修道院ではないけれど

「ただいまー、姉さん」

「おや、お帰り」

「おかえりなさい、ディー」


 玄関を開ければ、大好きな姉と見知らぬ男が談笑していた。

 すこしばかり嫌な思い出のある王族おとこと面差しがにていたので、警戒心がわきあがった。


「……誰ですか?」

「こちら、裕福な商人の放蕩息子のジル様、という設定のトライムの王太子ヴァージル様」

「放蕩息子なんて言ってないんだけどなー」

「……初めまして」

「さあ、ディーも帰ってきたことですし、あなたもおかえりくださいジル様」

「君は本当に容赦がないな……」


 男は一晩くらい泊めてくれよ、なんて軽く口にしているが、女ふたりでつつましく暮らしているのに、そんな余裕がないことくらい想像して気付けといいたい。

 これだから王族は、とわたしはフライパンを手に取った。


「あら、ディー。腐っても王族だもの、護衛がいるでしょうから殴ってはだめよ」

「はあい、姉さん」


 姉さんがそういうなら従おう。

 わたしはおとなしくフライパンを本来の用途に使うことにした。


「護衛がいなかったらる気だったんだ? 恐ろしい姉妹だな!」


***


「また明日ねー」


 あつかましくも夕飯を食べたあと、王族はようやく家から出ていった。二度と来なくていい。

 去り際のニヤケ面を思い出してしまい、腹が立った。

 どこぞの王族バカと似たような顔をしているせいで、思い出したくもない記憶を思い出すはめになった。

 どこぞの馬鹿サミュエルはことあるごとにわたしを幼児か、赤子のように扱ってきた。

 たしかにわたしは貴族ならば知っていて当然のふるまいも知らない元平民だったけれど、なにも知らない赤子のように扱われるのは腹が立った。

 それでも、王族で公爵子息という身分がわからない阿呆ではなかったので、辛抱した。卒業まであと少し。それまでだから、と自分に言い聞かせていた。

 そんなわたしの忍耐も学園生活最後の舞踏会で爆発した。

 サミュエルを筆頭に、わたしに付きまとっていた男共は、よりにもよってお姉様に冤罪をかぶせて処断したのだ。独断と偏見に塗れていた彼らの言葉は、いつ思い出してもはらわたが煮えくり返る。

 そもそも、わたしがいじめられていたのは、元平民だからという理由以外にも、女生徒たちから人気のあったサミュエルたちに話しかけられることが多かったせいだ。

 つまり彼らは人の迷惑をまったく考えずに行動したあげく、その後始末をお姉様に押し付けようとしたのだ。

 わたしがお姉様だったならば憎しみを募らせ、復讐に走っているところだが、お姉様はあんな男共のことはどうでもいいらしかった。

 どうでもいいことに多大なエネルギーを消費するより、大好きな本を読んでいたいとおっしゃったので、わたしもなるべくどうでもいいと思うことにした。

 死亡を偽装して、名前を変えて、隣国にまで来たのだからもう会うこともないだろう。

 と、思っていたのに。

 まさか王太子が姉さんを訪ねてくるだなんて。


「あの、姉さん……」

「なあに?」


 姉さんがやわらかく笑った。

 家族との接しかたがよくわからない不出来な姉でごめんね、とわたしに言った姉さんは、貴族でなくなってから肩の力が抜けたようで、よく笑ってくれるようになった。

 わたしはそれがとても嬉しい。


「今日きた人が姉さんに文官をすすめてたけど……」

「なる気はないわよ?」


 これっぽっちもと姉さんに食器をわたされる。それを受け取って水気をふきとった。


「……」

「たしかに手に職をつけたいところではあるけれど。いつまでもあなたにばかり働きに出させるわけにはいかないもの」


 そうは言うけれど、姉さんが自分の持ち物を惜しげもなく売って移住に必要なものを揃えて、蓄えを作ってくれた。姉さんについていくことだけしか考えなかったわたしが働くのは当たり前のことだと思う。

 いざとなれば近所に住んでいる元使用人たちだって喜んで姉さんに手を貸してくれるだろうから、そんなに気にしなくてもいいのに。

 姉さんは心ゆくまで大好きな読書に没頭してくれれば、わたしはそれで満足だ。

 それはそれとして、働く姉さんもすてきだろうから、見てみたいと思うけれど。


「そうねぇ、明日あたりにはわかると思うのだけれど」

「? なにが?」

「ナイショ」


 そう言って微笑んだ姉さんは最高にまばゆかった。


***


 昨日の宣言通り迷惑王太子はやってきた。

 今日が休みでよかった。こんなちゃらちゃらした男と姉さんをふたりきりにしてなるものか。

 警戒心を最大限引き上げるわたしと違って、さすが姉さんは雅なたたずまいだ。

 わたしも姉さんみたいになりたいなあ。同い年なのにどうしてここまで違うんだろ。


「それで考えてくれたかい?」

「あら、なんのことでしょう」

「ははは、わかっているくせにつれないなあ。もちろん王城へ勤務する……」


 ダアン!


「どうぞ。お冷です」

「……ありがとう……」


 姉さんにはもちろん淹れたての紅茶を出した。


「ありがとう、ディー」

「えへへ。うまく淹れられてるといいんだけど」

「美味しいわ」

「妹さん、マーティンから聞いた性格と違うなあ……」

「なにかおっしゃいましたか放蕩息子のジルさん」

「いいやなにも?」


 放蕩息子は黙ってお冷を飲んだ。下剤でも入れてやればよかったかしら。


「うーん、美味しい井戸水だね!」


 さっさと帰ってほしい。

 お茶を飲む姿すら麗しい姉さんはそうでもないようだったけれど。なんでだろう。

 それにしてもこの放蕩息子の頭は軽そうで殴り飛ばしたくなる。


「わー、なんだか急に悪寒がー」

「まあたいへん。カゼですね、お帰りください」

「そっかー、そっちが素だね。猫かぶってたんだー。君けっこう貴族向いてたんじゃない? わーすごい冷たい目。氷の女王もびっくりだよ。私もびっくりだよ」

「ジル様。ディーをからかうのはそこまでにしてくださいませんか?」

「はいはいわかったよ」


 放蕩息子は大仰に両手を広げて、それから、それだけで王太子になった。


「――それで? 昨日の返事を聞かせてもらおうか」

「ええ殿下。答えはいいえですわ」

「……そうだろうな、とは思っていたけどね? でも生活の保障はあったほうがいいだろう? 城勤めなら安定した収入が得られるし、情報操作をすれば世論だって味方だ。働き辛いなんてことはないし、望むなら伯爵位を継がせることだって可能だよ?」

「あら、まあ。本当に素敵な条件ですわね。そうまでしてわたくしを取り込んだとして、王族に利益はないでしょうに」

「いやいや、あるとも。私は大事な友人の力になりたいんだよ」

「ふふ。私がヴァージル様の友人ですか」

「はははは。初耳だわー、って目だ」

「ええ。初耳ですもの」

「ひどいなあ。あんなに熱く推し本について語り合ったのに」

わたくしの認識としましては、読書好き仲間でしたわ」

「そっかー。まあそれはそれで間違ってはいないけれどね」


 うらやましい。

 姉さんと王太子の会話に入れず、座っているだけになっているわたし。

 危ないからと姉さんには止められたけれど、やっぱり稼ぎのいい冒険者になろうか。魔力量はあるから何とかなる気が。

 ああ、わたしにうなるほどのお金か世界を牛耳れるくらいの暴力ちからがあれば!


「……今、ものすごく寒気がしたんだけど」

「あら、まあ。馬鹿は風邪を引かぬと申しますのにね」

「あんまりにも不敬がすぎると泣くよ?」

「容姿端麗たる王太子殿下におきましては涙する姿すら老若男女に人気があるそうですから安心してお泣きになっていただいて結構ですわ」

「うーん、心がまったくこもっていない」


 姉さんと王太子の話し合いは続いている。

 はあ……。

 郵便屋さんの声がしたので郵便物を受け取りにいくことにした。

 手をふって見送ってくれた姉さんの微笑みは「この王太子バカは任せてね」の笑みだろうか。そうだったらいいな。

 郵便屋さんに渡されたのは手紙で、宛て名は姉さんだった。送り主はスパージョン社?

 どこかで見たことがあるようなないような。


「姉さん宛てに手紙がきてたわ。スパージョン社から」

「ありがとう」

「あ、私は無視される感じかな?」


 姉さんは珍しくいそいそと開封して、これまたいそいそと手紙を読み始めた。

 そうして、読み進めていくうちに姉さんのほおは赤みをおびていって、口のはしもすこしずつ上がっていった。

 こんなに嬉しそうな姉さんは初めて見た。


「おや、そんなにいい報せだったのかい? スパージョン社といえばガルドーン国の大手出版社だよね、懸賞にでも当たったのかい?」

「うふふ。貴方じゃあるまいし」

「その顔でいがいと庶民ぽいんですね」

「顔は関係ないと思うな。で、何が書いてあったんだい?」

「ええ、とても嬉しいことに、先日出た本の売れ行きが好調のようでして」


 わたしは姉さんの言葉に首をかしげる。

 いったい誰の本が出たんだろう。姉さんの好きな作家だろうか。


「おかげで印税生活ができますわ」


 そう言って姉さんは王太子に手紙を一枚渡して見せた。


「どれどれ……」


 その手紙を読み進める王太子は、姉さんとは逆に眉間にしわをよせ、笑みがはがれ落ちていった。


「……君、いつの間に作家になってたんだい?」

「ほんのひと月ほど前のことでしょうか。

 絵本も小説もほどほどに売れているそうで……。ありがたいことですわ」

「うわ、この題名タイトル……読んだよー、つい先日。

 ちょうおもしろかったです。サインください」

「ありがとうございます。お断りします」


 ぷるぷると震える王太子はどうやら本当に本好きだったらしい。

 姉さんにしつこくサインをねだっては断られている。

 わたしは情報が処理しきれなくていまだ混乱している。

 姉さんが作家……?

 本が売れてて、いんぜいが入って、つまり小説家、で? いんぜいせいかつができるから……?

 姉さんはわたしを見てにっこり微笑んだ。


「完璧な手に職とは言い辛いかもしれないけれど、これで貴女にばかり苦労をかけないで済むわ」

「姉さんすごい!」


 感極まって、わたしは勢いのまま姉さんに抱きついた。


「すごい! いつの間に書いてたの? わたし、ぜんぜん気がつかなかった!」

「貴女が仕事に行っている間よ。前々から趣味で書きためていたのだけれど……良かったわ、売れて」


 ほう、と安堵の溜め息をついて肩の力をぬいた姉さんの短くなった髪がわたしの肩にかかった。


「あーあ、これじゃあ本当の本当に仕官は諦めなきゃだなあ、残念残念」

「ああ、まだいらっしゃったのですね」

「うーん、本当に泣くよ?」


 王太子は諦めて帰っていった。


「困ったことがあれば遠慮なく言ってくれ! 友人の頼みを無下にはしない男だよ、私は!」


 と言い残して。できれば死ぬまで頼りたくない。

 姉さんは口元だけをほころばせて手をふっていた。

 あの顔は「友人ではないので頼みませんね」の顔だ。


「おどろいたわ、ほんとうに。言ってくれればよかったのに」


 はやめの夕食を作りながらわたしはほおをふくらませた。姉さんが書いた物語を一番に読めないなんて。


わたしにも羞恥心はあるのよ、ディー」

「しゅうちしん?」


 親しい間柄であるからこそ、自分の作品を見せるのにとまどったのだと、珍しく気まずげなようすだった。


「ねえ、読んでもいい?」

「……ええ。その、無理はしなくていいから」

「だいじょうぶ! 本を読むのは苦手だけど、姉さんの本ならぜったい読みきってみせるから!」

「……そう」


 姉さんはなんとも言いがたい顔をして、黙ってしまった。ほんのり耳が赤い。


「ねえ姉さん。いんぜい? が入ってきて生活にゆとりができたら、また髪をのばしてほしいな」

「それは構わないけれど」

「わたしね、姉さんのきれいなまっすぐな髪がうらやましかったんだ。それに、梳かしてみたかった。

 姉さんたら、家を出る日にばっさり切っちゃうんだもの」

「死体の偽装に必要だったし、邪魔かと思って。

 でも、ええそうね。冬は首元が寒いし、余裕ができたらまた伸ばすのもいいかもしれないわ」

「言質とったから!」


 こうして姉妹わたしたちは幸せに暮らすのでした。

 めでたしめでたし。

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【9千PV感謝】 婚約破棄されたお嬢様の話 結城暁 @Satoru_Yuki

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