化身

空舟千帆

本文

 日曜日のホームセンターの、レジの前に伸びる列に並んでからふと、なにか買い忘れがないか心配になった。

 もともとここで買うものは大してなかったはずだが、また改めてここへ出向くのも、なんというか、馬鹿らしい。出発前に買い物リストでも作ればよかったか?

 俺は昔からこうだな、と自嘲的に過去を振り返る。計画性がなくて、飽きっぽい。それで逃したチャンスもたくさんあったのではないだろうか。

 一度必要なものを頭の中でリストアップしてみる。着火剤とライター、七輪、ガムテープ、他のものは別に用意したから、これで間違いないはずだ。

 買い物を終えて、徒歩でマンションに帰る。俺は車を持っていないので、少々面倒な作業が加わるわけだ。暑い暑い西日が背中に照り付ける。

 帰宅して一息つく。空腹だったが、なにかを食べる気にもなれなかった。どうせ冷蔵庫は空だし、胃になにか入れるのも好ましくない。部屋は薄暗くてがらんとしている。ここの家賃を最後に払ったのはいつだっただろうか。

 時刻は五時をまわっている。少々早いかもしれないがそろそろ始めよう、棚からウイスキーを取り出す……といっても、今すぐには飲まない、しばらくはしらふの頭が必要だ。

 買ってきた七輪の包装を解く、炭は少しこだわって通販で買った。それから……そうそう、やかんが要るんだった。キッチンから水を入れたやかんを持ってくる。

 さて、場所を移そうか。

 このマンションの風呂には窓がない。風呂であるから窓は不要なのだが、今の俺にはそれがありがたい。

 炭と七輪とやかん、その他の小物を風呂に持ち込んで、内側からロックする。ガムテープを取り出してドアの周りにできた隙間を埋めてゆく。

 そうだ、俺は今から自殺をするのだ。いくつかのサイトを回って調べた方法、つまり練炭による一酸化炭素化中毒によって。

 ガムテープによって、バスルームはほぼ密閉された。ここを選んだのにはいくつか理由がある。火災報知器がなく、広さも手頃、窓もないから密閉しやすい。まあ、車という選択肢がない俺にしては、なかなか悪くない死に場所ではないだろうか。

 ウイスキーと睡眠薬はたっぷりあるし、練炭の方も準備はできている。不完全燃焼を助けて一酸化炭素をたくさん出すやかんもセットした。あとは死ぬだけ。

 と、そこでズボンのポケットにスマホが入れっぱなしなのに気がついた。普段は気にもしないのだが、珍しく振動していたため違和感を感じたのだ。

 会社を辞めて以来、連絡もほとんどなくなっていた。案の定今来たメールも企業からのものだったが、その、企業名が引っ掛かった。

 五年ほど前に創業されたSNSの会社だった。たしか、サービスを開始してすぐの頃に登録して、しばらくいじった後に飽きて放置していた。

 五年前、俺は何をしてた? 詳しく思い出すのは難しいが……そう、俺は会社員だった、一流の会社だ、あの頃の俺はなによりバイタリティがあった。自殺なんて聞いたら笑い飛ばすくらいには。

 メールの内容は、アカウントが放置されているため抹消するが、その際アバターを保存するか? というもの。

 このSNSは利用者のライフログを分析してアバターを生成し、botとして動かせるのが売りの一つだったから、アバターとはそれのことだろう。俺がオフラインの間、俺に代わって自動的に発言し、仮想空間の上で行動する人形。

 迷わず「保存しない」を選ぶ。こんなことならスマホも切っておけばよかった、と思いつつ。

 確認のため、とのことでアバターの姿が展開される。botとして運用されてきた俺のコピー。出来損ないの哲学的ゾンビ。


 そこに俺がいた。


 もちろん容姿はデフォルメされたもので、そもそもから俺には似ても似つかないものに仕上がっていたが、振る舞い、発言、嗜好まで、五年前の俺に酷似していた。

 気持ち悪い、なぜだろう? 不気味の谷、という奴か? 限りなく俺に近いもののあと少しのところで俺と決定的に違う、だから気持ち悪いのか? そうだ、でもそうじゃない。じゃあなぜ?


 俺は結論を出す。こいつは、このアバターは、俺であって俺じゃない。こいつは五年前の俺であって、今現在バスルームの中でひとり死を迎えようとしている俺じゃない。


 オーケイ、人格は常に流動している。それは認めよう。俺は五年前の俺をよく知ってるが、五年前の俺はいまここにいる俺じゃない。五年前の俺は失業していなかったし絶望していなかったし死のうとなんてこれっぽちも考えちゃいなかった。

 だが、俺はこうも考える。俺は去りつづけるし流れ込み続ける。外の世界からはどんどん新しい俺がやってくる。おそらく五年後の俺は今の俺をよく知っているし共感もするだろうしあるいは死のうとしているかもしれないが、いまここにいる俺じゃない。それだけは確かなんだ。

 俺は時間軸の上に整列している。前の俺が俺に意識をつないで来るので、俺はそれをちょっと編集して次の俺につなぐ、それの繰り返し。だが俺はそこで意識をぽいと放り投げることもできる。そうすると伝言ゲームはおしまいなのだ。

 俺はひとまず、もうすこしこのゲームを続けることにした。

 五年後の俺はまたこの狭いバスルームに帰ってくるだろうか? それはわからない、もっとひどいかもしれない。だが続けなくちゃいけない。俺は俺自身を常に切り捨てて進まなければいけない。そうして自殺を計画していた俺は流れ去り、新しい俺がやってくる。

 ガムテープをバリバリと剥がし、扉を開け放つ。清浄な空気。

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