かない。髪切りたいと思って、気付けば三か月以上過ぎ、嫌すぎて自分で切るようになった。

休みだからと言って代わり映えもなく。パソコンの画面には、ゲーム実況をしているどこかの誰かを見て、一日が終わる。

  な

五時半に設定をしたアラームが鳴った。寝むれたような、寝むれなかったような、狭間にいる気分。七時集合である八王子駅に向けて体を起こした。

リビングへ行き紅茶を飲んだ。面接で奢ってもらったコーヒーは、実際好きではない。

満タンのグラスに失礼を感じ飲み干した。

一杯百円のコーヒーと、一杯千円の紅茶、があったとしても、迷わず紅茶を選ぶ。

癖なのか、子供の頃から架空の人物と話し始めてしまうことがある。

現在絶賛籠り中であるトイレや、お風呂などの、隔離された状況で始まる。ひとりごと、考え事でもなく、対話、であり。

僕が紅茶派に流れれば、コーヒー派も現れ、お互いに意見をぶつけ合い、相手の話に相槌をうったりもする。

一通りお互いの良さを話し合い、トイレからでた。歯を磨いている途中から、また腹痛が押し寄せる。

六時半、出発予定から五分拝借し慌てて家をでた。六時四十八分か、六時五十二分、の電車に乗れれば間に合う。後は信号への捕まり方次第による。

自転車を駐輪場にとめ、スマホで時刻を確認し走った。六時四十八分の電車に乗れた。八王子駅に向けて走り出す。

電車通学はしていたが、電車通勤は初めてで。スーツ姿の大人達に囲まれ、スポーツウェアの僕は、大変子供染みて見える。無論出入口の手すりに捕まり外を眺めた。

相原駅を通り過ぎると、トンネルに入り、 街の景色から突如、亡霊のような自分の顔と目が合い。恥ずかしくて抜けるまで目を瞑った。

八王子駅に到着し改札を抜け、駅ナカのコンビニの前で待った。

バングラデシュ人とだけ伝えられてはいるが、その様な人はいない。教えられた番号に掛けるも出ない。また間違えたのかと疑心暗鬼の中で、折り返しの電話が鳴った。

片言の日本語が雑踏に紛れ聞こえない。

僕はコンビニの前です、だけ、必死に連呼し、ワカリマシタという声と共に電話が切れた。

そこから五分、十分、と現れず。他にもコンビニがあるかと思い、探ってみたがこの場所にしかなかった。

八王子駅集合からが、そもそも聞き間違えていたのだろうかと、首を覚悟していた時。 

僕だけにわかる、バングラデシュ人が近づいてきた。電話をしていた頃はまだ、電車の中だったらしい。

ひとまず合流を迎えて、最初の現場へと歩き出した。

スポーツバーもそうだが、八王子も初めてで、雪が降ると八王子駅で中継をしているのを、見たことがあるくらい。聖地はどの辺だろうと首を回して探した。

パチンコ屋、蕎麦屋、を通り過ぎ、大きなディスカウントストアを目印に突き進むと、 左手に地下へと繋がるバーがあり。僕には無縁だと思っていた、イケてる人種の巣窟に、 足を踏み入れることになった。

開店前なので、お客さんもお店の方もいないのだが。おとぎ話の世界にたじろぎ、バングラさんの後を付いて階段を下り、鍵を開け金の手すりを押して中に入った。

まさにバー。スポーツバーだ。

天井から吊るされたテレビに、大きい樽のテーブル。棚の上には何十種類の銘柄に、グラスがコウモリのようにぶら下がっていて、 人間ピラミッドの頂点達が夜な夜な群れを成すのだろう。

僕は空間に飲み込まれてしまい、出したペンとメモが震えていた。慣れた様子のバングラさんは歩き出し、路地の奥に佇む扉を開け トイレ掃除から研修は始まった。

一連の作業さえ覚えてしまえば、どの店も同じような作りなので心配は要らない。というアドバイスも片隅にメモをしていった。

トイレから始まり、店内に掃除機を掛け、 モップで拭き、テーブルや手すりを拭く。再びトイレに戻り、店内作業の間に乾かなかった水滴を拭く。

この流れは八王子も、町田も、相模大野も一緒。今までと違うのはひとりになれること。

やっと巡り合えた天職だと思った。

八王子のお店を出て、横浜線で町田に向かう。誰かと一緒なら座れる、座席にふたりで並ぶ。

バングラさんが、鞄から取り出したメモ帳を覗き見すると、綺麗な字で日本語がびっしりと詰められていた。

勉強とかけ離れた生活を送っている僕は、何て惨めだろうと思った。異国の地で別の言語を使い生活し、人に指導できる位にいる。 とても頭が上がらない。

バングラさんは僕に向けて、ノートを指差し、言葉として合っているかどうか聞いた。

日本人どころか、人間ですらない僕が偉そうに物事を正せる立場にはいない。話すことすら困難な僕に、聞いてはいけないと伝えたい。

指の先には、バングラデシュから来ました。の後に名前があり、何やら自己紹介のようなものだった。そのバングラデシュが、日本語だと何て言うか聞かれ。パニックに陥った僕は慌てふためきながら、バングラディッシュと答えた。

バングラさんは流暢に、ありがとうございます。と言いながら、バングラディッシュと書き直した。

不安になった僕はスマホで調べると、バングラデシュは、バングラデシュ。そのままだった。

日本人だから。という驕り高ぶった感情が、まだどこかにあったのかもしれない。何度も書き直させてしまったあげく、綺麗なノートに泥を塗ってしまった。

調べたことで出た、バングラデシュの国旗は。緑の背景の真ん中に、大きな赤い丸がある、日本の日の丸国旗と酷似していて。見えない何かで通じ合っている気がした。

  な

一ヶ月が経つと研修は外れた。バングラさんは別れの挨拶に、どんな仕事でも上や下は関係ないと言って去っていった。

他の国から見た日本人は、こんな風に映っているのだろう。バングラさんだからこその重い言葉に胸を打たれた。

バングラさんは、僕がノートにメモしていた事を褒めてくれた。些細なことだったが、 言葉として伝えられるバングラさんの方が、もっとすごいと思った。

全店舗の鍵を受け取り、無くさないように鞄にしまった。明日からは、ひとり作業だ。 誰もいない、誰にも何も言われない、楽だ。 心がとても軽い。

  な

七時半からと記載されていたが、少し早めに行く分には構わないと言われていたので、 七時頃に店舗に行くようにした。

研修中同様の、朝の流れから、電車に乗り八王子駅へ向かう。

もうバングラさんは待っていない。改札を抜けると、待ち合わせていたコンビニを颯爽と通り過ぎて、スポーツバーに向かう。

僕の人生にはない異様な日々だ。目印のディスカウントショップまで突き進み、左手にスポーツバーが現れる。階段を恐る恐る下り、 鍵を開けて金の手すりを押す。

静まり返る店内。僕が今この場所で素っ裸になっても誰も見ていない。

内側から鍵をしめ、リュックを大きな樽の上に置くか否や走り出した。誰もいない店内中を走り回った。フローリングに響く靴の音で、タップダンスを踊った。

欠如した人間としての本性を現すように、 始まったばかりの朝を踊り始める。股間を刺激して、ワインボトルかの如く立たせ、溢れ出るドーパミンの汁を床に零しながら、トイレに向かった。

洗面所下の棚からホースを取り出して、蛇口に繋ぎ水を出した。床や、便器を、思う存分濡らして、スポンジで洗い、ブラシで床を磨く。

昨日のバラエティ番組の感想を、ふたりで喋りながら作業を続けた。

あそこが面白かった。どんな感じだったっけ?こういう流れからこうなって、軸になっていたフレーズで締める。あれか、寝る前も笑って眠れなかったよな。

ふと我に返ると、作業終盤まできていた。

雑談をする脳内のコックピットと、自動操縦で動く体とで、バランスが保たれていたみたいだ。

一通り目視と、指差し確認をして、鍵を閉め。次の店舗へ向かう。

階段を上る途中で、股間に忍び込ませたワインボトルに気付き、慌てて草原に佇む牛を想像して落ち着かせた。

八王子駅へ戻る途中で確信に変わった。向いている。この仕事絶対僕に向いている。一日中お喋りをしながら出来るなんて、申し訳ない。

始発の横浜線で、目立つ空席の中でも、手すりに捕まり外を眺める。トンネルで映る亡霊は、抜いた後の顔にそっくりだった。

町田、相模大野も、知らぬ間に終わり、ひとりでの初日作業は、無事昼過ぎに幕を閉じた。余った時間を寄り道に使うことなく、早く家に帰るために真っ直ぐと歩いた。

午後も至って代わり映えもなく、ネットサーフィンをする中で、今度はYouTubeと出会った。 ずっと前からあったような気がしていて、音楽のPVを見たような、見ていないような記憶しかない。

知らない誰かがカメラに向かって、大量に買った玩具菓子を開封していて。知らない誰かが自転車で川に突っ込み、知らない誰かが炭酸飲料にソフトキャンディを入れて泡を吹かせる。

素人が繰り出す、バラエティ番組紛いの映像が溢れている。テレビ局みたいな言い回しで、○○チャンネルや、○○TVと言った名前が連なり。なめんなよ、という気持ちに釣られてしっかりと反吐がでた。

バカにしようとして何個か見ている内に、生放送とは違う高ぶりを感じる。用意周到な映像で人を楽しませたい、という部分では遥かに上回る気がした。

日が暮れて僕は何時間も夢中で見ていた。 学生の頃に、バカカッコイイ映像を、携帯で撮って遊んでいた放課後を思い出した。

  な

朝七時に八王子の店舗に着いて、樽の上に荷物置いた。

初日は随分と乱れてしまったが、順序よくトイレに向かう。僕は空いた午後にYouTubeが見たくて、早く家に帰ろうと頑張り始めた。

昨日見つけたのは、アカペラ番組に出ていたビートボックスがすごい人物だ。どこかで見た事あるなあ、と考えていたらそれだった。 

僕は口を尖らせ真似してビービー鳴くと、 唾が洗面台に降りかかり、余計な仕事を増やした。

口笛を吹くように、意識が飛んでいる隙にビービー鳴らすようになった。

これも思い出したのだが、小学生の頃にブームを巻き起こしていた、アカペラ番組に出ようと言いだして。休み時間に友達と練習していたことがある。

僕はこの時、見惚れしまったボイスパーカッションを選んで、下手くそに口を鳴らしていた。結局出場することはなかったが、毎日毎日練習は欠かさなかった。

八王子から、町田の店舗へ移動し、鍵を開け、荷物を樽の上に置いてトイレに向かった。

女子トイレのサニタリーボックスを開けると、使用済みの黒タイツが捨ててあり、僕は見てはいけない様な気がして蓋を閉じた。

スポーツウェアの皺は伸びきって、ワインボトルが窮屈そうにしている。

もう一度蓋を開け、黒タイツを手に取り匂いを嗅いだ。甘い香りがして、我慢できなくなって、ワインボトルを取り出して、コルクを絞りあげた。

液体を中心として畳んでいき、店内のゴミ箱へ捨て、汚く口を鳴らした。

 ら

ネット界隈では、YouTuberという言葉を耳にするようになった。動画を投稿することで生活しているらしい。仕組みはよくわからないが、そんな人達を括ってバカにする声も上がり始めた。

僕は何も捻りがない、ダサすぎるネーミングセンスに対しては加担した。ただ、ふざける毎日が生活を成り立たせる。という面に対しては心底羨ましいと思った。

仕事中も、休日も、就寝前も、頭の中に映像が流れていて。ネタ帳作ってアイデアを書き留め始める自分がいて、ひとり、じゃなかったらと都合よく振る舞う自分がいたりしていたら、年が明けた。

あれほど揶揄されていた、ユーチューバーも、世間に浸透し始めて来ていた。

それでもネット絡みの事件が起こるたび、近所の厄介者を見るような目で、ユーチューバーという、聞き馴染みのない液体を混ぜて、報道にしてしまう部分もあった。

就職もせず、バイトでもなく、パートで働く息子がYouTuberになる。と言いだした時の親の顔を想像しただけで身震いがした。

それでも憧れだったあの人はこの中にいて、 ふざけることへの未練がある事を思い出させてくれた場所がここにはあって。

僕は、有名になったら後で親に言おうと決めて、タブレット端末を買いにいった。

撮影、編集、投稿が、一台で出来るのと、欲しくて買う理由を探していた、というのもある。

午前の仕事中。体は自動操縦で動かし、頭ではネタ作りに励み。アイデアが浮かべば停止して、ポケットに忍び込ませたノートに書き留めて、また動き出す。

颯爽と家に帰り。

午後は動画撮影を始めた。まだ箱に入ったままの、タブレットの封を開け、設定をして、 カメラのアプリを開き、内側に自分の顔が映ると、真っ赤な顔をして覗き込む変質者がいた。

瞬時に電源を落とし、脇の濡れた服を着替えた。

静電気が起きたように、指先を触るか、触らないかの度量で、ロック画面を解除すると、 今度はお天気コーナーの背後で見るおとぼけ顔したやつが現れる。

まだ一つも撮影を始めていないのに、体力はかなり消耗していた。

自分の顔を見ながら撮る。という秩序な行為がとても恥ずかしい。自撮り写真がないのも、プリクラがないのも、今日の日に繋がった。

見るのと、やるのとでは、大幅に違うことをまだ始める前に学ぶ。

汗だくになりながら一度撮ってみようと、赤い丸の録画ボタンを押す。ポンッ、の音と共に秒数がカウントを始める。

自分と目が合わないように数字だけを見つめて一分が経ち、録画を止めた。

ネタ帳は埋まっていくのに、それを声として形にしようとすると、言語が無くなったかのように外へ出ない。

こんにちはと復唱して録画ボタンを押す。こんにちはベルトコンベアの流れで挨拶ができて終わった。

ネタ帳を破り捨て、丸めてゴミ箱に投げると、ふちに当たり床に転がった。

  ら

これまでの時間はいったい何だったのだろうか。ただ欲しい物を買った人。という腐る程の烏合の衆である。

この間にも、毎日投稿を欠かすことない、YouTuber達は、動画クリエイターなどの呼び方に変化したりしていた。

○○チャンネルか、○○TVにするか悩む、 僕のチャンネルには未だ動画はあげられていない。

一日中考えるだけの日が続き、リビングに置いてあったトムとジェリーのぬいぐるみを見て閃く。

おばあちゃん家へ遊びに行ったとき、可愛くて貰って帰ってきたトムとジェリー。いつもいてくれたのに、日常へ変えてしまった僕に、ふたりはヒントを与えにきてくれた。

僕が最初に出した動画は、音のない世界で自分のリズム感を頼りに踊る。何ともシュールな映像だった。

喋れないなら、喋らなくても伝えられる、トムとジェリーの無声アニメからヒントを貰った。

水を得た魚のように動画を更新していき、 ボールの無い世界でリフティングしたり、空のペットボトル集めて利きジュースやったりして、動きと表情だけを使える方法を考えていった。

YouTubeに映る自分が世界中の人に知れ渡っている気がして、絶望していた人生に初めて、実感の湧く夢を持ち始める。

仕事へ行くときの風景が一変し、街行く人が皆、僕の動画を見ている、錯覚に陥った。 

いつも同じ時間の電車で同じ服装で歩いている内に、街のうわさ者に成り上がり、声を掛けられた時のサインも考えなければと、悶々としていた。

電車内で目が合ったお姉さんに、昨日の動画見てくれました?と脳内に直接語り掛けるも、朝方のカラスを見るような目をして、車両を変えていった。

再生回数二十四。

  ら

毎日動画更新を掲げていても、三か月もすればアイデアは尽きて、穴を空けるようになっていた。

投稿しない日々が続くと、明日にしよう、明日でいいや、が重なり、更新は自ずと止まる。仕事は順調で、誰にも会わない気楽さは続いていた。

売れない若手芸人のような、生活も終わらせてしまい、午後は誰かの動画を見て埋めていた。

YouTuberの認知度は加速していき、今度はテレビ側の人間が怪訝そうな顔をし始め、テレビ離れの憶測をYouTuber側に押し付けたりしていた。

どうにかして戻りたかった僕は、バカをして遊んでいた、高校の友達を誘うことにした。

大和駅から徒歩二十分程の、地元ではない高校だった為。卒業してから何度か遊んだ程度で、しっかりと社会に適合していく友達を誘えなくなっていた。

本来の企みは隠して、久しぶりに飲もうと連絡をすると、感情の無いオッケーが返ってきて、横浜十八時集合で居酒屋に行くことになった。

横浜駅到着前に、喫煙所にいるという連絡を貰うも、面接振りの横浜駅から喫煙所の場所を探すことなど出来るはずもなく。

田舎者の僕と、都会っ子の友達との格差は、こんな場面でも生まれた。

仕方なく電話を掛け道順を教えて貰うも、 進めば、進む程、現在地がわからなくなり。友達はクサいドラマのような、今行くそこを動くな、とだけ言い残し呆然と電話が切れた。

僕は柱に寄りかかって友達を待った。

来るまでの間も誘う口実を考えて、シミュレーションしていた。どこかの話の流れに沿って趣味の話に持ち込み、誘い出すのが堅実な作戦だろうと、耽ると、見覚えのある顔がやってきて。

同級生も大人びて見えてしまった僕は、どれだけ餓鬼臭いのだろうと胸が痛んだ。

集まったのは僕を含め三人。久しぶりに会ってもノリは当時と変わらず、こいつらとなら毎日出来そうな気がして、誘い出すなら今日しかないと僕は覚悟を決めていた。

繫華街の方へ歩を進め、橋を渡り、ゲームセンター、カラオケ屋を通り過ぎて、居酒屋に入った。

宗教に誘われた時の系列店ではあったが、僕が勧誘を進めるのは現実的な夢の話である。

席に着きメニュー表を広げた。

類は友を呼ぶもので、決断力の無さがこの三人を引き寄せた要因なのかもしれない。誰も決めきれないまま、とりあえず飲み物だけ頼んで近況報告をしあった。

ひとりは工場勤務。ひとりは介護福祉士。 ひとりは清掃パート職人。

僕は勿論パート職人は伏せた。卒業して今日を迎えた日まで二人は変わらずにいた。邪魔をする気はない、真っ当な人生をこのまま送ってほしい、ただ伝えてはおきたい。

YouTubeやろうって。

運ばれてきたグラスを持ち、互いに合わせることなく少しだけ高くあげた。

悩んだ末に、切り落としステーキと、寿司を勝手に注文し、後は好きなタイミングで頼むようにした。

もう一つ近況報告しておくとすれば、昼も夜も含めハマっている、女優情報を交換することだ。

僕たちの中で昼はドラマの女優を指し、夜はセクシー女優を指す。後はそれぞれを家に持って帰り、経験人数に入れるだけの簡単なお仕事である。

変わりゆく女優遍歴により時代の流れを真摯に感じる。話題の枠は高校生の頃から変わらず、それが楽しい。

バカ話が続く中で、味がない焼き鳥が運ばれてきた。濃厚なタレと一緒に取り皿へ運び口に頬張ると、鼻を抜ける香ばしい匂いに食らい、追加で何本か頼んだ。

皆が焼き鳥に夢中になっていると、介護の友達が、ギター始めようとしているとか言い出す。

僕は相槌を打ちながら焦っていた。

ギターも素晴らしいが、こちらはもっと素晴らしい事を用意している。始めるなよ。まだ始めるなよ。絶対に始めるなよ。どうせ何かを始めるなら、みんなでちょっと良いことしようよ。

僕はギターへ意識が向かない内に、YouTubeの勧誘を始めた。

暇で持て余す休日に、薬を軽く投与するだけ。大丈夫、何も心配はいらない。副作用としては、職場の人間にバレないように振舞うことだけ。

僕の言葉足らずな説得にも、工場の友達はあっさりと承諾してくれた。介護の友達は、

虫を食べなければいけないなどの、マイナスイメージが取り付いていて中々折れてはくれない。

僕はこのチャンスを逃すまいと、とりあえずやってみることを促し、その日にそのまま僕の家で撮影する運びになった。

すぐさま席を立ち、今日の分を奢るお金はないので、少しだけ多めに払った。

居酒屋を後にしても、介護の友達は文句垂れていたが、工場の友達は何も言わず黙って付いて来るだけだった。

  ら

横浜駅から橋本駅へ戻る車内。企画を考えようとしたが、どれも二番煎じばかりでいい案はでない。

改めて僕たちの強みは何だろうかと考えると。バカ、どうでもいいこと、中身のない話、を時間も忘れて出来ることだった。

テーマだけ考えて後は何も決めず話始める。 これなら虫を食べなくていいし、大量にお金を使う必要はない。

三人初の動画投稿のテーマは、STAP細胞はあるのかないのかに決まった。

橋本駅を降りる頃には、深夜も相まって、 テンションがさらにおかしくなる。

改札を抜け、閉ざされたシャッター街を歩き階段を下りる。僕の家に近付くに連れて緊張が互いに確認できる。

僕は照れを隠すように駐輪場へ走り出し、 これからの日を想像して嬉しくなった。

  ら

音を立てないように、ゆっくりと玄関を開け、僕の部屋までを忍び足で歩いた。気を遣ってくれているのか、それとも三人揃って緊張しいなのか、口数が減っている。

後回しにするとやらなくなると思い、早速タブレットを三脚に取り付けて、カメラを自分達に向けた。

撮られている、よりも、撮りますと宣言されてからでは違う。意識がこれほど人を無口にさせる事を三人でもわかった。

真正面にカメラを置くことは止めて、視界の片隅まで移動させる。あくまでも僕たちは正面を向いて、撮られている感を演出させた。

録画ボタンを押し、集合写真のように定位置に戻った。

先程まで無口になってしまう三人だったが、 数時間前にいた居酒屋のように話し始めることができた。

STAP細胞はあるのか、ないのかを、僕たちなりの見解で話し合い。最終的には研究員は可愛いにまとまった。

勢いそのままに、駄菓子屋ベストアルバムや、給食セカンドシングルは何かを話し合う動画も撮影した。

緊張はしていたが手ごたえを感じることができ、時間を合わせて毎週やることになった。

窓に日が差し込み始め朝だと気付き、親が起き始める前に帰してあげようと、身支度を済ませ、駅まで送ってあげた。

死に損ないゴミ人間から、考えられないようなことが起こっている。あの僕が夢にしがみつこうと手をかけはじめている。

事故でも起こしてやろうと、朝日が悪戯に顔を照らし、振り払う腐敗臭が街に溶け込んでいった。

  ら

その週の土曜日に大和駅に集合した。通っていた高校が、丁度、皆の自宅から中心で最適だった。駅前に、やまと公園という、撮影するにはとっておきの公園もあった。

人目の付かない場所を探し、隅にある緑のベンチに腰掛け撮影の準備を始めた。

床に転がしたままだったネタ帳を広げ、ああだこうだ説明をした。工場の友達は理解力が早かったが、介護の友達はピンときていなかった。

カメラを回せばなんとかなる、と思い撮影を始めた。

僕がネタを考え、それを二人に説明する。ひとりは理解してくれて、ひとりは理解してくれない。僕ひとりでは出来なかった毎日動画投稿も一年が経った。

午前は仕事して、午後は編集作業。休日に集まり動画撮影。

上手く回り始めた生活に、YouTubeに掛ける思いも膨れ上がってくる。

僕の思いとは裏腹に、二人は中々準備を始めてくれなかったり、撮り終えるたび喫煙所まで行き、僕は公園でひとり、次のイメージを膨らませたりし始めた。

熱量のズレに違和感を抱き始めていたが、 僕から誘った手前、口にすることは出来なかった。

YouTuberは勢力を拡大していき、メイク、教育、炎上、お金持ち、仕舞いには芸能人が度々登場するようになった。

あれほど軽視していたテレビ側の人間に、知名度を利用されてはたまったものじゃない と、逆進出には呆れ返った。

撮影後は決まって、ファミレスに寄って終電前に帰る。

日を追うごとに険悪なムードになり。これからの方向性について話したい僕と、仕事の愚痴を言うだけの人と、何も言わず黙って聞いていると人とで別れ始めた。

職業柄介護の友達は、ファミレスから来たりして、撮影から集まれない日があった。

僕と、工場の友達とで、始めていく中である変化に気付いた。

三人でやっている時は、度々中断されてしまうことがある。だが二人の時は喫煙所にも行かなければ準備も早い。

意見は出してくれないが飲み込みが早い。 夕方まで掛けていた撮影も、昼過ぎには終わる。

居酒屋からそうだった、いや、高校時代、幼少期の頃から恐らくそうだったのだろう。

こいつはとてつもなく人に流されるタイプだ。

喫煙所に行く人がいるから、休憩している人がいるから、険悪なムードだから。そう言えば部活に入った理由も、誘われたからと聞いたことがある。

僕は確信に変えようと、介護の友達には黙ってお互いに行けない振りをして、裏で約束を取り付けた。後で動画を見た時、撮影日がバレないように、三人の日と、来られない日を混ぜてアップしていった。

間違いはなかった。

みなぎるような熱量は感じないが、とてつもなくスムーズに回り始める。僕は振り切って何度も二人だけで会うようにした。

そのタイミングで今度は、実家が無くなることになった。

  ら

東京にひとりで暮らしていた兄が帰ってきた。彼女を連れて、しかもプロポーズもして。

そこまでは僕としても喜ばしいことだったが、兄の目論見は二世帯住宅にしよう、という話をしに来たことだった。

両親は戸惑い、すぐに首を縦に振ることはなかったが。老後の事も考えると、息子夫婦が面倒を見てくれることは、非常にありがたいことだった。

ただそれ以上に戸惑ったのは僕だ。取り戻しつつあった人間の暮らしを、いとも簡単に踏みにじる魔王が帰還したのである。

またこれか。僕が夢を持ってしまったからか、忘れていた。ゴミだ、僕はゴミ人間だ。

二世帯住宅にしたら、僕はどこに行けばいいのだろうか。わかっていたはずだ。僕が付いて行くような性格ではないことに。

追い出された、この家を追い出されたと同じことだ。

急な事だったので、話はひとまず置いてあったが。明確なお金や、土地の話。楽しそうに間取りを決めていて、随分と蚊帳の外であった。

申し訳なそうに、二階に三畳の部屋を用意してくれたが、独房の方が幾分とマシな気がした。

僕は家族にも必要とされてない。社会にも必要とされていない。現在細い糸で縋るのは、清掃パートと、売れないYouTuber生活だけである。

突然言い渡されたのは、明るい家族の物語の方ではなく。強制的に実家を無くされたゴミクソ人間物語の方である。

半ば強引に選ばされた、ひとり暮らしの道を示唆していた。

両親は気遣って、一緒に来てもいい風な事を言い、僕が付いてこなかったとき用の言い逃れを使い先手を打ってきた。

僕は試しについて行くと言うと、二年まで居ていいという、何故か条件付きで。ひとり暮らしをすると言うと、やっていけるはずがないと脅された。

付いて行ってもダメ。ひとり暮らしもダメ。 これは死ねってことですか?

どちらにせよ、自分でも付いて行く考えはない。これは試練なのか、真面目に働かせるため?YouTuberになるため?

次の土曜日に合う時までに、答えを出しておいたほうがいい。

正社員目指そう。なれるわけない、だってゴミだぜ。社会に交われない。YouTuberを目指そう。夢や希望をもってはいけない。地獄に落とすための振り幅だろ。これでわかっただろ。他人や宗教や家族がお前を突き落としに手を差し伸べることに。

目が覚めると外はまだ暗く、数時間も経っていなかった。

頭から足先まで身震いして、全身汗だくになった服を着替えた。お漏らしをして以来だ。あれは何年前だ、死に損ないが図太く生きてしまっていたようだ。

濡れた服をその場に置いてまた寝た。久しぶりだ。胸が締め付けられる夜は。

  ら

生活はまた一変して、朝から家のことで頭がいっぱいになった。

朝食、トイレ、歯磨き、日常が蝕まれていく。鞄を背負い、自転車に跨るも。実家が無くなる現実に呆然と体が動いているだけだった。

赤信号に気付かず、自殺するように突っ込んでいくも。デリカシーのない運転手は、クラクションを鳴らして、ブレーキを踏むだけだった。

アスファルト、ガムの付いた階段、革靴、 スニーカー、黄色い点字ブロック、白線、銀の手すり、革靴、革靴、革靴、革靴、革靴、革靴、革靴、階段、金の手すり。

さびれた自動操縦機は、体の記憶を頼りにトイレに向かった。

女子トイレのサニタリーボックスから、タイツや、玩具が混入してあって、ネタ帳の切れ端を破り、忘れ物。と書いてテーブルの上に置いといた。

昼過ぎに終わっていた仕事も、今日は一時間押した。残っている編集作業もどうでもよくなって、町田から横浜線の改札を通らずに電気屋で時間を潰した。 

数分の距離にある風俗店がチラついて、家の中に侵食して来ようとした、が、この場所から消えてなくなったように、抜け殻の自分が外から見ていただけだった。

夕方頃に帰宅する。この家に帰ってくることがなくなる。玄関を開け、心配そうな顔をした母親と目が合った。もう母親でもないのかもしれない。

  ら

動画撮影の為大和駅に向かった。子供の頃に、行けば必ず集まる場所があったように、 自然と駅前ではなく、やまと公園で待つようになった。

まだ工場の友達はいない。介護の友達は運よくファミレスから来るみたいだ。

今日までの間。正直ネタは一本も考えていない。話してみよう。今日持ってこられたのは、非道な現実を話すことだけだ。

その先は考えていない、後はゴミを見て何て言うだろうか。

健康に悪そうな着色料全開のジュースを飲みながら、工場の友達は現れた。

僕の隣に腰掛け。放つ第一声は、ペットボトルの蓋無くした、だった。

あまりにも奇をてらう展開に僕は笑った。 財布や、携帯無くした、に比べればたいしたことないが。それら堂々の言い様に少しだけ現実が吹き飛んだ。

コントの世界に迷い込んだように、僕が次に放つのは実家無くなったである。

まだ動画も回ってないのに、互いの何無くした大喜利を繰り返した。僕は楽しくなって血迷った、完璧に血迷った。

互いに出なくなったラリーの途中で、僕は実家の話は本当であることを話した。まだ冗談だと思って、はぐらかれそうになったが、 本気でYouTubeする為に、一緒に暮らそうと提案した。

工場の友達はあっけなく首を縦に振った。 それこそ冗談だと思った僕は、もう一度話した。

それでも他人事のように、返事を返してくれた。優しすぎる奴だ、僕に誘われたから。

勢いあまって僕はYouTuberになる方を選び、 シェアハウスながら、ひとり暮らしの道も選んだ。

この後やってくる介護の友達にも、これまでの経緯と、チームから抜けて欲しいと頼まなくてはいけない。

撮影は中断して、ファミレスで待つことにした。引っ越し先や、仕事のこと、また考えなくてはいけない項目が増えた。

でも嬉しかった。

僕は何かを失うたびに引き上げられ、蹴落とされ、また引き上げられて、蹴落とされる。

これを繰り返し。常に、生と、死の、狭間を泳がされた人間はどうなる、という実験動物だろう。

今引き上げられたって事は、次、蹴落とされる。いつ、どこで、だれに、なにを、なにで。長い時間を掛けた分だけ、楽しむ人がまた現れる。

工場の友達はずっと仕事を辞めたいと思っていたらしい。そのタイミングでのことだったので、上手く噛み合ってくれた。後は介護の友達に、どう折り合いをつけるかだ。

気だるそうに、今にも、仕事の愚痴を話だしそうな輩がやってきた。

雰囲気づくりの根源は、こいつにあったようだ。

介護の友達は呼び鈴を押し、ビーフシチューオムライスと、ドリンクバーを頼んだ。

僕は相手の順番に回らない内に経緯を話し始めた。介護の友達はゆっくりと怒り沈み、抜けたくないと言いだした。

沈黙に合わせて運ばれてきた、ビーフシチューオムライスを、感情を表すようお皿に強く当てながら食べている。

擦れる音だけが店内に響き、食べ終えるまでを制限時間のように感じた。

折れてくれる以外の方法がなく、仮に三人で住むことになれば、工場の友達はそちらに釣られてしまう。

僕は黙ることしか出来ない。ということは先程から黙ったままである。

僕は仕方なく切り札のように本気でYouTuberになりたいかどうかを聞いた。

介護の友達は、そのつもりは無いが撮影には混ざりたいと言う。僕は正直に、喫煙所に行くことや、度々中断してしまっていた現状を話した。

それは関係のない事。といった様子だったが、士気が下がることの懸念も正直に話した。

沈黙が再び流れ、煙を吐くように大きくため息をつき、最後は途中で辞めるなよと言って、チームを離れて行った。

  ら

工場の友達はすぐさま、退職願いを届けに行ったらしいが、四月入社予定の新入社員が続きそうなら辞めてもいい、と言われ追い返されたらしい。

僕の方は順当に退社する事になり、天職を手放してまで、YouTubeに賭ける思いは膨れ上がった。

工場の退社待ちまでの間。勤務地から遠ざけてしまうと悪いと思い、川崎駅周辺で通える範囲の場所を探した。

強制的ひとり暮らし。親の脛をかじりつくし、骨で出汁を取って飲み干してやろう、という企みは消え。自立するタイミングがやってきただけだ、と鼓舞して自分を保つことで家族に対する恨みを薄めた。

両親にもひとり暮らしを選択したことを伝えた。これ以上ない覚悟に対し、論点をすり替える女の意地汚さのように反感をくらう。

僕は精一杯の大声を出して、遮断させた。リビングに鍋がグツグツと煮える。

僕は母親譲りの性格なのでわかっていた。 心配性なだけである。ゴミが風に揺られても大空には飛び立てないことに。

  ら

十二月三十一日。僕はこの家を出た。最後に人の家を背景にして写真を撮った。

口元に、喧嘩のようなケチャップの跡まで捉える、スマホをポケットにしまう。

背負う鞄には撮影機材を入れ、山のようなダンボールは後で送って貰うことにした。

父親は社会と交わりに、母親は免許がなく、一緒に駅まで歩くことになった。

地方から東京行きの新幹線に乗るわけでもないのに。横浜線と、京浜東北線か、東海道線を、乗り継ぐだけなのに。ゴミクソ人間にも寂しいという感情が備わっていた。

母親は別れを誤魔化すように、お気楽にもまだケチャップで笑っていて。

苦笑いの僕は、もっと、どうでもいいことをいっぱい、はなしておけばよかった、とおもった。

目に涙が浮かびそうになると、乾燥する冬の特性を生かし、痒みで目をこする。

母親は何も入らないようなサイズの鞄から、 新品の目薬を取り出し、僕にくれた。

怪我をすれば絆創膏が出てくるし、鼻をすすればティッシュが出てくる、濡れた手にはハンドタオルが出てきて、喉が渇けば水筒が出てくる。

誰かの事を思う不思議な鞄には、愛情がたっぷり入っていた。

僕はそんなこともしらず、当たり前に過ごしていた日々を、今日になって知ることになる。

母親はずっと溜め込んでいた、どうでもいい話をまた喋り始め、僕は多めに目薬をさして、真剣に相槌を打つ。

長くて、短い。橋本駅までの終わりが近づく。古本屋を通り過ぎて、改札に向かう階段が現れる。

じゃあね。

僕は階段を上る振りをして母の背中を見守った。家路を歩く母が、炊飯器を処分したかどうか、僕は知らない。

 一

新居である川崎駅に到着した。川崎に抱くイメージとしては、荒れ果てた土地に不良が盛り沢山の世紀末型都市だと、田舎者の僕はビビリ倒していた。

現実は勿論そんなはずもなく、数多あるショッピングモールのおかげで、ファミリー層が多い印象である。路地裏の踏み込んではいけないエリアがあるそうなのだが、行く気はさらさらない。

まだ昼時の大晦日なだけあって人は少ない。訪れる度、祭りでもやっているかのような大混雑であり、何食わぬ顔で待ち合わせをする人達を見て、日常の出来事であることが伺える。

駅前を探索してみたが、橋本駅の何倍もある広さで、ベタにテーマパークと重なり、未開拓地がまだまだ多い。

工場の友達は先に新居で一杯ひっかけているらしく。お酒が飲めない僕でも、今日くらいは重なり過ぎる門出を祝う衝動に駆られ、 コンビニで桃のチューハイを買って向かった。

過去の僕は死んだ。暗黒の部屋は無くなった。お漏らしをした実家はなくなった。二世帯住宅の実家紛いはどこかに建つ。

帰る場所はなくなった、でもひとりじゃない。今日からはひとりじゃない。相方と一緒にYouTuberになる為の道を歩む。

新居の扉を開け中に入った。先客の汚れた靴に並び、互いの踵を踏みつけ逆ハの字に靴を脱ぐ。廊下と呼べる程もないキッチンの横を滑るように通り過ぎる。視界には飲んだくれの相方が壁をつまみに酒を飲む。

テレビのない部屋で何時間もこうしていたかと思うと、面白い、を通り過ぎてちょっと引いた。まだ声を掛けずにじっと見つめ続けたが、沈黙に耐えられず吹いてしまった。

改めて挨拶を交わす事もなく。僕は手品師の鳩マジックのように、袋からチューハイを取り出すも、今年の最後に二度すべってしまう。

飲みかけの缶ビールと、開けたばかりのチューハイを少しだけ高く上げ、一口啜った。

アルコールの強い人間は啖呵を切ったように、ただのジュースだと馬鹿の一つ覚えのように言う。僕の体にはやはり合わなくて、買っておいた紅茶を飲むと、抜いた直後の高揚感があり、あるとするならば紅茶依存症で間違いない。

夜には介護の友達が新居にやってくる。特別気まずさがあるわけではない。高校の友人として一緒に新年を迎える為、本日ゴミはしっかりと分別して収集日に必ず捨てる。

  一

年が明けた。今年初めてジャンプした人になりたかったが、近所迷惑なので辞めた。

僕たちは、指先を掌に当てる貴族のような拍手で新年を迎えた。

電気ケトルに水を入れスイッチを押す。カップ麺の天ぷらそばを用意し蓋を開ける。お湯になるまで、トランプゲームの大富豪を始めた。

高校に通っていたのは大富豪をする為と言っても過言ではない、ドハマリゲームである。

静まり返っていた電気ケトルも徐々に加速していき、注ぎ口から漏れ出す湯気が天井に向かって消えていく。

お湯を知らせるサインでゲームを中断し、 カップ麺に注いでいった。

一つずつ順番に注いでいると、どう考えても量が足りないことに気付く。三つ目のカップ面に到達する頃には、お茶漬け程度。茶碗一杯分しか残っておらず。微々たる量をかけ回し、大富豪に負けた人がこれを食べる事になり、蓋を閉じた。

楽しくやっていたゲーム中盤から、カマをかけ合うペテン師の顔つきに変わる。強いカードを持っている風に装い、中二病全開の負けたかと思わせる演出をこなしながら、大貧民、つまりは最下位になったのはこの僕だ。

漆黒の闇に聳え立つ超生ソバを、ガリガリとすする元旦となった。

初詣に川崎大師にでも行こうと思っていたが、あの頃のようにオールする体力は乏しく寝てしまう。介護の友達は確か、仕事があるとかなんとか言って、薄れゆく意識の中で消えていった。

  一

目が覚めると外はまだ明るかった。何時かわからず、時計もない部屋で頼りになるのはスマホだけなのだが。各種のリモコンと、スマホは、間違いなく神隠しにあってきた。

後で探すことにして、シャワー室に向かい体を洗い流す。本当は湯船に浸かりたいが、 ユニットバスではないだけ僕はありがたいと思う。汚いものを流すという意味では両方同じかもしれないが、風呂とトイレを一緒にする発想は未だに考えられない。

先程から感じている腰の痛みは、フローリングに直寝したせいだろう。ソファにした、マットレスを広げ忘れたせいでこんな目に。

シャワー室を出て、腰にバスタオルを巻いたままスマホを探しにいった。まだ寝ているソファからはみ出す相方も、この後地獄を見るだろう。

少しだけ蹴り飛ばしながら、狭い部屋の中を隈なく探した。

事故物件とは聞かされていなかったが、嫌な雰囲気は的中した。妖怪スマホ隠しがいる。 僕を阻む者は妖怪だったか、これは予想できない。

結果的にソファの背もたれに挟まっていたので、戯言は聞かなかったことにして欲しい十二時四十六分である。

予備の服に着替え、大量に送られてくるダンボールの行方を捜すのであった。

鞄からネタ帳を取り出し、起きてくるまでの間、何個か考えることにした。新年一発目、 新コンビとして一発目に相応しいネタ。新年早々寝正月の人間。

ネタ帳の一行目に、ヤラセ寝起きドッキリと書いた。

芸能界ファミリーポーカーや、モノマネされていない側の本人登場メドレーなど、誰かの需要にはなるはずのネタを考えていった。

相方がじっとりと目を覚ますと、僕はすかさずカメラを回し始めた。

起きたことを確認すると、ヤラセ寝起きドッキリやるから、とだけ言い残し。僕は玄関まで戻り、囁く声でおはようございますと言い間を繋ぎ始める。

カメラはゆっくりと部屋の中に入っていき、 散乱したゴミの束を映し出す。相方の寝姿が目に入り、笑い声が少し漏れてしまう。

顔は映さぬよう部屋全体を撮り終え、待望のヤラセ寝起きドッキリを仕掛ける。

売れっ子アイドルかの如く、足元から妖艶を演出する。大量のすね毛を通り過ぎ、ささやかながら腹毛を調達した。うめき声はきっと嫌な夢でも見ているのだろう。

相方は咄嗟に、下腹部と背中の両方に手を当て痛みに耐える。僕は大きく口をあけ笑いをこらえる。震える手を必死に抑え、顔にカメラを向けた。

首から上をキャリーケースの中に突っ込んで寝る。という完全ヤラセ寝起きドッキリである。

上段部を右に持ち上げると、王子様のキスで何百年の眠りから覚めるタイプのお姫様顔が眠る。

相方は異変に気付き、眠りから目を覚ます。 僕は囁く声で、おはようございますと繰り返す。相方は現実に落胆して頭を抱えている。

僕がどうしたんですか?と聞くと、人差し指を交差しバツ印を作りながら。機内持ち込めない?機内持ち込めない?機内持ち込めない?をひたすら押し通して来るのであった。

 一

相方の仕事始めまでの三が日、ひたすらネタを作った。登録者と再生回数に伸び悩んでいるが、僕たち自身がやっていて楽しいと思うことが、まずは大事である。

漠然としていたYouTuberという存在が目に見えてきた。

夜勤に出掛けていく相方を見送り、初めてこの生活の中でひとりになった。あれだけ騒がしかった部屋が閑散としている。

マットレスに寝転びながら、あの部屋の事を思い出す。

また道が変わった。

もうやめてくれ、もうこれ以上何も起きないでくれ。売れなくてもいい。貧乏でもいい。

この時間を長く、長く、続けさせて貰えるだけで十分です。これしかない。もう何も奪わないでください。

朝と昼と夜を繰り返す。朝と昼と夜を繰り返す。朝と昼と夜を繰り返す。

こうして相方はいなくなった。

  一

退職するまでの間、職場に通える距離に住んだ。

工場の友達は、元々実家から職場まで同僚の車に乗せて貰い通勤していた。多少距離は遠くなってしまったが、それでも一時間あれば通える程度。

さすがに平日は疲れて、面倒くさいだろうから連絡はしなかった。休日に撮りためて、毎日に分けていけば問題はなかった。

部屋の中でひとり、ネタ帳を見つめる僕は帰りを待った。

土曜日が終わり。タイムリミットの日曜日が終わる。休日出勤の可能性もあったので、メッセージアプリで連絡をした。寝る前、既読になっているか確認した。

玄関が何回も揺れて、鍵の差込口に戸惑っていると思い、カメラを持って走った。顔の高さに構えてしばらく待った。右目を閉じて願うようにのぞき穴を見た。僕は最後の力を振り絞りマットレスに倒れる。

なんでこうなるのだろう、と虚無を見続けるしかなかった。

別れを告げられた側のみみっちい発想で、ゲームアプリを起動した。ロード画面があまりにも長く遠く感じる。

キャラクターの並ぶホーム画面から、フレンド一覧に切り替えた。工場の友達のログイン時間を調べ、最終プレイ六時間前。となっていたので未読無視が確定する。

風の強い一日だった。

  一

再生回数七のヤラセ寝起きドッキリを見終え、動画を全て消し去った。

生きる意味を見失った。誰も何も信じられなくなった。もし二人とも仕事を辞めていたら、もう少し彼の性格を理解していたら。

山積みのダンボールが部屋を埋め尽くす。 服と思い出の品がどれかに入っている。適当にひとつ開けてみると、つぶらな瞳のトムとジェリーと目が合い、二匹を抱きかかえテーブルの上に置いた。

三脚に取り付けたカメラを見下ろす様に固定し、二匹と手だけが映るようにして人形劇を始めた。追いかけ回したり、キスさせたり、 宙に飛ばしてダンボールに突っ込んで、探さなくなって、うなだれて腐敗した。

  一

ただいつまでも、腐っている訳にはいかなかった。

帰る場所もなくなった今、裏切りの新居で暮らしていかなければならない。ただ性にしがみつく為だけに、バイトを探さなくてはならない。前回の様な天職はもう見つからないだろう。

ネット求人で、清掃一人、と検索した。

ヒットしたのは、ディスカウントストアの店内清掃だった。お前に授けた命はこれにだけ使っていろ、と提示された気がして腑に落ちなかった。

後何回やり直させる気だ。クソが。

勤務時間から給与を計算してみても、生活出来る金額ではない。掲載終了まで後三日。

人生の椅子取りゲームに焦って応募してしまった。また何か見つかるまでの繋ぎとして考え、連絡を待つことにした。

今頃、工場の友達は悠々自適に暮らしている。裏切ったという自覚もなく、ご飯が用意され、風呂が沸いている家でスマホゲームをしている。ログイン時間は、日々更新されるが既読にはならない。

辞めたがっていた割には、随分と長く働いている。夢を追いかけるよりも実家の快適さを選んだらしい。予想にしか過ぎないが、それ以外の理由が見当たらない。

クソ。クソ。クソ。クソ。クソ。クソ。

着信履歴に見覚えのない番号ということはあれしかない。折り返し電話を掛け、面接の日程を組んでくれた。南武線、武蔵溝ノ口駅に十一時。

受かっても、受からなくてもいい。書き慣れた履歴書を鞄に仕舞い、ダンボールの隙間をくぐり抜け、忘れぬよう玄関に置いた。

眠れても、眠れなくてもいい。九時にアラームをセットし横になった。

ずっと目を開けていたような感覚で、鳴り響くアラームを聞いていた。トイレに行き、いつ食べたかもわからないトウモロコシを見ながら水を流した。

手を洗い。歯を磨き。鞄を背負い。家を出た。

何年経っても昼間の気温に服装を合わせることが出来ず。川崎駅に着く頃には、動いた分の汗がシャツに染みる。それに加え、熱風の車内でまた汗をかき、武蔵溝ノ口駅に降りると体が冷えた。

着信履歴から電話を掛けると、喫茶店まで来て欲しいと言われ。まさかと思うまさかの野生面接会場で、担当者の社長自らが面接官となる展開に見覚えがあった。

飲まないアイスコーヒーを奢って貰い、面接が始まった。

話が進んで行くと、ディスカウントストアよりも、郵便局清掃の人手不足により、そちらを勧められた。時給も、勤務時間も、多少良く、勤務地も家に近付くことがわかり、僕は郵便局清掃を始めることになった。

  一

月から土曜日。七時から十三時までの前回と似た勤務形態である。

現場にはおばちゃんが一人だけの、マンツーマン指導だった。ひたすらゴミを回収していき、トイレ掃除をして帰る仕事だった。

郵便局内は迷路のように感じ、道順を覚えるのが大変だった。ゴミの回収忘れを繰り返しながら、メモ帳にフロア別の地図を書いて覚えていった。

慣れ始めた頃に思い出す感覚は、天職のスポーツバー清掃であった。体と脳内が別々に分かれ始め、自動操縦化が始まった。

やはり縋ってしまうのはYouTubeの事で、新たなアイデアを模索するのであった。

世間では自撮り棒がブームを巻き起こしており、マナーとモラルが問われていた。それに加え、屋外向きのアクションカメラ、という小型カメラもブームになっていた。

流れ着いたのは空いた午後を持て余す、数年前と同じ時間である。

パソコンの画面には、エロ動画とYouTubeのダブルセット。時折そのアクションカメラが気になり調べたりしていた。リュックサックの肩ベルトにも装着でき、散歩しながら街の風景を撮ることができる。

ダンボールの山を漁っていると、中から五百円貯金が発掘され、勝手に運命を感じ開けてみた。中学生の頃に友達と雑貨屋さんで買った物だ。

感覚的には半分くらいの位置まで貯まっている気がしていて。一枚ずつ数えていくと、六万七千円入っていた。

これがあれば買える。これは運命だ。アクションカメラを買う為に貯めていたのだ。

僕は六万七千円の小銭を握りしめて、仕事に向かった。帰り道に、郵便局に寄って通帳に入れた。後は買うか買わないかだ。

大金をはたく事で状況は打破できるのだろうか、結局辞めるのがオチではないのだろうか。

何度も電気屋さんを訪れ、現物を見たりした。カメラアクセサリーに自撮り棒も売っていて、自分の顔を撮りながら歩けるかなと自問自答していた。

YouTubeを始める前と全く同じ状況に、クソのタイムマシーンで連れてかれたようだ。

結局僕は居ても立っても居られなくなり、 アクションカメラを買ってしまう。

新製品の高揚感は凄まじく、家の中でリュックの肩ベルトに装着して、街中を歩くシミュレーションをした。

山積みのダンボールが、ひしめき合う人間の塊として丁度よく。トイレと部屋を行き来しつつ、覗くようにシャワー室を開ける。

満足し終えた後は、データをタブレットに移し替え。映像を見ると凄まじく綺麗で、小人が大冒険しているような臨場感がある。これなら喋れなくてもいい。

どこに行くかを考えた。すぐに思い浮かんだのは海、江の島の海である。

  一

日常に変わってきた仕事中に、会社から電話があった。出てみると二人目の担当者からだ。

社長と面接をした次の日、京浜東北線の大森駅に向かった。

合格は頂いたが、郵便局採用の担当者にも会って欲しいと言われ、夕方頃に向かったのである。

野生面接会場のハンバーガーショップで簡単におこない、我々は社員の皆様を第一に考える会社です、と言っていた人物である。

電話の内容はこの後時間があるかであった。

頭の中に波の音が聞こえてくるも、直接会いに来ると言う事は、クビ一択の不安や不安しかない。

今回ばかりは、点と点が線になる短さを疑った。アクションカメラで浮かれ顔の首を切るには、いくらなんでも早すぎる。まだ家の中を散歩しただけなのに。

休憩室にいると、再び担当者から電話があり、近くの中華屋で食事しようと誘われる。

微かにクビを免れたようにも感じながら、 関係者出入口で待つ担当者と落ち合い、中華屋に入った。

昼時の激セマ大混雑店の中で、無理やり相席にして座らせて貰った。熱風の人込みで体調が悪化し、食事どころではなくなってしまう。

思考も停止し始め、担当者にお任せをすると、炒飯が運ばれてきて僕は一口食べた。

担当者は騒音の隙間から何やら話始めたが全く聞こない。僕は耳を大きく傾けた。

また、クソタイムスリップしてないか。

有能な人材を探していた。という枕から始まり、豊洲駅周辺のビル清掃へのスカウトをしに来たと言われた。

僕は早くこの場所から出たいで溢れ、気持ちを落ち着かせようと水を飲んだ。

有能な人材。僕は社会不適合者ではないのか。

始めて面と向かい、必要な人間であることを示唆してくれたようで嬉しくなった。有能な人材やスカウトの言い回しに、胸を躍らされた。言葉の雰囲気で、これがヘッドハンティングなのだろうとも思った。

僕は首を縦に振り、豊洲に異動することになった。担当者と握手を交わし、中華屋を出て二人で郵便局に戻った。

僕は渾身のごちそうさまですが言えて、大人になれた気がした。

休憩室までの道程で、ビル清掃について説明を受けた。

朝運ばれてくるゴミ袋の塊を一つずつ開け、 燃えるゴミ以外が混入している場合は取り除く仕事。午前はゴミ開け。午後はビル清掃。

本科的にゴミ人間が、ゴミを開けてゴミを分別する、という僕の人生を集約した見事な仕事内容だった。比喩表現のゴミその者に進化するのである。

それに続けて今日、郵便局の面接を行うと言う。

随分と急な話だが、僕の代わりを入れなくてはならない。後二十分後に迫る面接時間に、僕は挨拶をして帰った。

まだ不安ではあるが、誰かに期待された事が嬉しくて、奮発して寿司でも食べようかと思っていたが、ふと違和感に気付いた。

もし僕が断っていたら、面接はどうなっていたのだろうと。

僕は疑心暗鬼に陥った。

中華屋が混雑していることを知っていて、 相席にしてくれる事も想定内で、騒音を使い判断を鈍らせる。その中で選択を迫られるような大事な話をする。ご飯を奢る事で断る罪悪感を生み出す。相手を煽て調子に乗らせる。 もし断りかければ面接が背後に待ち構える、

見事な詐欺師テクニックではないだろうか。

僕は断れない策略にまんまとハマっていたのである。ハンバーガーショップでの、我々は社員の皆様を第一に考える会社です。

それも今になって、何とも胡散臭い社訓を掲げているのだろうと思った。

数日後にまた詐欺師から連絡がきて、一緒に車で連行される。ニュースでは豊洲移転問題として扱われている場所に、僕はゴミを漁りに行く。

 一

詐欺師からの連絡で、大森駅七時に集合した。店先でキャッチする店員らしき人に声をかけられながら、車が止めてある場所まで連れてかれた。

助手席に乗り込みシートベルトをしめる。

車はここから、豊洲駅付近のビルまで移動する。詐欺師の口調は荒く、一昨日までの面影はない。低姿勢で人当たりがいいと思っていた自分をぶん殴ってやりたい。

詐欺師の吸う煙草が車内を充満し、嫌気に拍車がかかる。僕は性懲りもなく連行されてしまう。

ワザと過ぎるように、カーナビが付いていない。居場所をわからせない為だろうか。

僕は黙り込んだまま、道路案内標識を見ていた。仕事内容から、全部が嘘のような気がしてきた。

どこを走っているかわからない車は進む、 ビル街に入るたび身構えてしまい体が硬くなっていく。

僕にはもう辞めたい気持ちしかない。今僕の目に見えているのが本当の姿ならば。

どこを走っているかわからない車は進む。 何回目かのビル街付近で、詐欺師はくわえ煙草をしながらごにょごにょと言う。

僕は断片的な言葉を頭の中で繋ぎ合わせた。 恐らく詐欺師は、ここら辺車とめるとこねえから、と反応だけして欲しいような独り善がりな事を言っていたはず。

僕は話しかけられてない振りをして、真っ直ぐ前を見ていた。

もし詐欺師の言葉が真実だとしたら到着している。豊洲に到着しコインパーキングを探している。

僕は辺りを見回し豊洲の文字を探した。

何十分も同じような場所を巡回していると、 黄色い看板のコインパーキングを見つけた。 詐欺時はこんな場所にあんのかよと、ごにょごにょと言い、車を駐車する。

僕は手掛かりを早く見つけたくて、車から降り、並んで歩く際にさりげなく黄色い看板を確認した。

そこには豊洲五丁目の文字が刻印されており、嘘と真実の狭間で揺らいでいた。

  一

目的地のビルに到着し中に進んで行った。 スーツ姿の大人達が忙しなく動き回り、つなぎ服の僕を見て蔑む顔をする。

隠し扉のような壁と区別がつかない場所を進んで行き、地上とかけ離れていく。

地下へ、地下へ、と連れていかれ。暗証番号が設置された扉を開けた。

中には横長のテーブルが並んで四つ、自動販売機が二つ、隔離された喫煙スペースがあり、壁には名前の付いたマグネットが貼られている。

詐欺師に待つよう促され、僕はひとり、音の無い部屋に座った。

地上に出られないという、圧迫感が迫り呼吸が乱れ始める。

自動販売機で紅茶を買って、落ち着きを取り戻そうとした。まるで人生を逆転させる者達が働く、現代版地下労働施設の雰囲気が漂う。

壁に目をやると、マグネットの名前にはカタカナ表記が多く、外国人が捕らわれの身となって働いていた歴史が伺える。

今日のシフトに貼られている名前を順番に見ていき、自分と同じ名字を見つけ、身震いがした。

扉の方から、暗証番号が解除される音がして姿勢を正した。少しだけ顔を覗かせた詐欺師が、僕に向かって手招きをした。

紅茶の蓋を閉め。立ち上がりながらポケットに仕舞い、扉に近付いていく。

閉所からの解放を願う僕は、つなぎの上から紅茶の容器を強く握りしめていた。

詐欺師の後ろを付いて行くと、さらに地上から離れるように進んで行く。もう娑婆の空気は吸えないかと思うと、呼吸が乱れていく。

数十分連れ回されたのちに、トンネルの先に見える白い光が照らし始める。娑婆はすぐそばに来ている。

大きく息を整える僕の顔が、喜びに満ちるのは数秒のことだった。

現れたのは地下駐車場であり、外ではなかった。数人の労働者の背後に大量のゴミ袋が積まれていて、それを一つずつ開けて分別をしている。新たなゴミ収集車が入ってきて、山積みにして帰っていく。

これがあの日聞いた仕事だ。

しっかりと現実とリンクして、震えが止まらなかった。

詐欺師が自慢げに分別の速さを語っていたが、僕は意識が遠退いていかないように必死だった。

  一

誰かもわからない人達に必死に頭を下げ挨拶して回った。よろしく、と肩を叩かれたりしたが、苦笑いをしただけで気持ちは乗らなかった。

音の無い部屋に戻され、今日のシフトであろう人達が集まってきた。昼休憩と重なり、団らんをしながらお弁当を食べ始める。

僕の居場所が無くなってしまったが、回避できる場所も無かった。

喫煙スペースにでも逃げようと思ったが、 詐欺グループが占領していて、どうすることもできなかった。

ひとりになれる空間がない。それだけで物凄いストレスだった。

煙草を吸い終えた詐欺師に声を掛けられ、昼食に出ることになった。再び挨拶をして回り、職場見学が終わった。

地上に出られる。

久しぶりに吸った娑婆の空気は、濁る東京の街でも美味しかった。明日からの頑張りを祝う詐欺師に、最後の相談を持ち掛けた。

郵便局に戻して欲しいと僕が言うと、詐欺師は呆れてため息をつき、しばらく黙ったまま中華屋さんに入っていった。今度は相席ではなく二人席に通される。

メニュー表を渡され、話を濁すかのように選ばされた。

僕が黙りこくっていると詐欺師が店員さんを呼び、最初で最後の炒飯を食べたのであった。

 0

八時に設定したアラームが鳴り響く、と、 同時に飛び起きカーテンを開けに行った。太陽の日差しをたっぷりと注ぐ朝。鳥のさえずりのように鳴くアラームが心地いい。

炒飯をご馳走になったあの日。ビル清掃の話を取り消してくれた。元いた郵便局は、新人のおばちゃんが入ってしまい戻れなかった。

代わりに提示されたのが、京浜東北線、港南台駅付近の清掃であった。

六時から十時。時給千円での仕事しか今は無いと言われ。四時間の為に遠出する理由が見当たらず、僕は行き場を失い会社を辞めた。

また初めからバイト探しをしても、同じことの繰り返しになると思い。温めて置いたアクションカメラを持って、江の島に行くことにした。

今は亡き実家で暮らしていた時。自転車で橋本駅から江の島まで行こうと、暇すぎる高校生青春あるあるを実行しようとした。

僕は物凄く楽しみにしていたが、グループの中で、友達の友達を呼び始める呑気な奴がいて、僕は気まずくなる事を懸念して行かなかった。という余談はさておき。

数回行った江の島の海が大好きだけど、遠くて行きにくかったのである。

川崎駅から、東海道線で大船駅に行き、乗り換えで湘南モノレールに乗り、湘南江の島駅で降りる。

リュックには、カメラと肩ベルト用のアクセサリーが入れてある。僕は初モノレールにも興奮していた。

大船駅から湘南モノレール乗り場の改札を通り。出入口付近まで移動し、モノレールがやってくるのを待った。

僕の撮影魂に火が付き、リュックを胸に抱え、片手でアクションカメラを取り出した。

不信すぎる行動が、小型カメラも相まって盗撮に見えながら。小さいモノレールが僕に迫って来る映像を押さえた。

これが盗撮犯による初監督作品である。

そのまま中に入ると、二人席用が向い合わせるように並んでいた。客も疎らだったので、ボックス席を占領する形で座り、カメラを窓の方に向ける。

もし友達でもいれば、野太い歓声を上げてしまうくらいテンションは上がっていた。

モノレールが作り出す街の風景を捉えながら、江の島に向け進んで行く。カメラマンごっこではあるが、新たな兆しが見えた気がした。

湘南江の島駅、到着前にリュックの肩ベルトにカメラを装着した。楽しみ過ぎて、居ても立っても居られない感情を貧乏ゆすりに逃がす。

家々や、木々を、抜けながら景色は徐々に止まっていく。

扉が開くと家族連れやカップルが降りていく中、変態カメラマンはあえて最後に立ち上がり。誰もいない車内から始まる、江の島ヒトーリーを作りだすのであった。

  0

夕方頃に帰宅すると、半額シールが貼られている時しか買わない、すき焼き弁当を食べながら編集作業を始めた。

鉄の塊が迫って来る臨場感に、駅構内のアナウンスに導かれ、主役が登場するシーンから始まる。

カメラマンによるパンチラを覗くようなニヤケ顔が、映像に反映されていないのが非常に残念である。

車内に進んで行くカメラが子供の高さまで腰を落とす。窓の外に映る広告看板の映像が続いていたので、走り出す所まで切り取る。

段々と街の風景が露わになっていき、もう一度乗っている感覚に陥る。

終着駅まで回していたこの映像に、旅の名曲でも付け加えられたらより一層楽しい。

ただ著作権の関係と、残り二時間弱を含め 十分から十五分に収めなければならない為、 仕方なく何駅か飛ばしながら進めていった。

湘南江の島駅に到着し、ドアが開く音から数秒後、ホームに向かって歩き出した。まるで誰も乗っていなかったような、ひとり乗車演出が決まっていく。

改札を抜け、信号待ちの行き交う自動車を経て、片瀬江ノ島駅の竜宮城がお出ましである。

十数年振りの記憶が曖昧に蘇っていく中で、 ひとりで面と向かって来たのは、今日が初めてだ。

気持ちが高ぶり、竜宮城を背景に自撮り写真でも撮ってみようと思ったが、やはり恥ずかしくて迷ってしまう。

肩ベルトのカメラの存在を忘れ、人目を気にして周辺を歩き回る映像が長い間続き。半熟卵を食べながら、他人の動向を観察するように自分が自分に向けて悪態をつく。

大半がこのような無駄な動きを収めているかと思うと、非常に無様である。

海を目の前に風の強い音がよく聞こえる。

過去の僕は突然意を決したようで、肩のカメラが竜宮城とは逆の方向を向き、風俗でしかない性行為のように、震える腕を現在の僕が見ている。

満足気を現す、一息付く声もしっかり入っていた。

撮り終えた後で知ったのだが、竜宮城は建て替え予定らしく。勇気を出した自撮り写真が旧駅舎として残せたのが幸いである。

長々と見せつけられたお蔵入り映像から、 砂浜に足を踏み入れる所まで飛ばす。

くつの中に砂が入らぬよう、忍び足で歩く滑稽な姿をお見せすることが出来ない。こんな時相方がいれば、と未練がましく思う瞬間から早く抜け出したい。

海の底に沈んでいくように。ゆっくりと、ゆっくりと、歩を進める。

肉眼で見たあの景色よりも鮮明な海が、とても腑に落ちなかった。

  0

江の島散歩に気をよくした僕は、高尾山を登りにいったり、巣鴨の商店街を歩いてみたりと。ひとりでは訪れない場所に、カメラを付けていることで活発的になった。

この間に見つけた清掃バイトは、蓋を開けてみればフランチャイズの会社で。排出した大人オムツを各階から回収したり、開店前のパチンコ屋だったりと、契約した企業件数をひとりで回っていく仕事だった。

伸びない再生回数に不安定な収入。世間体を気にした現実を、天秤にかけてしまう自分が現れ始めた。

この歳までくれば。結婚して、家族がいて、子供がいて、後輩が増えて、先輩面して、地位を確立している人間の巣窟がある。

それに比べ。積み重ねられなかったゴミには、排水口に溜まる出鱈目な夢しかない。

諦めていたわけではないが、見えないように遠ざけていた正社員の道。

パチンコ台が鳴り響く音の中で、良からぬことを考えていた。

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バイトから正社員を打診された話を耳にしたことがあるが、そんな宝くじのような事が本当に起きるのだろうかと、疑問だった。

その前に辞めてしまっては元も子もないのだが。十年以上働いていてもバイトのままという話もある為、はなから狙ってしまう方が と迷いも生じていた。

固執して選んでいた清掃業から一旦離れ、 頭の中を空にして、ネット求人の正社員に印をつけて絞り込んだ。

正社員登用ありは外していき、正社員採用の飛び級制度を用いている会社を選んでいった。

川崎駅付近で通いやすい距離から範囲を広めていく事を考えていると。京急線の京急川崎駅から三崎口方面に向かって五つ目。

生麦駅、で行う倉庫作業の募集を見つける。

清掃一筋であった僕には、未知の世界である。ただ経験者のネット民によると、腰が終わる、二度とやらない、職種は軽作業で括られている為簡単そうに見えるが重機は扱わないだけの誘い水であるなど、不安を煽る意見しかなかった。

しかし目の前にあるのは、生涯安定の正社員。残業代含め月二十二万以上。ボーナス年二回、退職金あり。

職業ゴミ人間には申し分ない条件である。 所要時間も八分で通勤できるとわかり、朝のラッシュ時に巻き込まれる時間が少ない。

あらゆる面での好条件ではあるが、殺さない程度に胸を締め付ける記憶がある。そこから逃げるよう頑なに、ひとり、を選んできた。

僕は、人間関係の弊害と対峙する時間を、 設けることにした。

  0

職歴の欄が丁度収まってしまった履歴書を鞄にしまう。書き慣れてしまったのは、良い事か悪い事かわからない。もうこれ以上職歴を増やしてしまうと、書く欄が見当たらない。

結局僕は安定を取ってしまった。

正社員という高い壁をダメもとで登ってみる。

面接会場は川崎駅近くのオフィスビル、十時に時間を組んで貰った。

最初で最後の大勝負に、気合と、緊張が相見える。九時半頃に家を出れば間に合うはずだが、持て余す時間をお掃除ロボットのように動き回っているしかなかった。

何度もトイレにも行き、お尻が爆発する程の損傷が残されている。

居ても立っても居られなくなり、九時頃に家を出て、面接会場近くに張り込む事にした。

履歴書は書き慣れても面接までの時間は慣れないもので。会ってしまえば自分を取り繕って演じることに徹するが、面接官の顔や質疑応答などの余計な事を想像してしまう癖が取れない。

スマホの地図アプリを頼りにしながら歩いていると、予想通り二十分程で着いてしまい、 座っていられる場所もなく。結局自宅同様に時間のある限り周辺をうろつくしかなかった。

城を目の前に遅刻するわけにもいかず、十五分前を意識して散歩を続けた。

僕は本当に正社員になるのか。安定と引き換えにYouTubeは最後になるのか。何しに川崎までやってきた。正社員になるためか。本当は何がやりたい。

ビルの中に入ると、広いエントランスホールに幾つものベンチが用意されており、無駄にうろつく必要がなかったことに気付く。

スーツを着た大人達の群れに劣等感を感じながら、フロアガイドを探した。

間違い探しの要領で上の階から順に辿っていくと、六階に正社員の扉に向かう道を見つけた。

出来れば階段で登りたかったが、仕方なく近くのエレベーターに乗ることにした。

誰も乗ってこない事を祈りながら、徒競走のように降りてくる三台のエレベーターを待ち続け。到着を知らせるランプが付いた瞬間に乗り込み、閉ボタンを連打し、誰も寄せ付けないスピードを見せた。

六階に到着し。奥の方まで進んでいくと、 面接会場である会社名を見つけた。

思えば、こうしたオフィスでの面接は初めてである。簡易的な場所ばかりで、驚きを隠せなかった。

初めて対峙する大きな壁を目の前に、深呼吸をしてから扉を開けた。

そこからはいつも通りの流れで、たった一枚の紙に詰めた、僕の人生を突かれる。

職種と仕事内容を説明してはいくが、陰と陽であるドス黒い部分に大半を飲み込まれていることが、履歴書の裏面には描かれている。

同年代になってしまった面接官に運命を握られているかと思うと、喋る量が増える度に 人生の汚点をさらけ出しているようで、恥ずかしくなった。

対照的に雰囲気はとても和やかで、面接官の相槌が気持ちよく舌が回る。

順番が変わるように、面接官が続いて話始める。

倉庫での作業は、ピッキングと呼ばれる、 指定した荷物を取って来る仕事らしい。何度も説明して貰ったが、今一理解できず、僕は愛想よく頷くしかない。

面接官は口癖のように、慣れれば簡単ですと言うが。腹の内にある、そりゃそうだろう、は絶対顔に出さないように気をつけた。

話が終盤に差し掛かる頃、僕はとっておいた切り札を出す。

予め会社のホームページを確認していた所、 フォークリフトの免許が無料で取得できる、 謳い文句があった。

これを指摘することにより、アピールポイントを稼げるかと企んでいたのである。

僕が貰った資料の中にも、同じような文面が記載されていたので、素知らぬ顔で聞くことにより興味が泉のように湧いて見える。

面接官は、本当に聞いてほしかった部分です顔をして、目を大きく見開いたのである。

僕は相手が興味を引く話題を存分に引き出したみたく、去り際のもうひと盛り上がりで場を包んだ。

合否の判定は、今日の十八時頃までに連絡があれば合格と言われ、最後まで粗相のないように、この場を後にした。

息が詰まる時間をスマホで確認すると、二時間弱も経過していて驚いた。と同時に嫌な予感がした。

丁度お昼時ということはランチに出掛ける数が増える。ということはエレベーターを使う、ということは大人の群れに色違いの魚が飛び込む。

僕は絶対どこかにある階段を探し回った。 エレベーター前から、廊下の隅々まで、探し回るが、どこにも見当たらない。

途中で清掃道具を運ぶおじさんとすれ違い、 ビルの清掃員なら裏口を知っているはずと睨み尾行する。

考えとは裏腹に、おじさんは行儀よくエレベーターを使い、下に降りていった。微かだが誰も乗っていなかったようにも見えて悔しい。

僕は仕方なくロシアンルーレットを引くようにボタンを押し、今日の結果がこれに繋がるという暗示をかけた。

到着を知らせるランプが光り、運命の扉の先には大量の大人達がいた。

僕は震えるあしを動かして、突き刺さる目線を背中で感じていた。

  0

十八時までの間、何をするわけでもなく真っ直ぐ自宅に帰った。

肩の荷を下し、冷蔵庫から一口サイズの紅茶缶片手にリビングに向かう。祝賀会を開くには早い気もしたが、面接での立ち振る舞いに乾杯をした。

正社員。

今一、気の上がらない現実はなんだろうか。

受かりたいのに受かりたくない。

緊張の疲れから睡魔が襲ってきた。重たくなる瞼と力比べをしていると、手に持ったままの缶がテーブルに当たる音がした。

情けない奇声を上げ、虚ろな目で、床に零れる水滴を見ていた。

右手で缶を握りしめ、左手で頬杖をつき、 眠らないように体を支えた。

  0

朝から何も食べていなかった皺寄せが、夕方頃回収にやってきた。冷凍庫には確かチキンライスが入っていたはずだ。

僕はおもむろに立ち上がり、夕食の準備を始めた。

ポケットにスマホを入れている事で起こる、 着信していた感覚があったような気がして、確認をした。

僕の元に来る連絡と言えば、十数年前に登録したログインできないメルマガぐらいだ。

時刻は十八時を回ろうとしている。さすがに高すぎた壁を乗り越えることはできなかった、とドラマチックな展開を期待して、スマホと睨めっこしていた瞬間。画面上に電話番号が表示され慌てて着信を受け取る。

遅くなり申し訳ございません、という声の主は今朝の面接官だ。

僕がいえいえと答えると、早速合否発表に移り。昔あったクイズ番組のように間を溜めこまれた後、はしゃいだ声で合格ですと言う 奇をてらう演出に腹が立った。

僕がお礼を述べると、面接官またの名を軽快な司会者は、意気込みをお願いします等の 何を誰に向けてなのかわからない文言を、僕の口から引き出そうとした。

心の奥底に眠る、そんなのないよ。は抑え、

僕の脳みそでは限界の、頑張りますだけを言い電話を切った。

人を裁く側の職業全般に言えることだが、 面接官という立場から起こる優越感に浸り、 人間ピラミッドの頂上にいるかのような傲慢な態度に、清々しい気持ちで喜びに満ち溢れることが出来なかった。

僕は正社員になれた。僕は正社員になってしまった。

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実家の新居を見に行くことになった。

僕がひとり暮らしを始めてから半年が過ぎた。濃厚な日々が続き、振り返りたくない記憶が沢山増えた。

川崎駅から、何の思い入れもない駅に向かう。母親に駅まで向かいに来て貰い、一緒に帰ることになった。

住所を教えてもらってはいたが、ひとりで帰れる自信がなかった。

思い入れない駅に到着し、階段を下りて改札に向かう。僕が母の背中を見送った日振りの再会である。

急に顔を合わせる事がこんなにも恥ずかしいとは思わず、僕はトイレに逃げ込み、用を足した。

何故か少しだけ気合を入れ、改札で待ちくたびれる母親に声をかけにいった。

母親は最近ハマっている、同じ絵柄をなぞって消すゲームに夢中で。僕が予想していた感動の再会とは大きく外れた。

実家までの道程を二人で歩き始める。

結局あの時悩んでいた炊飯器と一緒に、掃除機や自転車も買い替えたみたく。環境とは人間を変貌させる状態なのだと、深く、深く心に傷を得る物がある。

途中でスーパーに立ち寄り、晩飯を決めることになった。普段は納豆ご飯を中心とした生活で、羽目を外す日には冷凍食品を開封して、とても質素な暮らしをしている。

母親に何を食べたいのか聞かれたが。肉、 寿司、鰻、ピザ、カレーなど、僕の体を形成させてくれた、数多のメニューから選ぶことは非常に困難である。僕は迷わず思い描く全てのメニューを口にした。

母親はその中から肉と、寿司と、ピザを選択して、今夜のパーティーを決めた。久しぶりの贅沢な食事に、唾液分泌が増えた。

スーパーから今度は、ケーキ屋さんに移動した。電話で伝えておいた就職祝いに、ホールのイチゴケーキを買ってくれた。誕生日でもないのに、二十六という数字ロウソクも僕の年齢に合わせて買っていた。

思い入れない駅の、思い入れない通りを歩きながら実家に向かう。

僕は母親に改めて家に誰もいない事を確認した。改めてと言うのは、僕が母親以外の家族とは対面し辛いと感じていたからだ。

無事確認を終えても尚、悪戯に歩かされている。

旧実家と比べて倍以上になっている距離に、正しい表現ではない気がするが天竺かと思った。母親が見つけたショートカットすらも、僕にとってはただのロングコースに過ぎない。

坂道を散々歩かされ、いよいよ新実家がお披露目となった。

サイズ感が旧実家と変わらず、二世帯住宅にしてはこぢんまりとした印象だ。近未来を感じるとすれば、玄関の開閉が鍵を差し込まなくても、ボタン一つで可能になっているぐらいだ。

家の中に入ると、二世帯だけあって玄関から二手に分かれて部屋が存在していた。

風俗店あるあるなのだが。外観に比べ待合室が異常に広かったり、迷路のようになっていたりする、あれと酷似しているという感情が湧き出てしまい。咳き込む振りで口を押え 確実に押し殺した。

両親が住む部屋のドアを開けると、リビングから見える景色が旅館を感じさせた。僕は喜びと同時に人の家感が否めなく、より一層寂しくなった。

二階には、僕が泊まりに来た時用の部屋を作ったみたく、覗きに行ってみると想像の遥か上を凌ぐ、太字で、独房、と表記されるくらい、現実味のある部屋が用意されていた。

僕は試しに寝てみると、三畳という体験したことのない圧迫感に耐えられず。迷った挙句、リビングで寝ることにした。

日が沈んでいくに連れ、前方にそびえるマンションが点灯し始めた。そうなる事で旅館から熱海旅館という具体的な印象に変貌した。

僕の家から見える景色と言えば、抜け道に利用される道路くらいだ。

お腹が空きに空きまくっている僕に合わせ、 母親が夕飯の準備を整える。彼女いない歴が年齢と共に更新中である僕にとって、唯一女と食う飯である。

肉を焼く前に必ず、生か、タレをかけて焼くか、のくだりを懐かしみながら、一足先に寿司を頂いた。自宅近辺のスーパーと全く同じ店舗の寿司なのだが、今日はやけに美味く感じる。

焼いてくれた肉をタレにつけて食べる。これに加えてピザも出てくるかと思うと、自分で言っておきながら、食べ盛りの学生に与える配分に胃が苦しい。

母親は食器を洗い、片付けてから食卓を囲んだ。

母親の表情から、もう全てやり遂げました感が漂っていたので。もしやピザの存在を忘れているのではと睨んだ、が、息子として母親の物忘れを指摘する事ができず、自ら思い出してくれるまで、僕は黙ったままでいた。

食事の終盤に差し掛かっても、一向に姿を現さないピザに痺れを切らし。おどけながらピザ食べ忘れたと言う事で、あくまでも責任は僕にあります風を装い、母親の尻を拭った。

母親は解決の糸口を見つけたように、手にしていた箸を茶碗の上に落とし、慌ててキッチンに向かった。

ピザの行方はと言うと、オーブントースターに焼く前の状態で閉じ込められており。食後のケーキ中盤に登場したのであった。

 月

謎の機械音により目が覚めた。硬すぎるリビングに対して、ペラペラの敷布団を二枚重ねただけの簡易的な寝床では割に合わない。 ムリな体勢で、自分磨きをした後のような腰の痛みを感じる。

母親が、ピンクのパジャマ姿でリビングにやってきた。

昨日の夜。もう一つ近未来を感じていたのは、シャッターも自動で開閉できるようになっていた事。その内、声だけで全て賄えるようにしそうである。

朝日がリビングに差し込み、僕の寝ぼけ眼を叩き起こす。母親は血糖値を下げる効果があるらしいクルミを食べ始める。

僕は布団から起き上がり、冷蔵庫を開け、 残飯のピザとケーキを手に取る。

カピカピのピザを電子レンジで温め、覇気のないケーキをフォークで拾う。

明日から僕は、倉庫作業員として働き始める。工場バイトの時のような、殺戮者に出会わなければいいのだが、時間が刻々と過ぎていくに連れ、不安は大きく膨らんでいく。

終わりを告げない電子レンジの様子を見に行くと、仁王立ちのような微動だ、にしないピザがスポットライトを浴びている。回らない。こいつは回らないレンジに変わっている、気がつかなかった。

カピカピから、シワシワに変貌したピザを食べ終え、自宅に帰る準備を始めた。

手荷物いっぱいに、カップ麺や、お菓子の詰め合わせを貰い、この歳でようやく、親は心配をする生き物なのだと頷けた。

帰り道も同様に母親と並んで歩いた。昨日、 目一杯話し込んだつもりだったが、お互いの熱量は負けずと続いた。

母親は僕のYouTube活動には興味を示しておらず、これだけは頑なに視聴してくれそうにない。

以前コンビを組んでいた時の映像を見てくれた様子だったが、家族の前と、友達の前とでの僕の振る舞い方の違いに、恥ずかしさを覚えたのが原因だろう。

言うなれば、僕自身も前のめりで見て欲しいわけではない。上半身裸になった息子が乳首ダーツと言って、水風船を当てられ続ける映像を母親も見たくはないだろう。

ひとり暮らしをしていると、何気ない会話もすることが無くなるので、つい声のボリュームを誤る。

久しぶりに人と話した事で、思い入れない駅に到着する頃には、プロレスラーのようなしゃがれ声になってしまった。話し込んでいると、時間の経過が早くて嫌になる。再び訪れた別れも加えて本当に嫌になる。

僕はまだ気まずさを感じているので、また逢う日も必ず、母親しかいない日を狙う。

時間を延ばすように、ICカードにお金をチャージしてから別れた。

改札を抜けた後、動向を確認しようと振り返ってみた。その思いは母親も同じだったみたく。僕はまた軽く手を振り、母親は川を隔てている時のような度量で、大きく手を振っていた。

  月

自宅に帰ると荷物を整理して洗濯物を回した。その間に体を洗い流そうと、シャワー室に入った。

新実家のお風呂が、足先までしっかりと伸ばせる湯船だった。あの気持ちよさを体感してしまうと、流石にシャワーだけでは物足りない。

室内から上がると、腰にバスタオルを巻いたままキッチンに向かい、電気ケトルに水を溜めた。早速頂いたカップ麺を試食して腹を満たそうという、日常に潜む魂胆である。

ドライヤーで髪を乾かし、服に着替え、お湯を麺に入れ三分耐えた。

天ぷらそばを口にしていると、餓鬼の喧嘩のようにピーピーと鳴く洗濯機が終了を知らせる。勢いよく、だし汁を体内に流し込み、プラスチック用のゴミ箱に捨てた。

梅雨の隙を狙う太陽が、門出を祝いに来たかと思うと、明日から頑張れそうな気がした。

という冗談すら、誰も聞いてくれなくなった。

  月

会社のシステムにより、営業担当者が各拠点に配置されていて、現場で働く人の意見や、悩み、相談も、請け負ってくれる。

加えて本社に設置されている、相談窓口用のメールアドレスも配布され、フォロー体制が万全なのである。

これにより弊害とされていた、人間関係のトラブルも回避できるようになっている。下手に高圧的な態度を取られても、全て密告し放題なのだ。

経営理念とされている、人を大切にする会社。だけは思い当たる節があり、納得はしていない。そう易々と口に出来るものではないと、早速送り付けてやりたい。

もちろん寝不足の初日は、八時、生麦駅に担当者と待ち合わせになっている。

就業時間は、九時から十八時まで。残業の有無は、自由に決められると面接の時言っていた。

用意してきて欲しいと言われていた、カッターと安全靴をリュックに入れ、京急川崎駅に向かう。

川崎大師や羽田空港などに行ける路線ではあるが利用したことはない。新実家に帰ったことで、川崎は便利な街だという認識が高まる。

七時四十三分発の電車に乗れるように歩いた。生麦生米生卵の先頭打者でしか聞き馴染みのない、変わった駅名が今更癖になる。何百年と擦られてきた、早口言葉の代名詞が採用されたのだ。どちらが先かは知らないが。

喫煙所から漏れる煙草の臭いに顔をしかめながら、行き交う群れの後を追う。

スマホの乗換案内アプリを頼りに、四・五番のホームに辿り着いた。どれだけの人が乗って来る路線なのか予想がつかないまま、電車はやってきた。

多少混雑していても、八分なら余裕でしょという期待は、いい意味で裏切られた。満員どころか空席を見かけるほど空いている。この通勤ラッシュ時に。

ストレスを微塵も感じさせない道のりが、 僕の背中を押してくれた。

  月

京急川崎駅、八丁畷、鶴見市場、京急鶴見、 花月園前、生麦駅。八分の距離にしては、意外と停車駅が多い。

僕は、出入口付近の手すりに捕まり、降り過ごさないように駅名を確認していった。

生麦駅に停車しホームに降りると、女子高生か、女子大生、と思われる大群が一斉に降りて来て、改札に向かうエスカレーターまでの行列を作る。

普段なら間違いなく右側から乗り追い抜いていく。ただ、合法的ハーレム状態である現状を、僕は見過ごす事ができない。

遅刻よりも性欲が先を越す、正社員の皮を被った化け物は、行列を成す左側に並んだ。

四方八方から女性特有の甘い香りが鼻をくすぐる。経験人数は、風俗を除く計算では皆無の素人童貞であるが故に、アダルトビデオで巻き起こりそうな展開を期待してしまう。

エスカレーターに乗り始めると、僕の前に並ぶ女子大生グループがそれぞれ顔を合わせて話し出す。

僕が目線を上げたまま乗っていると、変態度が増してしまう事を察知して、紳士的行動を装い、下を向いた。

僕が一番性欲を掻き立てられる人間の部位は、脚、なので一石二鳥である。タダで人の脚を鑑賞できる清々しい朝だ。

エスカレーターを降りて改札に向かう。

僕がさらに驚いたのは、改札までの距離だ。 まだここからでは見えないが、直線が続く長い道の先に向かい、女子大生達が歩いていなければ、間違いの不安材料になりかねない程長い。

僕の瞳を覆うのは、この世の女性達を集めたような楽園が広がっていて。堪える事に必死だった、男のシンボルが上昇し始めてしまい。荷物を探る振りをしてリュックを胸で抱えた。

合法的女性展覧会が毎朝行われているかと思うと、憂鬱な通勤が寧ろ楽しみに変わる。

直線の途中にある階段から、さらに色とりどりの女性たちが溢れ、メダルゲームのジャックポットに突入した映像が頭に浮かんだ。

興奮冷めやらぬ朝に辟易しながら、無事八時前に改札を抜ける。

周りを見渡してみたものの、担当者らしき人間は見当たらなかったので、連絡を待つことにした。もう何度も待ち合わせをしていると、確固たる自信で同じ会社の人間かどうか区別がつく。

券売機の横で背中を壁に付け、行き交う人間の群れを観察していると。溢れるスーツ姿の男性がエレベーター横に立ち止まり、ビジネスバッグから履歴書を取り出し、ガラケーに電話番号を打ち始める。

僕は確固たる自信があったが、念のため着信を受けてから、彼の元に歩き出し声を掛けた。

彼の顔は、男の僕から見ても緊張する端正な顔立ちで。目を合わせた瞬間、僕は思わず紅潮してしまい、照れを隠そうとした丁寧な挨拶も、しどろもどろで終わる。

今日からお世話になる担当者に、変態の片鱗を見せながら、現場に向かい歩き出す。

生麦駅というディープな場所は、細い路地に飲み屋がひしめき合い。それに倣い早朝から、パチンコ屋の前で飲酒する輩がいるような、ベタに言う下町薫る、街並みが続く。

自転車とゴミの多さも激しい、落差のある駅に場所見知りしながら進む。

美女達から貰ったエネルギーを早々と消費し、正社員の姿に戻る。意気揚々としていた僕が徐々に衰弱する姿を見て、担当者は気を遣い話しかけてくれる。

甘いマスクに絡み合う。男らしさ溢れる低音ボイスが鼓膜を揺らす、胸キュンシチュエーションとは裏腹に、担当者が紡ぐ言葉に耳を疑う。

要約すると、入れ替わりが激しい現場だから頑張れ、という不安しか煽らない言葉を僕に託す。

頭を過るのはネット民による、ダイイング・メッセージが有力な証拠であったこと。

仕事の辛さか、人間関係によるトラブルを 脳裏に引っ提げることになり、容易く口を開いた担当者を少し恨んだ。

駅から十分ほど歩き続け、等間隔に並ぶラーメン屋さんを通り過ぎる。

店先で煙草を吹かす主婦らしき人間の背中には、出汁の香り運ぶ蕎麦屋が開店している。 店内を覗いてみると、屈強な男達の立ち姿が目に映る。

担当者との会話もなくなり、行き交うトラックの騒音だけが耳を劈く。

歩道橋を上り始めれば、前後から自転車乗りに挟まれ、お互いの譲らない精神が露骨となる。

歩道橋を渡り終えると、もう少しで着きますと言う担当者に相槌をした。周りを見渡すと倉庫らしき建物が所狭し、と並び。どれの事を指しているのか気になった、が、ホースバンドのように絞められた喉から声が出なかった。

どんな人間が身を潜めて働いているのだろうか。

担当者が僕より数歩先を歩き始め、導かれるように後を追うと、ハリウッド的な掲げ方で、○○倉庫、という文字が見えた。

スロープを跨ぎ、透明ガラスの自動扉に入っていくと、外部からの連絡用電話機が佇むように置いてあり、背後に壁を隔てスチール製の下駄箱が並ぶ。

安全靴に履き替えるよう促され。その間に 僕の名前が貼ってある下駄箱を探している様子だが、行ったり来たりとしている内に、勢い余って担当者はどこかへ消えていってしまう。

履いていた靴を手に持ったまま困り果てる僕に、近くで見ていた清掃のおばちゃんが心配そうに話しかけてくれ。戻ってくるまでの間、軽快なお喋りを聞き立ち尽くしていると、 大金を扇で見せびらかすように、シールを揺らす担当者が戻る。

名前入りシールを最下段に貼り終え。今度は更衣室まで案内されると、左端から四番目の空白にシールを貼った。

決して綺麗とは言えないロッカーではあるが、名前を付けられたことにより、命が宿ったように見えた。

態々着替え直すのが面倒くさかった僕は、 端から動きやすい服装を選び、リュックを仕舞うだけに使用した。

鍵穴は付いているが、肝心の鍵自体は配布されず。貴重品は自分で管理してくださいと担当者に言われ、外国人驚愕の日本特有のシステムだと思った。

座席を確保する際に、スマホや鞄を使用しても盗まれない、律義な国ならではの対応である。

言われてから気付いたが、辺りには申し訳程度に盗難注意のシールが貼られており。シールって、とても便利だとも思った。

担当者に連れられ休憩室に案内された。

就業開始時刻である九時に差し掛かろうとしているが、朝礼が終わり次第合流と聞かされ待機となる。

休憩室には、長テーブルと、パイプイスが連なるように置いてあり。隅に自動販売機が四台、その内二台は、カップ麺とお菓子の自動販売機。加えてウォーターサーバーが二台と、環境は整っている。

いつか自宅に設置したい、と憧れている、ウォーターサーバーに興奮し。担当者に使用許可を伺ってから、カップディスペンサーの紙コップを取り出し、水を入れた。

試しにお湯が出る所も見たくなり、続けて赤いボタンを押すと、瞬時にお湯が出て増々欲しくなった。

担当者は何かを思い出したように、ビジネスバッグを漁り始める。

中から取り出したのは、会社名が記載されたエプロンと、僕の名札だった。着用が義務付けられているらしいのだが、その割には随分と遅い登場である。

両方を受け取り、ビニール袋から開けてみたものの、小学校の家庭科以来のエプロンに付け方がわからなかった。

助けを求め、話しかけようとした瞬間。休憩室に繋がる扉が開き、中からオレンジ色のポロシャツを着た男性が入室してきた。

担当者と、ポロシャツが口を合わせ始める姿を僕はすまし顔で聞いていると、ポロシャツは、にこやかな笑顔で僕に目を向けた。その一瞬の牽制により、筋肉達が硬直したのがわかる。

ひとりだけ全貌が見えない状態で話は進み、 僕を弄ぶように、バトンを担当者からポロシャツに受け渡される。

知らない人には付いて行くなと、小さい頃教わった気がしてならない。

僕はエプロンを手に持ったまま、ポロシャツの背中を追いかけ。更衣室の側にある分厚い扉の中に吸い込まれていった。

  月

足を踏み入れた世界には、行き交う男女の群れと、大量の段ボール箱が置かれていた。 何かで目にしたことのある、所謂、物流倉庫だ。

ポロシャツさんからの説明を受けながら唖然としていると、正面から腰をくねらせながら歩く女性が現れ、僕らに軽く話し掛け立ち去っていく。

また知らない人が増えたことにより、メンタルが削られた。

僕がやってきた物流倉庫は、あの有名な、コンビニエンスストアに配送している会社であり。店内に置かれる、お菓子、お酒、加食、 全てをこの倉庫から送っていると、ポロシャツは語る。

全てと言われたことにより、全国のコンビニに向けて配送しているのかと思ったが。僕の気持ちを汲んだように、都内中心だけどね、も付け加えられた。

それぞれのエリアで働く人間を見て回った後に。僕が連れていかれたのは、お菓子を扱うエリアだった。

皆忙しそうに駆け回る中に、先程出会った女性がいて、謎めいた理由に合点がいく。

正社員として。倉庫作業員として。初めて任された仕事は、段ボール箱を開けて商品を棚に並べていく作業だった。

あのチョコレートや、あのクッキーや、あのガムや飴を眺めながら、置いていくだけの作業である。口にしているわけではないのに、 不思議と幸せな気持ちになるのは何故だろうか。

しばらくの間。淡々と置いていると、アナウンスと共に不協和音が流れ始める。

僕はトラブルによる騒音だと思い、無視をして進めていると、棚の向かいにいるポロシャツさんに手招きをされた。

作業を止めて見に行くと、先程までコンクリート打ち放しのグレーを中心とした色合いだったのが、羅列した数字たちが光る、奇妙な光景に変わっていた。

ポロシャツさんの説明によると、棚に置いていた商品の真上に、一つずつボタンが設置されていて。そこに表示されている数字が、 今日配送される仮データであるということだった。

小さい数字は一程度で、大きい数字は百八十など、商品の人気度によりバラつきが大きい。

その仮データを元に、出荷時間内に商品を並べ終えるのが、午前の作業である。

午後は、ピッキングと呼ばれる作業に入るらしいのだが、今はまだ教えられないという。

表示される数字と、棚にある商品の数を照らし合わせて、足りていればボタンを押すことで光が消える。これを約三十種類置かれている両サイドの棚を、ひとりで並べなければならない。

この事を踏まえて、僕が呑気に眺めている猶予はないと釘を刺される。

初日からひとりで並べ終えるなど、到底できないので。徐々に慣れていくようにと指導を受けた。

単純に好みの物から並べていたのだが、規定数に達しなければならない足枷が増えた為に、商品を数えていくだけでも時間を要した。

その内悪知恵が働き、足りていないのにボタンを押したらどうなるのか気になって辞めた。

ポロシャツさんのサポートを受けながら必死に並べていったのだが、途中で休憩するよう促された。

その表情から見て取れる様に、落胆の比率が多く、僕は重大なミスを犯してしまったようで胸が痛んだ。

十一時から始まる休憩を、三十分ずつ。午前と午後に分けるのが、この会社の規定である事を教わり。未だに着けられないエプロンを手に持ちながら、ぞろぞろと休憩室に向かう男女の背中を付いて行った。

昼ご飯を買い忘れというか、あっても食べられないと思い買わなかった。

とりあえず水だけを飲みに休憩室に入ると、 学生の頃から同じ、何グループにも分かれたヒエラルキーが気になり、何もせずに出ていった。

居場所がなくなった時に頼りになるのが、 やはりトイレの個室に限る。

二つある内の一つは、既に閉じられていたので、手前の個室に閉じこもったのはいいが、 肝心のウォシュレットが無いことに絶句した。

もう僕の体は、ウォシュレット無しでは生きられない、甘やかされたお尻に成長していて。乾いた紙だけで拭こうものなら、じ獄がやってくる事を予期している。

一先ず。便器の蓋を開け、ズボンを下ろし、座って天井を眺めていると。気持ちが落ち着いてくるのは、小さい頃から変わらない。

騒がしい人間の狂想曲から解放感を得る方法は、これ以外にない。

スマホで、SNSや、エロ動画などを見て時間を潰す。腹の痛みを逃がすように手元に意識を移した。

それでもやってくる荒波を避けながら、為にならないネットニュースを目で追う。

壁の向こう側から誰かの話し声が聞こえてきた。よくある新人の悪口を喋っていると、 本人が個室にいて出られないパターンを想定しながら耳を澄ましたが、大いにプロ野球の話題で盛り上がっているだけだった。

残り時間が少なくなるに連れて、ストレスの針が胃を刺激する。

このままでは午後の作業に支障をきたすと思い、仕方なく腹に力を入れた。いつ何どきでも、今朝にした分と同じ量が出る事に驚かされる。

トイレットペーパーを指先でつまみ、手前に引っ張ろうとした瞬間。隣の個室からペーパーホルダーの回る音が豪快に鳴り響き。足並みが揃う恥ずかしさがこみ上げて、そっと指先を離した。

必要以上に奪い取る、トイレットペーパー盗賊の行方を待ち続け。流れる水の音を出囃子に、個室から立ち去っていく足元を扉の下から確認した後、静かにペーパーホルダーを回した。

技術の進歩というものは、反対に人間を腐らせることになる。ウォシュレットが出来たことにより、乾いた紙で拭いていたあの頃の記憶はない。

長年苦楽を共にした僕のお尻は、どう受け止めてくれるだろうか。

  月

午後の作業に入ると、早速午前の失態を取り戻すように、商品を棚に並べる作業に取り掛かる。今度は数分もしない内に、あの不協和音が鳴り響いた。

また同じように数字たちが光り始めると、 ヒーローの如く現れたポロシャツさんの説明が入る。

午前見た数字たちは、あくまでも仮データであり。現在僕たちが見ている数字こそが、本日出荷分の決定データである、とのことだ。

つまり午前に並べ終えなくとも、午後の出荷分さえ足りていれば問題ないということ。

改めて、数字と個数を照らし合わせながらボタンを押していくと、全ての光を消すことが出来た。

何かドッキリに引っ掛けられたような恥じらいではあるが。恐らく僕のちんたらした態度に鞭を入れる為の教えだとわかり、人参をぶら下げた馬を走らせるような指導力に、只者ではないオーラを感じた。

面接の時から気になっている、ピッキング作業に入ると言われ。また僕を弄ぶように、 知らない人間にバトンを回された。

今度は大柄のスキンヘッドの男性だ。

主に風俗嬢ではあるが、身長の高さを聞かれる事が多い僕を、遥かに上回る高さである。 あまり人を見上げるという行為をする事がなく、建造物を見るような迫力があった。

僕が何も言わずじっと見つめていると、スキンヘッドさんは、僕の手元にあるエプロンに目を付け、違う会社の方なんですねと言う。

何のことかわからない僕は、初めて覚えた言葉のように繰り返す。

スキンヘッドさんが着用しているエプロンの色が僕の物と違う。スキンヘッドさんは胸元にあるマークを、立体的に見えるよう摘まんで見せてくれた。

そこには僕が入社した会社名ではなく、また別の会社名が記載されていた。

次々に押し寄せる謎が増え。露骨に引きつった僕の顔を見て、スキンヘッドさんは丁寧に説明をしてくれた。

この倉庫には僕たちを含め、三つの派遣会社が存在している。先程僕に指導してくれいたポロシャツさんは、お菓子エリアの最高責任者であり。あの腰つきの女性は、お菓子エリアのリーダーであった。

非常に有力な情報を得ることになったと同時に、担当者からの情報源の無さに苛立ちを覚えた。それに比べ、見ず知らずの僕に説明をしてくれた、スキンヘッドさんの厚意に甘え、勢いでエプロンの結び方を問うてみた。

スキンヘッドさんは戸惑い気味ながらも、 エプロンなんて結ぶ機会ないですよね、というフォローをいれながら僕に教えてくれた。

人間との距離をしばらく閉ざしていた僕は、 数年前お世話になったバングラさん以来の温かさを感じた。普段使い慣れていなければ、出てこない言葉である。そんな気持ちも揺らいだが、いずれ本性を見せてくるに違いないと、疑い深さはまだ晴れることはない。

無事エプロンを着用することが出来た僕に、 新たな仕事を与えてくれた。今度は格納という作業に入る。

指定された場所に、荷物を運んでいく作業である。

所詮、軽いお菓子を運ぶだけの事だろうと高を括り、台車に荷物を乗せて何度か往復していると。節々に痛み出す筋肉と腰の揺らぎを感じた。

久しぶりに体を動かした時に予感する、明日の壊れ方マニュアルの冒頭部分である。

あれだけ軽いお菓子でさえ、集合体になれば異様な重さだ。もはや倉庫作業員ではなく引っ越し業者に近い。ネット民の皆様が声を大にして伝えたかったのは、この事でしょうか。

運んでも、運んでも、終わりが見えない状態で午後の休憩に入った。

僕たちが休憩に入った所でも、ピッキングをしている人達はまだ動いている。

運んでいる途中で気になって覗いてみたのだが、ジムや、ゲームセンターなどで見かける、光る場所を瞬時に押していく、反射神経テストのような事をしていた。

ただ一見簡単そうに見えて、実際は難しい所が本音だろう。

流石に水を飲みに休憩室に入ると、騒がしかった午前が嘘のように閑散としていた。自動販売機の唸り声だけが響く、とても優雅な場所に変わっていた。

言いたいだけのカップディスペンサーから 紙コップを取り出し、水をいれるや否や飲み干した。喉に潤いを与えている内に次の水を入れ出す、トチ狂った子供のように何度も同じことを繰り返している内に、休憩時間が終わった。

このペースで行くと、初日から残業覚悟で動かなければならない。残業の有無は自由ですと言っていたが、この状態で同じ口を叩けるのかと疑問を呈したい。強靭な精神力さえあればこんな人生にはなっていない。

再び荷物を運び始めると、ピッキングをしていた人達がぞろぞろと歩き出した。恐らく休憩時間に入ったのではと予想したが、僕たちと誤差があるのは何故なのか、という謎が新たに誕生した。

定時である十八時に差し掛かろうとしていると、スキンヘッドさんから残業します?という優しい言葉を掛けて頂いた。

本音で言えば、今すぐにでも帰りたかったが、もう少しだけ頑張ってみようという思いが芽生え、残業が確定した。

気持ち、減って来た風に感じてはいるが、コンクリートの底が見える面積は少なく。引き続き荷物を台車に乗せて運ぶ、を繰り返す。

そう言えば、担当者はどこに消えたのだろうか。朝、別れた時から見かけてはいない。

明日からひとりで、現場まで向かうのだろうか。次々と溢れる不安に押しつぶされながら足を動かした。

十九時半を回ろうとしていた時。ポロシャツさん、いや今は、最高責任者から僕だけが帰宅を命じられた。

嬉しかった反面、僕以外が未だ働いている環境にいたたまれなくなった。

タイムカード押して帰ってね、と捨て台詞のように立ち去っていく最高責任者を呼び止めることが出来ず。それすらも教えてくれてなかった担当者のケツを拭くように、とぼとぼとタイムカードの場所を探しにいった。

僕が覚えている場所と言えば、玄関から更衣室の道だけだ。そんな場所には無かったように思えたが、記憶を頼りに下駄箱まで戻ってみた。

案の定どこにも無かったのだが、いつの間にか、玄関から見える外の景色は暗く。初めてこんな遅くまで働いた気がして切なくなった。

思い耽るように、しばらく外を眺めていると、行き交うトラックの光が目に焼き付いた。

何かを得て、大事な何かを失った。

階段から走り抜けるような足の連続音が聞こえ、我に返り、振り向いてみると。音信不通だった人間に、久しぶりに合わせるような顔で、スキンヘッドさんが僕の前に現れた。

タイムカードの事で頭がいっぱいになり捜索に出た僕が、何も言わず帰ってしまったと思い、慌てて走り出したのだと言う。

コントのような感情のすれ違いに事情を説明すると、スキンヘッドさんはそっと胸をなでおろした。

人間の鏡みたいな情の厚さに、欠伸を堪えたことによる目頭が熱くなった。

まだ通ったことの無い道を付いて行くと、 簡易的な箱の上に、タイムレコーダーが置いてあり。ずらりと並んでいるタイムカードラックに、僕の札が差し込んであった。

カードを持ち上げると、出勤の箇所に九時五分が打刻されおり。間違いない、奴は痕跡を残したまま帰っていた。

僕はスキンヘッドさんに、これ以上ないお礼をすると。スキンヘッドさんは困ったら何でも聞いてくださいと言い残し、持ち場に戻っていった。

  月

安全靴から、ランニングシューズに履き替え、外の世界に帰還した。何時間も他人と同じ屋根の下で暮らすと息が詰まる。

朝来た道とは、まるで別物に見える帰り道、確か歩道橋を渡って来た気がする。目印は、うどん屋とラーメン屋があった。

勘を頼りに歩を進めていたが、念のためスマホの地図アプリで生麦駅を調べた。地図上には、何の迷いもなく直線が描かれている。

存在意義を無くしたスマホをポケットにしまい、勘を頼りに歩き出した。

夜道を歩く、疎らな人の住処をかわして行くと、色を変えた歩道橋が浮き彫りになる。

この調子だと本格的にひとりで現場に向かう事になる為、道程を覚えながら帰宅する事が必須である。

膨張した肉体を引きずり回しながら、階段を静かに上る。本当にこの街は、行き交うトラックの数が多い、もう一生分見たのではと思うくらいよく目にする。

歩道橋を渡り終えると、店先で煙草を吹かしていた主婦の蕎麦屋と、等間隔に並ぶラーメン屋をなぞるように通り過ぎた。この辺りまでくれば問題はない。

待ち焦がれる信号機に、労働を課せられていた人間の群れが集まりだす。僕もそのひとりとして背後に付いて、星空を見上げるように顎を突き出す。

ほんの一時の過ごし方により、与えられてきた環境が丸分かりになるのが、人間の面白い所である。つま先を道路まで尖らせたり、 心細く下を向いていたり、僕と同じように星空を眺めていたり。

ゲートで息を荒くする人間が早々とスタートを切ると、それに釣られるように誰かが後を追う。僕はマグマに落ちぬ様、白い線だけを踏んで渡る。

眠りこけていた飲み屋が、軒並み目を覚ます駅前に、酔っ払いが肩を並べて歩く。

増々下品になるこの街を、僕はあまり好きになれない。

階段を上り改札を抜けると、女子高生が肩を並べて歩いている。

増々ご陽気になるこの街を、僕は嫌いになれない。

ホームまでの異常な一本道を歩き続け、ベンチに腰を掛けた。次の電車が来るまでの間、 誰かのどうでもいいニュースに目を通しながら時間を潰す。

流石に帰りの電車は混雑を予想していたが、 手すりにつかまる僕が、一番目立つような乗車率だった。

京急川崎駅に到着すると、透かさず百円ショップに向かい、衛生用品コーナーから、赤ちゃんのおしりふきを二つ手に取りレジに並んだ。

この先、ウォシュレット無しトイレに遭遇してしまった場合でも。安心の拠り所としてマストアイテムになるだろう。

緊張から解き放たれたしわ寄せが、腹の音色に乗せて鳴り響く。ついでにスーパーに立ち寄り、割引シールの貼られたお弁当を物色する。僕が大好きなすき焼き弁当は何も貼られていない。

何となしにハンバーグ弁当を手に取り、明日の昼食用のパンを買った。後は飯を食べて、シャワーを浴びて寝るだけだ。

これの何が面白いのだろうか。

 三

僕が予想していた朝とは少し違った。体に纏わりつく節々の痛みは、少しばかり緩和していた。

何かをする気力もなく、睡眠に全身を注いだ結果である。すんなりと起き上がり、導かれるようトイレに駆け込み用を足す。

昼食用のパンと、赤ちゃんのおしりふきをリュックに入れ、また同じ時間の電車に乗る。僕を待ち受けるのは、生麦と書いて秘密の花園と読む、あの場所だ。

電車から降りると、昨日をまた繰り返すように同じ行動をとる。絶世の美女に前後を奪われ、マゾヒズムが呼吸を乱す犯されたい願望を隠し持ちながら、エスカレーターに乗る。

噂の一本道にも余すことなく美女が溢れ、 ここだけを切り取った人生が、永遠に続く事を願いながら、リュックを胸に持ち替える。

あれから連絡を取り合ったわけではないが、 本当にひとりで現場まで行かなければならないのか。

改札を抜けると、願う気持ちで券売機の横で背中を壁に付け、担当者が姿を現すまで見張っていた。

周りからはどう映っているかわからないが、僕自身が盗撮を狙う為に吟味する、心ない人間のような気がして恥ずかしくなった。

人生を凝縮した様々な出で立ちを眺め続けていたが、幸せしか訪れていないようなホシが現れることはなく。刻一刻と迫る時間に痺れを切らし、ひとりで現場まで向かった。

思いのほか綺麗に整理されていた街を、覚えたての記憶を使い闊歩する。

等間隔に並ぶラーメン屋を通り過ぎ、店先で煙草を吹かす主婦らしき人間がまたいる、 昨日と同じ角度でまたいる。

今度は割烹着を着た店主と思われる人間と、 仲睦まじい様子で話し込んでいる。

学校以外の場所で見かけた、同級生のような気まずさで目の前を通り過ぎる。主婦らしき人間に、僕が認知されないようにそそくさと。

歩道橋が見え始めれば現場まで後少し、距離が縮むにつれて鳴る心臓と腹の音。結局食べられる気がしないパンが、リュックの中で揺れる。

スロープを跨ぎ、透明ガラスの自動扉に入り、靴を履き替える。

清掃のおばちゃんが元気よく僕に挨拶をしてくれ、それに応えられないように囁く声で返した。

挨拶に気を取られ階段を上りかけたぐらいで、タイムカードが頭を過った。危うく打刻忘れする所である。

タイムカードを、タイムレコーダーに吸い込ませる瞬間が堪らなく気持ちが良く。あと何十回とでも押してしまいたい、八時四十分現在。

もう一度階段を上り、更衣室に向かう途中で、腰つきのリーダーが分厚い扉から出てきた。

僕は先程の失敗を取り返そうと、精一杯の元気で挨拶を交わしにいく。おまけに目を合わせるという、高難易度の荒業を繰り出しのだが、リーダーは死んだ魚のように僕を横切った。

何か集中していた雰囲気もあったので、気が付かずに通り過ぎたのであろう。僕はそんな時もあると自分で納得させて、更衣室に入った。

先客は二人。どのエリアの人間かは知らない。僕は挨拶をしようと声帯の準備を整えた、 頭の中で何度も、おはようございますと反芻していたのだが、脳内に数秒前の現実が混ざり合う。

世に放つ、具現化された言葉達が床に落ちる。僕は無愛想な形でロッカーに辿り着いた。

焦りの汁が垂れたことにより制御不能になった体は、脈略のない動作で行方をくらます。

完全に血迷った行動が、後に影響を及ぼしそうで怖くなった。

  三

先程とは打って変わって、にこやかなリーダーの指示のもと、昨日同様に商品を棚に並べ始める。

最高責任者の姿はなく、二日目にして独り立ちをさせる、異端児的采配に重圧が掛かる。

僕が出来るだけ多くの箱を開けていると、 知らないツーブロックの男性が、僕と同じ棚に商品を並べ始めた。至って説明不足が続く日々から、早く解放されたい。

しばらくするとツーブロックさんは、箱を開けることを辞め、辺りをうろつき始める。 同行が気になる所ではあるが、僕は目の前の事だけに集中をしていた。

慣れない仮データの不協和音が鳴り響き、 羅列数字が現れる。

僕は向かいに移動をして、数を照らし始めた。足りていればいいとは言え、時間に余裕があるわけではない。

光を消せた商品、消せなかった商品の炙り出し作業を僕が行っている間。ツーブロックさんは働いている速度で何もしていなかった。

どうしても様子が気になり、手を動かしながら視界の片隅に入れていたのでわかる。

うろつき始めたあの時から何もしていなかった。数えているわけでもなく、箱を開けているわけでもなく、ただただ何もしない男。 唯一していたのは初期状態から変化の無い前髪を直すこと。

僕が物怖じせず、かつ無神経な性格ならば、 この局面どう対処するだろうか。

何もしない男と、何も言えない男、の単独行動が少しずつ棚を埋めていく。ようやく箱を開け始めたかと思いきや。一動き、一行動、一前髪、を繰り返すだけの淡白な行動力に苛立ちを覚える。

十一時まで、設定された動き以外の行動は取らない村人を繰り返し、挙句の果てには何の脈略もなく休憩に向かった。罪の意識がない飄々とした去り際が頭に残り、苛立ちに拍車をかけた。

僕も同じように休憩時間ではあるが、責任逃れをするようで腑に落ちない。変に真面目な性格が馬鹿を見る事はわかっている、ただ自分自身に納得がいかない。

誰もいなくなった場所でただひとり黙々と手を動かす、静寂に包まれた空間が落ち着きを取り戻す。

ここでなら休憩室に行かずとも昼食を取れる、という新たな発見があり。次回からパンを持って来ることにした。

決まっているように腹の下りを感じると、 手を止めて更衣室に向かった。分厚い扉を開け、誰もいない事を願いながら忍び込んだ。

ロッカーに詰め込んだリュックから、赤ちゃんのおしりふきを取り出そうしたのだが、 表紙に飾られている。満面の笑み赤ちゃんを 世に放つのかと思うと、恥ずかしさがこみ上げる。

誰にも見られないように辺りを気にしながら、狭いロッカーの中でまさぐりを入れ、瞬時にポケットに仕舞い込んだ。これも予め持ち歩いた方が良さそうだ。

トイレに入ると奥の個室が閉まっていたので、我が家のような手前個室に入り、便器の蓋を開け、腰を掛ける。

スマホでどうでもいいトピックを見ながら、 お腹に力を入れた。

また同じように、トイレットペーパー盗賊のペーパーホルダー音が聞こえてきた。僕にはもう最強アイテムが常備されているので、お構いなしだ。

気楽に踏ん張る事に専念していると、隣の個室から立ち去っていく物音が聞こえる。扉の下に目を落とし、僕は誇らしげに通り過ぎる足元を確認した。

水の音が聞こえ、鍵の解除音が聞こえ、扉が開く音が聞こえ、床を鳴らす、ボロボロの黒い靴が通り過ぎた。

別に誰かを知りたかった、わけではないのだが、あのボロボロの黒い靴に心当たりがある。僕は真実を確かめに行くように、赤ちゃんのおしりふきの口を開き、一枚をお尻にあてがった。

水分が含まれている事により、滑らかになったのだが。拭いても、拭いても、生贄に捧げる枚数を要した。思わぬ誤算に痺れを切らし、表紙の赤ちゃんもご立腹に見えた所で止めにした。

正直拭き切れてはいない。ただ終わりが見えないので止めた。一回五十円も掛かる、トイレライフにコストパフォーマンスの悪さを感じながら、仕方なくパンツを上げた。

  三

再び商品を並べ始めていると、午後の決定データが送り込まれてきた。

僕は商品を数えようと向かいの棚に移動した瞬間。死角から、気配なくツーブロックが登場してきた。おとなしいと言われ続けてきた僕を、凌駕する消し方である。

僕は反射的に目を向けてしまい、お互いの両眼が対面したことで下を向いた。恥ずかしさがこみ上げる中でも、僕の目にしっかりと焼き付けた物があった。

靴だ。ボロボロの黒い靴だ。

安全靴を買いに行った際、普段選ぶ色とりどりな種類とは違い、黒を基調とした靴が多く。誰かとの被りを懸念して、僕は少し高めの青い靴を選んだのである。

これが功を奏した、とは言い切れず。皆考える事は一緒で、形と色に個性を出していた事が見ている内にわかった。

服装とは違い、買い替えることが少ない靴の種類で記憶していたのである。

トイレットペーパー盗賊の足取りを掴んだ所で、次の展開が待っているわけではないのだが。あの飄々とした出で立ちの中で漏れを我慢していたかと思うと、不気味さを感じた。

商品の数を照らし合わせる僕を横目に、ツーブロックは額に湧き出る汗を拭いている。

如何にも奴隷と、貴族、のような関係性に三度苛立ちがこみ上げる。

僕は真っ当な人生に傾きを入れる為に光を消していく。ツーブロックの為にではなく、仕事として、正当化させるように。

汗を拭き終えたツーブロックを横目で確認していると、段々と僕に近付いてくる殺気を感じた。僕の苛立ちが表に出過ぎていたのだろうか。いよいよ本腰を入れて、キレだしそうだ。

僕は商品に目をやりながら身構えていた。

ツーブロックは僕の側まで近づき、耳元に向かって、消さなくていいからとだけ言い、僕が消していた場所をもう一度付け直した。

まず付け直せるのか、と思った事はさておき。僕の努力を無下にする行為に呆れ返った。 こいつのした仕事と言えば、便所で漏らしたくらいで。その間、僕が動き回る姿を見ていただけである。

何故か僕以上に不機嫌そうなツーブロックが、ボタンを強く押し始めたのがわかり。僕はこの場を放棄して、格納作業に移動した。

苛立ちを隠しながら、荷物を台車に乗せていると。スキンヘッドさんが開口一番に、僕に休憩を促した。

僕は不思議な顔をしながら、休憩したことを伝えると。スキンヘッドさんは、僕が休憩時間中も商品を出していた姿を目撃したみたく、その時間分を休憩と見なしてくれた。

本当にこの方は人間としての器がデカイ。

何故こんなにも、優しく接してくれるのかわからないが。僕が使用した二十分を休憩に代えさせて貰い。誰もいなくなった休憩室でパンをかじりながら怒りを鎮めていた。

  三

休憩から戻るとまた同じように荷物を運び始める。これ以上でも、これ以下でもなく荷物を運ぶ。

スキンヘッドさんの指示のもと、格納作業のコツを教えて貰いながら、時間は過ぎていく。

この忙しそうで、マイペースに出来る仕事が性に合う気がする。

そんなことを思いながら台車を押していると、昨日振りの担当者が現れた。フォロー体制万全と謳っているだけあって、様子を見に来たのだろう。

散々文句たれてしまったが、過去を許してしまいそうな甘いマスクに、イケメンのお得差を感じた。

本当に調子を聞きに来ただけで軽く挨拶を済ますと、またどこかに行ってしまった。余韻を残すように、自分でも顔が紅潮していたのがわかる。未だかつて遭遇したことのない顔の種類に慣れなそうにない。

荷物を台車に乗せて運び、荷物を台車に乗せて運びを繰り返し、気が付けば十五時を回り午後の休憩に入った。

今日こそ、定時に帰ろうと心に決めているが、多分というか絶対に、残業宣言をしてしまう自分がいる。

飽きの来ないカップディスペンサーから、紙コップを取り出し、水を飲んだ。今夜の楽しみも、すき焼き弁当の値引き率を確認することくらいしかない。

再び荷物を運び始めると、行違うようにピッキング組が休憩に入る。ついスポットライトの如くツーブロックを目で追ってしまい、 あくまでも飄々とした態度に、いつまでも苛立ちを覚える。

僕が現時点で上に立てる武器とするならば、 新品の安全靴と、赤ちゃんのおしりふきくらいだ。強さで言えば、初期装備以下かもしれないが。

台車を押す体と、雑談をする脳内の分裂が増え始めたくらいで、時計の針は定時を迎える。

今日も同じように聞かれたら断れる自信がない。僕の口から帰宅宣言は期待できない。

遠くに居てもわかる巨大な人影が、僕を見ながら何かを言った。微かだが、帰る、という言葉が耳を撫でた気がした。

僕の聞き間違えかと思い。鼓膜に突き刺さる距離まで詰めて、首を後ろに折り曲げると、 今度は疑いもなく帰りましょうという声が聞こえた。

帰りましょう。

勿論、帰る事の準備を整えていたが、驚きすぎて逆に唖然としてしまった。あれだけ荷物が残っているのに、帰れると言うのだろうか。

スキンヘッドさんは続けて、後は任せて帰りましょうと言い。誰に任せるのか知らないが、伝手がある様子だったので、僕はこれ以上関与する必要もなく素直に帰宅した。

今は唖然としているが、これは喜びが後から追いかけてくる、最高の状態で間違いない。 値引きシールなんて度外視する勢いだ、ピザと唐揚げも付けて腹を満たす。

それだけが楽しみで仕方ない。

  三

寝て終わるだけでは勿体ないと目覚ましを掛けた休日の朝。早起きしたからといって何も予定はないのだが、出来るだけ起きている時間を長くしたい為に、体を起こした。

何もすることがない。いつも通りトイレで排出を済ませて紅茶を飲む。おしまい。

休日にYouTube撮影でもと仮の予定は入れておいたが、そんな気は起きない。登録者も増えなければ、再生回数も伸びない。撮影場所も限界がある。だからと言って、ひとりで喋りながら、街のレポートや食事風景も撮影できない。

なけなしの金で叩いた機材だけが無残に転がっている。僕の休日はスマホでSNSに目を通すだけ、目を通すだけ、目を通すだけ。

目を通すだけの中にふと違和感を覚えた。

この時間って意味あるのか。何もしていないのと同じじゃないか。と胸のしこりを感じ取った。

何故急にそう思ったのかわからない。何故だか自分の身になることをした方がいい気がした。なるべくお金が掛からず、長期的かつ、瞬時に始められそうなことを考えた。

答えはすぐに出た。本だ。

本なら古本屋に行けば、安く手に入れられる。しかも一冊買えば、長期的に時間を使える。

今すぐにでも見に行ってみようと、川崎駅周辺の古本屋を検索した。

ただ問題としては、高校生の頃に芸人さんの書いた小説を、一冊読んで以来の事である。

漫画もあまり読まない僕が、文字だけの世界に飛び込むのは無茶な気がするが、とりあえず古本屋が浮上したので、行ってみることにした。

スマホの地図アプリを頼りに歩いていると、 通勤で使う、京急川崎駅の道程を辿っていた。

今日まで何往復もしていた場所に、古本屋はあった。入口はゲームセンターから始まる建物なので半信半疑だったが、中に入り、エスカレーターで三階まで上がると、全国お馴染みの古本屋があった。

本当に未知の世界で、何万冊と並ぶ本の中から、まず小説コーナーを探し回り。ア行からワ行の、作家別に振り分けられている場所を見つけた。

そこまでは良かったのだが、誰一人知らない、作家名、からどの本を選べばいいのかわからない。

どれも難しそうに見えて、適当に一冊手に取り捲ってみた。パラパラと吹いた風に乗って時を重ねた古びた匂いが鼻を突いて、本棚に戻した。

始めに挫折してしまっては、今後一切手に取る事が無くなると思い。未来に繋がる一冊を厳選した。

また別の場所に回ると、芸能人、で括られたコーナーを発見した。

その中に、僕が高校生の頃に読んだ芸人さんの新作が並んでおり。これなら読めるかもしれないと、手に持ち歩いた。

  三

そこから取り付かれたように本を読む毎日に変わった。休日は勿論のこと。通勤中、休憩のトイレ中など、隙間時間さえあれば一枚でも多くページを捲った。

芸人さんが書く芸人本ブームが到来し。誰も知らない作家さんよりは、大好きな芸人さんの書く小説が、すんなりと体に染み込んだ。

昔からよく耳にする、直木賞と、芥川賞が毎年のように騒がれていたが、僕は気に留めたことはない。

その間。芥川賞作家になる芸人さんが現れたが、僕には芥川賞の功績を感じることは出来なかった。

段々と本の選び方もコツをつかみ始め。芸人本だけではなく、所謂小説家さんの作品も読み始める。

ただ作家名では選びようがないので、本のタイトルが胸に刺さった物を手に取って捲る。 行間隔、難解な表現が使われてなさそう、と感じれば買うようにした。

電車内では本を眺め、駅のホームでは美女を眺め、現場ではお菓子を眺める。

午前の品出しも、午後の格納作業も手に付くようになった頃、待望のピッキングとやらを教えて貰う日が来た。

あれからペアのように、ツーブロックと品を出す日々が続いていた。一緒にではなくほぼひとりでだが、何もしない男だとわかった上で、意識を変えて行動した。

しばらく関わり合いのない最高責任者の指導のもと、それは始まった。

格納作業中も覗くようにしている内に、シミュレーションは完璧だったが。こうして目の前に立つと緊張が増す。

僕の目に見えているのは、両サイドに商品が並べてある棚と、それに伴う各ボタン。

正面には、ベルトコンベアが置かれており、 データ送信とはまた違った、丁度聞き心地の悪いメロディが鳴り出すと、ベルトコンベアは回転し始める。

その回転によって運ばれてくる青い箱。中を覗くように指示をされると、小分けにされたお菓子が詰められていた。

この青い箱は、オリコンと呼ばれる、買い物カゴ程の大きさで出来ている。

続けて聞き心地の悪いメロディが流れると、 オリコンは僕の前から消えていき、また新たなオリコンが流れてくる。

連続してオリコンの行方を眺めていると、 僕が担当するレーンに置かれているチョコレートのボタンが、呼吸をするように点滅を始めた。

まずは最高責任者が見本となり、ピッキングを始める。

ボタンの文字盤には、一、が表示されている。最高責任者は、ひとつ、チョコレートを手に取り、ボタンを押すと光は消えた。

手に持つチョコレートは流れてくるオリコンに入れ、他の商品を綺麗に整理する。

メロディが流れ、今度はビスケットのボタンが光ると、もう一度、最高責任者が見本を見せてくれた。

ボタンの文字盤には、二、が表示されている。最高責任者は、ふたつ、ビスケットを手に取りボタンを押した。

手に持つビスケットは流れてくるオリコンに入れ、他の商品を整理する。

という具合に、指定された商品を個数分手に取る。これがピッキングであると最高責任者は語る。

順番を入れ替え、僕がピッキングに挑戦をした。

メロディが流れベルトコンベアが回転を始めると、四つの光が同時に付いた。僕は一瞬で混乱に陥った。左右に散りばめられた光が呻きながら点滅している。それが更なる焦りを誘う。

とりあえず目に入ったビスケットに向かい走り出した。文字盤には二が表示されているので、二つ商品を手に取りボタンを押した。

左手で上下に重なるように持ち歩きながら、 余った右手を使い、飴一と、グミ一を片手で取りボタンを押した。

両手が塞がった僕は、商品を最高責任者に受け渡し、残りの商品を取りに戻った、が、 行きと帰りで違う景色に見えたように、光の当たる場所を見失った。

目を凝らして見ても、僕の視線から逃げるように、点滅でくらます光を追うことが出来ない。

しばらく泳がされた後で、天の声から。ポテトチップスが聞こえ、二つ手に取りボタンを押した。

  三

格納作業の自由さはなくなり、メロディが流れることで取らざる得ない状態に追い込まれる、強制労働施設で戦っていた。

素朴な疑問として、いつ休憩に入るのかが謎で。ベルトコンベアも、首を絞められながら踊らされている。

現在何時なのか確認したい所ではあるが、 時間を見る余裕がない。

僕が途方に暮れていた時、もうすぐ休憩に入る事を最高責任者は示唆してくれた。程なくしてメロディが三回流れると、意識を失ったように、ベルトコンベアは動かなくなった。

休憩を挟んだ後は、格納作業に移動してくださいとの指示を受け。溢れそうなお尻に、栓を加えながらトイレに駆け込んだ。

赤ちゃんのおしりふき、とは逆のポケットからスマホを取り出すと、ようやく十五時半だという事を知った。

重い扉を開け、トイレの中に入ると、小便器に構える、スキンヘッドさんと鉢合わせた。

僕はお疲れ様ですと言いながら、逃げるように個室に入ろうとした。

スキンヘッドさんは僕の足取りには気付かず、嬉しそうにピッキングの手ごたえを求めてきた。僕はそのつもりだったように、小便器に足元を変えてズボンを下ろした。

僕は難しかったですねえ、なんて言いながら、お尻が逃げていかないように集中していた。

しばらく談笑は続き、今だけは立ち去って欲しい願いを代弁出来ないまま、淡白にツーブロックが背後を横切った。

 0

格納作業だけをしていた午後に、ピッキングが交ざり合う日々に変わった。荷物を運ぶだけの毎日に、飽きさせないような組み込み方をしてくれた。

ツーブロックとのペアも解消され、持ち場を与えて貰えるようになった。今までいた練習レーンを経て、倍の距離もある本格的ピッキングレーンに移された。

最初の何分間は最高責任者が付いてくれるらしく、残りの時間は自分との戦いになる。

僕はより一層緊張が高まっていた。補助ブレーキの無い、ひとり運転が始まろうとしている。

メロディが鳴りだす前に、イメージトレーニングを重ねていると。腰つきのリーダーがそっと僕に近付き、私も手伝うからね、何て言う粋な計らいをしてくれた。

こんなにも優しい人間に囲まれた職場は、初めてだった。

僕の性格上、気持ちが落ち着いて来るような精神力を持ち合わせていないが。期待には応えられるように、集中力は高めていった。

メロディが流れ、長い眠りから覚めるようにベルトコンベアが回りだす。

僕の成長を試すかの如く、手始めに光が七つ付く。目先の物から掴んでいた頃とは違い、 漏れの無いように手前から商品を掴んでいく。

程なくして最高責任者は、会議があると言っていなくなった。僕はぎこちない表情で返事をした。もう少しだけ見守って欲しかった。

商品を手に取りオリコンに入れ、商品を手に取りオリコンに入れ、と息つく暇もなく往復を繰り返す。

焦りが募ることにより、杜撰に取りこぼしが多くなってきた。そんな時はリーダーがすっと現れ、尻を拭ってくれた。

練習レーンでは多くても五つ程度しか付かなかった光が、本格的レーンでは一から三十の個数量が露骨に付き始めた。

百面が頂点にした所の、八十面に連れてこられたような感覚だ。

当初の冷静さを失うと、結局は猪突猛進型に変化した。体制を整える猶予がなくなり、 手当たり次第に物を掴み始める。

何より気持ち悪いのは、時間がわからないという事だ。体内時計では十三時半を回った所である。十五時半頃に休憩に入る傾向があったので、残り二時間とでも勝手に計算を始めた。

予想通りかもわからないまま、メロディが鳴りやむと、ベルトコンベアは息を潜めた。

長く感じる距離に、スマホで時刻を確認すると、十五時半を回った所だった。それだけは間違いなかった。

時間が止まっていたように、腹の下りを感じ取ると、床との接地面積を減らす、つま先走りで駆け抜けた。この時ばかりは乱雑に、 誰もいないでください、という一生のお願いを誓う。

命運を分ける審判の扉を開け、トイレに駆け込むと、奥の個室から眩い光が見えた。石板を上げ、腰を掛ける。

勇者の剣を引き抜いた事により、世界の秩序が崩壊する勢いの出来栄えだった。

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メロディが流れ、ベルトコンベアが回転を始める。

格納の時とは違い、ピッキングとして入った日は、有無を言わさず残業確定である。この調子で行くと、十九時頃に終われば万々歳だろう。

だからと言って、すんなりと帰宅もできない。

荷物が残っていれば、ピッキング組に格納作業が伸し掛る。とりあえず今は、ミスをしないように、心掛ける事が優先される。

状態がリセットされたことにより、始めは冷静さを保ててはいるが、時間が経つに連れて慌てふためいてしまう。

僕の向かいにいるマダムは、アスリートのようにフォームが崩れない。僕は目の前で隠しきれない、ベテランの底力を見せつけられていた。

後半戦間もない頃に、お疲れという声が聞こえた。

振り向いてみると、様子を伺いに担当者が立っていた。

僕はお疲れ様ですと言った後に、状況を把握して貰おうと、だんまり、を決め込んだ。

担当者は続けて、最近どう、なんてマニュアル通りのお気楽質問を投げかけて来た。

僕はこのまま無視を決め込んでやろうかと思ったが、屈託のない笑顔で、まあまあですかねと答えた。

担当者はオウム返しで笑いながら受け取ると、さらに続けて相談とかありますかと言う。

いいから早く居なくなってくれ。

それだけは表に出さないように、僕は特にないですよと猫をかぶる。その間にも光は点滅を繰り返す。

取りに行きたい、けど行けない、むず痒しさが続き。担当者が側を離れたタイミングで、 血相を変えたリーダーが商品を取りに現れる。

僕は罪を着せられて容疑者となった。無駄に落ち込まされ集中力も切れた。

僕はどうでもよくなって、向かいのマダムのように、素早さを重視した取り方に変えた。

メロディが鳴り終え、ベルトコンベアは眠る。

ピッキングを終えると棚卸とは別に、実差という作業を毎日行う。出荷数と、在庫数の差異が無いかを、確認する作業である。

在庫リストと、棚に置かれている商品の数を照らしていく。結果は見事ミスなくやり遂げた。安心も束の間、ため息をつきながら台車を押して歩いた。

帰りたい。

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格納作業もあった午後に、ピッキングが覆い被さる日々に変わった。

どちらかと言えば格納の方が好きなのだが、ピッキング、通称ピッカー不足の方針によるものだった。

ゲーム性があると考えれば楽しめそうだが、 それ以上にミスできない、プレッシャーが上回る。

自分なりに試行錯誤しながら、一応ノーミスが続いている。小さく声を出しながら数えたり、慌て始めた時は集中と言い聞かせたり。

午後の隙間時間も、午前と同じく読書に充てた。トイレだけ一瞬で済ませに行き、持ち場に戻り、パレットに座り、菓子パンを食べながら本を捲る。

視界の片隅から最高責任者が、こちらに向かってくるのが見える。

僕は本に目を通しながら体制を整えた。何か話しかけられそうな空気を察して、内容が頭に入ってこない。

僕は読んでいる振りをしながら待ち構えていると、案の定、声を掛けられた。

僕は夢中でした感満載の、おとぼけ顔をしながら立ち上がる。臭み残る大根臭が鼻を突く。

最高責任者から、シフト表調整のお願いをされた。僕は予定が無いと思われないように、 頭の中にある白紙のスケジュール帳を確認した。こちらは捲っても、捲っても、何も書いていない。

意図的に抱えてみた頭に、念を撃ち抜かれ断れなかった。架空の彼女とのデートでも入れておけばよかった。

ありがとうねと言われ、僕は会釈をして座り直そうとした、が、意表を突くように最高責任者の口から、僕が読んでいた本の著者名が聞こえた。

続けて話を聞いている内に、僕の胸が熱くなるのがわかる。

最高責任者はスマホを取り出し、電子書籍アプリを開いて、遺産を流れるように見せてくれた。親指を下から上に何度も擦るほど、 積み重なる本の高さは身長を軽く超える。

小さい頃から漫画、ゲーム、アニメに興味がなく、周りの人間と距離があった。

僕が大好きな深夜バラエティや、コント番組を話せる人はいなかった。その為に間を詰める術として培ったのが、想像力である。

この世にない漫画、ゲーム、アニメの話をすることで、周りに面白がってくれる人間が増えた。

ただそれも付け焼き刃に過ぎず、気が付けば誰もいなくなった。

初めて人間と、共通の趣味、という言葉で話せる事が嬉しくて。

時間が許す限り話し続けた。

そこから顔を合わせるごとに、本の話をした。誰が好きとか、何系が好きとか、本の選び方なんかを聞かれた。

僕は正直にタイトルだけで選ぶ事を伝えると、そんな挑戦的な事は出来ないと驚いていた。

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ピッキング終了後にトイレで用を足していると、人影がするりと入り、僕の横に並んだ。

百面が頂点の、百面目のレーンで挑戦を終えた、最高責任者が息を切らしていた。ベテランが嫌がる程の場所らしく、僕はまだ体験したことはない。

最高責任者からの、今度やってみる?という脅しに対し、僕が首を横に振るまでの伝達速度に笑っていた。

少しの沈黙が流れた後、最高責任者は僕の未来に語り掛けるように、ずっとこの場所にいるのか、と聞かれた。

僕は間髪を入れずに、一生ここで働こうと思っている、と言った。

最高責任者はまた笑いながら。若いうちに色々経験しときなよ、と言ってズボンを上げた。

僕は本気でそう思っていた。

転職と言っても、次に目指したい場所もない。どんな仕事であれ、生きつくのは人間関係のみである。

僕はようやく、呪縛から解放されたような気がしていた。

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スキンヘッドさんが辞める事を知ったのは今週の事である。親の看病を理由に、退社するようだった。

この日を皮切りに、続々と退社する者が増えた。バンダナさん、わかばさん、トリートメントさんと辞めていった。

大半は話したこともない人達で、僕を邪険に扱うような人間ばかりだった。そのくせして辞めていく直前になれば、揃いも揃ってアドバイスをしてきた。

最後ぐらいは良い顔で終わらせたい、という心理だろうか。

わかばさんに至っては、未来を託すかのような言葉を紡いできた。俺がこの場所からいなくなっても、の後は、臭すぎて覚えていないが。

スキンヘッドさんは、一人、一人に別れの挨拶をしていた。誰もが最後を惜しんでいた。

まざまざと人望の厚さを見た。僕もこんな人になりたいと思った。

数か月余りで僕は古株になった。その間も入れ代わり立ち代わりと、動きはあるものの安定することはない。飛んでしまう者や、音信不通になる者まで。確かに辞めてしまう理由もわかる。

僕がこれまでいた経験の中で、明確な不安材料と言えば、説明不足以外に見当たらない。

慢性的人手不足により、最高責任者が午前に顔を出すということもなくなった。代わりに品出しの時間は、リーダーしか指示を出せる者がいない。

いや違う。リーダーの指示の元でしか動いてはいけないが正解だ。

僕達は一日の流れを把握しているので、自分がやるべき事を知っている。

勿論新人達もリーダーから指示は受ける。

しかし困った時に、周囲の人間に助けを求めるも、皆厄介者を見るような目で、リーダーに聞いてと言うしかない。

散々たらい回しにされた挙句、何をやらされているかわからなくなり辞めていく。これを見かねて、僕が教える事も出来ない。

何故なら、リーダーとは名ばかりの支配下で、行動しなければならないからだ。と、僕は分析しながら、ただ黙って品を出していた。

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この日は、眼鏡を掛けた男性が新人として入ってきた。

リーダーの指示により、僕とペアを組んで品を出すことになった。僕の思いとしては、一日でも長く居て欲しい、ただそれだけである。

一度に全部を詰め込むのも、頭が痛くなると思い、時間ごとに何をしているかを説明しながら進めていった。仮データが出るまでは身動きが取れないので、僕の予想で出荷量の多い商品から出してもらう事にした。

この説明の間。メガネさんは反抗期のような無愛想が前面に出た、空返事を繰り返した。

また面倒くさい奴が入って来たな、という胸の内は隠しながら話を進める。

メガネさんは、気怠そうに歩を進めた。何度も見た、人間が消える前の予兆が背中に映る。彼はもう、明日には居ないのだろうと思いながら、順番に出して欲しい商品を伝えた。

仮データの送信音が流れ、羅列数字が本日の予想出荷量を表示する。

僕は作業中のメガネさんを呼び止める。メガネさんの、俺に構うなという態度のせいもあってか、舌打ちが聞こえたような気がした。

類を見ない足取りで近づいて来る。この時間すら惜しい事を知らない、メガネさんの到着を辛抱強く待つ。

僕が仮データの説明を始めても、同じように聞く耳を持たない態度に、ちゃんと諦めがついた。

十一時から三十分間の休憩があることも伝え、後は野放しにした。

ピッキング経験者の女の子が入って来た時は嬉しかった。女性が走り回る姿に、興奮を覚えた昼もあったというのに。

時間五分前になれば、続々と休憩に向かう人だかりができる。

今日は出荷量もあまり多くなかったので、 僕もトイレだけ済ませに行き、持ち場で惣菜パンを食べながら、本を読むことにした。

一応気にして、メガネさんを目視すると、 勢いよく出す必要のない商品を開けていた。

僕は良心的に休憩を促すと、レンズが少しだけ光を放ち、足早に去って行った。

絵に描いたような無視のされ方に、何の感情も湧かなかったが。僕なりの抵抗で、それくらい速く走れよと、目線で背後から突き刺した。

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本データの送信音が流れ、本日の確定出荷量が表示される。

僕は計算する手間を省けるように、予め数えやすい並べ方をしておいた。その甲斐あって表示される数字を見ただけで、足りているか、足りていないかが分かるようになっていた。

休憩から戻るメガネさんは、最高責任者に連れられてやって来た。何か説明を受けている様子から、特発こと、特別発送の事だろうと分かる。

通常商品とは別に、期間限定商品が店頭に並ぶ際に行う、特別発送。

例えばコラボ商品や、過去話題になった商品などを、ベルトコンベアの脇から、順番通りに流していく作業である。

順番通りにと言っても、初日から要領を掴めるものではない。滝のように流れるメロディに、焦り散らかす人間を何度も見た。僕もそのひとりではあるが。

先程とは打って変わり、真剣な眼差しで、最高責任者の話を聞くメガネさんがいる。

目の前の人間が、自分よりも上か下かを判断して態度を変えているようだ。とするならば、僕は下だったということだ。

二人が話している様子を複雑ながら盗み見していると、最高責任者は、僕に向かって手招きをする。

僕は小走りでそちらに向かうと、意図を汲ませるように、余裕があれば手伝ってあげてとだけ言う。

僕はわかりましたと言いながら、メガネさんに向けて、よろしくお願いします、という意味を込めて目配せをした。

さすがに、上の人間がいる前では態度を改めると思ったが、プライドの高さを伺えるような無視を簡単に決め込まれた。

これ以上の関与は、損を生む事にしかならない。その為に手伝わない方針で進めていきたいのだが、念のため気にする風でも取っておくことにした。

メロディが流れ、ベルトコンベアが回転を始める。

光るボタンに合わせ、商品を手に取っていく。僕も決して余裕を生み出せる程の領域には達していない。本当に気にしてあげられない時間の方が多い。

メガネさんは、ぶつぶつ独りごとを言いながら、自身の力でなければこの店は回らないと思い込んでいるバイトリーダーのように頭を抱えている。僕の舌打ちにも拍車がかかる。

人手不足ではあるが、こいつだけはいち早く辞めて欲しい。それだけを心の底から願っていると、遠くからリーダーの荒げる声が聞こえた。

ベルトコンベアは一時的に回転を止め。僕は野次馬のように、事件の匂いを嗅ぎつけにいくと、特発の順番が違う事を叫んでいた。

なるべくしてなった。という思いは、僕だけにしかわからない。

メガネさんは、燃え上がる街を冷静に見つめながら、左手に持つリストにこぶし分の皺を作る。

再びメロディが流れ、ベルトコンベアが回転を始めると、何度も地団駄を踏むことで感情を露わにした。

わかるわけねえだろ、という独り言と共に。

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願い虚しく、メガネさんは数週間経っても居続けた。僕は意図反する孤立をしてしまっているが、彼は自らの意思で一匹狼を演じる。

足をずって歩きながら、常に面倒くさい、を纏う。独り言を垂れながら何かにキレテいることで、出来ない自分を隠そうとする魂胆が見える。

自覚なしに自然と嫌な空気を放ち、僕の感受性を揺さぶる苦手な人間だ。

直接関わり合いが無くても、目に入るだけで気疲れしてしまう。次の日こそは辞めていてくれ、という思いは日々更新された。

明くる日に、新人として入ってきたのは、青のワイシャツを着た男性だ。

動きやすい格好が並ぶ中、律義に服装をまとめている。始めは担当者側の人間かと思ったが、見た目だけであった。

それっきり、午前の品出しは見掛けず。午後も、格納に回された様子で接点はなかった。

次にワイシャツさんを見掛けた日。本人も異変に気付き、しっかりとスポーツウェアに変わっていた。となると他の呼び名を考案したい。

ワイシャツに気を取られて随分と霞んでいたが、勝手ながら、パーマさんと呼ぶことにした。

突然話し掛けられたのは、休憩時間の事だ。

僕が本を読んでいる所に、パーマさんは現れた。手にしていた本には触れず、長年連れ添ってきたように、喋り出しは愚痴からだった。

群れから逃れるためにいた場所に、客人が現れた。僕もまた違う意味で、話し掛けにくいと思っているのだが、そうではないのだろうか。

僕は物語を見失わないよう、言霊にしおりを挟み、本を閉じる。

パーマさんは、ここ数日間で溜め込んできた不満を捲し立てる。

その中に、表向きは正社員ではあるが、傍から見れば、派遣として蔑まれる事の懸念をしていた。

僕がこれまでいた限りでは、そんな風に扱われることはなかった。いい意味でも、悪い意味でも、お互いに興味がない。

泉のように湧き出る鬱憤を晴らせたお礼なのか、飯でも食いにいこうと誘われた。僕は冗談半分だと思って、深く受け取らなかった。

そこから、休憩時間が訪れる度に話し掛けられるようになり、飯を食いにいこうと何度も誘われた。

  0

タイムカードに退社時刻が刻印された事を確認し、カードラックに戻した。続けてパーマさんも刻印をした。

ピッキング組と、格納組、に分かれてしまう僕たちは、なかなか時間を合わせることが出来なかった。

その中で、この倉庫から配送していた都内のコンビニが、三百店舗、潰れたことになり、出荷量が大幅に減るという事件が起きた。

このままでは、倉庫事態が潰れてしまう可能性を揶揄する発言を、最高責任者から聞いていた。

その波は、僕達の存続にも響いた。

三社が混在している派遣会社を一社だけと契約する、所謂派遣切りが行われた。

偶然僕たちは生き残る事が出来たが、突然未来を絶たれた人間は多い。

もう一つ都合のいい話と言えば、トイレにウォシュレットが付いたことだ。工事の予定があると朝礼で発表していた時、大きく拳を突きあげたかったのは、僕とツーブロックの他に誰かいたのだろうか。

ありがとう。赤ちゃんのおしりふき。

釣られてパーマさんから、メガネさんって方が気難しいという話を、駅までに連なるラーメン屋で聞いていた。

僕はどこまで口を割ればいいかわからず、 余り関わらないようにしている事だけを伝えた。

運ばれてきたネギラーメンと、大盛りのカレーを食べながら話は続く。

僕達の未来も容易には安心出来ない。実際給料にも反映されたばかりだ。

あれだけ人手不足に悩まされていたはずが、 逆に月の休日を増やされ、その分の給料が減らされた。

パーマさんは通いやすいように、わざわざ生麦駅に引っ越して来たばかりだと言う。

それなのに、奢ってくれるなんて申し訳なさすぎる。大盛りのカレーに関しては僕の意志ではなく、沢山食べさせられるという、ノリではあるが。

久しぶりに、お腹が膨れるまでご飯を食べた。ラーメン屋を出るや否や、次回は焼き肉に行こうと誘ってくれた。僕は嬉しくも、今はまだ、体内から逆流を感じている。

生麦駅に向かって歩く途中で、パーマさんが指をさす方向に、一軒のアパートが見える。

まだベッドのない部屋が新居だと笑いながら、お礼をして別れた。

翌日には約束通り、焼き肉に連れてってくれ。また違う日には別のラーメン屋で、名物らしき、チキン炒飯とやらを頼んだ。

運ばれてきたお皿には、手のひらサイズの豪快なチキンが炒飯を隠すように乗っていた。

どちらが先に完食できるかを比べながら、 僕は途中で限界を知り、パーマさんは当たり前のように空っぽにする。しまいには、その帰り道に腹が減ったと言って、お弁当を買うような、大食いの持ち主であった。

  0

パーマさんも、ピッキングに入るための練習を始めた。あの時の僕と道筋は変わらず、 練習レーンから慣れていき、後に独り立ちする為に、誰かの品出しの手伝いに回る。

僕以外と組む時は気を遣っているが、僕と組んだ日は、おちゃらけながら、品出しが進行していく姿を確認していた。

僕は笑いながらも、日によっては間に合わなかったりして、目に余るものがあった。

形としては僕の方が先輩ではあるが、人に注意するような度胸はなく、仕方なく見過ごしている。

相手のボケに対しては、ノッテあげることしかできない。ツッコミというのは、受け取る側の理解力がなければしてはいけない、至難の業である。

ちゃんとやってくださいよ、という笑い交じりでさえ伝わらない場合が多い。

僕は、直接は言えないが真面目にやって欲しくて、途中からあしらうようにしていた。

パーマさんから、他に何したらいい?と聞かれ、僕はオリコンを用意してくれると助かりますと言った。

これに対し二つ返事すれば良いものの、土下座してくれないと嫌だ、と言ういらないラリーを挟んできた。

僕はもう面倒くさくなって、じゃあ大丈夫ですと答えた。

パーマさんは、僕の肩を叩き、何かを言いながら去っていく。

しばらくして素直にオリコンを運ぶ顔に、 真一文字が結ばれていた。

休憩時間が訪れ、進みだす物語は、久しぶりに、最後まで読み切れてしまった。

 日

スロープを跨ぎ、透明ガラスの自動扉に入り、自分のシールが貼られた下駄箱から、安全靴を取り出し履き替える。清掃のおばちゃんが元気よく挨拶をくれて、僕もそれに答える。

タイムカードを打刻しに奥の通路まで進んでいくと、カードラックに戻すパーマさんが目に映った。

いつもならここで挨拶をしてすれ違うのだが、僕を鬼の形相で睨みながら、何も言わず通り過ぎた。

あの時まで毎日のように一緒にいた。僕の癇に障るような発言から機嫌を損ね、短期間に二人目の無視を決め込まれた。

本当に面倒くさい。

何故こうも人間に振り回される星の元に生まれたのだろうか。

大人しいから。なめられやすい容姿から。

思い返せば小学生の時もそうだった。同じように友達と悪巧みをしても、人一倍先生に怒られるのは僕だけだった。

同じように喧嘩した時も、僕から謝るまでは口を利かなくていい、と先生がその場にいる友達に約束をして、孤立状態で教室にいたことがある。

良い記憶も、悪い記憶も。鮮明に覚えているこの頭を、叩き割ってやりたいと何度も思った。

使い道のない記憶がふとした瞬間に蘇るたび、心臓に靄がかかる。

このまま更衣室に向かうと、また鉢合わせると思い、トイレで時間を潰してから向かった。仕事とはまた別の場所で気を遣うことに嫌気が差し、溢れ出す下痢の集落が水辺に浮かんだ。

こんな瞬間での願いは届き、更衣室は閑散としていた。帰宅時には否が応にも人間が溢れる。

望みを託し、出入口付近のロッカーを使うパーマさんを横目で追っていたが、僕は背景の一部と化し、見向きもしていなかった。

午前の品出し作業は、運が良くも、悪くも、ペアにならずに済んだ。

休憩時間が訪れても、これが日常であった事を思い出し、本が捲れるようになった喜びを自分に言い聞かせる。

僕は試しに、無視に気付いていない振りをして近くに寄ってみた、が、避けるように遠ざかっていくことで確信のものとなった。

出荷量が減少したことにより、夕方頃には全ての業務が終了してしまう事が増えた。その為の打開策として、明日の分の品出しと清掃を行い、時間を何とか埋め始める。

リーダーの指示により、持ち場を分担させ品出しを始めた。

僕は練習レーンに配置され、パーマさんは百面レーンに配置された。後は定時を迎えるまで、ゆっくりと行動するだけでいい。

真剣な表情で、黙々と手足を動かしてはいるが、位置関係により、商品の隙間からどうしても顔が視界に入り込む。まだ接点のない時のような感情には戻らない。

同じ百面レーンにはメガネさんもいて。パーマさんは散々とっつきにくいなどと熱弁していたはずなのに、いつの間にか仲睦まじく談笑しながら、手足と口を動かしている。

裏切られた。

何故だか僕はそう思った。見なければいいと自分に言い聞かせる程、潜在意識に操られ目で追ってしまう。

定時を迎えると、僕はトイレを済ませてから更衣室に入った。偶然にも横並びのロッカーを使う、彼らの背後を他人の振りをして通り過ぎる。静寂を切り裂く笑い声に耳を塞ぎたくなる。

僕の身支度は特になく、リュックを取り出して帰るだけなのだが、出入口付近を陣取る、彼らの側を再び通り過ぎることが出来ない。

僕は何も用がないリュックを漁り、時間を稼いだ。さらにはロッカーの中に手を入れ、本を読むという、奇々怪々な行動にでた。

飲み屋を出るように去っていったことを確認し、後をついて行った。一定の距離を保ちながら、タイムカードを押しに向かう。

並んで待つ間に、どうしても追いつくと思い、一階のトイレに身を潜めた。

個室に閉じこもり、声と足音に耳を研ぎ澄ませる。おそらく彼らの笑い声だったようなものが聞こえると、念を入れ十分程経過してから、タイムカードを押しに向かった。

さらに念を入れ、目が合わないように俯きながら歩いた。ここで鉢合わせれば一巻の終わりだと思い、決死の覚悟で挑んだ。

カードラックから、僕の名前を取り出そうと上下に顔を動かしのだが、いくら往復しても見当たらなかった。

虐めの助長を予感し身震いがするも。偶然か、悪戯に、パーマさんのカードが僕の上に重なっていた。

  日

決してやり返そうとは思わなかった。人間という無様な生き物に構っている時間など僕にはないからだ。

そうやって言い聞かせなければ、精神が崩壊する。人生における道化師に回されることで、今日も誰かが僕を笑う。

何週間か経って独り立ちしたパーマさんが、 僕の向かいのレーンでピッキングを行うことになった。未だに会話どころか、挨拶も交わしていない。毎日現場に来ることさえ億劫になっている。

姿を見る限り、真剣に取り組むようになっていた。時にメガネさんが茶化しにやってきて、結末はいつだって同じように僕は蚊帳の外で見ている。

休憩時間に本を捲る間も、今日こそ話し掛けに来るかもしれない、と淡い期待を寄せる自分を早く殺してやりたい。

メロディが流れ、ベルトコンベアが回る。

僕も他人を装い、興味のないように商品を取っていくが、視界には常にパーマさんが映る。

集中力は削られ、始めた頃のように手がおぼつかない。

折角、一生ここにいると決めた仕事に出会えたのに、根本的な原因は人間関係の他にない。

逆にどれだけ辛い仕事であれ、スキンヘッドさんがいた頃のように、信頼できる人さえいればどうにかなる。今の僕はどうにもならない。

残り数回のメロディで、午後の休憩に入る直前、何事もなかったかのようにパーマさんが話し掛けてきた。気まずそうな表情は見て取れるも、僕は無視をされていなかったように振る舞った。

あとどれくらいで休憩に入るかを聞かれ、 僕は四回くらいですかねと答える。

予言通り休憩時間に入ると、本を捲った。

これが逆の立場だった場合、すんなりと許してくれるのだろうか。関わりを持った相手に無視をしようと決めた時点で、自分に影響を及ぼさない人間という、蔑む心がある。

気持ちが行き詰った時に、同じ境遇を迎える物語の主人公に投影してしまう。これを書いた作者の頭の中は、いったいどうなっているのだろうか。

ピッキングが再開すると、ここ何週間か受けていた傷を本当に無かったように話しかけられ始めた。

もう修復は不可能でありながら、同じ目に合わないように、明るく振る舞う自分が情けない。

帰り道は一緒にならないように、誰よりも早く帰ることを心掛けた。

  日

何も聞かされておらず、心の準備が出来ていなかった。僕はやりたくないと伝えてあったはずなのに、いよいよこの日が来てしまった。

難易度百面目のレーンに、挑む日が来てしまった。

最高責任者自ら選出した人間しか挑戦できないこの場所。他のレーンは組み換え自由みたいだが、ここだけは信頼できる人でしか置けないらしい。

という自慢話になってしまったが、僕の成績を認めて貰えた事は素直に嬉しい。更には僕も中心メンバーとして、このレーンを回していくと直々に伝えて頂いた。

手始めに、最高責任者のお手本を見せて貰った。

ここまで経験を積んできた事により、初動でその難しさを感じ取れた。言うなれば、利き手じゃない方で文字を書く感覚に似ている。

思い通りに動かせない気持ち悪さと、その内上達していくであろうという成長が約束されている、あの感じ。

初日はサポートに回り、見て学んだ。

  日

この仕事をしていると、スーパーなどに行った際、店員さんが商品をカゴからカゴに移す作業と酷似していると思った。

綺麗にまとめながら入れてくれる。あの何気なく見ていた行動に、物凄い技術が含まれていた。

決められたカゴのサイズに、様々な形や、重さのある商品を瞬時に積み上げる能力。僕は毎日のように頭を混乱させているが、この仕事のおかげで買い物が上手になったことは間違いない。

ここへ来てより一層、奥深さを感じた。

猛特訓は続き、最高責任者のサポート無しで独り立ちをする日がやってきた。午後に時間があれば見に来ると言われ、心の支えは目の前にいるリーダーだけとなった。

リーダーの仕事は、ラベル作業という、店舗別に商品の行き先を示すカードをオリコンに貼っていく仕事である。

出荷量が極端に少ないレーンではあるが、 ピッキングと並行しながらやらなければならない。

百面レーンに来たことで、ラベル作業の事を知った。こうして目の前にリーダーがいるという状況が生まれた。

緊張を隠せない僕に、一言、救いの手を差し伸べてくれたリーダーの顔は、廊下ですれ違った死んだ魚のような目で不貞腐れていた。

メロディが流れ、ベルトコンベアが回る。

僕は商品を手に取る事でリーダーに近づいていく。今まで聞こえていなかった舌打ちが何度も聞こえる。僕は耳を疑った。

上手くいかない自分に対して、自然と出てしまった舌打ちではなく、意識的に相手を侮辱する為に舌を鳴らす。

さらにはテンポが悪くなり始めると、早くしてよもう、と言いながら地団駄を踏む。

仕舞いには、イライラが頂点に達した時、 手に持っている商品を床に投げつけた。

常にキャピキャピとした印象は一瞬で崩れ、 裏の顔がはっきりと表れた。自分の感情を抑えられないタイプは、視界に入るだけで気疲れする、僕が一番嫌いな人間だ。

幼少期の頃。父親のDVにあい、活発的だった僕は人の顔色ばかり窺う、人間に育った。 

学校では明るく振る舞い誰かを笑わす事が好きな一方で、家に帰れば、頑なに口を開かず、笑うことさえ辞めた。

どの発言、どの行動も火種とならないように、感情を抑えつけた。

大好きなお笑い番組だけは欠かさず録画して、家族がいない間に、擦り切れるほど見ても尚、同じところで笑う人間である。

僕に欠陥があると気付かされたのは、中学の頃。部活の後輩に言われた事で知った。

周りが笑っている時に先輩は笑っていなくて。先輩が笑っている時は周りが笑っていないと言われ。

それから教室を観察し始めると、先生の書き間違いによるミスで教室が湧く瞬間、僕は真顔でいて。先生の言い回しが気になり、ひとりでニヤニヤしている瞬間は、誰も笑っていなかった。

社会からずれているような言われ方は、この時から始まっていたのかもしれない。

  日

約束通り、午後の途中から最高責任者が現れると事態は急変した。あれだけ大っぴらにしていた感情を隠し、キャピキャピと腰をくねらせる。更には見向きもしていなかった僕に、優しくアドバイスを添える。

怒りを通り越して悲しくなった。

都合の悪い人間の前で優しさを振りまき、 都合のいい人間の前では毒を吐き捨てる。自分の好感度を上げる為なら手軽に人を蹴り落とす。

真実を伝えた所で、嘘つきは僕の方になってしまう。立場の強さを利用する、紛い物に遭遇してしまった。いとも簡単に姿を変える人格者が、この現場のリーダーである。

ローテーション通りに回って来る前日から気持ちの整理がつかず。空間をただ眺めていると、頭の中にこびりつくメロディが流れた。 

次々と浮かぶ顔が、脳内をかき回し、やり場のない道を蝕んでいく。 

  日

気分転換に出掛けてみたりしたがどれも栄養にはならなかった。海を眺めにわざわざ熱海まで行ってしまった時は、流石に自分でも病んでいると思った。

この仕事を辞めた所で次へのあてもなければ、人間という壁を乗り越えられた試しもない。手に入れた正社員という肩書きのみで、 何とかしがみついているが、路上に捨てたタバコの煙を消すように、息の根を止められる日はそう遠くないのかもしれない。

あらたに新入社員が入って来た。彼の姿は僕達のするエプロンではなく、最高責任者が着用している、オレンジ色のポロシャツだ。

つまり派遣社員ではなく、直雇用された若者だった。

副責任者とでも言うべきか。緊張の面持ちで挨拶をしている姿を見ていると、途端に僕の心拍数も上昇し、顔を真っ赤にしてしまう。 

他人が怒られていたり、ヘマをしていたりすると、自分のことのように感じる

教壇で作文を読む同級生、母と兄が父親に被害を加えられている時間も、そうだったように。

僕は柄にもなく、自分から話し掛けてみた。 すがるような思いだったのかもしれない。村八分にあっている事を悟られないように、隠れて命乞いをする。

気慣れない副責任者は、額に大量の汗をかきながら必死に答えてくれた。頭を何度も下げながら、別の生き物を見るような目で警戒心を発していた。

少しだけ心情を垣間見えるのは、自ら好きなアニメを語ってくれたことだ。

当時はまだ知らなかった、サブカルチャー、 という言葉が今になってしっくりくる。いつまでも共通の趣味を見出せないのは、光の当たらない人間に投影してしまうからである。

時折、言葉の行き違いによる、困惑の表情を見て僕は楽しんだりしていた。

反撃をするように副責任者が、俺は平成生まれだから、と言った瞬間。平成三年生まれの僕はひっそりと肩を落とした。

気が狂った行動に終止符を打つ為、これ以上関与はしなかった。パーマさんは正気を取り戻したように話しかけに来るが、僕としては身を削る思いで口を開いた。

夜道は行方をくらますのが板につき、同じ境遇の歌詞に自分を重ねる。

歩道橋の手前、場内にトラックが進入できるように歩幅を緩めた。ウィンカーは波を打ち。全身に浴びる光が、タイムスリップの助長に見えたとき。

隣には副責任者が息を切らして立っていた。 

タイミングの良さに驚く僕の顔を見ながら、 歩くのが速いっすよ、と言って笑っていた。

人間に捨てられ、人間に拾われ、人間に捨てられ、人間に拾われ。

僕を谷底へと落とし切らない。

そのままの形で駅に向かって歩いた。今朝とは違う距離感が、僕に好意を持っている事を窺える。より深い私的な話となり、副責任者がお金持ちだった事実を知る。

父親の伝手により、二泊三日の海外旅行、 交通費、宿泊代、VIPルームカジノ三昧などが全て無料になる。という話を当たり前のような顔で語りだし、嫉妬もしない貧富の差に笑ってしまった。

  日

副責任者は無邪気に話しかけてくるようになった。相対すれば、手刀で僕の体を斬る動作が挨拶替わりとなり、見た目通り少年らしさが垣間見える。一応斬られる動作で挨拶を返しているが、三十路手前おじさんには恥ずかしいものがある。

休憩時間になると、僕が読んでいる本を興味なさげに聞いてきたりする。毎日変わるわけではないので、同じ本を同じように説明している内に、何処かに消えていく。

隣のクラスからちょっかいを出しに忍び込むヤンキー、のような煩わしさがあった。もうすっかりとため口で話し掛けられるようになり、僕は誰よりも下回る人間なのだと再確認する。

しかし副責任者にとっても頼みの綱は僕だけの様であり、事あるごとに投げかけられる質問に答えている。

嬉しい反面。リーダーの支配下で暮らす僕には何の権限もない事を、少年は理解してくれるだろうか。

歴史は繰り返すように、目に余る無邪気さを注意出来ないでいた。リーダーの耳に入る前に少しだけ先輩風を吹かしてみると、副責任者は頬を膨らまし不貞腐れてしまった。

バラバラの上下関係が床に散らばる。無駄に古参染みたせいで、板挟みにあう僕は、正解の絵を作り出せない。

  日

午前の品出し作業、副責任者が僕とペアになった。

流石に直雇用された側の人間だけあって、 日を追うごとに、最高責任者やリーダーからの指導に熱が入っていた。

その影響もあってか、与えられたストレスを逃がすかのように、僕に目一杯話しかけてくる。頷くことしか出来ない僕は、夢中になるばかり、口だけが動いている副責任者を見過ごしていた。

話のリズムも相まって段々と声が大きくなっていく。拾ってきた犬を秘密にして飼うような、気掛かりが脳裏を横切った。吠えないようにと抑えつけるほど反骨精神が滲み出る。

静かに、静かにしてくれ。

そう願っていた矢先、副責任者の背後にリーダーが現れた。まだ猶予を与えるように、がら空きの背中をじっと見つめている。

僕は視線で危険信号を送ってみるが、自分語りに夢中で気付いてくれない。

いつ刀を振り下ろされてもおかしくない状況の中で、異変を察した副責任者が後ろを振り向いた。一貫して形状が変わらないリーダーの怒号が響いた。

連帯責任であることは間違いないのだが、 リーダーは副責任者にだけ目を向けて喋っている。いち早く察した分だけ、僕は難を逃れた気がしている。

一通りの戯言に終止符を打ち、リーダーは消えていった。 

倉庫という小さな場所にしかいない大人から、少年は社会の縮図を学んでいた。偏る人生観を植え付けられた、社会不適合者にならないで欲しいという雑魚の心配を余所に、僕に向けてへらへらと笑っている。

何時かの帰り道に、両親が怖いという話を聞いて。怒られ慣れしている心臓の強さを発揮していた。

寧ろ副責任者を扱い、僕の心臓を抉っていたようにも感じた。

  日

無垢な少年は持ち前の明るさも発揮し、あっという間に誰とでも打ち解けていった。皆が下の名前で呼ぶ中で、僕はまだ誰の事も名字ですら呼んだことはない。

人の名前が呼べない。という共感性の少ない病に侵されている。

呼ばないといけないことはわかっているが、 本人を目の前にすると、口がもげる。お前如きが容易く呼ぶなよと思われる心理が働き、すみませんと言い、呼び止めたりしている。

本人がいない所では呼べたりするのだが、 学生時代は、ねえ、あのさ、で呼びかけ誤魔化していた。一時は親の事すらも呼べなくなり、突然話題から入ったりしていた。

勿論パーマさんと、メガネさんとも繋がりを持ってしまい。訪れた助け船は僕を振り落とし、走り去っていった。

最近パーマさんが買ったと自慢していた、スマートウォッチを使い。三人でふざけ合っている様子を、僕は遠くから眺めていた。 

あの悪夢を予感させる出来事が、また起きようとしている。

同じ品出し作業中であるにも関わらず、懲りない精神力は見事なものである。倉庫内に響く笑い声は、地獄耳でなくともここまで届いている。

スマートウォッチに内蔵されている、音声認識機能を使い。今日の天気が晴れであることを何度も教えてくれている。実際は雲行きが怪しくなっていることに、まだ気付いていない。

リーダーはというと、三人の様子を射程圏内に捉えており、後は時間の問題と思っていたまま、何事もなく休憩に入った。

  日

人の出会いは偶然ではなく必然であるとするならば、僕は唾を吐き捨て、中指を立てたいと思う。

副責任者も感付いたようだが、僕といる時だけ必要以上に注意され。仕舞いには、喋るな。という何の脈略もない指導を受け黙らされていた。

彼なりの作戦でメモ帳の切れ端を使い、文通方式で会話をしてくれようと、最後まで気遣ってくれた事に胸が痛くなる。

こいつと一緒にいると損しかしない。と彼自身にも芽生えたのは、露骨に距離を置かれた事でわかった。

これは偶然ではなく必然的であり、僕はまた孤立状態に戻っただけの話である。

生きる気力を失い。国道沿いまで体を立たせ、自動車が僕を跳ねさせるように誘導を促していたが、それよりも早く信号が青に変わった。

自分を何とか誤魔化し続け、ここまでやってこられたのだが。擦り減った心は限界を迎えた。

 日

思い入れない駅に到着した。

今度は母親の手を借りずに、実家までの道程を歩もうとしたのだが。不思議なもので、 記憶にある地図と現実が上手く重なり合わず、 直ぐに電話を掛けた。

呼び出し音が鳴り響く間。何気なく交番の前で佇んでしまい、迷子そのものに見えて恥ずかしくなった。

見渡す目線を下げて、待ち合わせ感を演出していると、受話器の向こうから、母親の声が聞こえた。

僕が見ている景色を母親の脳内に映しだしていると、夕飯を買いに行くと言われ、結局スーパーで待ち合わせる事にした。

今回の双六は、随分と楽しまされたみたいだ。いつ踏み外したかのもわからない分岐点が、どこかに眠っている。

胸が苦しくなって、初めて当日欠勤をした。 

寿命を延ばそうと、少しだけ抗ってみた。

気晴らしに散歩に出かけ、ディスカウントストアでバスタオルを買った。更には髪染めも買ってみたが、過去の自分は死ななかった。

朝礼の際に最高責任者の口から報告があり、別れを惜しみ何度も頭を下げる僕に、疎らな祝福の拍手が加えられていた。気がした。

最後だからという理由で、思い出程度に百面レーンが用意されていたのは腑に落ちなかった。せめて清々しい気持ちで立ち去りたい僕に、リーダーは途轍もなく優しくしてくれた事を覚えている。

定時までの時間を品出し作業で埋めていると、僕がひとりになった所を見計らい、最高責任者から別れの挨拶を告げられた。

これまでの経緯を知っているかのような、 忘れられない一文がある。

「そのままのキミでいなさい」

僕に生きる希望を与えてくれたのは、大人 に出会えたことだった。

  日

自宅に戻り、新たなバイト先を探そうとしたのだがやる気が出なかった。

母親と今後について話をしていた時。年内は何もしなくてもいい、という結論が出て、 僕もそのつもりでいた事を隠していた。

先ずは読書がしたいと思い、気になったタイトルから目一杯買い込んだ。起きてから寝るまでの間、本を読む日々が続いた。

それに加えて偶然出会えた。芸人さんが二人で一時間喋る、という易しいチャンネルにハマっている。毎日のようにカラオケ店からライブ配信をしており、日常に寄り添った会話が癖になっている。

僕はただのんびりと、生きている時間を埋めていた。何度も死にたいと思っていたのに、 いけしゃあしゃあと生き延びてしまった。

ライブ配信を見ていると、しばらく置き去りにしている、YouTube熱が沸々と湧き上がってきた。

初めて録画ボタンを押したあの日から、ひとり喋りの難しさを常日頃感じている。

この人達みたいになりたいと、ライブ配信をしてみたいと、また余計な事を考えてしまう。何の根拠もないが今なら出来そうな気がして、カメラを自分に向け、震える声で喋り出してみた。

読書時間を重ねていると、好きな作品のタイプがわかってきた。

幸せや前向きで終わるような物語ではなく、僕のように、光の当たらない人間模様。がとても胸に突き刺さっていた。

僕が書くならそんな物語にしたいと、二つ目の夢として小説を書き始める。

しばらくして遠い国からウイルスが運び込まれ、世界中がパニックに陥った。

誰もが死と隣り合わせの状況の中で、生きていた証を残すために今日までを綴ってきた。

僕を蔑ろにしてきた奴らに向けて、改めて礼を言う。

「人間が嫌いだと知れてよかった」

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社会不適合者メソッド 長谷川雄紀 @hasegawayuki

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